10 フェビアンの行動
数ヶ月ぶりに実家の玄関をまたいだフェビアンは、迎えに出た執事に開口一番言いつけた。
「オーガスタス、すぐに僕の喪服を出してくれ。それから弔問用の花束の用意を」
代々リスター家に仕える忠実な執事は、久しぶりの若様の帰宅といきなりの命令に驚くようすもなく、慇懃に答えた。
「お帰りなさいませ、坊っちゃま。どなたかにご不幸がおありで?」
「おありだろう? お前ならもう知っているはずだよ。ギルのところだ」
話しながらフェビアンは階段を上がり、二階の自室へ向かう。あとをついてきたオーガスタスが変わらない調子で言った。
「ヘニング男爵のお葬式でしたら、今から出向かれても間に合いません。昨日お済ませになったとうかがいました」
意外な話にフェビアンは足を止め、執事を振り返った。
「知らせが届いたのは昨日の朝だろう? その日のうちに葬式まで終わらせたってのかい?」
「大分気温が高くなってまいりましたからね」
父と同年代の執事は澄まして答える。それだけが理由でないことなど誰にでもわかる話だが、下世話な好奇心は一切見せない執事の鑑というべき態度だった。
フェビアンは少しだけ考え、父の部屋の方を見る。
「親父殿は?」
「商会の方へお出かけです」
「あっそー」
「奥様はいらっしゃいますが」
「そっちはいいや」
薄情なほどに母親への関心を見せず、ふたたび歩きだす若様のあとを、執事もまた追いかける。
「じゃあ喪服はやめて、地味めの服で行くかな」
自分の部屋に入ったフェビアンは、すぐさま着ていた騎士服を脱ぎ捨てた。呼ばれた女中が駆けつけ洗面の用意をするかたわら、執事がクロークから手際よく衣装を選び出す。光沢のない灰色のフロックコートに、フェビアンが不満を見せた。
「地味すぎない?」
「弔問におしゃれは不要にございます」
タイやカフスも控えめなものが選ばれ、肩をすくめたフェビアンは顔を洗う。念のため髭を剃りなおし、糊のきいたシャツに腕を通した。
衣服をあらため、亜麻色の髪を女中がきれいに整えると、陽気な騎士は姿を消してハンサムな貴公子に生まれ変わった。
どこから見ても、品のいい貴族の若者だ。地味な衣装も彼が身につけると、最新流行の洒落た装いであるかのように見える。仕立てのよいフロックコートがすらりとした身体によくなじみ、荒事とは無縁の優雅な人に見えた。
これが街の食堂で大暴れして十人以上ぶちのめしたやんちゃ騎士だなどと、見た目からはとても想像できない。若い女中はうっすら頬を染めて、彼に見とれていた。
仕上げに手袋をつけると、一服することもなくフェビアンは部屋を出た。執事の素早い采配のおかげで、すでに白い花束が用意されている。別の女中からそれを受け取り、馬車を出すよう頼んでいると、二階からドレスの貴婦人が姿を現した。
「フェビアン、久しぶりに帰りながら顔も見せずにもう出ていくのですか」
温かみのない声に一瞬表情を消したフェビアンは、にこやかな笑顔を作って振り返った。
「申し訳ありません、母上。急いでいますので。服を着替えに寄っただけなんですよ」
「ヘニング家へなど、急いで行く必要もないでしょう」
半分だけ階段を下り、リスター家の奥方は踊り場で立ち止まる。息子のそばへ寄ろうとはせず、高い場所から冷やかに見下ろした。
「お見舞いなら、手紙を送るだけで十分です。今後あちらへは、あまり関わるべきではありません」
「冷たいことをおっしゃる」
おどけた態度でフェビアンは肩をすくめてみせるが、リスター夫人の表情は変わらなかった。
「不愉快な話も聞いていますよ。ただでさえ妙な疑いをかけられているというのに、わざわざ近寄ってどうするのです」
