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薔薇の騎士団  作者: 桃 春花
第二話 威風堂々
29/60

9 セシルの行動

 広い園内で季節の花が妍を競っている。明るい日差しに輝く緑と、運び出されたテーブルの白いクロスとが美しい対比を見せている。

 その間を優雅に行き来するドレスの色彩が、午後の風景にさらなる華やかさを加えていた。

「イーズデイルは四季折々の眺めを楽しめますが、やはりこの季節がいちばん美しいですね。瑞々しさにあふれている」

 あでやかな景色をおっとりと誉めるセシルに、同じテーブルで席につく老婦人が目を細めた。

「セシル様にとって、二度目のシーズンですね。昨年はまだ社交どころではありませんでしたけれど、今年はお招きすることができてうれしいですわ。今度役者を呼んで野外劇をしようと計画していますのよ。よろしければ、ぜひ観にいらしてくださいな」

「ありがとうございます。私のような者を気にかけていただいて、フェアクロフ夫人のおかげでいつも助かっております」

「エルシー様の大切な忘れ形見ですもの。わたくしにできることなど大したことではありませんが、お役に立てるのでしたらいくらでもお力になりますわ」

 国内で一、二を争う大公爵家の奥方は、親しみのこもったまなざしで微笑んだ。

 現女王の叔母、つまりセシルの母にとっても叔母であるこの夫人は、亡命当初からセシルに親切にしてくれていた、数少ない本当の味方と言える人物のひとりだ。イーズデイルの貴族社会にセシルがうまくなじめるよう、なにかにつけて手助けをしてくれた。血筋と身分だけは立派でもいわくつきのセシルが、一応は敬意とともに受け入れられたのは、彼女の助力によるところが大きい。

 女王とフェアクロフ夫人という、女性社会の頂点にいる人たちが味方についているおかげで、少なくともご婦人からは受けのいいセシルである。叔父のチェスターあたりからは、女に媚びて頼っていると嫌われ、馬鹿にされる理由にもなっているが。

 積極的に否定する気はない。女性の力はあなどれない。表舞台で動くのは男たちでも、その後ろで尻尾を抑えているのは奥方だ。また、貴族社会で飛び交う噂などは、女性の本領が発揮される分野である。

 馬鹿にされようとどうしようと、セシルは意識して女性と交流し好感を得るようつとめていた。有効ならば自身の容姿も大いに活用する。特に若い娘よりも、経験や人脈が豊富な年輩のご婦人との交流を大切にした。

 むろん男同士の付き合いをないがしろにしているわけではないが、そちらは焦らずゆっくり友人を作っていけばいいと思っている。今でも味方がいないわけではない。東部領主の某暑苦しい伯爵や、商売上手な某子爵など、身近なところから人脈は増えつつある。

 足場を固め力をつけることは、己を守ると同時に仲間を守ることにもなる。消極的にばかりなって判断を誤り、守るべき者たちを守れなかった過去を、二度とくり返すまいとセシルは心に決めていた。

「また少し、困ったことが起きたようですね」

 どう話を切り出そうかと頃合いを見計らっていたら、夫人の方から先に切り出してきた。セシルは軽く眉を上げ、微笑む老婦人に称賛を表す。

「お耳が早いですね。もうご存じでしたか」

「暇な貴族たちは噂が生きがいですからね。刺激的な話はすぐに飛び交いますよ。お節介な誰かが、容疑者のことまで教えてくださいました」

 その誰かさんは、フェアクロフ公爵家がセシルに見切りをつけて離れるよう画策したのだろう。だが夫人は、そんな見え透いた手に乗る気はなさそうだ。

「あなたも大変ですね。なかなか落ち着けなくて」

「いたしかたありません。むしろ、私のせいで世間を騒がせて、申し訳ないと思いますよ」

 常に激しい感情を見せることなく、泰然と構える若き公爵に、夫人は好ましさと年長の気配りを見せた。

「何か、わたくしにできることは?」

「ありがとうございます」

 急な茶会の招待は、こうして助力を申し出るためなのだろう。心からの感謝とともに、セシルは軽く頭を下げた。

「こうして私とお付き合いくださることが、何よりの助けです。夫人にはいつも助けていただき、本当にお礼の言葉もありません」

「あなたの部下は、事件に関わってはいないのですね?」

「そのようです。状況的に疑われるのは仕方のないところですが、無関係だと本人は言っております。話を聞いて私もそう判断しました。彼を犯人とするには、不自然な事柄がいくつもありますので」

