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薔薇の騎士団  作者: 桃 春花
第二話 威風堂々
28/60

8 行動開始

 信じられない、まったく。

 どいつもこいつも、何を考えているのか。

 ぷりぷり腹を立てながらメロディは髪をなびかせる。薔薇屋敷を出て大通りへ向かい、そこからさらに下町方面へ。行き交う馬車や荷車を避けて巧みに馬を走らせる。

 昨日あんなことがあったというのに、セシルはまた出かけていた。今日くらいは屋敷にいてほしいと頼むメロディに、すでに招待を受けてしまっているからと彼は答えた。

「エチのことなら大丈夫だ。私の命令には逆らわないから。見張らなくてもちゃんと大人しくしているよ」

 たしかにエチエンヌは意外なほど大人しく謹慎している。でもそういう問題ではない。ほったらかして遊びに行かれては、彼もますますいじけてしまうだろうに。

 ナサニエルも用事があるとかで出かけていた。せめてフェビアンはと思えば、これまた女の子とデートだと言う。

「団長の許可は得てるよ。だーって、あの人がいないんじゃ仕事ないじゃない? 護衛を仰せつからないなら、僕だって遊びたい。お土産買ってきてあげるから、怒らないで」

 と、へらへら笑いながら行ってしまった。

 頼りにならない男どもを見送った後、メロディは憤然と厩舎へ向かった。自分の馬に鞍を乗せ引き出したところで、見とがめた庭師が駆けつけてくる。

「嬢様、どうなすったんです」

「ちょっと出てくる」

 ひらりとまたがるメロディを、庭師は細い目を精一杯に開いて見上げた。

「出るって、どこへ行かれるんで?」

「港」

 短く答えるとあわてて止めてきた。

「い、いけませんよ。そんなとこにお一人で出かけちゃ危険です。旦那様に叱られますよ。どうしてもってんなら、あたしもご一緒しますから……」

「道はわかるから大丈夫。夜までには帰る」

 怒りのまま早口で言うと、メロディは馬腹を蹴った。愛馬が軽やかに走り出す。

「嬢様!」

 呼び止める声を振り切って、メロディは屋敷を後にした。

 みんなが好き勝手にしているなら、自分だって勝手に行動してやる。エチエンヌだって、どうせ今はメロディの話など聞いてくれないのだから。

 もともと自分は犯罪者だから、いまさら罪名のひとつやふたつ増えたってかまわないと開き直っている。疑われただけで逮捕もされなかったから、彼にとっては些細な出来事なのだろう。

 だがメロディには承服できない話だ。

 疑いはきちんと晴らしたい。以前の行いとは別の話だ。今回の事件とは無関係だと、エチエンヌ自身がそう言ったのだから、ならば堂々と無実を主張し証明しなくては。

 この一件をただうやむやに終わらせたのでは、しょせんは寄せ集めのごろつき連中だとますます馬鹿にされてしまうだろう。何よりエチエンヌに、今はもう犯罪者ではなく騎士としてここにあるのだと自覚してほしかった。

 そのためには、まずは彼が犯罪とは無関係だと証明することからだ。

 やみくもに現場へ向かったからといって、すぐに手がかりが得られるとは思っていない。そう簡単に解決できるなら王都騎士団も苦労しないだろう。

 だが屋敷にこもっているよりはましだ。セシルの帰りを待ちエチエンヌの機嫌が直るのを待つだけで、何が解決するというのか。悩むよりは動けと、父にも教えられてきた。エイヴォリー家の家訓その二、「常に攻めていけ」だ。

 何かひとつ、石ころほどでもいい、成果を得るためにメロディは街を駆けた。前方に飛び出してきた荷車にも顔色ひとつ変えず馬を操る。どこからか上がった悲鳴がどよめきに変わった。

 鮮やかに馬を跳躍させ荷車を飛び越して、あんぐりと口を開いて見送る人々を置き去りに、メロディは振り返ることなく走り去った。




 区域としては下町に分類されるが、港の辺りはそう治安が悪いわけではない。犯罪者の巣窟などと言われるロス街とは離れている。旅行客も多く出入りする普通の場所だ。

 三日後が記念式典とあって、港も大にぎわいだった。田舎と違ってその辺に馬をつないでおいたのでは、あっという間に盗まれてしまう。メロディは港の管理事務所へ行って、道を聞くついでに馬をあずかってもらった。