「捜査の一環で話を聞かれただけですよ。たまたま近くにいたので、何か見なかったかとね。面白がって噂する連中もいるかもしれませんが、ご心配にはおよびません。シャノン公爵がちゃんと手を打ってらっしゃいますから」
馬車の音が聞こえる。玄関前にやってきたのを察し外へ向かおうとすると、また上から呼び止められた。
「今日はちゃんと帰ってくるのですか? あなたに紹介したい方がいらっしゃるのに、遊び歩いてばかりで困ります。いい加減真面目になって、将来を考えなさい」
「今どこで生活しているかは、お話ししていますよね? 遊び歩いてなんかいません、ちゃんと真面目に働いてますよ。クビにならない限り、目下僕の帰る場所はシャノン公爵邸です」
「明日、ブランドナー子爵夫人のお茶会にお招きを受けています。あちらの令嬢はあなたとちょうどいい年回りで、ブランドナー夫妻も乗り気でいらっしゃるの。あなたも一緒に行くのですよ」
フェビアンの言葉を無視して、リスター夫人は自分の話だけを進める。母親の命令にフェビアンはため息をつき、背を向けた。
「無理ですねえ。今は忙しいので、お供できません」
「あなたなら、少しくらい面識があるのではありませんか? ベリンダ様という方です。とても高い教養をお持ちの素晴らしい方ですよ。なにより、ブランドナー家は我が家に負けない古い家柄ですからね。血筋的にも申し分ありません」
「そんな上から目線で言える立場じゃないでしょう。こっちは半分平民の血ですよ。常々父上を馬鹿にしてらっしゃるくせに、その血を引いた僕の縁談に、どの面さげて血筋云々言えるんですか」
「フェビアン!」
女主人の怒りに、周囲にいた使用人たちが身をすくめる。表情を変えず平然としているのは執事だけだ。眉を吊り上げる母親を、フェビアンは笑顔を消してふたたび見上げた。
出かける予定もないというのに、夫人は派手なドレスを着ていた。耳や首元、結い上げた髪にも宝石を飾っている。彼女が身につけるものは、見るたびに新しいものに変わっていく。夫の財力でさんざん贅沢をしているくせに、金の出所を蔑むところだけが変わらない。
「古い家の血を取り込むことで、平民の血を薄れさせようと考えてるわけですか? あちらは財産目当て、こちらは血筋目当て、まるで母上と父上の時のようじゃないですか。立場は入れ替わってますけど、そっくり同じですよね」
「フェビアン!」
「あいにく僕は自分の血を恥じてはおりませんので、家柄自慢の令嬢とお見合いする気なんてありませんね。お世話にならなくても女の子の友達はたくさんいますし、今の仕事も気に入っていますので」
「仕事などと! あなたは子爵家の嫡男なのですよ、自覚はあるのですか。卑しい労働者のように雇われて働くなんて、みっともない真似はおやめなさい!」
「働くことの何がみっともないんですか。使用人たちがみっともないから嫌だってみんな辞めちゃったら、あなたは食事もできなくなるんですよ。頑張って働いてくれる者たちのおかげで生活できてるって、母上こそ自覚してらっしゃいます?」
「平民の労働者と一緒にするのではありません! あなたには貴族の誇りはないのですか!?」
「その平民のおかげで我が家は没落から立ち直り、母上は好きなだけ贅沢ができるんですよ。頼るだけ頼っておきながら感謝もせず馬鹿にするのは、あまりに恩知らずってものじゃありませんか? 僕はそういう人間の方がよっぽどみっともないと思いますけどね。恥じるとしたら平民の血を引いていることではなく、無駄に気位ばかり高くて感謝と思いやりの心を持たない、高慢な母親の血の方ですね」
「おだまりなさい! 親に向かってなんという言いぐさですか!」
視界の端から執事が目配せしてくるのが見えた。フェビアンはそっと息を吐き、自制する。いくら言い合いをしたところで無駄だとわかっているのに、顔を合わせていると言わずにいられなくなる。自分もまだまだ青臭いと、内心で自嘲した。
