6 嫌疑
「この恥知らずがっ! 性懲りもなくまた嫌がらせをしにきたのか!」
シャノン邸の応接間に少女の怒声が響く。瞳を金に光らせて、メロディは眼前の若い騎士にくってかかった。
「どこまで性根の腐った男か! 己から因縁をふっかけてきたくせに、喧嘩に負けた腹いせに濡れ衣を着せようとは! お前にイーズデイル騎士の誇りはひとかけらもないのか!?」
ドレス姿の少女に怒鳴られて、はじめ若い騎士はたじろいだ。しかしすぐに白い顔を紅潮させて言い返してきた。
「腹いせなどではない! 俺は事実を言っているまでだ!」
「何が事実だ、よくもぬけぬけと! こともあろうに殺人犯に仕立て上げようとは悪質と言うにも余りある! そうまでも人を蔑みたいか!」
「違う! 俺は本当に見たんだ!」
「黙れ! これ以上汚らわしい言葉をまき散らすな!」
「伯爵令嬢! お控え願いたい!」
ふたりの間に鋭い声が割って入った。メロディはぐっと詰まる。キンバリーの声にはいつもの癇癪ではない、強い制止力があった。
ことさらに伯爵令嬢と呼びかけたのは、父の名と立場を思い出せという示唆だろうか。メロディは唇を噛み、両の拳をきつく握りしめた。
黙った彼女に代わってフェビアンが、先程の騎士に問いかける。
「ヴィンス、本当に本当の話なの」
先日メロディたちと喧嘩をした近衛騎士のヴィンセントは、吐き捨てるように答えた。
「なれなれしく呼ぶな! 貴様らにどのような嫌疑がかかろうと一切同情する気はない。はっきり言ってざまあみろという気分だがな、俺にも近衛騎士の誇りはある。虚偽の証言などしない!」
フェビアンは息を吐き、別の人へ顔を向けた。
「で、サリヴァン団長殿までわざわざお越しとは」
セシルと向かい合って椅子に腰かけているサリヴァンは、冷やかな顔と声で答えた。
「事件の内容が内容だ。当方の団員が証人として出向く以上、責任者として委細を把握しておく必要がある」
「フェビアン・リスター、お主も控えておれ。我々は捜査をしに来たのだ。勝手な発言で邪魔をせんでもらいたい」
フェビアンも黙らせて、キンバリーの視線がセシルの方へ向く。
正確にはその隣に座らされた、赤毛の少年を見据えた。
事件について、メロディたちがゆっくり考える暇はなかった。さらなる情報を探していた王都騎士団は、すぐさま別の目撃者を見つけ出した。それが、ヴィンセントである。
彼は事件のあった時刻に、現場付近でエチエンヌを見かけたとはっきり証言したのだ。
日頃は犬猿の仲である王都騎士団と近衛騎士団が、この一件では協力してともに薔薇屋敷を訪れた。キンバリーは部下を二人従え、近衛からはサリヴァンとヴィンセント。そこへ薔薇の騎士団全員が加わって、広い応接間が手狭に感じられるほどだ。
キンバリーは椅子に座ることなく、立ってにらみを利かせていた。サリヴァンはあくまでも見届けに徹するつもりらしく、黙ってなりゆきを眺めている。
ナサニエルに叱られた後、不貞腐れてまたどこかへ雲隠れしてしまったかと思ったが、エチエンヌはちゃんと自分の部屋にいた。連れ出された彼は、殺人の嫌疑がかけられているというのに驚くようすも見せなかった。今も人ごとのような顔で頬杖をついている。身に覚えがないと主張することもせず、誰とも視線を合わせずそっぽを向いている。
どうしてちゃんと言わないのか。見ていてメロディは歯がゆくてならない。
「エチエンヌ、こちらの質問に答えてもらいたい。ヴィンセント・オーエンの証言どおり、昨夜港湾区バベッジ通り周辺を歩いていたのか」
菫色の瞳がちらと振り返り、すぐにまたそらされる。つまらなそうな顔をしたまま、エチエンヌは答えない。
「なぜ答えん。沈黙は肯定と受け取るが、それでかまわんのか」
「エチ」
何を言われても答えないので、セシルが声をかけた。静かなまなざしと束の間にらみ合ったエチエンヌは、しかたなさそうに口を開いた。
「ああ、行ったよ」
「……!」
メロディは息を呑む。
「では、ヘニング男爵殺害事件について、承知していることは?」