 事件のあったバベッジ通りは、旅客船が着く場所とは別の倉庫街だった。煉瓦造りの建物が並び、貨物船がすぐ前の波止場に停泊している。

 この辺りにくるとさすがに人の姿も減る。船から倉庫へ荷を運び込む人足や、それを指揮監督する船会社の人間くらいだ。物慣れない足取りでうろつく男装の少女に、ちらちらと不審げな視線が向けられる。

 亡くなったヘニング男爵は貿易をしていたのだろうか。でなければ、仕事のためとはいえこういう場所に出向くことはないだろう。それも夜中に――と、いうあたりがどうにも不自然だ。フェビアンの言う追求されたくない事情とは、もしや密輸とかそんなところだろうか。

 ひととおり周囲を見て回ったあと、メロディはわざと人気のない場所へ向かった。多分これで釣れるはず――と思ったとおり、いくらもしないうちに柄の悪そうな男が現れた。

「どうした、嬢ちゃん。迷子にでもなったかい? こんなところを一人でうろついてたら危ないぞ。船に乗せられて異国へ連れてかれちまうぞ」

 よしよし、と内心でメロディはうなずく。うまくいった。

 道を歩けば絡まれる、狙われる、誘拐されるというのがメロディの特技だ。こうやって歩き回っていれば、きっと誰かが近寄ってくるだろうと思っていた。男装していようと腰に剣を提げていようと関係ないのは、過去のあらゆる経験で確認済みだ。

 声をかけてきた男はまだ若かった。労働者風で、顔だちはなかなか整っているが軽薄そうな雰囲気だ。フェビアンから育ちのよさを取り払ったような印象である。年齢も多分彼と同じくらいだろう。

 メロディは男に微笑みかけた。おお、と小さく声が上がり、男の顔が上気する。

「迷子じゃないですけど、休憩できる場所を探していました。このあたりに食事のできるようなお店はありますか?」

 にこやかに答えれば、男は破顔していそいそと寄ってきた。

「そうなんだ。じゃあ案内してやるよ。美味い飯を食わせてくれるところがあるんだ」

「いいんですか? ご親切にありがとうございます」

「いやいや、俺も飯食いに行こうと思ってたとこだから」

 なれなれしく肩を抱いてくる男に逆らわず、メロディはうながされるまま並んで歩いた。

「名前なんていうの? 俺ボリス。ねえねえ、名前教えて」

「メロディです」

「メロディちゃんかー。可愛い子は名前も可愛いなあ」

 ボリスとやらに調子を合わせながら、さりげなくメロディは観察する。体格は悪くない。多分力仕事で鍛えているのだろう。だが武術の経験はなさそうだ。歩き方も姿勢も、まるきり素人のものだった。わざと軽く振る舞っているとしても隙だらけである。

 さて、ただのナンパ男か、それとももう少しあくどい奴か。

 店へ案内すると言いながら違う場所へ連れていこうとするなら、適当なところで叩きのめしてやると思っていたが、ボリスはちゃんと食堂へメロディを連れてきた。

 建物がひしめき合うせせこましい通りにある店は、先日フェビアンに連れて行かれたマシュー親父さんの店とはかなり違った。十人も入れば満員になりそうな、小さな店だ。古く雑然とした雰囲気の店内には、おばさんと呼ぶには失礼だろうが、かなりとうの立った女がいて、メロディにじろじろと不躾な視線を向けてきた。