玄関を開けさせ、フェビアンは外へ出る。もう背後からの声は無視した。いつまでも相手をしている時間はない。
「すまないね」
この後しばらく、リスター夫人は機嫌を悪くして周りの使用人に当たり散らすだろう。不用意な真似をしてしまったと、見送りに出た執事にフェビアンは詫びた。
執事は心配することはないと、穏やかな顔で礼をする。
「いってらっしゃいませ」
心得ている彼がうまくとりなしてくれるだろう。今度はお土産でも持って帰らなければ、などと思いながらフェビアンは馬車に乗り込んだ。
窓を開け、風を頬に感じながらささくれだった気分を落ちつかせる。ここ最近実に居心地のよい環境で暮らしていたため、実家のうっとうしさを忘れかけていた。祖父母が健在の頃はもっとひどく、よくも耐えられると父を尊敬したものだ。もっとも心配が必要な相手でもなかったが。
妻の家は自身の箔付けと商売のための踏み台だと完全に割り切っている父の方も、たいがいお互いさまではある。ひとかけらの愛情もなく互いの間にあるのは嫌悪と冷たい嘲笑だけ。そんな夫婦の間に子供が生まれたのは、奇跡というより神の皮肉にちがいない。
やれやれと思っているうちに、ヘニング男爵邸が見えてきた。家格が同じくらいなので、両家の距離は近い。男爵邸の敷地はそれほど広くないが、最近建て替えたばかりなのできれいだった。随所に流行りの装飾を取り込み、裕福さを誇示しているものの、趣向に一貫性がないのでちぐはぐな印象を与える。
成金でありながら趣味はまともだった父が、屋敷の修繕以外のことはしなかったのに対して、ヘニング男爵はとにかく財力を見せびらかそうと、あちこちに金をかけていた。そのため、生粋の貴族である彼の方がよほどに成金っぽく見られていたほどだ。両家は何かにつけて張り合う関係だった。
約束のない訪問だが、こういう時なのでお見舞いと告げれば中へ通された。顔見知りの執事に案内され向かった部屋にいたのは、男爵家の嫡男ギルバートだ。
「久しぶり、ギル。今回のことは驚いたよ。きみもさぞ大変だろうね」
「フェビアンか……ああ、久しぶりだな」
同い年の青年はひどく顔色が悪かった。おどおどと落ちつかない様子で、まともにフェビアンの顔も見返さない。
「お葬式に参列しようと思ったんだけど、昨日だったんだってね? すっかり間に合わなくて申し訳ない」
「い、いや……身内だけで、簡単に済ませたものだから」
差し出された花束を受け取ったものの、すぐに脇へ置いてしまう。いつもなら、フェビアンを軽んじる姿勢を見せるためわざとすることだが、今は単に気が回らず無意識にしているのが明らかだった。
「ずいぶん急いだものだね? たしかに、この時季にあまり遅くはできないものだけれど」
「そ、そうなんだ。いやそれに、なんというか……普通の亡くなり方ではなかったからね、あまり派手にはしたくなくて」
「もっともだ。お察しするよ」
「母がすっかり参ってしまって、とても客の相手なんかできる状態ではなくてね。だからその、身内だけで済ませることにしたんだよ」
「心からお気の毒に思うよ」
同情といたわりの表情でフェビアンは相槌を打つ。ここまでのようすを見ていると、彼らが日頃から親しく付き合っていたかのような印象だが、実際はまったく逆だ。家同士はもちろんのこと、ギルバートとも到底仲良しとは言えない関係だった。
同じくらいの家格で商売敵とくると、どうしても対立関係になりがちだ。しかもフェビアンとギルバートは同い年で、なにかと比較されることが多かった。