「そうですね、ヘニング男爵とこれまで特に接点のなかったあなたに、彼を害する理由はないでしょう。部下の個人的な犯行と考えても、おかしな話です。お金に困っていない、恨みを持つ機会もないあなたの部下が、なぜ男爵を襲う必要があるのか。偶発的なものだとしても、あまりに都合がよすぎます。わざわざ夜中の港まで出向かなくても、喧嘩をするならもっと手近に場所や相手があるでしょうに」

 年を取っても衰えない頭脳を、さらりと夫人は披露する。夫が引退し息子に家督を譲っても、まだまだ社交界の重鎮として活躍する理由がここにある。

「わたくしはむしろ、あなたを陥れるために謀られたことなのではないかと、懸念しているのですが」

「いえ、それはないでしょう」

 セシルは笑って大叔母の心配を否定した。

「こう言うと男爵には申し訳ないのですが、彼では生贄の役には足りません。私の部下が男爵を殺害したとしても、醜聞にこそなれ即私の失脚にはつながらないでしょう。それに部下が出歩いたその日、その場所を狙って適当な貴族を殺すなど実質不可能です。部下はたまたま行き合っただけですよ」

 確信を持った明快な答えに、夫人はうなずいた。

「ではすべてが偶然であり、あなたにはまったく関わりのないことで間違いないのですね。それを聞いて安心しました。今後どのような話を聞かされたとて、もう不安に思う必要はありませんね。ねえ、皆様?」

 近くのテーブルでお茶を楽しみつつ、こちらの会話にも耳を傾けていた女性たちに夫人は顔を向ける。いずれも夫人と親しい、社交界でそれなりの地位を持つ人々だ。彼女たちは今日の茶会の目的をよく理解していて、うなずきつつそれぞれの意見を口にした。

「きっと行く先々で聞かされるでしょうからね。先にきちんと事情を知ることができて、よろしゅうございました」

「下世話な噂が好きな方も多いですから、放っておくとどんどん話が付け足されていきそうです。しっかり否定して回らなければ」

「ここぞとセシル様のことを貶めようと、頑張る方もいらっしゃるでしょうからね。どなた……とは申しませんが。どうせなら、そういう方がわざと悪い噂を流しているのだと、こちらから広めてもよろしいのでは?」

「そうですわね。ただ否定するだけでは疑いが残りそうですし、むしろセシル様は被害者であるとの印象を強調した方がよいでしょう」

「こちらが頑張らなくても、みずからせっせと悪口を吹聴してくださるでしょうからね。ほんの少し、それらしい話をするだけで、勝手に悪者役になってくださいますわ」

「機会があれば本当にセシル様を陥れようとしてもおかしくありませんものね。意地悪がすぎると我が身に跳ね返ってくるものだと、今のうちに学んでおいた方があの方のおためにもなりましょう」

 茶器や扇を手に、優雅に微笑みながら交わされる言葉に、セシルはそっと苦笑する。まったく、女性は怖い。誰を悪役にするか、特に名前も出さないまま彼女たちの間で決定していく。今回にかぎってはごめんと、相手に心中で詫びた。

「気にする必要はありませんよ」

 そんな気持ちを読み取ったのか、フェアクロフ夫人が言った。

「別にいわれのない中傷というわけではありませんからね。本当にそういうことをしている人なのですから、申し訳なく思う必要はありません。ちょっとしたおしおきと思っておけばよろしい」

 女王すら頭の上がらない社交界のご意見番は、微笑みながらも容赦なく言う。セシルは黙って頭を下げた。

「噂については、心配なさる必要はありませんよ。わたくしたちが、ちゃんと否定しておきますからね。他に、何かできることはありますか?」

「ありがとうございます。私はヘニング男爵についてほとんど知らないものですから、できるだけ情報がほしいと思っております。配下の者が言うには、かなりやり手の商売上手だったということですが、なにかくわしいことをご存じではありませんか?」

