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薔薇の騎士団  作者: 桃 春花
第二話 威風堂々
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15 奇跡の一手

 王宮の正門前に着いた時、ちょうど五時の鐘が鳴った。

 門が開かれるのを待ちながら、セシルは部下たちのことを思う。

 行き先はわかっている。破天荒な問題児たちだが、腕っぷしの強さはいずれも一流で、下町のごろつき相手にそうそう後れは取らないはずだ。念のためジンを向かわせたし大丈夫とは思うのだが。

 それでも不安はぬぐえなかった。目の前にいれば、何かあった時にすぐ助けられる。ともに戦うことにはそれほど抵抗がない。だが目の届かないところで危険なことをされると、ひどく落ちつかない気持ちになった。

 どうあっても止められないのならば、いっそ自分も同行してやりたかった。セシルとジンがついていれば、軍隊を相手にするのでもない限りよほどの危険はないだろう。急な体調不良とでもいうことにして夜会を辞退しようかと、真剣に考えたものだ。しかしそれは、執事とナサニエルによって止められた。

 主が部下たちの護衛につくなど本末転倒だと言われれば、そのとおりだ。セシルが心配性にならずにいられない理由を理解しつつも、彼らは部下を信用してやってくれと言った。

 セシルの役目は、部下たちが起こすであろう騒動の責任を取ることであって、一緒に騒ぐことではない。

 そのとおりだ。かつての己ならば――別の名前で呼ばれていた頃は、宮に仕える家臣たちをこうまで心配はしなかった。あの頃は下の者のすることにいちいち干渉しなかった。

 だが、あの夜――生まれた時から親しんでいた者たちを無惨に殺され、助けてやれなかったことが、セシルの心に深い傷を刻みつけた。今でも思い返せば後悔と罪悪感に押しつぶされそうになる。

 伯母はセシルを寛大に迎え入れ、十分な待遇を与えてくれたが、失ったものが戻ってくるわけではない。故郷も家臣もすでになく、そばに残ったのはジン一人だけ。追手を遠ざけ、新しい暮らしを始めても、常に寂しく空虚な毎日だった。

 ――なのに、いつの間にこんなに笑い声が増えたのだろう。

 (すさ)み怯えてばかりいたエチエンヌが冗談を言うようになり、陽気な青年の軽口に実直な青年が顔をしかめるが、温かな笑い声が周囲から消えることはない。使用人たちは熱心に働き、義務を越えた思いやりを向けてくれている。暗く冷たかったはずの世界が気付けばずいぶん明るくなっていて、とまどううちにある日火の玉が転がり込んできた。

 それはもう温かいなどというものではない。時に火傷しそうなほどに熱く、直視できないほどにまぶしくて。心の底に凍りついていた暗闇を溶かした輝きに、否応なしに明るい場所へと引きずり出される。

 立ち直るべき時期なのだろう。いつまでも過去におびえていてはいけない。

 彼を逃すまいと不安はしつこくまとわりついてくるが、振り払う勇気を持たなければ。

 たった十五歳の少女が、立ちはだかる壁をものともせず打ち破っていくのだ。大の大人が、尻込みばかりしていられない。

 この一件が無事に片づいたら、部下たちをたっぷりねぎらってやろう。責任をとることと、功績を誉めてやること。それが自分の役目だ。

 ふたたび動き出した馬車が、王宮の中へ入っていく。セシルは目を閉じ、背もたれに深く身をあずけた。




 セシルより少し遅れて、メロディたちも王宮に入り込んでいた。

 柵を越えること自体は難しくなかったが、大変なのはそのあとだ。王宮の敷地内には、いたるところに近衛騎士がいる。女王とその家族に万一のことが起きないよう、厳重な警護をしている。特に今は国外からの賓客も滞在しているので、警戒の強さはなおさらだ。定位置に立つ者も巡回の者も、油断なく目を光らせ不審者が入り込まないか見張っていた。

 彼らとて家柄自慢でふんぞりかえっているばかりではない。そういった面も持ってはいるが、騎士としての能力はけっして低くない。彼らをだしぬき、王宮の奥深くへと侵入するのは至難の業だった。

 気付かれないよう気配を殺し、物陰から物陰へひそやかに移動する。時に足を止め、巡回が行き過ぎるのを待つ。そんなやり方では歩みは遅々として進まない。五時の鐘はとうに鳴り、あといくらも猶予がない。メロディは焦りを抑えられなくなってきた。