「ノーラ、うまいもんいっぱい持ってきてくれ」

 機嫌よく注文しながら、ボリスは奥の席へとメロディを連れて行く。先に食事をしていた男たちが好奇心丸出しの顔で注目してきた。

「なんだ、ボリス。えれえ上玉を連れてきたじゃねえかよ。どこからさらってきた」

「こりゃまた変わった嬢ちゃんだな。どっかの騎士みてえな身なりだが……ひょっとして貴族じゃねえのか?」

「まっさか! 貴族のお姫様がこんなとこ一人でうろうろしてるわきゃねえだろうが!」

 全員顔見知りらしい男たちが下品な笑い声を上げながら集まってくる。ボリスがうっとうしそうに追い払おうとした。

「ちっ、邪魔すんじゃねえよ。これから仲良くお食事だってのによ」

「なーにがお食事だ、気取ってんじゃねえよ。似合わねえっつの」

「なあ嬢ちゃん、こんな色男気取りの馬鹿放っといて、俺と遊ばねえか? 俺の方がずっといい男だぜ」

「そのツラで誘うなよ。女がなびくと思ってんのか。てめえはそっちで芋でも食ってな」

「女騎士さんよ、馬じゃなくて俺に乗ってみないか? 最高って叫ばせてやるぜ」

 ごつい男たちに取り囲まれても、メロディは動じなかった。父や兄たちや配下の騎士たちに囲まれて育ったから、こういう状況には慣れている。大きな男を怖がって怯える令嬢ではない。

 さらに最近はエチエンヌのおかげで柄の悪い物言いにも慣れてしまった。一部意味がよくわからない発言もあったが、いちいち気にする必要もないだろうと聞き流す。

 にやにやと詰め寄ってくる男たちを、メロディは静かに見回した。

「ありがとうございます。実は調べたいことがあってここへ来ました。みなさんにもお話をうかがいたいのですが」

「なんだあー? 子作りの方法か?」

「それなら実践で教えてやるぜ」

 下卑た笑い声を無視してメロディは続ける。

「一昨日の晩、バベッジ通りで起きた殺人事件についてです。この近くですから、お聞き及びかと思いますが」

 ふと、笑い声がやんだ。男たちの顔にいぶかしげな表情が浮かぶ。

「事件の情報を集めたいんです。どんな些細なことでも構いません、何かご存知のことがあれば教えて下さい」

「……何者だ、あんた」

 一人がうさんくさそうに尋ねた。

「どうしてそんなことを聞きたがる」

「わたしの友人が事件に関与しているのではないかと疑われているので。無実を証明するため調べにきました」

「王都騎士団の回し者か? こんな小娘がいるとは聞いたこともねえが」

「いえ。個人的な調査です」

「そんなつまんねえ話じゃなくてよ、もっと楽しいことしようぜ。なあ」

 男の一人が肩に腕を回して抱き寄せようとする。抗議の声を上げるボリスは他の男に押し退けられる。

 メロディはその腕を押し戻した。だがまた強引に抱き寄せられる。汗と垢の臭いがする髭面が間近に迫った。

「放してください」

「小せえなあ。いくつだ。十四、五ってとこか? すれてなくて可愛いじゃねえか。俺が一からじっくり教えてやるよ」

「話を聞きたいんです。放してください」

「ああ、いくらでも話してやるよ。ベッドの中でな」

 笑いながらメロディを担ぎ上げようとする。メロディは腕を動かした。

 密着した状態で無防備にしている男の顎に、肘を打ち上げる。直撃を受けて男の腕がゆるんだ。振り払いながら向き直ったメロディは、膝蹴りを腹部に叩き込んでやった。

「ぐお……っ」

 男がうめいて崩れ落ちる。巻き込まれて椅子が倒れた。

「な……っ、このガキ、なんてことしやがる!」

 血相を変えてつかみかかってきた男も投げ飛ばす。残る一人も足払いをかけてひっくり返してやった。

 痛む場所を押えながら、それでも怒気に染まった顔で男たちは立ち上がる。

「言葉が通じないのか」

 彼らと向き合い、メロディは低く言った。

「わたしは話が聞きたいと言っている。立ち上がれなくなるまで痛めつけられないと話せないというのなら、望みどおりにしてやるが?」

「お……おい、メロディちゃん……?」

 男たちの後ろでボリスがびびっている。

「調子に乗ってんじゃねえぞガキが。女のくせにいきがって、痛い目見るのはそっちの方だ」

 髭男が向かってくる。髪をつかもうとした手を余裕でかわし、メロディは逆に男の襟元をつかんだ。

 投げの要領でテーブルに叩きつける。すかさず腕を取ってひねり上げる。

「のあぁ――っ!」

「こんの!」

 悲鳴と怒号が重なる。捕らえた腕は放さないまま拳をかわし、メロディは殴りかかってきた男に蹴りを放つ。はずみで引っ張られた髭男がさらに悲鳴を上げた。

「てっ、てめえ……っ」

 残る男が懐からナイフを取り出した。メロディは髭男を放り出し、剣の柄に手をかけたところで内心少し迷った。刃物が出てきたといっても、相手は素人の一般市民だ。さすがに剣を抜くのはやりすぎだろうか。