「男爵だか何だか知らねえが、おっさんが死んだのは知ってる」
「オーエンは、事件の起きた時刻に、お主が現場方面から出てきたところを目撃したと言っている。それに異論は」
「…………」
「ヴィンス、きみこそなんでそんな時間にそんなところにいたんだ? ずいぶん都合のいい目撃証言じゃないか」
キンバリーが次を言うより早く、フェビアンが口を挟んだ。聞かれたヴィンセントはむっとにらみ返した。
「昨日は非番だったんだ。ブラックモアのパブで遅くまで騒いでて、帰るのが深夜になった」
「ああ、色っぽい美人のいるあの店ね。すごすご帰ったってことは口説くの失敗したんだ。でも近衛の官舎と港は反対方向じゃないか」
「う、うるさい! 道を、間違えてだな」
「カムデン育ちのきみが? ……って、ああ……」
何か思いついた顔で、フェビアンは天井を仰ぐ。視線で問うメロディに気付き、疲れた声で答えてくれた。
「こいつ、方向音痴なんだよ。酒も入っていたから方角間違えて、そのまま港まで出ちゃったんだな」
「そんなの信じられる? だいたい、酔っぱらいの証言なんて信用性に欠けるよ」
「それほど酔っていたわけじゃない! 見知った顔だったから、はっきり記憶に残ったんだ」
「酔っていたのは事実だろう! 暗がりで、本当に間違いなく確認したと断言できるのか!」
「勝手に発言するなと言っておろうが! 全員黙れ!」
ふたたびキンバリーの叱責が飛ぶ。ナサニエルが場所を移してメロディとヴィンセントの間に立った。
「エチエンヌ、質問に答えよ。異論があるか否か」
重ねて問われ、ようやくエチエンヌが口を開いた。
「異論はねえよ。そいつの言う通りだ」
「エチ……!」
一瞬目の前が暗くなった。思わず踏み出しかけたメロディをナサニエルが制する。キンバリーはセシルに言った。
「彼を詳しく取り調べる必要があります。本部へ連れて行きたく存じますが、よろしいですかな」
セシルは静かに答えた。
「きみの職務を邪魔する気はないよ。ただ、連れていくよりもここで聞いた方が、まだしもこの子はちゃんと答えると思う。立ち会いを認めてもらえるとありがたい」
「……承知しました。ですが」
譲歩したキンバリーがメロディたちを見る。意図を読み取ってセシルがふたりに命じた。
「きみたちは外へ出ていなさい。呼ぶまで待機だ」
「セシル様!」
「行きなさい」
青い瞳が反論を許さない。フェビアンに背中を押され、メロディはのろのろと扉へ向かった。
「エチ、変にひねくれないで、正直に答えるんだよ」
去り際にフェビアンが声をかけたが、エチエンヌは振り向かなかった。
最後まで彼を見つめていたメロディの前で扉が閉じられる。立ち去りがたい思いでいるメロディをフェビアンがうながし、二人でサロンへ戻ってきた。
ついさっきまで、ここでのんびりお茶を楽しんでいたのが嘘のようだ。みんなの溜まり場は二人で使うには広すぎて、ひどく寂しく感じられる。
「……どうなっちゃうんだろう」
メロディは長椅子に身を沈めた。そこはセシルのお気に入りの場所だ。長身の彼が寝そべっても十分な大きさがあり、枕代わりの絹のクッションが置かれている。心細さを覚えてクッションを抱え込んだメロディの隣に、フェビアンも腰を下ろした。
「大丈夫、殺したとエチが認めでもしない限り、逮捕されるようなことにはならないよ」
さすがにいつもの陽気さは影をひそめているが、フェビアンは落ち着いた声で言った。
「どうして」
「ヴィンスの証言も決定的なものじゃない。殺したその瞬間を目撃したわけじゃないんだからね。近くを歩いていたってだけじゃ、犯人と断定する根拠には不十分だ」
年上の同僚を見上げる。言葉どおり、フェビアンの顔に不安の色はなかった。
「あくまでも容疑者どまりだね。公爵が後ろ楯なんだし、疑わしいってだけで強引に決めつけることはできないよ。それに、キンバリー殿はそういうことはしなさそうだ」
メロディはうなずく。
「あとは団長がうまくやってくれるよ。まかせておけばいい。……それにしても、ヘニング男爵もどうして港になんかいたんだろうね。まさかヴィンスみたいに道に迷ったわけじゃなかろうに」
