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薔薇の騎士団  作者: 桃 春花
第一話 亡き王女のための舞曲
14/60

14

 いずこへ向かっているのかもわからぬ馬車の中、メロディは一人反省会の真っ最中だった。

 またやってしまった。

 さんざん両親や兄たちから、知らない人についていってはいけないと言い聞かされていたのに、過去何度も何度も何度も失敗を繰り返してきたというのに、性懲りもなくまたやらかしてしまった。

 どれだけ反省しても足りない。本当に馬鹿だと、自分で自分に呆れ果てる。

 カムデンの屋敷に勤める使用人たちのことを、メロディはまだほとんど知らない。だから知らない顔が迎えに来ても、うっかり信用してしまった。そこが大きな間違いだった。知らない人間が来るわけなかったのに。

 兄たちが迎えを差し向けるなら、メロディが知っている相手にするはずだ。というより、絶対本人たちが迎えに来る。それ以外考えられない。

 と、今なら冷静にわかるのに、あの時はそこまで気が回らなかった。

 いろいろ考えて落ち込むことに忙しかったものだから、つい失念してしまっていた。

 なんというか、自分は一度に複数のことを考えられないのだ。何かに気をとられると、すぐ他のことがおろそかになってしまう。それでいつも失敗する。

 カムデンへ出てくる時も、初めての一人旅(だと思っていた)に緊張して、無事たどり着けるよう教えられたことを一生懸命思い出していたら、三度もおかしな人間に引っかかってしまった。

 あの時は相手がただの不審者だったし、人数も多くなかったから、おかしいと気づいた時点で叩きのめして事なきを得たが、今回はそう簡単にはいかないようだ。

 窓に視線をやれば、馬車に並走する騎馬の男たちが見える。左右どちらにも数騎ずつ、馬車を取り囲むようにして走っていた。

 自分がどうやら誘拐されたらしいということには、早くから気づいていた。

 馬車は、始め静々と走っていたが、薔薇屋敷からある程度離れた時点で急に加速した。異変に気づいて外を見ると、遠くに教会の尖塔が見えた。王宮の近く、すなわちエイヴォリー伯爵邸の近所でもある教会だ。都の地理に詳しくないメロディに、目印にしろと兄が教えてくれたものだった。

 それが遠ざかっていく。

 馬車は、明らかに違う方向へ向かっていた。

 さらにはどこかで待機していたのだろう、複数の騎影が現れて並走を始めた。メロディは己の身に起こった事態を理解し、そして反省会を始めたのだった。

 それにしても――と、ひとまず反省は切り上げて考える。一体彼らは何者だろうか。

 エイヴォリー邸からの迎えを装い、さらには兄たちに先んじて乗り込むという周到な真似からして、ただの人攫いでないのは明白だ。これまで遭遇してきた、メロディ自身を狙って犯行に及んだ者たちとはまったく違う。何か別の目的があり、それに利用するためにメロディの身柄を確保したのだろう。

 どんな目的なのか。

 誘拐の目的といえば、一般的には身代金、あるいは政治取引や犯罪者の釈放などが考えられる。メロディを人質にして、誰に何を要求する?

 いくつかの可能性が考えられるが、今この状況ではどうしても、セシルがらみではないかという気がしてならなかった。

 彼を狙う者が、メロディを囮にしておびき出そうとしているのだろうか。

 そう考えると、外の男たちはいかにも屈強な傭兵らしく見えた。先日公園で襲撃してきた曲者たちも、傭兵ではないかというのが関係者の見解だ。その仲間なのだろうか。

 ならば、背後にいるのはシュルクの王ということになる。

「……?」

 そこまで考えて、メロディは首をひねった。

 一応筋は通っているようだが、よく考えると妙な話だ。つい最近現れたばかりのメロディの存在を、いち早くシュルク王が把握して人質に使えると踏み、計画を立てたのか? それはちょっと話が早すぎる。シュルクとイーズデイルの距離を思えば無理がある。

 こちらに潜入したシュルク王の配下が、独断で計画しているのだろうか。

 なんとか理屈をつけられないこともないが、どれもこじつけだった。明確にこれだと言える根拠にはならない。

 そもそもメロディを人質にしたところで、おとなしくセシルが殺されるわけがないではないか。どんな馬鹿でも、そう簡単に話が運ぶとは思うまい。

 ――では、やはりセシルとは関係のない、別口なのだろうか。

 メロディはため息をついた。自分の残念な頭では、とても答えは得られそうにない。ただでさえ最近考えすぎで頭痛がするほどなのに、これ以上難しいことは勘弁してほしい。

 何者がどんな目的を持っているにせよ、メロディが逃げ出せばそれは果たせない。

 この状況をどうにかするのが先決だろう。

 メロディは意識を切り換えた。現状と自分の能力を秤にかけて、脱出できるかを考える。

 馬車から飛び下りることは可能だ。この程度の速度ならば怪我もしない自信がある。ただそれを、周りの男たちが黙って見ているはずがない。すぐにメロディをつかまえようとするだろう。