「うらぁ――!」

 ナイフを構えて男が突っ込んでくる。抜かなくても対処できるかと判断し剣から手を放した時、別の方向から何かが飛来した。

 とっさにまた剣に手をかけたメロディだったが、狙われたのは男の方だった。ナイフを持った方の袖だけが、見事に貫かれ壁に縫いつけられる。邪魔をしたものの正体を知って男が青ざめた。

 刺さっていたのもナイフだった。(つば)のない極細のものだ。こんなものを使い、動いていた人間を狙って袖だけを射抜くという神業の持ち主など、メロディは一人しか知らない。

 振り向けば、店の入り口にエチエンヌが立っていた。

「やめとけ」

 言って彼は中へ入ってきた。

「そいつはてめえらの手に負えるような奴じゃねえよ。そんなんでも馬鹿強ぇぞ」

「エチ」

「エチエンヌ」

 メロディと男の声が重なり、同時に互いを見る。

「え……知り合い?」

「あいつを知ってんのか」

 また同時にしゃべる。エチエンヌは息を吐きながらやってきて、メロディの頭をはたいた。

「痛っ……なんで」

「なんでじゃねえ、この阿呆!」

 不満の目を向けたら怒鳴られた。

「何やってんだ一体。いきなりもめてんじゃねえかよ」

「いいの、そのために来たんだから」

「いいわけあるか!」

 またはたかれる。メロディは頭を押えてエチエンヌから距離を取った。

「最初はちゃんと礼儀正しく質問したよ。でも答えてくれないから。女と見て馬鹿にする奴はまず力で屈伏させろって兄様たちが言ってたの。弱い相手に嵩にかかるような奴は、弱い相手にしか強く出られないって。相手が自分より強いとわかれば大人しくなるって」

「オレは貴族の家庭事情なんぞ知らねえが、どう考えても間違ってんだろその教育方針! 喧嘩の心得よりまずは一人で出歩かないよう教えるべきだろうが!」

「領地の外で一人でお出かけしたのはこれが初めてだよ。カムデンに出てきた時は、結局兄様たちがついてきてたわけだし」

「初めてのお出かけでこれかーっ!」

 言い合う少年と少女を呆気に取られて見ていた男たちが、どうにか隙を見つけてそろそろと声をかけてきた。

「おい、エチエンヌよ。その小娘は一体何なんだ。てめえの女か?」

「んなわけねえだろ!」

 かみつくように言い返して、エチエンヌは苛立たしげに髪をかき上げた。

「オレの雇い主の女だよ。悪魔みてえにおっそろしい男のな。まあ心配しなくても、あいつが出てくる前にこいつ自身に叩きのめされて終わるけどよ」

「雇い主って……エチ、それってセシル様のこと? 悪魔って何なの。あんなに優しくて綺麗で上品で優雅で穏やかな平和主義者のどこが」

「のろけはよそでやってろ。つか、セシルのどこが平和主義者だよ。普段はおとなしそうにしてるが、やる時は容赦ないしえげつないぞ」

「そんなこと! ……あるかな?」

 過去の出来事を思い出し、メロディは考え込んだ。戦っている時のセシルは、たしかにおそろしいほど強い。フェビアンいわく、勝てさえすればいいという、卑怯な手段も辞さない主義らしい。

「いやでも、命懸けの戦いなんだから、それは仕方がないことだし……」

 ぶつぶつこぼしながら考えるメロディに息を吐いて、エチエンヌは倒れた椅子を起こした。

「ったく、急いできたから喉渇いた。ノーラ、水くれ。ついでにメシも」

 腰を下ろす彼につられて、メロディも向かいに座り直す。男たちも複雑そうな顔をしつつ、それぞれの場所に落ちついて、店の中に一応の静かさが戻った。

 ノーラがやってきて、ふたりの前に叩きつけるように木のカップを置く。メロディの分も出してくれたことに礼を言い、口をつけたが、何やら妙な臭いのする水だった。

「このへんの水は質が悪ぃんだよ。慣れないやつだと腹をこわすが、あんたは大丈夫だろ。頑丈さは兄貴たちの保証つきだからな」

 表情から察したらしいエチエンヌが言う。

「詳しいんだね、エチ。ここへはよく来るの?」

 メロディの問いには答えず、エチエンヌはカップの中身を飲み干した。

「メシ食ったら帰るぞ。ここはあんたがうろつくような場所じゃねえ。こんな連中とは比較にならねえ、本気でやばいやつらに出くわさねえうちに、あんたがいるべき場所へ帰るんだ」

