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「なーにをやっておられるかぁっ! 公爵ともあろうお方が、夜中の公園に忍び込んであげくに襲われるとはっ! あれっほど、ご注意なされと申し上げたではないか。わざわざ襲われやすい状況を作るとは、何を考えておられるかっ!」
早朝の薔薇屋敷に、甲高い怒鳴り声がキンキンと響く。
女中たちは扉の陰からおそるおそるようすをうかがい、執事は咳払いして彼女たちをたしなめつつ、自身も耳をそばだてる。
応接間の中では、屋敷の主が小柄な中年男に叱り飛ばされていた。
頭から湯気を立てそうなキンバリーに、セシルは素直に頭を下げた。
「うん……面倒をかけて、すまない」
「まったくですな! 夜中に何十もの死体を始末させられた、こちらの身にもなっていただきたい。ただでさえ忙しいというのに、余計な仕事を増やさんでいただきたいとこれは前にも申し上げましたなっ」
セシルの前に立つキンバリーは、痩せた身体をそっくり返らせながら、がみがみ言い続けていた。寝不足の頭に甲高い声が痛い。
メロディたちは壁際に下がってやり取りを見守っていた。長身の公爵が冴えない小男に叱られている光景はなんだか面白かったが、楽しんでいる場合ではない。
キンバリーはこちらにも怒鳴りつけてきた。
「ナサニエル・クライトン! 貴様は公のお目付役でもあるだろう! なぜこのような愚行をお止めしなかった。甘やかすのも大概にしろ!」
「……申し訳ありません」
昨夜、ほかでもないセシル自身が言ったのと同じことを言われてしまった。セシルは苦笑をそっと隠す。キンバリーはフンフンと鼻を鳴らした。
「まったく、少しはご身分と立場をわきまえられよ。しょうもない遊びに耽るなど、お引き立てくださった女王陛下の面目にも関わることですぞ。このような氏素性の知れぬ子供やはみ出し者を侍らせて――こちらの子供はどこかで見た顔だが」
にらまれて、メロディは首をすくめる。
「――とにかく! 軽率な真似は慎み、以後は重々用心していただきたい。あなたがお命を狙われるのは勝手ですが、その都度迷惑を被る者がいることを、お忘れなく」
「うん。すまなかった」
「ふんっ」
キンバリーは勢いよく背を向けた。肩を怒らせながら歩き出す彼を、セシルは呼び止めた。
「キンバリー殿、曲者たちの身元はわかったのかね」
じろりと嫌な目つきで、キンバリーは顔だけ振り返った。
「現在調査中です。が、あのような者どもが、身元の知れるものを身につけてはおりますまい」
「……まあ、そうだろうね」
「人種的には北方系ですな。それ以上は現段階では申し上げられません。失礼!」
足音も高くキンバリーが退出していき、一同はどっと息をついた。
隣の部屋とをつなぐ扉がそっと開かれて、金髪の少年が顔を覗かせる。
「行ったか……?」
エチエンヌが不機嫌な顔で彼をにらんだ。
「このクソ王子、てめえ一人だけ隠れやがって。誰のせいでオレらが怒られたと思ってんだ」
今朝はちゃんと男のなりをしている、ルイス王太子である。彼はひるみつつも、果敢に言い返した。
「ぶ、無礼だろう。誰に向かって言っている。口の利き方を知らんのか」
「知らねえな。知ってたって、てめえに払う礼儀なんぞねえよ。元凶のくせにこそこそ隠れてやりすごすようなくそったれが、えらそうな口利いてんじゃねえ」
口は悪くても少女めいた顔だちのエチエンヌに、強面の印象はなかった。その認識を、メロディは改めた。本気で怒るとけっこう怖い。菫色の瞳が底光りしている。
ルイスの勇気もたちまち吹き飛んだ。
「き、昨日のことなら謝ったではないか……まさか、あんな騒ぎになるとは思わなかったのだ……」
「謝られただけで気が済むか。一回シメさせろ」
「ひっ……」
「おやめ、エチ」
セシルがふたりの間に割って入った。肩に手を置かれてエチエンヌは盛大に舌打ちする。
「さ、朝食にしよう。早起きのキンバリー殿のおかげで、すっかり腹ぺこだ」
彼の言葉で、一同は食堂に移動した。
例の円卓に、ルイスとリチャードも同席した。
王太子の護衛を任されている近衛騎士は、灰色の髪をしたセシルと同年代の青年だった。彼は迷惑をかけた公爵家の人々に、しきりに謝っていた。腕は立つが王子のわがままには弱く、お忍びを止められずにいたらしい。
ふたりは昨夜、薔薇屋敷に泊まった。
彼らは馬車で来ていたが、襲撃の後、御者とリチャードだけに王子を任せるのは不安があった。一度は退いたとはいえ、また曲者が戻って来ないとも限らない。さりとて王宮まで送り届けてやるほど、メロディたちも親切になれなかった。深夜をまわっていい加減眠かったし、うろうろしてまた襲われたくもない。それで結局、空の馬車を王宮に帰らせて、王子がこちらに宿泊することを伝えさせたのだった。