父親に似て、ギルバートは頬骨が高いのに丸い鼻は低く、お世辞にも美男子とは言えない顔だちをしている。背も低く小太りで、容姿には相当の劣等感を抱いていた。そこへもってきてフェビアンが標準よりはるかに見目よいものだから、劣等感は妬みとなり、敵意へと育つ。容姿で勝てない分ことさらに父方の血を嘲り、見下すことで優位に立とうとしていた。
馬術はいまいち、剣術などからっきしという彼は、フェビアンの士官学校入学当時は歯噛みして悔しがっていた。退学になったことを聞いた時は、小躍りして喜んだものだ。最近では、セシルのもとで護衛士として働くことも、薔薇の騎士団という新しく特殊な騎士団についても、あちこちで悪口を言い笑い物にしていた。
そのギルバートが、顔を合わせてからまだ嫌味のひとつも口にしない。これまでにはなかったことだ。相当に余裕がないらしいと、いかにも心配そうな顔の下でフェビアンは観察していた。
「お母上にもお悔やみを申し上げたかったんだけど、そういうことなら遠慮しておいた方がよさそうだね。あとできみから伝えてもらえるかい?」
「ああ、ありがとう」
「何か僕にできることはあるかな? 余計なお世話かもしれないけど、気になってね。聞いているかもしれないけど、うちの仲間がたまたま現場近くに居合わせて、いちばんに駆けつけたんだよ。それで昨日キンバリー殿が訪ねて来られた。犯人逮捕につながる情報を望まれてね」
言ったとたん、ギルバートの身体がびくりと震えた。必死に平静を取り繕おうとしているようだが、額には汗が浮きせわしなく視線がさまよう。あからさまにあやしい反応を、フェビアンは静かに眺めた。
「じ、情報って……」
「犯人をつかまえるため、協力は惜しまないつもりだ。とはいえ、どこまで話していいものかとね。きみの方にもいろいろと不都合があるだろうし。シャノン公爵とも相談して、昨日は適当にお茶を濁して帰ってもらったよ」
「…………」
「真相を明らかにして犯罪を解決することは大事だけれど、貴族には貴族の事情ってものがあるからね。下々のようになんでもおおっぴらにはできない。そうだろう?」
「あ、ああ……」
何食わぬ顔で嘘を織りまぜ、さも何か情報を握っているかのようにフェビアンは話す。いまやギルバートの顔色は青を通り越して土気色に近かった。顔中に脂汗が浮かび、白目をむいて倒れそうなありさまだった。
少々苛めすぎだろうか、などと反省するフェビアンではない。痩せられそうでいいじゃないかとひどいことを考えながら、表面上はいかにも心配そうに、気づかっている態度を演じる。
「僕と昔からの知り合いだと言ったら、シャノン公爵も気にかけてくださってね。できることがあれば助力するとおっしゃってる。ほら、あの方もイーズデイルでの人脈を求めてらっしゃるからね。言い方は悪いが、ヘニング家と誼を結ぶ機会だと思ってらっしゃるんだ。気を悪くしないで、ひとつの取引だと考えてくれないかい? 女王陛下の甥君とつながりができるのは、きみの方にも悪い話ではないはずだ」
公爵の名前を出され、ギルバートは灰色の目をぎらつかせた。頭の中では、利益と不利益を激しく計算しているのだろう。かなりぐらついていたようだが、寸前でこれまでの関係を思い出したのか、無理やりな虚勢を張って首を振った。
「い、いや、せっかくだがお気持ちだけいただいておくよ。父が亡くなって大変なのは事業関係だからね、公爵にはおわかりにならない分野だろう」
「まあそうだけど、うちの親父殿だっているんだし」
「商売敵の不運につけこんで、乗っ取りでもたくらむ気か? あいにくだが、僕も父の仕事を手伝ってきたから、引き継ぎに問題はない。しばらくは混乱するだろうが、じきにおさまるさ。きみはせいぜい、公爵のところで騎士ごっこに精を出すんだな。羊飼いの息子には汗くさい仕事がお似合いだよ」
