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薔薇の騎士団  作者: 桃 春花
第一話 亡き王女のための舞曲
18/60

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 翌朝の目覚めは爽快だった。

 嘘のように軽くなった身体で、メロディは寝台から起き出した。完全に元通りだ。どこも具合が悪くない。おなかもしっかり空いている。

 手早く身支度をして、メロディは部屋を出た。

 食堂へ向かおうとすると、途中の廊下に女中たちが集まっていた。

 顔を突き合わせてなにやら深刻そうに話している。どうしたのだろうと、メロディはそちらへ近づいていった。

「あ、お嬢様。起き出されて大丈夫なんですか? お身体は……」

 ドナがメロディに気づいた。

「おはよう。もう大丈夫だよ、ありがとう。みんなどうかしたの? 何かあった?」

 尋ねると、ドナたちは顔を見合わせる。ただならぬ雰囲気だった。本当にどうしたのだろう。

「なに……? えっと、他のみんなは? セ、セシル様も、もう食堂かな。それともまだ寝てらっしゃる?」

 昨夜は平気で話ができたのに、熱が下がって調子を取り戻すと、なぜだかセシルと顔を合わせるのが気恥ずかしかった。だからといって会いたくないわけではなく、むしろ早く会いたいような、変な気分だ。

 落ち着かない内心を隠して尋ねると、ますますドナたちはおかしな顔になった。

 口ごもった後に、ようやくドナは答える。

「旦那様は……いらっしゃいません」

「え……あ、今日はお出かけ? ずいぶん早くから……あ、朝食会っていうのかな」

「いいえ。いらっしゃらないんです。どこにも」

 言われたことが、よく理解できなかった。

「いないって……どういうこと?」

「わかりません。今朝起き出すと、わたしたち全員にお給料と次の職場への紹介状が用意されていて、旦那様とジンさんがいなくなっていたんです」

「……え?」

「どういうことなのか、お聞きしたいのはわたしたちの方です。これって解雇するということなんでしょうか。そもそも旦那様はどこにいらっしゃるのか……戻っていらっしゃるんでしょうか」

 聞かれてももちろんメロディには答えられない。昨夜セシルはそんなこと、ひと言も言っていなかった。解雇するにしたって、こんな唐突なやり方はしないはずだ。

 何が起こっているのか、わからなくて呆然と立ち尽くす。

 そこへまた人がやってきた。

 エチエンヌだった。いつものように気配を忍ばせることもなく、どこか自失するようすで歩いてくる。メロディのそばまでやってくると、彼は手にもっていた封筒を差し出した。

「エチ?」

「読んでくれ……オレ、まだ字を習ってる最中で、ちゃんと読めてるか自信がねえんだ。だから、あんたが読んでくれ」

 受け取ったメロディは、既に封が切られていることと、宛て名がエチエンヌになっていることをたしかめる。きちんと整った上品な字だった。

 中身を開いたメロディは、読み進めるにつれて鼓動が早まっていくのを感じた。

「エチに、財産分与するっていう内容だよ……領地の一部をエチの名義にしたって書いてある。後見人にナサニエル殿を指名してる」

 末尾の署名は、セシルのものだった。

「なんだよ、それ」

 気の抜けた声でエチエンヌが聞く。もう一度、今度は激しい口調で吐き捨てた。

「なんだよ、それはっ! 財産? 領地? なんだそりゃ、聞いてねえぞ! オレがいつそんなもん欲しがった! あいつはどこ行ったんだよっ!」

「夜逃げしちゃったわけだねえ」

 のんびりとした声が答えた。あわててメロディが振り向くと、いつ来たのかフェビアンが立っていた。

「フェン……よ、夜逃げって、なに?」

「事情のある人が、気付かれないようにこっそり姿を消すこと。たいていは借金取りから逃げるんだけど、あの人の場合は刺客から逃げたわけだね。僕らからも、かな」

 フェビアンは肩をすくめる。メロディは信じられない気持ちで立ち尽くした。

 セシルがいなくなった。メロディたちを残して、どこかへ逃げてしまった……?