キンバリーにはもちろん内緒である。知られたら、彼の怒りがどこまで増大するかわかったものではない。
昨夜のことはあくまでも、シャノン公爵家の人々による、降霊会だったということになっている。
「私はただ、従兄殿のようすを知りたかっただけなんだ……おおやけには滅多に会えないから、こっそり会いに行くしかないではないか。それも邪魔にならないように、遠くからそっと見守るだけにとどめていたんだぞ」
季節の果物、新鮮苺の真っ赤なジャムをたっぷりパンに塗りながら、ルイスはぼそぼそと言い訳した。
「わざわざ女装してねえ」
「しかたないだろう。多少変装したところで、私のこの高貴な美貌は隠せないからな。貴族たちには顔を知られまくってるんだ。やるなら、徹底的に別人になりきる必要がある。……叔母上に間違われたのは誤算だったが、別に女性化願望があるわけではないぞ。本当だぞ」
「ええ、ええ、わかってますよ。単にあなたは自己陶酔が激しいだけですよね。ちなみに、あなたの行為は一般的に変質者と呼ばれる類のものですけど、知ってました?」
王太子に向かってフェビアンはまったく容赦がない。他の面々にも白い目で見られて、ルイスはしおしおとうなだれた。
これが幽霊騒動の顛末かと、メロディは脱力する思いだった。
今年十八歳になる王子は、こうして並んでいるところを見ると、それほどセシルとそっくりでもなかった。
血縁を感じさせる部分はところどころにある。全体的な印象はたしかに似ていたが、瓜二つというところまではいかない。ふたりを一緒に見れば、違いがはっきりわかる。
ただ、青い瞳はよく似ていた。髪は淡い金髪で、これがエルシー姫にそっくりらしい。
最初に彼を幽霊と間違えた人は、三十年近い昔の記憶と重ねてしまったのだ。
どんなによく知っていた人でも、三十年も経てば面影は薄れる。そこへ同じ色の髪と瞳を持ち、似た雰囲気の人物が現れれば、本人かと思ってしまう。
そして話を聞いた人は、エルシー姫の亡霊だという先入観を持つ。見た瞬間、その人だと思い込む。
わかってみれば、気の抜ける話だった。
メロディについても同じだった。最初は誰かに似ている、という程度の印象だったのに、エルシー姫だと思った瞬間に、セシルとそっくりだったように思い込んでしまったのだ。人間の記憶なんてあてにならないという、いい例だった。
「お気にかけてくださるのはうれしいですよ。そのご好意にお応えできないのは申し訳ないと思っています」
セシルがルイスをなぐさめる。従兄の優しい言葉に、王子は白い頬を染めた。
「い、いえ、従兄殿の立場はわかっています。母上や私とあまり親密そうなところを見せびらかすわけにはいかない。くだらぬ邪推を生んで、余計なもめごとの原因にもなりかねないですから。だから当分は距離を置く必要があると、わかっています。その、幽霊騒ぎについては、まったく本意ではなく……従兄殿にご心痛を与えてしまったことは、心からお詫びいたします」
「お気になさらず。私は気にしていませんから。ただ、殿下ご自身の安全のために、あまり頻繁に王宮を抜け出さないでください。昨夜のようなこともありますからね。陛下も心配なさいます。会いたい時には連絡をくだされば、こちらからうかがいますから」
「従兄殿……あの、兄上とお呼びしてもいいですか?」
「どれだけお兄ちゃん好きですか、いい歳して」
感激に目をうるませる王子に、フェビアンが冷たく言った。
「変わってないなあ、もう。僕にもなついてたんだよねえ。さんざん苛めてやったのに」
「フェン、殿下と知り合いだったの?」
尋ねるメロディには、いつもどおりに笑ってくれる。
「士官学校時代の同期生というか、落ちこぼれ仲間というか、中退仲間というか」
「……落ちこぼれてたんだ」
「そーなのー、この人ひ弱でさー。結局訓練についていけなくて自主退学したんだよね」
「王になる者として、他に学ぶべきことがあると悟っただけだ。あとフェビアンは落ちこぼれじゃない。単に素行が悪かっただけだ」
ルイスが言い訳にもならないことを主張する。
「退学になったのだって、成金の息子だからと目の敵にされていたのが本当の原因だ。あいつらは追い出す口実をさがしていたんだ。くだらぬ話だ。血筋や家柄ばかり自慢するような連中より、彼の方がずっと優秀だったのに」
「殿下……」
メロディはあらためて王子を見つめた。
「そんなにお兄さんが欲しいんですか?」
「三人も兄がいる君にはわかるまいっ。兄妹の一番上で王太子で、私は誰にも甘えられないのだっ」
「目一杯甘えまくってるじゃねえかよ阿呆。あの兄貴どもでもうらやましいのかよ」
「……いや、あれはちょっと暑苦しい」
一瞬勢いを増したルイスも、エチエンヌのつっこみにまた大人しくなった。
