19
「旦那様、こちらの手紙はいかがいたしましょう」
銀髪の老執事が盆に乗せて差し出したのは、セシルが書いた手紙だった。
夜逃げする前、女王に宛ててしたためたものだ。届けるようにと執事に書き置きを残して行ったのだったが、なぜかまだここにある。
「出していなかったのか」
「かなりずお戻りいただけるものと、信じておりましたので」
執事は澄まして答えた。
すべてが元通りだった。女中たちにあらためて説明をしても、退職を願い出る者はいなかった。執事も、料理人も、庭師も。誰もが屋敷に残った。主の帰還を喜び、今日も仕事に精を出してくれている。
セシルは軽く笑った。
「では、それはもう必要ない。破棄してくれ」
「かしこまりました。それから、お客様がお見えです」
執事が客を案内してくるまで、セシルはテラスの椅子で庭を眺めていた。
遠くに部下たちの姿が見える。可愛いもの好きの料理人が拾ってきた子猫に大騒ぎしている。その中には王太子の姿もあった。一時的に外出禁止を許されて、今日は堂々と紋章入りの馬車での訪問だ。
楽しそうな声が風に乗って聞こえてくる。
穏やかな時間を楽しんでいると、そこに力強い足音が混じった。
顔を向けて、呆れた笑いをこぼす。
「ようやくお出ましか。ずいぶんと遅い登場じゃないかね、アラディン卿」
明るい春の風景の中、とんでもない美丈夫がそこにいた。
蜂蜜色の豪華な巻き毛を陽に輝かせ、鍛え抜かれた鋼の肉体は見惚れるほどに素晴らしい。華やかな美貌は年齢を重ねても少しも色あせることなく、むしろ威厳と貫祿を増していっそうの魅力にあふれている。今も昔も、宮廷婦人たちをときめかせ熱狂させる、王国一の美男子と名高い伯爵の登場だった。
メロディが年頃にもかかわらず、恋愛と無縁だったのがよくわかる。こんなものを見慣れて育てば、たいていの男はカボチャだろう。自分はせめて猫くらいには見てもらえたのだろうか、などと情けない考えがよぎった。
「ご無沙汰しております、アルディーン王子」
女たちが口を揃えて腰が砕けそうだと評する、魅惑の低音で伯爵は挨拶した。
「私はもう王子じゃない。それにその名で呼ばないでくれ。君と同じ名前というのもね」
セシルは肩をすくめた。
シュルク名アルディーン――イーズデイル風に発音すれば、アラディンだ。
この男がやけに自分に肩入れしてくるのは、同じ名前のよしみという、至極単純な理由なのではないかと疑わずにいられない。
「しかし君のところは見事に全員同じ姿だな。一人くらい例外は生まれないのかね」
思わず正直な感想を述べると、髪と同じ色の瞳に笑いが浮かんだ。
「今のところはおりませんな。いずれ、黒髪の子が生まれるかもしれませんが」
セシルはため息をついて椅子の背にもたれた。
「君のおかげて私はすっかり犯罪者扱いだよ。あんな子供をどうしろと言うんだ」
「うちの娘は、お気に召しませんでしたかな」
直接の返答を避けて、セシルは言った。
「いったいどういうつもりだったのかね? あんな手の込んだ真似をして」
「出会いは印象的な方がいいでしょう。普通に引き合わされたのでは、あなたはともかくメロディがそういう意識を持つとは思えませんでしたからな」
「それは多分に君のせいだと思うんだが……そもそも、なぜそうも熱心になるのかね。私と彼女を結婚させようという、その理由は何なのかね」
「何と言って、似合いだと思ったからですが?」
アラディン卿は勧められた椅子に座ることもなく、後ろに手を組んで教師のようにセシルを見下ろしていた。
「娘はご承知のとおり、普通の女子とは違います。剣を取り騎士になることに憧れるような娘です。これにただの女として嫁に行けと命じるのは、酷な話でした」
「君がそんなふうに育てたんだろう」
「いえ。唯一の女子ですからな、家族全員普通に女らしく育てることを考えておりました。どんな名前が可愛いか皆で相談して決め、ちやほやと甘やかし……しかし、人形やドレスなどには興味を示さず、なんでも兄たちと同じことをしたがりましてな。試しに教えてみれば、剣でも何でもみるみる上達していくものですから、つい私も熱が入ってしまい」