「これじゃ間に合わないよ。いそがないと」

 しっとフェビアンが口を押さえる。

「あわてて見つかったんじゃおしまいだ。焦りは禁物だよ」

 ひそめた声に、同様にしてエチエンヌが反論した。

「慎重にしすぎて間に合わなくてもおしまいだぞ。どうせどこかで飛び出さないと、建物の中には入れねえ」

 彼らが身をひそめる植え込みと宮殿との間には、広い庭が横たわっていた。そこを突っ切る時は身を隠しようもなく、たちまち発見されるだろう。それを覚悟して飛び出すには、まだ場所が悪かった。

「ここで見つかったらたどりつく前につかまるよ」

「そもそも夜会ってのはどこでやってんだよ。全然それらしい気配がねえんだけど」

 あたりは静かで、警備の騎士たち以外にほとんど人気がない。会場とかなり離れた場所なのは間違いない。

「通常は本宮の大広間だろうけど、人数が少なかったら別の広間の可能性もある。この季節だと庭でやることも考えられるな」

「庭ったってよ……」

 広大な敷地内には趣向を凝らした庭園がいくつもあり、すべてを回ると一日かけても足りないほどだ。

「どこでやるのか、聞いておけばよかったねえ」

 さすがにフェビアンもため息を禁じ得ない。話しながらも隙を見ては移動していたが、疲労と焦りは次第に彼らから注意力を奪っていった。

「誰だ!? そこで何をしている!」

 とうとう気配に気付かれ、鋭く誰何されてエチエンヌが舌打ちをした。

「見つかったぞ、どうすんだ」

「しかたない。もたもたしてたら逃げ道をふさがれる。走るよ!」

 騎士たちがこちらへ来る前にと、三人は走り出した。

「曲者だ!」

「西へ向かったぞ!」

 笛の音が響く。四方から足音が迫ってくる。三人は必死で走ったが、とにかく広い。おまけにどこがどうなっているのかもわからない。メロディもエチエンヌも王宮に入ったのは叙勲の時の一度きりで、広間の場所なんてわからない。フェビアンにしても知っている範囲はごく限られており、追われるうちに彼らはすっかり迷ってしまっていた。

 少し気を抜けば包囲されそうになる。ロス街の時とちがって戦うわけにはいかないから、ネズミのように逃げ回るばかりだ。思うように進めず、ただ追手のいない方向へと走る。こんなことをしている場合ではないのに、とメロディが泣きたくなった時、目の前の小道からやってきた騎士とばったり出くわした。

 向こうも人がいるとは思わなかったようで、ぎょっと驚いて足を止める。互いに顔を確認し、あっという声が向こうからあがった。

 さらに何か続ける前にフェビアンが飛びかかった。騎士の口をふさぎ、見事な早業で羽交い締めにする。

「やあヴィンス、いいところで会ったねえ」

 たくみに抵抗を封じられてもがく騎士は、因縁の相手ヴィンセントだった。

「ちょうどよかったよ。夜会の会場へ行きたいのに迷っちゃってさ。案内してくれない?」

「んむむうっ!」

 追手に見つからないよう物陰へ引きずり込み、耳元にささやく。当然ヴィンセントは激しく抵抗したが、両腕をメロディに、脚はエチエンヌによって拘束された。

「頼むよ。今回は冗談言ってる余裕もないんだ。ヘニング男爵の事件は、もっと大きなたくらみにつながってた。このままだと陛下がお命を落とされる。いや、陛下だけじゃない。大公殿下も王太子殿下も、そのすぐ近くにいる方々も。なんとしても宴が始まる前に知らせに行かないといけないんだ」

「んぐぅーっ」

「ヴィンス、どうか落ちついて聞いてくれ。いくら僕でも、悪ふざけでこんなこと言って王宮にまで侵入しないよ。僕はリスター家の嫡男、彼女はエイヴォリー家の娘だ。許されることと許されないことの区別くらいつく。一族に累がおよびそうな真似を、ただのいたずらでするわけがない。こうせざるを得ない、危急の事態なんだよ」