たしかにそうだ。男爵ともあろう人が、真夜中に港で一人倒れていただなんて、奇妙な話だ。
「気になるなあ。でもキンバリー殿、教えてくれないだろうなあ。キースには聞くだけ無駄だし」
「……ねえ、フェン」
「ん?」
気になっていたことを思い出し、メロディは尋ねた。
「サリヴァン団長と知り合いだったの? 名前で呼んでるし、向こうもフェンのことよく知ってるみたいな感じだったし」
「ああ……知り合いっていうか」
フェビアンは苦笑した。
「親戚なんだよ。母親の従弟なんだ」
「え……そうだったんだ」
そうなの、とフェビアンはおどけた。
「僕が士官学校に放り込まれたのは、ほとんど彼のせいだよ。親父が対抗意識燃やしてね」
「ふ、ふうん……」
「見ての通りバリバリの氷男だろ。昔っからどうも苦手でねえ」
「珍しいね、フェンって誰にでも物怖じしないのに」
不思議に思って言えば、少し困った顔をする。
「いやあ、だって反応がないから。怒るでも何でも、反応見せてくれればやりようがあるんだけど、何言っても表情変わらないからねえ。あれはやりにくいよ」
「……そうだね」
フェビアンは人の反応を見て面白がる性格だ。ヴィンセントもさぞかしおちょくられてきたのだろうと、少しばかり同情する。
「じゃあフェンは、ジンのことも苦手?」
もう一人の無表情男のことを聞けば、意外そうに眉を上げられた。
「いや? キースとジンは全然違うよ。ジンは表に感情出すのが下手なだけで隠してはいないからね。よーく見てればなんとなくわからない? あ、今困ってるなーとか」
「うん」
――きっとジンのことも、からかって遊んでいるのだろう。
「むしろエチの方が難しいかな。あいつ自分のことは話さないし、いつも斜に構えて本心隠してるしね」
「……うん」
メロディはクッションに顎を乗せた。
振り向いてくれなかった姿ばかりが思い出される。エチエンヌはすべてを拒絶していた。セシルのことも、メロディのことも。どうしてなのだろうと悲しくなる。
「……わたし、エチのこと何も知らない」
しょげた声でメロディは呟いた。
「どこで生まれたのか、ここへ来る前は何をしていたのか、なんにも知らない……」
「僕もだよ」
エチエンヌについて聞いたことがあるのは一つだけだ。セシルがシュルクからイーズデイルへ向かう旅の途中で拾ったと。その経緯だってわからない。
できれば色々聞いてみたかった。けれどエチエンヌには人の好奇心を寄せつけない雰囲気があった。聞かれたくない、聞かれても答えないと、言外に主張する姿を見れば、何も言えなくなる。過去よりも今が大事だと、気にしないで付き合うしかなかった。
それで正しかったのだろうかと、自問する。
メロディは彼のことを何も理解していない。彼が見せてくれるものしか見ていない。だから今、拒絶されているのではないだろうか。
「すごく口が悪いしお行儀も悪いし、読み書きも苦手だし……多分、庶民の……あまり裕福な家庭の生まれじゃないよね」
「んー……」
「名前からすると、ラグランジュ生まれかなって思ってたんだけど」
「ラグランジュ風の名前だからって、ラグランジュ出身とは限らないよ。エチにラグランジュの訛りはない。どこの訛りもないっていうか、どこのもあるっていうか」
複雑な言い方をフェビアンはした。メロディは彼に視線を戻した。
「お国柄っていうのは、誰でも持ってるものだろ。きみだって東部訛りが少しある。カムデンにも独特の訛りがあるしね。気質とか風俗習慣とか、地域によって特徴が出るものだ。でもエチにはそういうのが一切ないんだよな」
たしかにそうだ。メロディは田舎者だが、オークウッドを通る旅人たちのことは見てきた。いろんな人がいた。同じイーズデイル人でも言葉や習慣に違いがあることを知っている。
エチエンヌのことがよくわからない理由のひとつがそれだった。粗雑な言葉づかいにまぎれてごまかされがちだが、彼には出身を特定できるような特徴がない。