 これがただのごろつきならば多少人数が多くてもどうにかできるのだが、腰に剣を佩き戦い慣れた気配を漂わせている者たち相手では分が悪い。真っ向から勝負をかけるよりも、相手の油断をさそった方がいいだろう。幸いこちらは油断されやすい少女の身だ。

 このままおとなしく運ばれて、一度は捕らわれるか。それから脱出の機会を窺うのがいいだろう。

 剣は取り上げられるに違いない。縛られるくらいも覚悟しておこう。

 あらゆる事態を想定しつつ、メロディは窓を閉めた。外からの視線を遮断して荷物に手を伸ばす。

 自由が利くうちにできる限りの準備をしておかなければ。

 得体の知れない連中にさらわれてどうなるかわからないという、普通の令嬢なら泣き出すしかない状況にも、すっかり慣れきっているメロディだった。



 市街地を一気に走り抜けて、馬車はカムデンの郊外までやってきた。

 近代的な建物が並び人や物にあふれている王都も、一歩外へ出るととたんに景色が変わる。

 麦や葡萄の畑が広がる、牧歌的な農村風景だった。建物の数も少なくなり、人の姿はぽつぽつと畑に散らばる程度だ。

 二階建ての建物の前で馬車は止まった。

 かなり大きめの農家だった。切妻屋根の母屋は、一階部分の外壁は煉瓦で上階は白い漆喰壁に黒い柱や筋交いという、典型的な田舎の建築様式だ。都市部では石造りの建物が最近の主流になりつつあるが、農村部へ行けばまだこうした建物が多い。敷地内には母屋と同じくらい大きな納屋が並び、立派な家畜小屋もあった。ただし納屋はほとんど空っぽで、家畜小屋を寝床とする住人もいなかった。

 空き家なのは一目瞭然だった。さほど傷んではいないものの、人が住まない家はどうしても荒廃した雰囲気を漂わせる。雑草がはびこり始めた玄関先に馬車を停め、男たちは馬から下りた。

 馭者が馬車の扉を開き、中へ声をかけた。

「着きましたよ、お嬢様」

 にやにやしながら覗き込めば、男装の少女は取り乱すこともなく気丈にこちらを見返してきた。

「……ここはどこ」

 精一杯の虚勢を張っているのだろう。訊いてきた声にはおびえの色がうかがえる。

「ここもカムデンでさあ。かなり外れちゃいますがね。さ、降りてくれますか。中へご案内いたしますよ」

「お前たちは何者? なぜわたしをこんな所へ連れてきたの」

「そのうちわかりますよ。おとなしくしててくれりゃ、手荒な真似はしません。今のところはね」

 座席の上で、少女はさらに身を小さくする。なかなか降りようとしないのに仲間が焦れて、馭者を押し退けて乗り込んだ。

「さっさと降りろ」

 少女の腕をつかんで引っ張る。小さく悲鳴を上げて馬車から引きずり出された少女は、まず腰の剣帯から彼女には不似合いな剣を抜き取られた。

「なんだ、貴族にしちゃずいぶん質素な剣だな。もっと宝石だの金だので飾りたててくれてりゃ、いい金になったのによ」

「物は悪くないぞ、よく切れそうだ。しかし小さいな。俺たちが使うにゃ物足りん」

「お嬢様のおもちゃだからな」

 馬鹿にしたようすで彼らは笑う。一応使えることは先日の襲撃の際に目撃していたが、しょせんは少女だ。大の男を何人も相手にして戦えるわけがない。事実彼女はすっかりおびえきって、黙ったままうつむいていた。