 言ったのに。明日また話をしてくれと、頼んだのに。

 セシルは答えなかったけれど。でもあれきり、もう会えなくなるだなんて思わなかった。朝になればまたいつものように、みんなで顔を合わせてくだらないことを話しながら食事して、そうこうしているうちに兄たちも押しかけてきて、騒がしい一日が始まって。

 そうして、元通りの日々に戻るのだと、勝手に思っていた。

 でも、セシルはいない。

 いなくなってしまった。

 元通りの日々など、どこにもなかった。



 カムデンから伸びる街道の一つ、北東地域へ向かう道の途中で、セシルは馬を止めた。

 後ろを振り返ってももう街は見えない。越えてきた丘の向こうに隠されてしまっていた。

 今頃、屋敷の者たちは大騒ぎしていることだろう。突然放り出して申し訳ないことをした。もっと早くから、ゆっくり準備しておけばよかった。

 蜂蜜色の瞳の少女は、どうしているだろうか。傷ついたりしていないといいのだけれど。

「セシル様、本当によろしいのですか」

 影のように付き従うジンが尋ねた。セシルの命令に絶対服従の彼が、この決定には珍しく気が進まないようすだったのを知っている。

「いいんだよ。こうするのがいちばんいいんだ。あそこは居心地がよくて、ついぐずぐずしてしまったが、だからこそ離れるべきだ。もう同じことを繰り返したくはないからね」

「…………」

 ジンはセシルに反対することも口答えすることもない。けれど無表情な顔の下で、本当はあの連中と離れがたい思いでいるのはわかる。実の兄弟よりも親しく、ずっとそばで育ったのだ。彼があの屋敷の住人たちを好いているのはわかっていた。

 だからセシルは言う。

「お前こそ、いいのかね。別に私に付き合わなくていいと言っただろう? 残っていいんだよ」

「いいえ……」

「お前はもう奴隷じゃない。なんでも自分のしたいように、好きにしていいんだ。その権利があるんだよ。いつまでも私に付き合わなくていい。お前は自由だ」

 セシルは荷物から革の袋を取り出した。

「ほら、師匠の餞別、半分お前にやるから。これで自分の生活を始めるといい」

 半分というには大きすぎる袋を、ジンは首を振って受け取らなかった。

「いいえ、わたくしはあなたと共に」

「ジン」

「それがわたくしの望みです。あの国で、たしかにわたくしに自由はありませんでした。望んであなたと出会ったわけでもありません。ですが、あなたにお仕えするのを嫌だと思ったことはありませんでした。なんでも好きにしてよいとおっしゃるのでしたら、どうかこれからもおそばにあることをお許しください」

 セシルは苦笑して袋を下ろした。

「物好きだね。ろくな目に遭わないよ」

「かまいません。セシル様をお一人にする方がよほどに気がかりです。朝はなかなか起きられず、料理どころかお茶の一杯も淹れられない。ご自分の身なりにも無頓着で服が破れていても気づかない。生活能力皆無で金銭感覚も大雑把なあなたが、お一人で生きていけるとは到底思えません」

「……お前も言うようになったね」

「それに、目を離せばまたどこかの人妻に手を出して、刃傷沙汰を起こすのではないかと不安です」

「古い話を……」

 馬上でセシルはがくりとうなだれた。落ちた肩が、やがてくつくつと揺れだす。

 顔を上げたセシルは笑って言った。

「では、行こうか。そうだな、今度はうんと東へ行って、お前と同じ肌の色の人々を探すというのもいいね」

「……はい」

 セシルはふたたび馬を歩かせる。ジンは黙ってその後に続いた。

 そのまま、振り返ることなく進もうとしていた背中を、突然響いた声が呼び止めた。

「セシル様!」

 セシルは驚いて振り返る。もう聞こえるはずのない声だった。

 だが彼らが下りてきた丘の中腹に、たしかに騎影があった。

 ――メロディだった。

 彼女も馬も、息が上がっている。かなり激しく駆けてきたのだろう。それでも尚メロディは馬腹を蹴り、丘を一気に駆け下りた。

 セシルの近くまで来て、ようやくメロディは止まった。馬も騎手も汗だくだった。

 その頃になって、ようやく丘に他の騎影が現れた。三騎、彼女に続いてやってくる。

「お……お前、すげーな……よくあんな駆けさせ方できるぜ……」

「いや、もう……街育ちと田舎育ちの違いを思い知った……馬術じゃ全然勝てない」

「お、お見事……」

 男三人は少女以上に汗だくで、息も絶え絶えだった。どうにかやってきても、しばらくまともにものが言えないようすだ。

 驚きから立ち直ったセシルは、今度は呆れて彼らを眺める。こんなところまで追いかけてくるなんて、思っていた以上に物好きな連中だ。

 どうにか呼吸を整えて、真っ先にかみついてきたのはエチエンヌだった。

「セシル……てめえ、なにふざけた真似してくれてんだ。なんだあの置き手紙は。何が財産分与だ、オレがいつそんなこと頼んだよ!」

 セシルは少し肩をすくめた。

「そうはいっても、無一文で放り出されたら大変だよ? お前がこれから暮らしていくのに、ある程度のものは必要だろう」

「いらねえよ! 金なんかいらねえ! オレはそんなもの、欲しくねえ。よけいな真似して勝手にどっか行ってんじゃねえよ、この馬鹿野郎!」

 強い口調で言いながら、少年は泣きそうな顔をしていた。

「てめえがオレを連れてきたんだろうが! 無理やりオレを、こんなとこまで連れてきたんじゃねえかよ!」

「それは、あそこで放り出したら、また同じ暮らしに戻るだけだと思ったからだよ。あの時のお前には、他の生き方なんてできなかっただろう? そうするうちにのたれ死にするのがおちだとわかりきっていたからね。でも今は違う。もうお前は普通に生きていける。身体を売ったり後ろ暗い仕事に手を染めたりしないで、堂々と陽の下を生きていけるんだ。そのための素地は与えたつもりだよ。暮らしていくのに困らない程度の財産と、信頼できる後見人もいれば、何も心配はない」