「…………」

 聞いたことのないフェビアンの真剣な声に、ヴィンセントが抵抗をやめてじろりと目を向けた。だがまだ、納得した顔ではない。

「お願いです、ヴィンセント。わたしたちを信じて。もう時間がないの。乾杯の前に止めないと陛下のお命がない。乾杯用のワインに毒が仕込まれているの!」

「…………」

 ヴィンセントの目が行き来する。騒がないでくれと念を押しながら、フェビアンはそっと口元を解放した。

 その途端に大声を上げるような真似はしなかったが、ヴィンセントはひどく疑わしげにメロディたちを見回した。

「……そんな荒唐無稽な話を、いきなり信用できると思うか」

「無茶を言ってるのは承知だよ。でも信じてもらうしかない。証拠も何も出せないけれど、これがいたずらでできることかどうかを考えてくれ」

「…………」

 ヴィンセントの顔に迷いが現れる。だがにわかには信じきれず、彼は動かない。どう言えば説得できるだろうとメロディが考えていると、それまで黙って見ていたエチエンヌが口を開いた。

「オレとしては、女王が死のうが生きようがどうでもいいけどな。そういうのとは関係ねえ生き方してきた。けど、セシルやこいつらにとっては大切な人で――あんたにもそうなんじゃないのか?」

「…………」

「ここであんたに手伝ってもらえなきゃ、もう終わりだな。オレたちは間に合わず女王もあの王子も……多分セシルも、みんな死ぬ。あんたはそれでいいか? 近衛騎士らしく、侵入者の頼みなんぞ突っぱねて、その結果ご主人様を死なせることになっても後悔しねえか?」

「…………」

 疑いが動揺に変わり、ヴィンセントがたじろぐ。煩悶していた彼は、本当に嘘ではないのかと訊ねてきた。

「嘘だったら僕を殺していいよ。どのみち、会場へ突撃すれば取り押さえられるだろう。そこで毒なんて出てこなければ、僕らはただの暴漢だ。どうなるか覚悟の上で命を張ってるんだよ」

「…………」

 ごくりと唾を飲み込み、腕を放すようヴィンセントは言った。

「……俺は、近衛騎士としての使命を果たすためにお前たちを案内するんだ。けっして悪事に加担したわけではないと、ちゃんと証言しろよ」

「ああもちろん。約束するよ」

「ヴィンセント――ありがとう!」

 感謝を込めて手を取るフェビアンとメロディを、ヴィンセントは邪険に振り払った。ぷいと顔をそむけ、ついてこいと横柄に言う。

「夜会は西の庭園で開かれる。こっちだ」

 追われるまま西の方へ逃げてきたのが、思いがけない幸運だった。遠回りせずに行けると知り、メロディたちの顔が明るくなる。だがもちろん、追手はまだ彼らをさがしている。見つからないよう複雑に作られた庭園に飛び込み、身を隠しながら急いだ。

 もう少し日の短い季節なら、夕暮れ時の薄暗がりにまぎれ、追手の目をくらませやすかったものを。そんなことを考えてもしかたないが、ついついうらめしく明るい空をにらんでしまう。しかし必死の努力の甲斐あって、ようやく前方にざわめきが聞こえてきた。

 紳士淑女の集まる会場が見える。あと少しだ。メロディの気が逸る。

 だがその手前に、緑の生け垣で作られた迷路が立ちふさがっていた。

「おい、こっちは行き止まりだぞ!」

「ここさっきも通ったじゃない」

「ヴィンス、本当にそっちで大丈夫なの?」

 ヴィンセントに先導されているにも関わらず、彼らはうろうろと迷路の中をさ迷う。

「う、うるさいな、急かすからよけいにわからなくなるだろ!」

「……おい、たしかこいつ方向音痴だとか言ってなかったか?」

 思い出したエチエンヌに、フェビアンはらしくもなく頭を抱えた。

「ここでその特技を発揮しないでほしかったよ……」

 ヴィンセントにまかせていたのでは埒があかない。見切りをつけて三人は自力で出口を目指したが、途中で無情にも六時の鐘が鳴り響いてしまった。

 会場から拍手と歓声がわき上がった。

「くそっ」

「せめて声が届くところまで行ければ……っ」

 歯ぎしりする仲間の横で、メロディは決心した。

「直進する!」

「えっ?」

「直進って――マジに一直線か!」

 道を無視して、メロディは生け垣に体当たりで突っ込んだ。突き破れるところは強引に通り抜け、太い枝は剣で切り払う。枝葉がひっかかり、手にも顔にも無数の引っかき傷を作った。いちいちほどく手間などかけずおかまいなしに前進すれば、ぶちぶちと髪が千切れ服も破れる。それでもメロディの勢いは止まらなかった。