 男たちは手早く少女を後ろ手に縛り上げた。玄関の扉が中から開かれる。同じ風体の仲間が現れ、首尾よく目的が果たされたことを確認し頷いた。

 母屋へ踏み込んだ彼らは、少女を二階へ連れて行った。突き当たりの部屋に彼女を放り込む。縛られたままの少女は足元をふらつかせて、肩から床に倒れた。

「いい子で待ってろよ。後でたっぷり可愛がってやるからな」

 呻いたまま起き上がれない彼女に声がかけられる。

「今でもいいんじゃないか? どうせまだ時間はあるだろう。先に楽しんだって……」

「後だ。下手に抜け駆けしたら他の連中から恨まれる。例の旦那にもうるさく言われそうだからな」

「旦那ねえ。いつ来るって?」

「さてな。とりあえず飯でも食おう」

 扉が閉められ、どやどやと足音が去っていく。気配が階下へ移り、二階が静まると、メロディはようやく顔を上げた。

「よいしょ」

 縛られたままでもひょいと起き上がり、指先を革の長靴に入れる。抜き出されたのは極細の刃物だった。

 刃物というより(やすり)と呼ぶべきか。剣のように鋭い切れ味を持つ刃ではないが、硬い物を切るのに適している。それを器用に持ち替えて、メロディは手首を縛る縄をこすった。

 体勢が不自由なので少々時間はかかったが、縄を切って自由を取り戻す。少し擦りむけた手首をさすりながら、メロディは立ち上がった。

 使われなくなって久しいのだろう。天井には蜘蛛の巣がいくつもできていた。椅子や小さな机といった家具が、部屋の隅で埃をかぶっている。ぐるりと見回したメロディは、部屋の中央にでんと居すわる大きな衣装箱に歩み寄った。

