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薔薇の騎士団  作者: 桃 春花
第一話 亡き王女のための舞曲
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 身振りでルイスを黙らせ、メロディは耳を澄ませた。階段がきしみ、やがて廊下を歩く足音になる。二人分。こちらへ近づいてくる。

 ルイスを伴い、扉のすぐそばの壁に張り付いた。ひそかな話し声も聞こえてきた。

「……いいのかよ、抜け駆けがバレたらシメられるぜ」

「俺たちがとっつかまえて来たんだぞ。ちょっとくらい先に楽しむ権利はあるだろうよ。あんな小さいの、全員の相手をする前にくたばっちまいそうだしな。おとなしく待ってたら楽しめるかどうかわからねえよ」

「もう一人もけっこうなべっぴんだったけどな。あっちはもうちょい、もつんじゃないか?」

「いくら美人でも男じゃなあ……俺はあんまり、そういう気にはなれねえ」

 ルイスがまたメロディの肩をつかんだ。見ると、彼は無言のまま懸命に窓を示している。早く行けと言うのだろう。だがメロディは首を振った。

 会話の意味はよくわからないが、メロディとルイスになんらかの危害を加えようとしていることは明らかだ。この時点で、彼を残して逃げるという選択肢は消えた。

 メロディは王子を下がらせて、扉のそばで身構えた。

 部屋の前で足音が止まり、扉が開かれる。

「――ん?」

 訝しげな声が上がった瞬間、メロディは床を蹴った。

「げぁ――っ」

 まず一人、おもいきり股間を蹴り上げてやる。ここだけは、どんな無敵の戦士も鍛えようがない急所だから、狙うならまず股間を狙えと兄たちから教えられた場所だ。案の定男は前を押えて床に膝をつく。そこへすかさず第二撃を放った。