 閉じた扇で軽く口元を叩きながら、夫人は考える。

「そうですね……珍しい品を手に入れたい時には、重宝する人でした。かなり広いつてを持っていたようで、なんでも手に入らないものはない、などと豪語していましたね」

 そうして高位の貴族に取り入り、人脈を得ることでさらに商売を広げていったのだと夫人は続ける。他の女性たちからも次々と話が出てきた。

「以前はあまりぱっとしない……と言いますか、正直なところ没落しかけていたお家だったのですけれどね」

「男爵の商才でうまく立て直したのでしたね。でも少し、できすぎな気もしましたね」

「疑いを持っていた方は案外多いのではないかしら? はっきりとした証拠もないので、調査は入らなかったようですけど」

「まあ、多少のことはね。目こぼしもされるでしょう。いちいち摘発して貴族をつぶすよりも、ある程度は許して利益を上げた方が国としても得ですからね」

 ヘニング男爵の主な事業は貿易だった。そこにまつわる疑惑となれば、どういうものかは察しがつく。

 麻薬取引や人身売買といったものならともかく、あまり害のない小さな密輸くらいなら、疑いがあってもそう厳しく取り締まらないものらしい。有力貴族を味方につけていることもあって、これまで調査が入ったことはないとのことだった。下手に調べれば芋づる式で困る者も多いのだろう。

 男爵に関する疑惑を、ご婦人がたはあれこれと聞かせてくれた。いずれも憶測の域を出ないあくまでも噂話だが、それなりの収穫と思える情報だった。

「少しはお役に立てまして?」

「ええ、ありがとうございます」

 殺害理由は、裏の商売に関するいざこざという線が濃厚か。穏やかな笑顔の下でセシルは考える。そうすると犯人は外国人の可能性もある。とうに海の上なら、見つけ出すのは難しそうだ。

「あとで主人や息子にも聞いておきましょう。殿方同士のつながりから、何か別のこともわかるかもしれません」

「何から何までお世話になります」

「このくらい、大したお世話でもありませんわ。むしろもっとお世話をさせていただきたいくらいですよ。わたくしが元気なうちに、あなたのお子様を見せていただきたいと思っているのですから」

「お気の早い。まだ相手もおりませんのに」

 冗談として笑い飛ばそうとしたが、したたかな大叔母はごまかされてくれなかった。

「そうでもないでしょう? お相手はもう現れているではありませんの」

「いえ、あれは……」

 どうも風向きがおかしな方向に変わってきた。微笑みつつ、ひそかにセシルは困る。周囲のご婦人がたも好奇心を隠さず彼を見つめてくる。

「そういう話ではありませんので」

「まだ正式な婚約はなさっていないのね? そうねえ、お相手がまだ少し若すぎますものね。でもあの方のご息女なら、今のうちからしっかり確保しておかないと、恋敵がどんどん現れますよ」

「ええ、そのとおり。チェスター殿下の舞踏会でお見かけしましたけれど、さすがと申しますか、お美しいお嬢様で。あと二、三年もすれば、大輪の薔薇のようにおなりでしょうね」

「あのお家の方は、神の祝福か呪いでも受けたかのように、みんな同じ姿で生まれていらっしゃいますものね。三人のご子息たちも、それはきらびやかで……兄弟全員が揃うと、少し暑苦しいですけど」

「末っ子の一人娘に期待してらっしゃる殿方は多いんですのよ? お父君も兄君たちも、あのとおりの美貌ですもの。令嬢もきっと……とね」

「ですから、あまり呑気に構えていらしてはいけませんよ。多少気が早くても、さっさと話を決めてしまいませんと」

 メロディを社交界へ連れて出たのは一度だけ、それも名前は明かさずごく短時間で帰ったのに、すでにかなりの人に知れ渡っているようだ。着々と外堀が埋められつつあるのをセシルは感じた。フェアクロフ夫人の背後に、アラディン卿の姿が見える気がする。

 両家にとって利益になる縁談で、多少年が離れているとはいえ非常識なほどでもない。はたから見れば文句なしの良縁なのだろう。セシルの立場を強めるために、夫人がアラディン卿に積極的に協力しているであろうことは、疑いようもなかった。

 焦りを覚えてセシルは目を泳がせる。このままでは、気付けば結婚式の日取りまで決められてしまいそうだ。

「今度、一緒にお連れくださいな。ぜひ正式に紹介していただきたいですわ」

 すでに婚約が成立しているかのように、夫人はそんなことまで言い出す。なんとかごまかし話をそらすのに、セシルは全力を傾けなければならなかった。

 疲労感を覚えながら茶会を辞して玄関へ向かえば、ちょうど到着したばかりの人と行き合った。

「おや、行動の早いことだ。さっそく夫人に泣きついたのか」

 嘲笑を向けてくる人にセシルはうやうやしく一礼する。甥への親しみなどかけらも見せず、王弟チェスターは侮蔑もあらわに鼻を鳴らした。

「ご婦人に媚を売って回るよりも、今君がすべきなのは大人しく謹慎していることではないのかね。見苦しい真似はかえって己の立場を悪くするぞ。さっさと帰って、男爵家への賠償でも考えるんだな」