「血筋だね……」
セシルは頬杖をついて、肩を落とすしかない。
「あれが自分らしくいられる嫁ぎ先というのは、なかなかありません。誰のこともあるがままに受け入れ、自分を狙ってきた暗殺者の少年まで受け入れてしまうような、度量の広い婿というのは稀少です。一方、あなたも並の女性では娶る気になれなかったでしょう。多少巻き込まれても平気な、自分の身は自分で守り、ついでにあなたのことも守ろうとしてくれる嫁が、他におりますかな」
「どんな基準なんだ……」
言いながらも、セシルは認めるしかない。たしかに、そんな相手でもなければ自分は結婚なんてできない。似合いと言えば、事実似合いなのかもしれなかった。しかし、だ。
「私の好みは、もっと大人の女性なのだがね」
「あなたのそれは、女性の好みというより、母君への思慕でしょう」
なんとか抵抗を試みるも、ばっさりと切り捨てられた。
「もういい年なのですから、乳離れが必要ですぞ」
「…………」
セシルは目をそらす。答えたくないこと、答えられないことがあると、黙り込んでしまうのが彼の癖だった。
なんだかんだ言ってまだ若い公爵に、人生の先輩は笑いながら諭した。
「男というものは、家庭をかまえることで腰が据わります。私もそうでした。妻と出会って、変わることが多かった。あなたにも、それが必要だろうと思ったのです」
セシルは息をついた。この父娘には、本当にかなわない。
どんなに韜晦しようとも、まっすぐ斬り込むように飛び込んでくる。こちらの事情などおかまいなしに、喉元に詰めの一手を突きつけてくる。
暑苦しいほどに一直線でまぶしく、迷惑なほどなのに、嫌えない。
負けを受け入れるしかない。
「そういえば奥方とはまだお会いしていないね。ぜひ今度、紹介してくれたまえ」
そう言うと、美貌の伯爵はにっこりと笑みを深くした。
「お断りいたします」
薔薇の小径を歩いてくる長身に気づき、メロディは小走りに駆け寄った。
「セシル様、お客様がいらしてたんですか」
「ん、ちょっと暑苦しい人がね。またあらためて来られるだろう」
「?」
セシルは何やらじっとメロディを見下ろして、考えるようすだ。黙って見上げていると、「まあ、二十年後に期待するかな……」などとよくわからないことを呟き、頭を撫でてくれた。
彼の行動の意味がどうにもつかめないが、触れられるのはいやじゃない。大きな手もぬくもりも心地よい。メロディはくすぐったい気分で目を細めた。
「あ、あの、セシル様」
「ん?」
もう一度見上げれば、海の色の瞳と出会う。このまなざしも大好きだ。穏やかなぬくもりが胸に広がるのに、どこか落ち着かなくそわそわとした気分にもなる。頬が少し熱くなるのを感じながら、メロディは言った。
「お願い……というか、提案があるんですけど」
仲間たちは少し向こうにいて、子猫とたわむれながらこちらのようすもちらちらうかがっている。メロディは深呼吸して続けた。
「その、わたしたち、正式に騎士団として発足しませんか? 今はただの私兵集団扱いでしょう? でも、これだけ実力者が揃ってるんです――わ、わたしは別ですけど――寄せ集めだの落ちこぼれだの言われるのは納得いきません。堂々と、騎士団を名乗りたいです。……って、セシル様? 聞いてらっしゃいます?」
「ああ、聞いている。……お願いって、そういうことか」
「はい?」
「いや、続けてくれたまえ」
セシルの反応が少し妙に見えて首をかしげつつ、メロディはうなずいて続けた。
「それで、やっぱり団長はセシル様がいいなって……団の設立目的な方ご本人が団長って、変かもしれませんけど……でも、他に考えられなくて。どうでしょう?」
どきどきしながら見つめていると、セシルは軽く二、三度うなずいた。
「なるほどね。しかしたった六名で騎士団かね?」
「少ないのは事実ですけど、騎士団だからって何百人もいなきゃいけないってものじゃないでしょう? どこかの教会騎士団は十数名しかいないって聞いたことありますし」
「ふむ……またキンバリー殿に嫌われそうだな」
セシルは少し笑った。
「で、名称は何と? 正式に団を設立するなら、名称も必要になるが」