おやおや、とフェビアンは眉を上げた。羊毛産業から身を立てた父を羊飼いと馬鹿にするのは、彼のいつもの決まり文句だ。少しは調子が戻ってきたらしい。
それならばと、フェビアンはにっこり微笑んで立ち上がった。
「そう、お父上の仕事については、全部知っているんだね。もしかしたら家族は何も知らないのかもと思ったんだけど、そんなことはなかったわけだ。じゃあ、この先のことはきみ一人で大丈夫と信じて、余計な差し出口は控えよう。不愉快にさせてすまなかったね」
軽く会釈して扉へ向かう。椅子に座ったまま挨拶もせず見送るギルバートを最後に振り返り、
「こちらはこちらで判断して動くことにするよ。でも、もし途中で事情が変わって、手助けが必要になったら、いつでも言ってきてくれ。親父殿には内緒で協力すると約束するよ」
思わせぶりに言い残し、引き止めるべきか否か迷うようすの彼を残して部屋を出た。
さすがに、簡単に内情を聞き出すことはできなかった。これまでの関係を考えたら、警戒されるのは当然だ。
だがあれだけ動揺しているところにお前の秘密を知っているぞと匂わされたら、とうてい無視はできないだろう。今後どう動くか、見守ればいい。
鼻唄気分で玄関へ向かえば、同じように弔問に訪れた客が何組もいた。顔見知りに短く挨拶して外へ出る。リスター家とヘニング家の関係を知っている人々は、好奇や嘲笑、あるいは不安の目を向けてくる。それらを受け流して自分の馬車へ向かうと、すぐそばにまた馬車が到着し、人が降りてきた。
若い女性だった。暗い色のドレスを着て黒い髪も地味にまとめているが、きびきびした動作と気の強そうなはっきりした美貌が人目を引く少女だ。
降り立った彼女は、すぐ近くに立つフェビアンに気づき、緑の瞳を大きくした。
「フェビアン、あなた何しに来たの」
「ご挨拶だなあ」
友好的でない声に、フェビアンは大げさに肩をすくめてみせた。
「こんな時の訪問目的なんてひとつしかないじゃないか。きみだってお悔やみを言いに来たんだろう?」
「…………」
少女はなんとも答えず、さぐる目で彼を見る。弔問を口実に遺族をからかいに来たとでも思っているようだ。まんざらはずれでもないので、フェビアンは軽く笑って流した。
「続々と弔問客がやってくるからね、長居するのはご迷惑だろうと早々においとまするところだよ。ああでもダイアナ、きみはきっと歓迎されるよ。ギルとはうまくやってるのかい? 彼相当疲れているようだから、しっかりなぐさめてやってくれ」
「わ、わたしは、別にそういう関係じゃ……」
「じゃあねえ、ご両親にもよろしく」
言い返そうとする少女にかまわず、素っ気なくフェビアンは背を向ける。自分の馬車に乗り込もうとすると、馭者が声をかけてきた。
「坊っちゃん、よろしいんですか? ダイアナお嬢様と、もっとちゃんとお話なさった方が……」
まだ幼さの残るそばかす顔を、フェビアンは笑顔で見やった。
「へえ、お前もそういうこと気にする年になったんだねえ」
「い、いえ……」
若い馭者は困った顔になる。
「すみません、オレなんかが口出しすんのは、失礼だってわかってますけど……」
「怒ってないよ」
肩ごしに一瞬だけ、フェビアンは後ろを振り返る。さきほどの少女は、建物に向かわずまだ彼を見ていた。
「心配してくれるのはうれしいけど、お前が気を揉む必要はないよ」
「……オレ、坊ちゃんとダイアナ様はお似合いだって、昔っから思ってたんです」
「そうだね。でももっと似合う男がいくらでもいるさ」
気を変えて馬車に乗り込むのをやめ、フェビアンはその場で上着を脱いだ。開いた扉から馬車の中へ放り込み、ウェストコートも脱ぐ。手袋もタイも外し、全部ぽいぽいと馬車に放り込むと、襟元をくつろげ、整髪料で整えた髪にも指を通して崩した。