 それだけが、この部屋の中で異彩を放っている。真新しい衣装箱は貴人の持ち物らしく、上等の造りだった。

 実はさっきからこの箱が気になっていたのだ。衣装箱は自らがたがたと揺れており、中からかすかにうめき声のようなものも聞こえていた。

 掛け金があるだけで鍵はかかっていなかった。メロディは箱の蓋を慎重に開いた。

 中身をたしかめ、首をかしげる。

「そんなところで何をなさってるんですか? 殿下」

 箱の中には両手足を縛られ、猿ぐつわを噛まされたルイスが、窮屈そうに収まっていた。

「ふがっ、ふもががふんっ!」

 何かを一生懸命訴えてくる。少し考えてから、メロディは彼に手を伸ばした。この場合は勝手に触っても不敬を咎められることはないだろうと判断し、猿ぐつわを外してやる。

 ルイスはどっと息をついた。

 大きく肩を上下させる彼に、メロディはまた尋ねた。

「大丈夫ですか?」

「……あまり大丈夫ではない。この縄もほどいてくれ。痛くてかなわん」

「はい」

 言われるままメロディは縄に取りかかった。固い結び目は厄介なので、さきほどの刃物で切る。今度は目の前で自由に両手が使えるから、時間はかからなかった。

 続いて足の方も切ってやる。ルイスは起き上がり、箱の縁にぐったりともたれた。

「死ぬかと思った……君な、この状態の人間を前にして、第一声が何をしているかはないだろう。他に言うことはないのか」

「はあ」

 恨めしそうににらまれて、メロディはちょっと首をすくめた。

「すみません。前回のことがあるので、これも何かの遊びかと」

「どんな遊びだ!? これで楽しんでいたら私は本気で変態だろう!」

「違ったんですね」

「待て。思ってたな? 今本当に変態だと思ってたな?」

「じゃあ殿下もさらわれていらしたんですね」

「流すな! ……って、『も』? 私『も』と言ったか? では、君も……?」

「はい。誘拐されました」

 メロディはこっくりとうなずいた。まじまじと見つめていたルイスは、疑わしそうに訊いてきた。

「本当か? やけに落ち着いているが……」

「本当です」

「そ、そうか……では兄上たちは、一緒ではないの……だ、な?」

「はい。わたし一人です」

 答えると、ルイスはがくりとうなだれた。箱から出もしないまま、その場でうちひしがれる。

「どうなさいました? どこかお怪我でも?」

「いや、怪我はないが……ああ、そうだな、死ぬほど腹が減っている」

 やけくそめいた口調で彼は答えた。

「今日は早朝から公務があったから、朝食を採りそこねてたんだ。私だって真面目に仕事してるんだぞ。本当だぞ」

 王子の言い分は否定せず、メロディは上着のポケットをさぐった。油紙でくるんだ物をルイスに差し出す。

「こんなものしかありませんけど、よろしければどうぞ」

 受け取ったルイスが包みを開くと、中には固焼きのビスケットが入っていた。

「……なぜ、こんなものを持っている?」

「おなかが空いた時のために」

「だからなぜ、持ち歩く」

「不測の事態に備えて、常に最低限の糧食は用意しておくべきだと、父が」

「そうか……さすがだな」

 おとなしくうなずいて、ルイスはビスケットをかじった。

 あっという間に平らげて、彼はひどく切なそうにする。食べ盛りの腹ぺこ少年に、ビスケット少々では到底足りなかっただろう。さらにメロディは巾着状の小袋も取り出した。

「炒り豆です。よく噛んで食べればおなかがふくれます」

「あ、ああ……」

 ルイスが物言いたげな顔をする。察してメロディは反対側のポケットに手を入れた。

「あいにく水はありませんが、この実はすっぱいですから、食べれば渇きがいやされると思います」

 小さな果実を差し出す。

「訊いていいか? 君のポケットには、あとどれだけ食べ物が詰まってるんだ?」

「これで全部です」

「そうか……いや、いい。ありがとう」

 出されたものを全部受け取り、王子はさっそく果実をかじった。とたん、きゅうと口をすぼめる。だが文句は言わずに食べ続けた。喉も相当に渇いていたのだろう。

 しばらく二人は無言だった。部屋にぽりぽりと豆を噛む音だけが響く。王子がすべてを胃袋に収めひと息ついた頃合いを見計らって、メロディは尋ねた。

「それで、何があったんですか?」

「……何から話せばいいのか……」

 ルイスの元気がなかったのは空腹だけが原因ではないのだろう。複雑そうな顔をして彼は言葉を濁した。

「君こそ、どうしてさらわれたんだ」

「わかりません。実家からの迎えが来る予定だったんですけど、それを装った者にだまされてここまで連れて来られました。偽の馭者と六名の傭兵風の男たちです。この連中は途中から姿を現しました。ここにも仲間が数名おりましたが、彼らの会話から他にも仲間がいると思われます。もしかすると、先日公園で襲ってきた曲者の一味ではないかと推測しています」