「わたしを連れ戻すために、追いかけてきたの?」

 セシルから外出を禁じられているエチエンヌが、ここに現れた理由は他にないだろう。見つめるメロディから、彼は不機嫌そうに顔をそむけた。

「……しかたねえだろ、ハリーが泡食って知らせにきたんだからよ。セシルもジンも副長も、フェンまで出払っててオレしか残ってなかったし」

 メロディはそっと笑みをこぼした。庭師に知らされて、無視せず追いかけてきてくれたエチエンヌはやはり優しい。メロディを拒絶しているようでも、とことん突き放すことはできない人なのだ。

「じゃあ、ちょうどいいからふたりで調べようよ。もう一度現場へ行けば、その時には気付かなかった何かが見つかるかもよ?」

「お前な、人の話を聞いてんのかよ。帰るぞって言ってんだよ、オレは」

「聞いてる。でもここまで来て、何もせずにとんぼ返りしたんじゃ意味がないよ。せっかくエチも来たんだから、当日のことを思い出しながら手がかりをさがそうよ」

 エチエンヌは舌打ちしてメロディをにらんだ。

「そんな簡単に見つかるなら、とっくにキンバリーのおっさんが見つけてるだろうよ。おせっかいの正義ごっこはいい加減にして、帰れって言ってんだ。これ以上手間かけさせんじゃねえ」

「そう、ならいい」

 言い合いをやめて、メロディは立ち上がった。静かな怒りをたたえた金の瞳で、冷たくエチエンヌを見下ろす。

「エチが来ないって言うなら、わたしひとりで行く。帰りたいなら先に帰って」

「この馬鹿女が! いい加減にしろっつってんだろ!」

 エチエンヌも机を叩いて立ち上がった。

「ちょっと腕に覚えがあるからって、調子に乗ってんじゃねえ! 親父と兄貴たちに大事に守られて、きれいな世界しか知らずに育ってきたお姫様に何ができる! 人にはいるべき場所ってもんがあるんだよ。あんたがいるべきなのはセシルの隣で、下町の薄汚い街角じゃねえ。自分の場所へ帰れ!」

「そんなの、エチに指図されることじゃない」

 怒鳴られてもひるまずに、メロディは言い返した。エチエンヌの言葉をすべて否定するわけではない。たしかにメロディは世間知らずな子供で、あぶなっかしい存在だろう。馬鹿な真似をしているのかもしれない。それでも、ここであきらめて帰る気にはなれなかった。

 馬鹿でも譲れない気持ちが、メロディにはある。

「父様やセシル様じゃないんだから、エチに言われたって従う義務はないよ。わたしのしたいようにする」

 一瞬目を剥いたエチエンヌは、さらに怒った顔で詰め寄ってきた。

「ふざけんな! 何も知らねえお姫様が、えらそうな口利いてんじゃねえ!」

 痛いほどに遠慮のない力で、メロディの腕をつかむ。

「帰るっつったら帰るんだよ!」

「そうやって、自分には無理だとか、いるべき場所じゃないとか言って逃げてばかりじゃ、何も変われないよ。わたしは何も知らないってエチは言うけれど、聞いても教えてくれないし自分で知ろうとすれば止めに来る。エチの方がわたしを狭い世界に閉じ込めようとしているよ」

「……っ」

 昨日と同じに、菫の瞳と金の瞳が至近距離でにらみ合う。動揺して揺れる菫を、メロディは逃がさない。

「今のわたしが物知らずで、馬鹿なことは認める。だからわたしは行動する。守られて、人に与えられるものだけを待っているんじゃなくて、知りたいことを自分で調べに行く。自分の知らない世界を見に行く。そうしないと、何も変わることはできない。いつまでも狭い世界のお姫様のままだよ」