これに答えたのはフェビアンだった。陽気な青年は待ってましたと言わんばかりに笑顔をふりまいた。
「そりゃもう、これっきゃないっていうのがあるでしょう」
エチエンヌは対照的に嫌そうな顔で文句を言う。
「クサすぎるってばよ。芝居がかっててこっぱずかしいぜ」
「こういうのはね、堂々と名乗ればいいんだよ。そうすりゃ聞く方も、なんとなくそんなもんかなって納得するさ」
「本当かよ」
セシルに目線で尋ねられて、メロディも少し照れた。
「えと……わたしも、ちょっと恥ずかしいかな……いい名前だとは思うんですけど」
「ふむ?」
今度はナサニエルを見る。副団長候補の騎士は、咳払いして照れをごまかした。
「まあ、意義的には問題ありませんな。……たしかに少々、気恥ずかしいですが」
セシルはまた何度かうなずく。最後にジンを見た。
「お前は?」
ジンはいつも通りの無表情で、うやうやしく答えた。
「みなさまにふさわしい、よい名称かと存じます」
「他人のふりしてんじゃねーよ! てめえも同じ穴の狢だっつの!」
たちまちエチエンヌがかみついた。
「名乗れよ! てめえも一緒に名乗るんだからな!」
「は、はい」
セシルは笑った。ルイス王子が話をまとめた。
「では、決まりだな。これより諸君らは『薔薇の騎士団』として正式に発足することを、ここに承認する」
薔薇を守る者、薔薇のもとに集いし者。その意味を込めた名に、げんなりする者や面はゆそうにする者など、反応はさまざまだ。しかし却下の意見は出なかった。
セシルもうなずいて、認めてくれる。
そうして彼はまたメロディに目を戻した。
「まあ、それはいいとして……君は私と結婚するつもりではなかったのかね? それはどうするんだ?」
「あ、はい」
メロディは背筋を伸ばして答えた。
「やめました!」
「……ん?」
メロディの心は今日の空のように、すっきりと晴れていた。さんざん考えて熱まで出して見つけた答えを、高らかに宣言した。
「わたし、セシル様とは結婚しません」
「…………」
沈黙したのはセシルだけではない。
その場の全員がとたんに固まったのだが、メロディは気づかずに続けた。
「わたしやっぱり、まだ結婚はしたくないです。もちろん、騎士になれるとは思ってません。女ですから、それはしかたないです。いつかはお嫁に行かなきゃいけないのも承知していますけど、まだ早いと言ってもらえていることですし、もうしばらくは修行を頑張りたいです。もっともっと強くなって、わたしにできることを精一杯やりたいです。だからこのお話はきれいさっぱり、白紙撤回するということで!」
すがすがしい笑顔で言い切られて、今さら言うに言えない男である。
「……そうか」
「はい! あの、でもここにはいたいんです。みんなと一緒に、セシル様をお守りしていきたいです。許可してくださいますか?」
すがるようなまなざしでお願いされて、他になんと言えるだろうか。
「ああ……君がそうしたいなら」
「ありがとうございます! あらためてよろしくお願いいたします、団長!」
満開の笑顔になって、メロディは勢いよく頭を下げる。セシルはただ黙ってうなずいた。
見ていた部下たちは、脱力する思いで息を吐いた。
「しょうがないなあ……もう」
フェビアンが頭をかきながら二人へ近づく。
「ハニー、ちょーっと待って」
少女の肩を叩いて口を挟む。
「いや、君の決意は素晴らしい。僕らとしても熱烈大歓迎だ。でもね、団長との婚約破棄は、ちょっと待とうね」
「え、でも破棄も何も、もともと正式な婚約まで行ってなかったし」
「いやいやいや、ここは婚約してるということにしようよ、ね、団長!」
「……ん?」
有無を言わさぬ笑顔に、セシルも目を瞬く。
「いいかい? よーく考えて。もしここで団長との縁談をきっぱり断っちゃったら、お父上は別の相手を探されるよ。それで、今度はどこそこへお嫁に行きなさいとか言われちゃったらどうするのさ」
メロディはうなずいた。その可能性はもちろんある。父はメロディの気持ちを踏みにじるようなことはしないだろうが、親としての責任は遂行するだろう。