「気分転換に歩いて帰るよ。お前はここまででいい、ご苦労さま」
馭者に手を振ってひとりで歩いて門へ向かう。若様を呼び止めようと馭者は口を開きかけたが、優しげでいながら一筋縄ではいかない若様だと知っている。結局あきらめて、馬車の扉を閉めた。
気になって見やった黒髪の令嬢は、もう建物へ入ろうとしていた。凛と伸びた背中が、けれどさみしげに見えた。
ヘニング家でのやりとりをセシルに報告したフェビアンは、最後に自身の見解を付け加えた。
「あのようすから、間違いなく事情に心当たりがありますね。こっちに疑いかけてくってかかるようなことは一切なく、僕のお悔やみに対して『ありがとう』ですよ。あのギルがね! 相当後ろ暗い事情を抱えているようですね」
笑顔の部下に、セシルは呆れた表情になる。
「事情はともかく、父親を亡くしたばかりの息子に対してそんなふうに面白がるのは、どうなのかね」
主にたしなめられても、どこ吹く風でフェビアンはふふっと笑った。
「僕に同情なんてされたら、逆にギルは憤死しますよ。このくらいでいいんです」
「やれやれ」
頭を振ってセシルは外へ目を向ける。話をしているうちに、薔薇屋敷が見えるところまで戻ってきた。
「こっちがどこまで知っているのか、さぞ気になってるでしょうね。かまをかけてるだけって可能性は気付いていても、平然と構えてはいられないでしょう。証拠隠滅のために、これから忙しく動くと思いますよ。見張るのはめんどくさいし、うちじゃ手が足りないから、キンバリー殿あたりに教えてあげればいいんじゃないかな」
「どうだろう。聞いてきたところでは、何人もの有力貴族とつながっているようだし、その中には密輸に加担していた者もいるようだから、捜査を打ち切るよう圧力がかかっているのは間違いないと思うな」
「キンバリー殿はあれでなかなかの熱血漢ですからね。上からの圧力に逆らえなくても、突破口があれば無視はしないと思いますよ。有力な証拠を押さえれば、さらに上を動かすことができる」
「だが、それで解明できるのは男爵の裏の稼業についてだけだ。なぜ殺されたのか、誰がやったのかまでわかるとはかぎらないな」
門を通り、薔薇の庭へ入る。馬車の音を聞きつけて、執事が外に出てきた。
「そうですね。でも後ろ暗い商売をしていて、その関係のいざこざで殺されたとなれば、エチへの嫌疑は晴れるんじゃないでしょうか。強盗のしわざで片付けるよりも世間を納得させられる理由だし、うちは無関係だと主張できるでしょう」
「ん……」
その場合シャノン公爵家は万々歳だが、ヘニング男爵家が非常にまずい立場に立たされることになる。当主がすでに亡くなっていても、お咎めなしでは済まないだろう。
ライバルとはいえ昔なじみを追い詰めることに、フェビアンはなんらためらいを感じていない。セシルの方がそれでいいのかと懸念したが、本人たちの自業自得だと言われれば認めるしかなかった。
帰宅した主たちを執事がいつものように出迎える。そしてその場で、留守中のできごとを伝えた。
話を聞いたセシルは、うちにも熱血人間がいたことを思い出し、天をあおいでため息をついたのだった。
すでにお気づきと思いますが、この物語は18~19世紀頃の英国をイメージモデルにしています。
が、そんな時代に騎士がチャンバラをしているわけはなく、実在の歴史に固定して考えるとおもいきり矛盾します(笑)
あくまでもイメージであり、架空の国々です。ツッコミはご容赦くださいませ。
剣と剣、生身の肉体同士のぶつかり合いが私のロマンなのです。カーチェイスやガンアクションは趣味じゃありません。
そんなわけで、この物語に銃は出てきません。車や鉄道も出てきません。あしからず。