12 壁はぶち破れ!
翌日さらにメロディを落ち込ませるできごとがあった。
食事もとらずに引きこもり、悶々と夜明けを迎えたメロディのもとへやってきたドナが、今日の衣装としてドレスを持ち出したのだ。
「旦那様のご命令で……」
昨日のいきさつを知っている彼女は気の毒そうにしつつも、主人の命令に従ってメロディにドレスを着つけた。髪を結い上げ、コルセットで胴を締め、華奢な女物の靴を履くと、もう走ることもできなくなる。
メロディがまた飛び出していかないように、予防策を考えたのが明らかだった。着替えが済むと執事がやってきて、これまたセシルの命令だと言いメロディの剣を取り上げていった。メロディはもう涙も出てこず、食堂へ出るのを拒否して自室で朝食をとった。コルセットのせいか気鬱のせいか、まったく食欲がわかないのを無理して詰め込む。昨夜一食抜いているのだから、ここでしっかり食べないと身が持たない。いざという時に腹が減って動けないなんて情けない事態にならないよう、食事はしておかなければ――と考えて、むなしさに肩を落とした。誰もメロディにそんな心がけなど期待していないのに、ひとりで意気込んで何になるのだろう。
ようすをのぞきにきたフェビアンとも、あまり話ははずまなかった。彼もまた、しばらくはおとなしくしているようメロディを諭した。
「くやしい気持ちはわかるけどさ、団長もきみを心配されたんだよ。そりゃあさ、こんなに可愛い子が不用心に一人歩きしていたら、僕だって放っておけないな。まして下町の荒っぽい連中が、指をくわえて眺めているはずがない。きみが普通の女の子じゃないことは承知しているけど、屈強な男に集団でかかられたら絶対勝てるなんて言えないだろ? エチが無断外泊した時、きみだって同じように心配していたじゃないか。意地悪じゃなくてきみのためを考えてのことなんだから、あまりいじけないでわかってあげなよ」
優しい声でなぐさめられて、メロディは力なくうなずく。セシルが悪意でしているわけでないことなど、十分に承知していた。彼は彼なりに、メロディを思いやってくれているのだろう。ただそれは、若い娘に対する気遣いであって、メロディが望んでいるものではない。
その違いに思い悩んだところで、間違えているのはメロディの方だと誰もが言うだろう。例外があるとしたら、家族やオークウッドの領民たちだけだ。
ここに父がいたらどう言うだろう。メロディは考えた。
おそらく、父もメロディがひとりで危険な場所へ踏み込むことには首を振るだろう。けれど頭から禁止するのではなく、方策を考えてくれる。信頼できる護衛をつけた上で、行ってこいと笑顔で送り出してくれるだろう。
メロディの過ちは、己の力を過信して一人で飛び出したことだ。その点について責められたのは、いたしかたがない。認めなければと、一晩経って落ちついた今なら素直に考えられた。
反省して言いつけに従っていれば、セシルも許してくれるだろうか。いや、元々彼は怒っていない。ただ駄目なことはだめと、咎めただけだ。メロディが従えば、また元通りに付き合えるだろう。
貴族の娘として、慎みを忘れず無謀な真似をせず、おとなしく守られる存在でいるなら、これ以上もめることはない。
……ただ、メロディが、ひどくさみしくむなしい気持ちを抱き続けるだけで。
その日は結局部屋から一歩も出ずに過ごした。夕食もひとりでとり、セシルたちと顔を合わせることはなかった。
翌日の薔薇屋敷は、朝からそわそわと慌ただしい雰囲気に包まれていた。女王の在位二十周年記念式典がいよいよ明日に迫り、出席するセシルのために準備が整えられている。仕立屋が届けた衣装をジンとドナが確認し、馬車もぴかぴかに洗われた。セシルは執事と当日の段取りについて打ち合わせをしている。ジンとナサニエルも同行するだろう。もしかしたらフェビアンは、リスター家の嫡男として出席するかもしれない。
することがなく暇なのは、メロディとエチエンヌだけだった。エチエンヌがどうしているのか知らないが、多分似たような状況だろう。忙しそうな人々を横目に、メロディはそっと庭へ出た。
日差しがずいぶん強くなってきた。普通の令嬢なら日傘や帽子なしには、絶対に出歩かないだろう。これからはメロディもそうするべきなのだろうか。あまり日焼けしすぎるのは肌に悪いと母も言っていた。社交界デビューを控えた令嬢らしく、美容に気をくばり教養を身につけ、歌やダンスのレッスンをし……。