「僕らだってさ、せっかく心強い仲間ができたのに、早々にお嫁に行かれちゃ困るもの。だから団長を縁談よけの楯にしちゃおうよ。それなら、ずっとここにいられるでしょ」
「でも、そんな……それじゃあセシル様にご迷惑じゃない。そんな勝手な都合で」
「いーの、いーの、この人まともに結婚する気ないから。だって付き合ってる相手人妻ばっかだよ? 結婚できるわけないじゃない」
「……たしかに」
思わず納得してしまったメロディである。
そっとセシルを見上げた。
「あの……セシル様は、どうお考えで……?」
「ん? ……うむ」
答えに迷って口ごもる主を、フェビアンは強引に引っ張った。
メロディから少し離れてこそこそと囁く。
「でかい図体してうじうじしてるんじゃないですよ。見ててうっとうしいったら。男ならびしっと決めなさい」
「フェビアン君」
「往生際が悪いんです。いい加減腹を括りなさいよ。一目惚れだったくせに」
「してないよ、一目惚れなんて」
男二人の仲良し(?)な姿を、メロディは首をかしげて見守る。
「十分余裕があったのに、うっかり見とれて池に落っこちたのはどこの誰ですか」
「……見とれたわけじゃない。一目でアラディン卿の娘だとわかって、驚いただけだ」
「はいはい。いいですか、子供が大人になるのなんてあっという間です。今でもあんな、通りすがりの一般人をうっかり犯罪行為に走らせちゃうくらい、凶悪に可愛いんです。近い将来確実に絶世の美女ですよ。性別は違えど実物見本がいるでしょう。山程求婚者が現れますよ。まあ、あの父兄と何より本人の特殊性に負けないで尚迫れる男となれば数はしぼられますが、勇者はかならず現れます。どっかの男に目の前でかっさらわれてもいいんですか。容姿はともかく、あんな好物件もう二度と出会えませんよ」
「…………」
一気にまくしたてられて、セシルは二の句が継げない。
フェビアンは彼の身体をくるりと反転させて、ふたたびメロディの方へ押しやった。
「女性の相手はお手の物でしょうが。本命にだけはまともに向き合えないだなんて実は純情なこと抜かしてないで、しっかり口説けこのヘタレ!」
「……フェビアン君、最後が地に戻ってるよ」
フェビアンは咳払いをして、別人のような笑顔をメロディに向けた。
「ハニー、団長もいいってさ」
「ほ、本当にいいんですか?」
蜂蜜色の大きな瞳が期待と不安に揺れて見上げてくる。セシルは言葉に詰まり、部下たちの無言の圧力を感じ、息を吐いた。
「……君がいいなら、いいよ」
メロディの顔に、喜びが広がっていく。
ただの口実に協力してもらうだけだ。申し訳ないと思うのに、喜ぶ気持ちの方が大きかった。彼の言葉がうれしい。なぜだか鼓動が早くなる。
困っていたようすのセシルも、やがてまた優しい笑顔に戻った。
ずっと見つめていたい思いで彼を見上げていると、ルイスが少々わざとらしく咳払いした。
「そろそろ、いいかな?」
大好きな従兄にくっついている女に、いまだ複雑な気持ちは残るものの、先の一件以来メロディへの態度を改めた王子である。
一応遠慮して待っていたが、話が落ち着いたのを見計らって、今日の訪問目的を告げるべく全員の注目を集めた。
「では、話がまとまったところで、女王陛下からのお言葉を伝える」
目を丸くする者、怪訝そうにする者、居住まいを正す者、それぞれの反応をたしかめつつ、彼は厳かに述べた。
「シャノン公爵とその配下――薔薇の騎士団一同は、明日王宮へ伺候するように。フェビアン・リスター、ジン、エチエンヌ、そしてメロディ・エイヴォリーの見習い四名を、イーズデイル女王の名の元に、正騎士に叙勲する。以上だ」
王都カムデンに、名物が新たに一つ加わった。
《第一話・終》
亡き王女のための舞曲……作曲:モーリス・ジョセフ・ラヴェル(仏)
題名には特に意味がないそうですが、今作の内容にちょうどいいので使いました。
非常にゆったりとした優しい曲調で、リラクゼーションCDなどによく使われています。
クラシックには「薔薇の騎士」なる曲も存在するのですが、ストーリィの内容があまりに好みでなく、今作ともかけはなれているのでスルーです(笑)