 束の間唖然と見ていた男たちも、あわてて生け垣に飛び込んだ。盛大な物音を立てて迷路を破壊し、脱出路を自力で作っていく。さぞ庭師が嘆くだろうが、それどころではない。

 当然これに気付いて警備の騎士たちがやってきたが、彼らも迷路に邪魔されて近づけない。先回りしろと走ったが、メロディが迷路を突破する方が早かった。

「陛下! お待ちを! ワインに口をつけてはなりません!」

 張り上げる声に何人かがこちらを振り返るが、女王は気付かない。

「お願い、陛下――セシル様! ワインを飲まないでっ」

 懸命に走る視界の向こうで、人々の手にグラスが行き渡り、高々と掲げられた。

「陛下ーっ!」

 絶叫するメロディの横で、エチエンヌが服の下から小柄を引き抜いた。距離は遠い。渾身の力を込めて投げ放つ。

 大気を切り裂いて飛んだ小柄は、今しも女王の口元へ運ばれようとしていたグラスを、見事に直撃した。

 悲鳴とどよめきが上がる。手の中で突然砕けたグラスに、女王も驚いている。すかさずサリヴァンが傍へ駆け寄り、彼女を守るのが見えた。

「――――」

 目と口を丸くしてメロディは立ち尽くした。信じがたい光景に言葉が出てこない。そのままゆっくりと首をめぐらせ、汗をぬぐう少年を見た。

「……すごい」

 身体が震える。泣きそうな気分で、でも顔はくしゃくしゃに笑ってしまう。

「すごい、すごい、すごい……すごいよエチ! やった! エチすごい、最高!」

 息も整わない彼に、夢中で飛びついた。首っ玉に抱きつき、すごいすごいと興奮してくり返す。勢いに負けてエチエンヌが尻餅をつき、メロディもともにへたり込む。それでもすごいとはしゃぎ続けた。

「やったねえ。大手柄だよ、エチ」

 フェビアンが肩を叩く。エチエンヌは大きく息を吐いて呼吸を整えた。

「呑気によろこんでる場合じゃねえだろ……周り見回せよ」

「え?」

 ようやくメロディは顔を上げ、周囲へ目を向けた。フェビアンはそのまま苦笑して肩をすくめ、ヴィンセントが首を絞められたような声をあげる。

 ぐるりと彼らを取り囲み、近衛騎士たちが剣を構えていた。四方八方から抜き身の刃が突きつけられている。メロディは状況を正しく理解して、調子のはずれた笑い声を立てた。

 その頃、会場へあわてて駆け込んできた侍従がいた。毒味に当たった囚人が死んだとの報告を受けて、急ぎ知らせにきたのだ。彼は間に合ったと喜んだが、実は少しだけワインを飲んでしまった人もいた。