ため息が出てくる。メロディにとってそれらは、あまりに窮屈でつまらない生活だった。日焼けなど気にせず風を受けて馬を走らせ、みずみずしい香りのする野原に転がり、暑い日には川で馬と一緒に水浴びして。秋には農民たちと収穫に汗を流し、雪が積もったら橇遊びをする。
そんな日々を望むのなら、オークウッドに帰るべきだろう。ここにいて、同じ生活は望めない。望んでもいけない。上流の婦人には美しさと優雅さこそがなにより求められるのだから。
どうせ騎士としてのメロディなど、誰にも認められていないし求められていない。セシルと結婚するわけでもないのに、これ以上居座る理由があるだろうか。メロディがいなくなった方がセシルだって安心するだろう。もともと、自分の事情に周りを巻き込むことをおそれていた人だ。特にメロディに対して、その危機感を強く抱いていた。
ここに、メロディの居場所はないのかもしれない。
そう思うたび胸に痛みが走る。帰るべきだと思いながらも、ここにいたいと願ってしまう。なぜそうまでこだわるのだろう。いくらメロディが頑張っても、認めてはもらえないと思い知らされたのに。
己を曲げてでもセシルのそばにいたいという気持ちがあった。けれどそれはまったく意味のない、なんの結果にもつながらない行動だ。メロディはずっとやりきれない想いを抱え続け、誰かを喜ばせることもできない。
わかっているのに、どうしてこんなに気持ちが乱れるのだろう。理屈ではあきらめて帰るべきだと答が出ているのに、割り切ることができないのはなぜだろう。
重たい息を吐き出しながら歩く。庭園の端の方までくると、これまで気付いていなかったオレンジ色の花を見つけた。花弁の底がつながった、大きめの一重の花だ。垂れた長い枝いっぱいに咲いている。
薔薇以外にも花木が植えられていたのかと、少し意外な思いで眺める。オークウッドでも見たことのない花だった。なんという名前なのだろう。盛りを過ぎた花は首から落ちて、そのままの姿で根元に転がっている。
薔薇のあでやかさとは趣の異なる美しさだった。庭の片隅でひっそり咲いて、人目にふれることも少ない。それがまたよく似合い、清々しさを感じさせられる。
この花と同じかもしれない。メロディは薔薇ではなく、地味にひっそり自分らしく咲くべき花だろう。
セシルの隣には、きっと丹念に手入れして育てられた、最高級の薔薇が似合う……。
また胸が痛んだ。顔をしかめた時、どこからか人の声がした。
「メロディちゃん。メロディちゃんだよな?」
声の方をさがせば、外の道とをへだてる高い柵の隙間から、男がこちらをのぞき込んでいた。
貴族街には似つかわしくない、労働者風の身なりだ。
「ボリスさん」
一昨日知り合ったばかりの若者だと気づき、メロディは柵のそばへ急いだ。
「うひゃー……本当にお姫様なんだなあ。可愛い娘だとは思ってたけど、こうやって見るとなんかもうひれ伏したくなるぜ」
「どうしてここに? まさか」
先日とはちがうドレス姿に、ボリスは鼻の下を伸ばしている。期待に急かされて、メロディは早口で訊ねた。
それで用事を思い出したボリスは、にっと笑った。
「見つけたぜ。隠れ場所をつきとめた」
「本当ですか!?」
「おうよ」
思わずメロディは柵に飛びつき、ボリスの手の上からにぎりしめた。また彼の鼻の下が伸びるがそんなことはどうでもいい。
「すごいです! あれからまだ二日なのに、もう見つけてくださるなんて!」
「いやまあ、それほどでも」
「つかまえられそうでしょうか。私が乗り込んでも、逃げられません?」
「あー、そのカッコで行くのはやめとけよ? 逃げられるとかそういう問題じゃなくなるからな」
はたと気付いてメロディは自分の姿を見下ろす。夏らしく繊細なレースを多用した高級なドレスでは、下町へは向かえない。
外へ出るなら着替えてこなければ。
剣も必要だ。それにエチエンヌにも知らせたい。
「ちょっと待ってていただけますか? 支度をしてきますから……」
「その必要はない」
言いかけた言葉にかぶせるように、後ろから低い声がした。直後に、メロディの両脇から腕が伸びて柵をつかむ。間に閉じ込められたメロディは背後に立つ人が誰かを悟り、身をこわばらせる。ボリスもぎょっとした顔で視線を上げていた。