なんともお馬鹿な王子だと思いつつも、嫌う気にはなれなかった。可愛らしい人だと言えなくもない。王弟チェスターのひどい態度を見た後だから、純粋にセシルを慕っているようすなのがうれしくもあった。
兄弟、親族というものは、本来こうあるべきだろうと思う。チェスターの敵意は理解できないし、実の兄が弟を殺そうとするにいたっては論外だ。セシルはもうイーズデイルの国民として暮らしていて、シュルクに戻ろうとはしていないのに。
メロディはそっとセシルをうかがった。
彼はいつも、穏やかな態度を崩さない。怒りも悲しみも見せることがない。人当たりはこのうえなくいいが、いったい何を考えているのか、見た目からはまったくうかがい知れない。
彼の本音が知りたかった。兄に対して、自分の境遇に対して、本当はどう思っているのか、教えてほしかった。
でもそんなこと、面と向かって訊くわけにはいかない。一応婚約者(予定)とはいえ、メロディはまだ出会ったばかりのそう親しくもない他人だ。無遠慮に踏み込むべきではない。
そう思うこともまた、寂しい気分がするものだった。
「どうした? 食欲がないかね?」
ぼんやりしていると、セシルが気づいて優しく尋ねてきた。メロディは我に返り、首を振った。
「いえ、大丈夫です。あの、昨夜のことですけど、あの曲者たちを差し向けたのは……」
「ん……さてね」
セシルは食べやすく切られた果物の皿を、こちらに回してきた。否定しても、食が進んでいないことには気づかれている。メロディは喉につかえるパンをあきらめて、その皿を受け取った。
「シュルクの刺客に違いないでしょう! いまいましい限りだ」
ルイスが二個目のパンにまたジャムを乗せながら、憤然と言う。
セシルは首をかしげた。
「まあ、可能性としてはそれが妥当なところなんですが……どうも、引っかかるな」
「何か気づかれたのですか」
馬鹿馬鹿しいやりとりには参加せず、黙々と食事をしていたナサニエルが、この言葉には反応した。訊かれてセシルはうーんとうなった。
「そうだね……ジン、お前はどう思った?」
話を向けられた従者は、お茶のおかわりを差し出しながら、今日の予定を告げるかのように、さらりと答えた。
「シュルクの太刀筋ではありませんでした。こちらの人が使う剣です」
「キンバリー団長も北方系の人間だって言ってたもんね。でも、雇われた刺客ってこともあるでしょ?」
フェビアンが言う。その隣でエチエンヌは、眠そうに皿をつついていた。
「暗殺業者って感じじゃなかったぜ。どっちかってえと、騎士さんの剣に近かった」
「ま、ね。でもちょっと正統派じゃないような……あ、つまり傭兵かな?」
爽やかな朝食の席に、殺伐とした会話が流れる。
あれだけの出来事の後でも、男たちは常と変わらない平然とした顔だった。ルイスも普通に食欲を発揮しているあたり、精神的にはひ弱というわけではないようだ。
「うむ。私もそのように感じました。それが何か、気になられるのですか?」
「いや、まあ、思い過ごしかも……うん、普通かな」
「閣下……あの、普通とは?」
リチャードが不可解そうに眉をひそめる。セシルは軽く笑った。
「ああ、ごめん。シュルクの刺客に関しては、なんかもう当たり前というか、その辺にいる蠍みたいなものだから」
「イーズデイルじゃその辺にいません! 虫の話はやめて、食事中に!」
フェビアンが真剣に抗議したので、セシルは笑いながら話を切り上げた。
「なんにせよ、殿下は当分王宮でおとなしくなさっていてください。昨夜みたいな怖い思いは、もうしたくないでしょう」
「でも兄上は、いつもあのような目に遭っておられるのでしょう」
「私は平気です。このとおり、心強い護衛がおりますから」
「わ、私にも何か、できることは……」
「お気持ちだけで十分ですよ。陛下やあなたがそうして気にかけてくださっているという事実が、私にはとてもありがたい」
やんわりとかわされて、ルイスは悲しげな顔になった。
王太子を巻き込むわけにはいかない。だからセシルの態度は正しい。
しかし見ていたメロディは、しょげる王子の気持ちがよく理解できた。
この人のために何かしてあげたい、助けになりたいと思うのに、その力がないのは悔しいことだ。
求めてもらえないのも、寂しいことだ。
調子を取り戻したフェビアンが、明るく言った。
「団長の言うとおりですよ。あなたに荒事は向いてないんだから、大人しく王子様の本分頑張っててください。昨夜のことだって、夜でよかったんですよ? もし昼間にあの光景見てたら、今頃その大好物が食べられなくなってたところですよ」
「……う」
ルイスは硬直して、苺ジャムがたっぷり乗ったパンを見下ろした。
ちょうど瓶からすくっていたナサニエルも、嫌そうな顔をした。
メロディも手元の皿を見下ろして、そっと苺を脇へよけた。