「いらねえっつってんだろ、このクソ野郎!」

 癇癪を破裂させてエチエンヌは絶叫する。セシルは深く息を吐いた。

 フェビアンが頭をかいて、口調だけは軽く言う。

「団長、考え直していだけませんかね。あなたに去られたら、僕またプーに戻っちゃうんですけど。親父の小言と厭味を毎日聞かされるのはたまらないんで」

「それは君の問題だろう。私は責任持てないよ」

「そこをなんとか」

「フェビアン君……」

 セシルはまたため息をつくしかない。

 ナサニエルが咳払いをして言った。

「セシル様、あなたを慕う者がいるのです。それを打ち捨てて行かれるようなことは、どうかおやめください。僣越ながら、私もその一人としてお願いいたします」

 セシルは返事を避けて、気になることを聞き返した。

「ところで、どうして私がこの道を行くとわかったのかね。一応目立たないように顔は隠してきたんだけどね」

 これには三人が意味ありげな視線を交わす。なんだと思っていると、少女の声が答えた。

「ジンが教えてくれたんです。手紙を残して……道の途中にも、目印を残して行ってくれました」

 セシルは天を仰ぎ、忠実なる従者を恨めしく見やった。

 言われる前にジンは頭を下げた。

「申し訳ございません。自分のしたいように、好きにさせていただきました」

 セシルは顔を覆った。

「わかっているだろう。私があの屋敷に戻れば、いつかきっと二年前と同じことが繰り返される。また罪のない者を巻き込めと言うのか」

「同じではありません」

 ふたたび少女の声が言う。目を合わせたくなくて、あえて見ないようにしていたそちらを、セシルはそろそろと振り向いた。

 案の定、金に光る瞳が怖いほどに強く、まっすぐに、にらみつけてきた。

 セシルを見据えたまま、メロディは強く言った。

「二年前と同じではありません。あなたも、わたしたちも、みんな状況は承知しています。そしてそれに対抗する力も持っています。たとえ襲撃を受けたって、おとなしく襲われるだけではありません。戦います。父も、女王陛下も、あなたの味方です。王都騎士団だって頼めば力を貸してくれます」

「いや……それは」

「あなたがシュルクの王位を望まなかったこと。兄君の仕打ちに報復もせず、自分が引き下がることで済ませようとしたこと。それを否定する気はありません。そうする必要があったと思います。でも、これからもずっと逃げ続けるおつもりですか。自分が悪いのだと、そればかり繰り返して、問題とまともに向き合おうとしないまま。どこまで? いつまで逃げるんです。それは認められません。あなたはご自分の人生からも逃げ出している。何もせず、ただ逃げるばかりでしょう。そんな自分を情けないとは思わないのですか。いい加減、戦いなさい、自分自身と!」

 少女の雷に、十も年上の男が言い返せず沈黙している。見ていたエチエンヌはぼそりと呟いた。

「ありゃあ、結婚したら尻に敷かれるな」

「そうだねー。見てみたいなあ。面白そう」

「ふん……まあな」

 メロディのまなざしから強さが消え、次第に泣きべそに変わっていく。

「わっ……わたしは、まだまだ未熟で、足手まといになってばかりですけど……っ。前に言ったように、強くなってみせます。頑張って、うんと強くなりますから」

「いや、十分強いよ……」

「だ、だから、セシル様も、もっと強くなってください。後悔や悲しみに負けないで、ご自分の人生に立ち向かってください。でないと、あなたのために死んでいった人たちだって悲しいです。その人たちの分も生きるつもりで、頑張ってください」

 セシルはふたたび天を仰いだ。失った人々のことを思った。

 また求めることを、許してもらえるのだろうか。

 愛する者たちとの幸せな日々を、この自分が求めていいのだろうか。

 答えはわからなかった。死者は何も教えてくれない。姿も見せてくれない。

 だが目の前で泣いている娘を、振り払って立ち去ることはできなかった。べそをかきながらも精一杯見つめてくる瞳に、抗うことはできなかった。

 セシルは降参のため息をつき、蜂蜜色の頭を撫でた。


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