 気の毒なチェスターはセシルに無理やり水をがぶ飲みさせられ、吐いてはまた飲まされるという、非常に苦しい思いをすることになる。しかし命に別状がなかったのは幸いだ。

 騒ぎはすぐに鎮められ、うまく取り繕われていく。人々は動揺から立ち直り、その後の夜会を問題なく楽しんだ。

 取り押さえられ、連行されていく三人組(と、もう一人)に注意を向ける人はほとんどいない。

 その後は目だった混乱が起きることもなく、滞りなく三日間の予定を終え、人々は女王の在位を祝いさらなる王国の繁栄を祈ったのだった。




 暗殺を水際で防いだ功労者でありながら、メロディたちが招かれたのは冷たい鉄格子の中だった。

 ひんやりした石床が、火照った身体に心地よい。

「いやー、よかったねえ。今度は本物の牢獄だよ。初入牢! 隣近所は死刑囚ばかり! またひとつ人生経験が増えたね」

「そうだね……」

「意外と悪くねえじゃねえか。けっこう清潔だし寝床もあるし」

「そうだね……」

 一日走り回ってくたくただ。もう騒ぐのもおっくうで、メロディは半笑いで膝を抱えていた。

 落ちついていられないのはヴィンセントだ。

「なぜこうなるーっ!?」

 連行中から必死に弁明しようと騒いでいた彼は、今なおあきらめきれず鉄格子にすがりついていた。

「俺は違う! こいつらの仲間なんかじゃない! けっして、犯罪に加担したわけでは! ちがうんだーっ」

「まあまあヴィンス、そんなに騒ぐと近所から苦情が出るよ」

 くつろぎながらフェビアンが笑う。近所といっても死刑囚たちが収容された牢は別の階にあり、メロディたちの周りは静かなものだ。

 ヴィンセントはきっと眉を吊り上げて振り返った。

「話が違うだろう! 俺は無関係だと、ちゃんと証言するって言ったじゃないか!」

「もちろん、約束を破るつもりはないよ。でも証言の機会も与えられないんじゃ、どうしようもないよねえ」

 へらへらと笑うフェビアンの胸ぐらに、ヴィンセントはつかみかかる。

「貴様こうなることがわかってて、俺をだましたな! この悪魔が! 地獄へ落ちろ!」

「わからねえ方がどうかしてるだろ。王宮に突撃かましゃ、とっつかまるに決まってる」

 白けた顔でつっこみを入れるエチエンヌにもくってかかる。

「陛下をお助けするためだと言ったではないか!」

「それは嘘偽りない事実だよ。でも事情を知らない人から見れば、僕らは陛下を襲った暴漢でしかないからねえ」

「それはつまり絞首台直行ということではないか! 死ぬならお前たちだけで死ね! 俺を巻き込むな!」

「地獄への旅路は、道連れが多い方が楽しいじゃないか。同期生同士、仲良くいこうよ」

「いやだあああぁっ!」

 メロディはそっと耳を押さえた。牢内で絶叫されると声が響いてうるさい。

 素直なヴィンセントをからかって楽しむ余裕がまだあるようで、フェビアンも地味にすごい。貴族の若様として生まれ育ったはずなのに、どこでこうなったのか。

 ヴィンセントも落ちつけば冷静に考える余裕が出てくるだろう。いくらなんでも、取り調べも何もなしにいきなり絞首台送りになるはずがない。四人中三人が貴族なのだから、事情聴取は慎重に行われるだろう。ワインに毒が入っていたことがすでに知られていたら、メロディたちがしたことの意味も理解されるはずだ。

 なにより、父とセシルがこの事態を放置するはずがない。彼らを信じていればいい。

 メロディに不安はなかった。背中を伸ばし、壁にもたれるエチエンヌをうかがい見る。疲れたようすだが表情は静かだ。機嫌がよさそうなのを確認し、隣に寄り添った。

「疲れたね」

「ああ」

 素っ気ないが、どこかすっきりした雰囲気で彼は答えた。

「エチのナイフ投げって本当にすごいよね。あれわたしにもできるかな。教えてくれない?」

「あんたはそれ以上強くならなくてもいいだろうが」

「ばか言わないで、まだまだ全然だよ。もっとうんと強くならないと、セシル様に認めてもらえない……」

 言いかけて、気付く。認めるも認めないも、もうお役御免だった。メロディの方から決別してきたのだった。

 あの時はそれしかないと決断したが、あらためて向き合えば気落ちせずにいられない。

 急にしおれたメロディに、エチエンヌは怪訝な目を向けた。なぜか落ち込む少女にとまどい、片手を持ち上げる。蜂蜜色の頭に伸ばし、しばしためらったあと、髪にからんだままの枝葉を取り除いてやった。

 お互いにくしゃくしゃのぼろぼろだ。門衛にごろつきのようなと言われたのも無理はない。ギャングたちと乱闘し馬を飛ばしてきたから、全身汗まみれで髪も振り乱している。そこへ最後の生け垣突破だ。エチエンヌの自慢の顔にも無数のかき傷ができていた。

 なのに、気分は明るい。

 状況を考えるとまだ喜べる段階ではないのに、やけに心が晴れていた。

 鳥の巣みたいに髪をもつれさせた少女を見ていると、笑いが込みあげてくる。ふっと漏らした彼に、メロディが不思議そうに顔を上げた。

 その時、外の廊下から足音が聞こえてきた。こちらへ近付いてくる音に、ヴィンセントがあわてて振り返り鉄格子の前へ戻る。

 硬質で規則正しい靴音の主は、メロディたちの牢の前で立ち止まった。


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