「手本のような報告だな。ああ、おそらく同一犯だろう」

「何かご存知なんですか?」

「他にどう考えられる? 私と君の両方を誘拐するなど、兄上がらみとしか思えん。個別ならば、他にいくらでも可能性はあるだろうが」

「やはり、そうなのでしょうか」

 メロディは少し視線を落とした。

「でも、それはそれでいろいろと疑問が残るんですけど」

「たしかに目的がはっきりしないが、あいつは……」

「あいつ?」

「あ、いや……」

 ルイスは気まずげに目をそらす。状況に困惑し動揺するだけでなく、どこか落ち込むようすだった。少しの沈黙の後、メロディは立ち上がった。

 ズボンについた埃をはらい、窓へ向かう。ルイスも箱から出てきた。

 窓はあっさりと開かれた。もともと牢獄でも何でもない普通の民家だ。鉄格子などもない。

 真下には平たい地面があった。少し離れたところには納屋の屋根も見える。頑張れば飛び移れそうな距離だ。

「殿下、馬には乗れますか?」

 隣へやってきて同じように下を見下ろすルイスに訊く。

「当たり前だろう。私を馬鹿にしているのか」

「馬を奪って逃げようと思います。かなりとばすことになりますが」

「……いや、まずどうやって脱出するかだ。逃げると簡単に言うが」

「このまま、ここから出ればいいと思いますけど。今なら誰もいませんし」

「ここからって、ここか!?」

 ルイスは窓を指さした。

「どうやって!? ここは二階だぞ! 飛び下りたら最低でも骨折だ、逃げるどころじゃない!」

「お静かに。階下(した)の連中に聞こえます」

 メロディはしっと口の前に指を立てた。ルイスはあわてて声をひそめる。

「梯子も階段もないのに、下りられるわけがないだろう」

「できませんか?」

「君の一族を基準に考えないでくれ。言っておくが、そちらが非常識なんだ。普通は二階から平気で飛び下りたり、何もない壁を登ったり下りたりできん」

 メロディは首をかしげて考えた。

 壁には柱や筋交いが顔を出しているから、つかまる所には不自由しないように思うのだが。たかだか二階だから、少し下りるだけで後は飛び下りられる。

 もっともそうやって下りるには、自分の体重を支えられるだけの腕力握力が必要になる。士官学校の訓練についていけなかったという王子には難しいのかもしれない。

 さきほどの縄を見やったが、下まで垂らせるほどの長さはなかった。あったとしても、縄を伝って下りるにもそれなりの力が必要だ。多分ルイスはそれも無理だと言うだろう。

 だが、窓からの脱出が不可能となると、家の中を移動して一階へ下りるしかない。下には屈強な男が十人以上もいるのだ。これを突破するというのは、もっと難しい。

「無理をする方が危険だろう。おとなしく救助を待った方がよくはないか?」

「かならず助けが来るというのなら、それもいいんですが」

今頃はセシルも兄たちも、メロディが誘拐されたことに気づいて捜索に乗り出しているだろう。王宮も王子が消えて騒ぎになっているはずだ。

 だがここを突き止められるかどうかは、わからない。

 メロディは一旦窓を閉めた。廊下へ通じる扉を確認してみれば、そこにも鍵はかかっていない。縛り上げた少女と王子が逃げ出すとは思っていないのだろう。

「ちょっと待っててください。すぐに戻ります」

 メロディは部屋にルイスを残して廊下へ滑り出た。

 足音を忍ばせ、気配をさぐりながら二階を歩き回る。廊下に並ぶ扉を開ける時には細心の注意をはらった。幸いなことに、二階には誰もいなかった。すべての部屋を調べてまわったが、はかばかしい成果は得られなかった。

 似たようながらんとした空き部屋ばかりだ。窓から見る外の景色も変わらない。

 階段近くの部屋には荷物がたくさん放り込まれていた。その中にメロディの荷物と取り上げられた剣もあるのを見つけたのが、いちばんの収穫だった。

 腰に剣を戻し部屋の中を見回す。暖炉があった。長く使われていなさそうだが、覗いてみるとちゃんと煙突の先に空が見える。メロディは懐をさぐり、暖炉に仕掛けをほどこした。

 あの連中もたいがい間抜けと言うべきか、それともよほどにメロディを見くびっていたのか。剣を取り上げただけで身体検査もしないのだからありがたい話だ。おかげでルイスに空腹をしのがせてやれたし、こうして手も打てる。

 石を打ち、息を吹きかける。細い煙が立ち昇るのを確認し、メロディはまた静かに廊下へ出た。

 階段の下は居間になっている。たむろする男たちの声が聞こえる。あまりそばに寄ると見つかってしまうから、メロディは慎重にその場を離れ、ルイスが待つ部屋へ戻った。

「ど、どうだった?」

 期待と不安の入り交じる顔で尋ねる王子に、メロディは首を振ってみせた。

「やはり、窓から出るしかなさそうです。一階へ下りる階段はひとつきりですし、そこには曲者たちがいます」

「だが、窓からといっても」

「少し向こうの部屋からだと、納屋の屋根がすぐ近くです。あそこから飛び移ればいいと思います」

「飛び移る……屋根へ!?」

「大丈夫、仮に失敗して落ちても、よほど運が悪くなければ死にません」

「いや待て! その言い方では少しも安心できん! だ、だいたい、死ななくても怪我をして動けなくなれば、結局逃げられんではないか」

「けっこうな物音がするでしょうから、気づかれるのは必至です。あとは、いかに素早く逃げるかですが」

「聞いてくれメロディ嬢!」

 ルイスは必死の形相でメロディの肩をつかんだ。

「……いいか、私は君のようには動けない。私を連れて逃げるのは無理だ」

「殿下?」

 セシルとよく似た青い瞳が、真剣な光をたたえてメロディを覗き込んでくる。

「君なら簡単に脱出できるんだろう? だから、一人で逃げてくれ。そうして、助けを呼んでくるんだ。多分それが、最善の策だ」

「…………」

「ここはカムデンの郊外だ。近くに農家がある。まずそこへ逃げ込んでかくまってもらい、城へ――いや、王都騎士団か兄上のところへ知らせてもらうんだ。いいな、近衛騎士団ではなく、かならず王都騎士団か兄上だ」

「なぜですか」

「近衛騎士団は……だめだ」

 ルイスは繰り返して、目をそらした。

 メロディは考えた。たしかに自分ひとりならば、余裕で逃げられる。かくまってもらう必要もないだろう。

 だが王国の民として、王太子を奸賊の手の内に残したまま逃げ出すのはためらわれた。これが父だったら、けして王子を残して逃げたりしないはずだ。

 父だったら――きっと、あんな連中正面から打ち負かして、堂々と外へ出るだろう。そこまでの力が自分にないのが、とても悔しい。

 なぜだかこの場面でセシルを思い出した。

 彼はどう思っているだろう。また足を引っ張るメロディに、うんざりしているだろうか。それとも自分のせいだと気にしているだろうか。

 どちらも辛かった。どうにかしてこの事態を切り抜け、彼に大丈夫だと言いたかった。

「メロディ嬢、頼む。私の言うとおりにしてくれ」

 ルイスが懸命に頼み込んでくる。メロディは悩んだ末にうなずいた。彼を残していくのは不安だが、結局それがいちばんいいのかもしれない。

 ルイスがほっとしてメロディから手を離す。では、と口を開きかけた時、メロディの耳に近づいてくる物音が聞こえた。


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