「…………」

「昨日言ったね? 力ずくでも認めさせてやるって。わたしは本気でエチの無実を証明したいと思っているし、そのためにできる限りのことをする。父様やセシル様にお願いするのじゃなく、わたしが自分で動くって決めたの。だからエチがどんなに止めても聞かないよ。それでも、どうしても止めたいのなら、エチも力ずくで来るんだね」

 受けて立つよ、と腕を振り払うメロディに、エチエンヌは途方に暮れた顔になった。何か言おうとして言葉にならず、息だけを吐いて頭を振る。赤い髪が揺れ、うつむいた顔を隠した。

「……なんでそこまでこだわるんだよ」

 勢いを失った声に、メロディは首をかしげる。

「おかしい?」

「あんたには関係のないことだろうが。オレが疑われようがどうしようが、あんたがそこまでむきになる必要はねえだろう。とばっちりで迷惑被ってるって言うなら、オレが抜けりゃいい話だ。もともと、オレが混ざってることが間違いだったんだよ。あんたたちと一緒に騎士様ヅラして表に立てるような、そんな立派な人間じゃねえんだからよ」

「立派かどうかは、エチの行動しだいだと思うよ」

 一度振り払った手を、メロディは取った。そして気付く。手入れに気を配っていたはずの美しい肌が、ずいぶんと荒れていた。まめがつぶれて治りきっていない部分もある。剣の訓練をしている証だ。自分の分野ではないと言っていた長剣を、使いこなせるようずっと頑張っていたのだろう。

 あの日以来、エチエンヌはただ不貞腐れていただけでなく、彼なりに努力をしていたのだ。それを知って、ますますメロディの気持ちは強くなった。

「エチが立派なふるまいをしていれば、評価は後からついてくる。でも自分はちがうんだ、だめなんだって言って逃げてばかりでは、誰にも認めてもらえないだろうね。認めてほしくなんかないって言っていたけど、その割にエチは自分と周りがちがうことを気にしているでしょう? 違うから離れるんじゃなく、頑張って結果を出して、馬鹿にしていたやつらにも認めさせてやりたいって思わない? わたしは思うよ。いつまでも落ちこぼれの寄せ集め集団だなんて言わせない。模範的な騎士とはちがっても、みんな自慢できる仲間だよ。それぞれ個性的で、すぐれた特技を持っていて、なにより優しい人たちだもの。エチもね」

 身をかがめ、隠れた瞳を下から見上げる。にぎった手に力を入れて、メロディは微笑みかけた。

「わたしは薔薇屋敷のみんなが大好き。大切な仲間だと思ってる。だからまず、疑いはきっちり払拭して堂々と胸を張りたい。そのために、できる限りのことをすると決めたの」

「…………」

 不安定な瞳がメロディを見返す。彼が揺れていることが伝わってくる。皮肉と悪態で己をよろい、人と距離を取ることで守ろうとしていた、彼の内側が垣間見えた。本当のエチエンヌはとても繊細な人間なのだと思う。突き放されるのをおそれて、自分から突き放すことで傷つかないようにしている。それでも、完全に離れきってしまえず、どこかで人とのつながりを求めている。だから今、揺れているのだ。メロディの言葉を無駄なたわごとと切り捨てられずにいる。

 それならば、メロディは絶対に彼を放さない。仲間なのだと、力ずくでもわからせてやる。

 どちらも口をつぐみ、沈黙が落ちた空間に、無遠慮な物音が割って入った。料理の皿を運んできたノーラが、そばの机に置いていた。その乱暴なしぐさに驚き目を向けたメロディに、彼女は冷たくはない笑みを見せた。

「いい友達がいるじゃないの、エチエンヌ」

「……っせえ」

 からかう響きに、エチエンヌがうるさそうにする。慣れた者には、不機嫌そうな表情が照れ隠しなのだとわかっただろう。

「なんだい、犯人に疑われてるってのはあんたのことだったのかい。それなら、さっさと言ってりゃいいのにさ。エチエンヌのためならいい情報教えてやるよ」

「――なにかご存じなんですか!?」

 意外な場所からの言葉に、思わずメロディはエチエンヌの手を放して向き直った。つかみかかりそうな勢いで迫るメロディを、ノーラはうるさげに手を振って下がらせる。

「いいとこのお嬢さんが面白半分で首を突っ込んでるだけなら、エチエンヌの言うとおり帰れって追い返すとこなんだけどね。どうやら本気でエチエンヌを助けようとしてるみたいだし、それならあたしも無視はできないよ。エチエンヌにゃ恩があるからね」