 首筋にも蹴りをくらって、男が物も言わず床に沈み込む。

「このガキっ!」

 もう一人がつかみかかってくるのをかわし、逃げると見せかけて逆に懐へ飛び込む。相手が対応するより早く、メロディは拳を突き上げた。

「がっ」

 顎を殴り上げられて男がのけぞる。続けざまにみぞおちに膝蹴りを叩き込み、身体を丸めたところへ肘を打ち落としてやった。

 この男も首筋にとどめをくらって昏倒した。

 数瞬の間の見事な手際に、ルイスが顎を落として絶句している。メロディは彼の手を取った。

「こちらです、急いで!」

 引っ張って廊下へ走り出る。

「ど、どこへ行くんだ? どこにも逃げ場など」

「逃げるしかありません!」

 物音を聞きつけた仲間が二階へ上がってくる音がする。メロディは目当ての部屋にルイスを連れて飛び込んだ。

 まっすぐ窓へ駆け寄り、大きく開く。

 すぐ下に、納屋の屋根が見えていた。

「飛び移ってください」

「むっ、無理だと」

「できます! このくらいなら跳べます!」

 ルイスを窓へ押しやる。

「こいつら、どうやって縄を」

「待てこの餓鬼ども!」

 男たちが部屋に押し入ってくる。真っ先にやってきた男に応戦しながらメロディは叫んだ。

「早く! 行ってください!」

 ルイスはごくりと喉を鳴らし、下を見下ろす。窓枠に足を乗せ、死に物狂いで跳んだ。

「――――っ!!」

 声にならない悲鳴のすぐ後に、どすんと屋根の端近くに着地する。だがほっとする間もなく、彼は勾配を転がった。

 追手に蹴りを放ったメロディは、そのままくるりと半回転して窓へ向かう。追いすがる手を振りきり、窓枠を蹴って納屋へ飛び移った。

 着地した次の瞬間には跳ね起きて、勾配を駆け下りる。

 屋根から放り出されたルイスが、かろうじて(ひさし)に取りついた。その横を飛び下りて、先に下の地面へ着地する。

「ああっ」

 こらえきれずにルイスが落ちてくる。メロディは両腕を広げて王子の身体を受け止めた。

「ぎゃっ……い、痛い……」

 受け止めきれずにそのまま倒れたメロディを下敷きにして、ルイスが尻餅をつく。うめいた彼は、はっと飛びずさった。自分が少女を下敷きにしたことに気づいて蒼白になった。

「メロディ嬢!」

「だ、大丈夫です……」

 メロディはどうにか身体を起こして、王子に微笑みかけた。

「……ね? できたでしょう? ああやって一度ぶらさがれば、身長の分落ちる高さは減ります。上出来でしたよ」

「けっ、怪我は!?」

「ありません。殿下こそお怪我なさってませんか」

「……大丈夫だ」

 うなずいてメロディは立ち上がった。ルイスの手を引いて立たせる。彼は少しふらついたが、たしかに怪我はなさそうだ。メロディはふたたび走り出した。

「猶予はありません。急いでください」

「奴ら、すぐ出てくるぞ。どうするんだ」

「こっちです」

 納屋の入り口へ向かう。ルイスが待てと叫んだ。

「追い詰められるだけだぞ。隠れてやり過ごせる状況じゃない!」

「中に馬がいるんです。窓から見えました」

 馬さえ手に入れてしまえば、後はどうにかなる。ルイスの馬術がどれほどか、それだけが気がかりだが、士官学校でも少しはしごかれただろう。あっさり落馬するようなことはないはずだと期待するしかない。

 母屋から駆け出してくる音が聞こえる。ぐずぐずしていられない。開きっぱなしになっている入り口から、ふたりは納屋へ飛び込んだ。

 農機具も収穫された作物もない広々とした納屋に、馬だけがたくさんつながれている。突然の侵入者に驚いて、いっせいに首を動かしこちらに注目してくる。いちばん近くの馬に駆け寄ろうとしたメロディは、そのそばから現れた人影にはっと足を止めた。

「おや……これは」

 低い男性の声が上がる。

 落ち着いた、上品な声だった。薄茶の髪をきれいに整えた、見るからに紳士然とした姿に、メロディはあっと声を上げた。

「ファラー殿!」

 背後でルイスも小さく声を漏らす。背中を向けていたメロディは、近衛騎士団長の登場に、王子が少しも喜んでいないことには気づかなかった。

「どうしてあなたがここに……」

 言いながらも足はファラーへ向かう。突然の登場を不思議に思いはしたが、危機感はなかった。救助が来たのだろうかと思いかけた時、

「だめだっ!」

 ルイスが叫んだ。メロディに抱きつき、全力で引っ張る。勢い余って倒れ込む彼の背中を、抜き打ちざまの一撃が襲った。

 ルイスに抱き込まれたまま、メロディはともに倒れる。彼の肩ごしに剣を抜いたファラーが見えた。

「殿下っ!!」

「だだだ大丈夫、ふふ服だけだっ」

 ひょこんとルイスが頭を起こす。見ればざっくり切り裂かれた上着の下に、血は流れていなかった。

 ほっとメロディは息を吐く。

「ほう、なかなかすばしこい。士官学校での経験も、少しはお役に立ちましたかな」

 笑い混じりにファラーが言った。メロディとルイスは身体を起こした。

「ファラー殿……なぜ」

「あいつなんだ」

 メロディの呟きに、震える声でルイスが答えた。ファラーを振り返る。

「ロナルドが私をかどわかした……兄上から内緒のお誘いがあるなどとたばかり、私を王宮から連れ出したんだ」

「ファラー殿が……?」

「リ、リチャードも途中で姿が見えなくなって……あいつはどうしたんだっ!? あいつまで、私を裏切ったのか!?」

 途中からはファラーに向かって怒鳴る。王家に忠誠を誓っているはずの騎士団長は、端正な顔に皮肉な笑いを浮かべた。

「できれば、そうしたかったですな。あれだけの腕は惜しかった。が、残念ながら奴の腕は宝の持ち腐れ。あなたのお守りで十分満足し、それ以上を望まない。仲間にはできませんでした」

「…………」

 王子の顔にかすかな希望が灯る。それを楽しげにファラーは打ち砕いた。

「なので、一足先に天国へ行って、あなたをお待ちしてもらっておりますよ」

「そ……そんな……う、嘘だ……」

 ルイスはへたり込んだまま、呆然となる。メロディはファラーをにらんだ。

「どういうことなんです。なぜあなたがこんな真似をするんですか。一体何の目的で」

 傭兵たちが入り口から入ってくる。獲物を追い詰めた獣の顔が、ファラーの背後に並ぶ。

「何が狙いですか、ファラー殿!」

「私の願いはひとつだけ。あなたもよくご存知のはずですよ」

「……セシル様ですか? でも、それとこれとがどういう」

「あの方に必要なのは、やる気。ただそれだけですよ。やる気さえあれば、シュルクと戦える。しかしいくらご自身が襲われても、防戦に徹するばかりで少しも反撃しようとはなさらない。自分のことはいくらでも我慢できるんでしょうな。だが、可愛い従弟と婚約者が無惨に殺されれば、どうでしょう」

「…………」

 言葉を失う少年と少女に、ファラーは目を細めた。

「シュルクの刺客があなた方を囮にしてあの方をおびき出そうとした。しかし暗殺には失敗して逃走する。人質となった王子と伯爵令嬢は、救出が間に合わず死体で発見される。さて、これでも彼は怒りを隠し我慢するでしょうかな。女王も日和見な議会も、王子を殺されては黙っておりますまい」