「外出禁止はまだ解いていないよ。あれだけ言ったのに、性懲りもなく飛び出していくつもりかね」
視界にさらりと黒髪がこぼれ落ちてくる。メロディは深呼吸して動揺をおさめた。
「無断で行くつもりはありませんでした。一人で行くのが危険なのも承知しています。ですから、ちゃんと報告して、エチやフェビアンについてきてもらおうと」
「だめだ。許可できない」
「真犯人が見つけられるかもしれないんですよ!」
振り向いて見上げた顔は、やはり困った表情を浮かべていた。子供に手を焼く、大人の顔だ。
メロディは唇をかんだ。
「手がかりを得たことについては、エチからも聞いている。問題の男の居場所がわかったのなら、キンバリー殿に知らせよう。捜査は彼らの仕事だ。きみが手出しするものではない」
正論だと認めざるを得ない言葉に、勢いが萎えていく。ここで聞き分けなければ、また彼を呆れさせるだろう。これ以上見放されたくなければ、彼の言う通りに従わなければならない。そう考え、メロディはうなだれる。
セシルに嫌われないためには――
そこまで考えて、違和感を覚えた。セシルに嫌われないため? そんなことのために頑張っていただろうか。
たしかに嫌われたくはないが、彼に気に入られたくてここにいたわけではない。メロディはただ、彼の役に立ちたかったのだ。
それは、騎士として働きたかったからで。
それに真犯人をさがすため懸命になっていたのは、セシルのためではない。エチエンヌの潔白を証明するためだった。ひいては彼に、騎士としての意識を持ってもらいたくて。
今ここでセシルの言うとおりにして、正しい選択だったと自分を納得させられるだろうか。
「……ボリスさん」
柵に背を預け、メロディは外のボリスに声をかけた。
「これ、外してください。全部」
「えっ?」
後ろ手で背中のボタンを示す。同時にスカートの中で靴を脱ぎ捨てた。
「えっそんな、こんな真っ昼間の、こんなとこで。人だっているしさ。ふたりっきりの時ならそりゃもう喜んで脱がせていただくけど」
「早く!」
なにやらごちゃごちゃ言うのに焦れて、鋭くうながす。あわててボリスが背中に取りついた。
セシルが眉をひそめ、手を伸ばしてきた。
「何をしている。おかしな真似はやめなさい」
メロディも手を上げて、彼の手を押しとどめた。
「セシル様、わたしの行動がどうしても認められないのでしたら、どうぞ追放なさってください。残念ですが、騎士として求めていただけないのなら、これ以上ここにとどまる理由はありません」
「……なにを」
瞳を金に燃え上がらせて、メロディは背の高い人を見上げる。まっすぐな視線に射抜かれて、セシルがたじろいだ。
「わたしは騎士です。誰にも認めてもらえず、必要とされなくても、父の教えを受け、女王陛下から叙勲していただいた以上は、騎士たる信念と誇りに従って戦います」
背中が涼しくなり、肩からドレスがずり落ちる。メロディはまとわりつく布をつかみ、一気に脱ぎ捨てた。
「にょーっ!?」
奇怪な声が背後からあがる。セシルも目を丸くした。
「メロディ君」
セシルの腕をはらいのけ、邪魔なペチコートにも手をかける。
「王都騎士団の職務と、わたしの行動は別です。わたしは友への疑いを晴らすため、真相を求めていました。そのための努力を人任せにするつもりはありません。騎士たるもの、友のために戦うのは当然のこと! あなたにそれを否定されるいわれはない!」
白いペチコートが宙を舞う。下着一枚になったメロディは、素足で柵をよじ登った。
「ちょ……っ、待ちなさい!」
「父ならここで立ち止まれなどと命じない! エイヴォリー家の家訓その三、『越えられぬ壁は打ち破れ』!」
止める暇もなくするする登り、セシルの身長よりはるかに高い柵をたやすく越えてしまう。猿も顔負けだ。アラディン卿の訓練を垣間見た気がした。
柵のいちばん上から、身軽にメロディは飛び下りる。素足を痛めることもなく、平然と外の道に着地した。
「メロディ君、待ちなさい」
セシルも柵にとりつくが、メロディほど身軽にはなれない。追いつく暇を与えじと、目の前で少女が身を翻す。
「メロディ!」
「お嬢様、そのお姿で行かれますのは、騎士としてもいかがなものかと」
焦るセシルの横から姿を現した執事が、目の前の状況に驚くようすも見せず、平然と上着を脱いで柵の隙間から差し出した。メロディよりもボリスが先に受け取り、あわてて彼女に着せかける。