「恩?」

 何をしたのだろうと思っていると、顔をしかめたエチエンヌがメロディを押しやった。

「よけいなこと言うんじゃねえよノーラ」

「なんだい、照れてんのかい。可愛いね坊や」

「うるせえババア」

 ノーラの口元がぴくっと反応した。

「っとに口が悪すぎるね、この坊主は」

 エチエンヌの首に腕を回したかと思うと、ノーラは豊満な胸元に彼の頭を抱え込んだ。目を丸くするメロディの目の前で、ぐりぐりと拳で痛めつける。

「いでででで、やめろクソババア!」

「あたしゃまだ二十八だよ! ババア呼ばわりされる筋合いはないね、クソガキが!」

「十分ババアだっつの! てかサバ読んでんじゃねえよ、三十越してんだろうが!」

「おだまり!」

 仲がいいのか悪いのかわからないふたりを眺めながら、三十過ぎならセシルの守備範囲内だ、などと少しずれた感想を抱くメロディだった。

 ボリスがこそこそと寄ってくる。

「なあメロディちゃん、エチエンヌとはどういう関係なんだ?」

「友人ですけど?」

 ボリスと、その後ろで興味津々にしている男たちに目を向ける。さきほどの殺気立った敵意は消え、彼らはむしろ好意的にメロディを見ていた。

「エチエンヌのやつ、こんな上品なお嬢さんと、どうやって友達になったってんだ」

「やっぱ顔なのかねえ。俺もエチエンヌみてえな美少年だったらなあ」

「むさい髭面で気持ち悪いこと言うんじゃねえよ。美少年ってトシかよ」

「俺だって二十年前は可愛い少年だったんだよ」

「俺なんぞ三十年前にゃ、天使のような赤ん坊だったさ」

「嘘つけ、生まれた時からオヤジ顔で産婆が腰抜かしたんだろうが」

 乱暴だが楽しそうなやりとりに、メロディの口元もほころぶ。少女にくすくすと笑われて、いい年の男たちが照れくさそうにはにかんだ。

「あんた、事件のことを知りたいって言ってたね」

 胸元にエチエンヌを抱え込んだままノーラが言う。その気になれば彼女を突き飛ばすこともできるのに、乱暴な真似をせず耐えているエチエンヌに、メロディはさらに笑った。

「はい。何かご存じのことがあれば教えてください。お願いします」

「誰が犯人かは知らないけどね」

 赤毛頭をはたいて、ノーラはエチエンヌを解放する。

「知っていそうな奴には心当たりがあるよ」

「誰ですか!?」

 メロディは身を乗り出す。頭をさすりながらエチエンヌも、意外そうな表情をノーラへ向けた。

「死んだ男爵様のことは、何度かこの界隈で見かけてた。こんなとこに貴族が出入りしてちゃ目立つからね、よく覚えてるよ。いっつもお供をしていた下男のこともね」

「お供?」

「貴族ってのは一人じゃ出歩かないもんなんだろ? 男爵様はいつも同じ男を連れていたよ。けど死んだのは男爵様だけだ。お供はどこ行ったんだろうね?」

 メロディはエチエンヌと顔を見合わせた。そういえばそうだ。事件の日も、ヘニング男爵は一人ではなかったはずだ。

 キンバリーは何も言っていなかった。彼がそのあたりを調べていないはずはないが、もし下男を見つけているのなら、当然事情を聞き出しているだろう。そして犯人は何者なのか、とうにつきとめている。

 それができていないということは。

「一緒に殺されてるか、さもなきゃお屋敷に逃げ帰ってるはずの下男を、昨日見かけたんだよ。つかまえて締め上げりゃ、犯人が誰だかわかるんじゃないかね」

 メロディは目を輝かせ、ふたたび身を乗り出した。どこで見かけたのか、くわしい場所をノーラに求める。

 しかし彼女の答えを聞いたとたん、エチエンヌが顔を曇らせた。



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