 メロディの脳裏に、突然答えがひらめいた。襲撃の後、セシルが言っていたことを思い出す。何かが引っかかる、誰が狙われたのだろうか、と。

「まさか……この間の襲撃も、狙われたのはセシル様ではなく……」

「あの方を害するつもりなど毛頭ない。死んでほしかったのは、部下たちだ。はみだし者ばかりだというのに、あの方は妙に可愛がっておられるからな。二年前、シュルクで殺されたかつての家来たちのように、今の部下どもも殺されれば――と思ったのだが、腕だけは立つ連中だ。さすがに、一筋縄ではいかなかった」

「…………」

 メロディはゆっくりと立ち上がった。ファラーをにらんだまま、ルイスにも声をかける。

「殿下、立ってください」

「メロディ嬢……」

「ファラー殿。あなたは自分が何をしているのか、わかっているのですか。あなたはイーズデイルの近衛騎士団長だ。あなたが第一に守るべきは、イーズデイルの王家――女王陛下とそのご家族だ。それが、よりにもよって王太子殿下を(はかりごと)に利用し、殺そうとするなど」

「王家? そんなもの」

 蔑みもあらわにファラーは吐き捨てた。

「くだらんな……王家が一体何をした? あの方を犠牲にし、遠い異国へ投げ捨てるように嫁がせたではないか。あれほど美しく聡明だった王女を、南の蛮族にくれてやって、その恩恵に感謝することもなくただ日和見を決め込む。王子に正当な権利を取り戻させず、現状を守ることだけ考えている。自分たちの利益だけだ。そんな王家を守れだと?」

 突然に怒りをぶつけられ、圧倒されながらもルイスは立ち上がった。彼を背にかばい、メロディは後ずさる。納屋の出入り口は男たちにふさがれている。逃げることはできない。

「今のイーズデイルは腐っている。議会は高位の貴族のみに占められ、どれほど能力があろうと身分が低ければ何の発言権も与えられない。そして議員どもは保身と己が利益だけを考える。なぜそうなった? 平和だからだ」

 堰が切れたようにファラーは激情をあふれさせる。今や顔は憎々しげにゆがみ、瞳は激しく燃え盛っていた。

「平和だからくだらぬことにこだわる。これが戦乱の世であったなら、身分などで物事が決められはしなかった。実力こそがもっとも必要とされていた。今また、この地に戦が起きれば、議論しかできぬ老いぼれどもなど何の役にも立たなくなる。騎士の力こそ必要とされる世が来るのだ」

「それも己の利益ではないか! 自身が成り上がるために、戦を起こすと言うのか!?」

「貴様にそれを言う資格などないぞ、アラディン・エイヴォリーの娘」

 メロディを見るファラーの目には、冷たい憎悪があった。

「奴と私と何が違ったと言うのだ? 何も違わん、同じではないか。ただ、奴は運に恵まれていた。伯爵家の嫡男に生まれ、たまたま地域紛争だのなんだのと武力を示す機会があっただけだ。その結果奴は名声を得て、貴族社会で強い影響力を持つに至った。私より運がよかった、ただそれだけで!」

 ――この男はいったい、何を望んでいるのだろうか。

 だんだんメロディは、わけがわからなくなってきた。ファラーの言葉は目茶苦茶だ。何がなんでもセシルをシュルクの王にと言っていたかと思えば、今度はイーズデイルの体制批判だ。結局彼がいちばん憤り、望んでいることは何なのかがわからない。

ただ、この場でこれ以上言葉を重ねても、どうにもならないことははっきりしていた。

 ファラーにはどんな言葉も届きそうにない。自身の怒りと執着しか頭にないのだろう。

 メロディはそっとルイスに問いかけた。

「殿下、剣は使えますか」

 えっ、と情けない声が上がった。

「む、無理だ。実戦どころか、訓練でも全然だめだったんだ」

「では、とにかく逃げ回ってください。後はわたしが引き受けます」

 メロディの言葉を聞いた男たちから、失笑がわき上がる。ルイスも憤然と言い返してきた。

「冗談ではない。た、たとえ暴れ馬だろうと、婦女子を楯にして逃げ回るなど、王太子として、お、男としてできるか。そのくらいなら、いっそ――」

「女ではありません」

 メロディは彼の言葉を遮った。

 鞘から静かに剣を抜き放つ。

「わたしは、王国の臣です。先程あなたは、命懸けでわたしを助けてくださった。今度はわたしが、あなたをお守りします。我らが王子――次代の国王陛下」


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