 言い捨てて奥へ歩いていく背中に、セシルは苦笑する。ご婦人がたの言うとおり、放っておいても勝手に悪役になってくれそうだ。おそらく今日の訪問目的も、フェアクロフ夫人にセシルの悪口を吹き込むためだろう。

 証拠不十分で容疑者どまりという状況は、すでに犯人と決定したも同然だとチェスターは思っているらしい。社交界の人々をその見解に同調させようと、彼こそ素早く行動して頑張っているようだ。あることないこと告げられた夫人は知らん顔で聞き流し、彼を泳がせるだろう。うまくいっていると思い調子に乗っているうちに、気付けば立場が悪くなっていたのは自分の方だった――と悟るのは、さていつになることか。

 悪役には違いないが、可愛らしいものだと思う。考えが浅く、立ち回りには穴だらけ。敵がみんなああいう人物ばかりなら、ずいぶんと楽なのだが。

 遠いシュルクの異母兄と比較し、セシルは肩をすくめた。チェスターがイーズデイルの王族として生まれたのは、彼にとっても幸いだっただろう。かの国でなら、すでにこの世の人ではなかったかもしれない。

 フェアクロフ夫人の言うとおり、今回のことがおしおきとして彼の教訓になればよいのだが、多分無理だろうなあと思いつつ外へ出る。既に馬車が回され、ジンが控えていた。

「お疲れさまです」

 礼をしてセシルを迎えた後、ほんの少し気づかわしげな顔を見せる。

「先程、チェスター様が入っていかれるのをお見かけしましたが」

「ああ、会ったよ。今回は叔父上にも助けていただくことになりそうだ」

 ほがらかに答えるセシルに、ジンは特に何も言わず「さようにございますか」とだけうなずいて馬車の扉を開いた。誰よりも深く強い理解と信頼に結ばれた主従には、それ以上のやりとりは必要ない。セシルが乗り込み、すぐに馬車は公爵家の門をくぐった。

 窓から外の景色を眺めていたセシルは、ふと思いつき馭者台のジンに寄り道を告げる。カムデンの地理をすでに把握している従者は、迷うことなく道を変えて目的地へ向かった。

 あまり家格の高くない、中流から下流貴族の屋敷が建ち並ぶ区域を走っていると、路上に見知った姿があるのに気付いた。セシルはジンに声をかけ、馬車を停めさせる。

「あれ? 団長?」

 馬も使わずのんびり歩いていたフェビアンは、馬車の窓から顔を出した主に目を丸くした。

「どうしてこんなとこに?」

「君こそ、ひとりでどうしたのかね。連れのお嬢さんはどこだい」

「ふられちゃいました」

 明るい笑顔でおどける部下に、セシルも笑って馬車の扉を開く。寄ってきたフェビアンは、乗り込む前に確認した。

「もしかして、ヘニング男爵家へ向かおうとなさってました?」

「ああ、まあ一応ね……外からでも、ようすを見ておこうかと」

「やめておいた方がいいですね。お勧めはしません」

「そうかね?」

 馭者台からジンも二人の会話を聞いている。フェビアンはこのまま薔薇屋敷へ帰るべきだと言った。

「今団長が顔を出したら、ややこしいことになりそうです。こちらは巻き込まれただけで無関係と、はっきり態度で表しておかないと。うかつに近寄って痛くもない腹をさぐられるのはやめましょうよ。せっかくのフェアクロフ夫人のお気遣いを無駄にしてしまいますよ」

 詳しいことは何も伝えていなかったが、夫人の茶会でどういうやりとりがあったのか、フェビアンは察しているようだ。

 セシルは部下の進言を受け入れ、ジンに薔薇屋敷へ戻ることを告げる。荷物を一人増やした馬車は、ふたたび道を変えて走り出した。

「男爵家のようすを見てきたのかね」

「ええ。葬式に顔を出そうと思ったんですけどね、身内だけでさっさと済ませたようで、もう終わってました」

「昨日の今日でか。ずいぶんと早いな」

「まあ時季的に、あまり遅らせるわけにもいきませんけど……早く終わらせたい事情もあったんでしょうね」

「ふむ?」

 我が家への道をたどりながら報告を聞く。フェビアンはたしかめてきたばかりの男爵家のようすを、語って聞かせた。



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