「それと、こちらをお忘れですよ。丸腰の騎士など笑い話でしょう」
続いて差し出されたものにメロディが目を瞠る。取り上げられていた愛用の剣だ。
「ありがとう、ジェローム!」
「ご武運を」
笑顔で受け取り駆け出す少女に、うやうやしく礼をして執事は見送る。隣で主が頭を抱えていた。
「ジェローム……なぜ」
「旦那様、騎士とは本来無謀なもの。危険をかえりみず飛び込むことができるからこそ、命をかけた戦いができるのです。誇りある馬鹿なのですよ」
「……それはお前の信念でもあるのかね」
「一般論にございます」
年若い主に、執事は澄まして答えた。
「旦那様はお嬢様を守ることばかりお考えですが、あのアラディン卿が手塩にかけて育てた騎士に対して、それは大変な侮辱ですよ。年が若くても、女性の身でも、お嬢様は立派な騎士の心をお持ちです。聡明な旦那様ならばおわかりでしょうに、あえて気付かぬふりで目をそらされるのはなぜでございましょう?」
「…………」
気まずげな顔で視線をそらす主に、執事は目尻のしわを深くした。
「二年前の傷が深く、旦那様がおそれずにいられないお気持ちはわかります。好ましいと思うからこそ、大切に守りたい。そのお気持ちに、わたくしたちは皆守られております。ですがこちらも旦那様をお守りしたいと思っているのです。かつての家臣たちのように、庇護を求めるだけの弱き存在ではございません。どうかもう少し、周りの者を信じてくださいませ」
下げられる銀色の頭を、セシルはだまって見つめる。力なく息を吐き、すでに見えなくなった少女の背中をさがした。
「しかし、あんなふうに飛び出していっても……」
「ご心配にはおよびません」
姿勢を戻した執事が笑顔で請け負う。主の意向を無視して勝手に動く配下たちに、セシルは呆れつつも、己の敗北を受け入れるしかなかった。
一方飛び出したメロディの方は、いくらも走らないうちに前方の障害物に気づき、身構えた。道をふさぐようにフェビアンとエチエンヌが立っている。なぜか、馬を三頭引き出して。
うち一頭はメロディの馬だ。
「お前……なんつー格好で」
下着の上に男物の上着、足元は裸足という姿を目にし、エチエンヌが絶句する。その横でフェビアンは、脱力しつつもこらえきれないものに肩を震わせた。
「素晴らしい思い切りのよさだ。さすがだよ、兄貴」
「誰が兄貴なの」
メロディはふたりをにらみながら足を止めた。
「ふたりとも、わたしを止めに来たの? それとも……」
一瞬目を見交わした男たちは、それぞれに肩をすくめる。
「止めたって行くんだろ。もう押し問答にゃ飽きた」
「止めるより乗ったほうが面白いからねえ」
仲間たちの答えにメロディは破顔する。いそいで近寄り、フェビアンから愛馬の手綱を受け取った。
「けど、先にその格好をどうにかしないといけないよ? 恥ずかしいだけじゃなくて、いろいろまずいだろう」
「うちの屋敷にも着替えは置いてあるから」
簡単に答えてメロディは愛馬に飛び乗った。フェビアンとエチエンヌも、すぐさまそれにならう。地上に取り残されたボリスがあわてた。
「おおおい、俺のこと忘れんなよ! 俺を置いてったらやつの居場所がわかんねえぞ!」
「んー、ちなみにこちらは?」
フェビアンが楽しげにメロディに問う。
「ボリスさん。男爵家の下男を見つけてくれたんだよ」
メロディが自分の後ろに乗せようとするのを制し、エチエンヌに言う。
「エチ、きみの友達なんだから乗せてやりなよ」
「こいつが本気でかっ飛ばしたら、ついてけないのはわかってんだろ。荷物を持たせるくらいでちょうどいいぞ」
「なに、行き先はわかってるんだから大丈夫だ。だってこの格好のハニーに、男がうしろから抱きつくなんて許せる? 僕が彼を殺したくならないように、きみが面倒見てやりなよ」
笑顔で剣の柄に手をかけるのを見て、青ざめたボリスがエチエンヌの馬にとびついた。
「こっちでいい! こっちでいいですから!」
ため息をついたエチエンヌが彼を馬上へ引き上げる。それを確認しきらないうちに、メロディは勢いよく馬を走らせた。
「待てってコラー!」
「ハニー、通行の迷惑だけは考慮してくれよ」
仲間たちの声が追いかけてくる。もちろんメロディは通行人や馬車とぶつからないよう、気をつけつつも全速力でエイヴォリー伯爵邸を目指したのだった。