「ちょいちょい、いろんな地域のものが混じってるんだよな。これは僕の推測だけど、多分流れの民だったんじゃないかな」
「――あ」
なるほどと納得する。フェビアンはうなずいた。
「確認はしてないけど間違いないと思うよ。あちこち渡り歩いたみたいで結構いろんな国のことを知ってる。外国語もできる。読み書きはともかく会話の方は相当なものだ。シュルク語もいけるみたいだね」
「そっか……」
「流民にも二通りあってね、独自の宗教や文化を守って生活してる、単に定住しないってだけの人々と、どこにも属せない社会から切り離された人々と」
「…………」
「エチはおそらく後者だ。そう考えると家名を名乗らないのも納得がいく。そもそも持ってないんだろう。何かがあって国を出たんじゃなく、生まれた時から流民で故郷なんてものはないんだろうな」
メロディは大きく息を吸い、吐き出した。
フェビアンの説明は明快だ。目の前の壁がひとつ取り除かれた気分だった。
故郷というものを持たない生まれ。戸籍がない――国や領主の庇護を受けられないというのは、生活していく上でとても厳しいことだ。常に差別にさらされ、理不尽な扱いを受ける。呑気でおおらかなオークウッドの民たちですら、流れ者に対しては冷たいところがあった。
それは根拠のない差別ばかりでなく、犯罪をおかす者が多いからという理由もあった。人々は身を守るために流れ者を警戒する。そうやって疎外されるから流民の方でもまっとうな職につけず、犯罪に走るしかない。悪循環だと父が言っていた。
エチエンヌは、そんな暮らしをしていたのだろうか。
生まれた時から――?
「だいたい想像はつくと思うけど、まともな暮らしじゃなかったろうね。護身術を超えた技を身につけている。なんのために――って考えれば、答は見える」
「…………」
「前に団長がエチに言ったこと覚えてる? もう身体を売ったり後ろ暗い仕事に手を染めなくていい、普通に生きていけるんだって。……ま、そういうことだね」
メロディはうつむいた。
何も知らないと言いつつ、フェビアンはエチエンヌをよく観察しこれだけのことに気付いていた。それに対して自分はどうだろう。やはり彼のことをちっとも理解していなかった。もっとよく見てよく考えれば――その気があれば、少しは気付けていただろうに。
こんなでは、エチエンヌに拒絶されたってしかたがない。彼から見ればメロディも、自分を疎外してきた人々と同じなのだろう。心を開き頼りにしようなどと思うわけがない。
ぎゅっと手のひらを握りしめる。メロディは唇をかんで顔を上げた。
自分は何も知らない。知ろうとしてこなかった。それは恥じて改めなければならない部分だ。
けれどひとつだけ、確信していることがあった。
「……エチは、優しいよ」
前を見据えて言う。
「皮肉ばかり言うけど、本当は世話焼きで、いつも親切にしてくれる。どんな生まれ育ちだろうと、悪い人じゃない」
「うん」
答える声は朗らかだ。微笑む彼にメロディも笑顔を向ける。
「フェンもエチが犯人じゃないって、信じてるんだよね?」
「まあね。信じてるっていうか、知ってるっていうか。あいつ自分から喧嘩売ることはしないから。売られれば手厳しくやり返すけど、何もされなければいたっておとなしいよ。面倒くさがりだからね。放っておけばあれほど無害な奴はいないと思ってる」
彼らしい評価に少し笑ってしまう。
「被害者が下町のごろつきだったなら、喧嘩のはずみでって可能性は十分あり得るんだけど、まがりなりにも男爵だ。それもいい年のおじさんだ。通りすがりの少年に絡んで喧嘩ふっかけるなんて、しないだろう。もしあの顔につられてちょっかいかけたとしたって、エチに本気出させるほどの真似は無理だよ。軽くあしらわれて終わりだね」
メロディは何度もうなずいた。そうだ。そのとおりだ。
エチエンヌは犯人ではない。仲間たちはそのことを信じている。
それだけはメロディにも、確かな自信をもって言えることだった。
だから、大丈夫。
どんなことになっても、きっとみんなで彼を助ける。