持参金はお返しに及びません。関税表どおりに計算いたしますので
持参金は金貨ではなく、羊毛三百俵でした。
条文どおりに計算すると、返す額のほうが増えます。全1話。
今年の並等級は、去年より少し良うございます。
刈り取りは秋でございます。刈った毛を掌で握って、放したときの戻り方で等級を分けます。戻りの早いものが上等でございます。目では見分けられません。色の白いものが良いとは限りませんので。
十年、羊毛を触ってまいりました。父がわたくしに教えたのは、それだけでございます。
この牧から三百俵を運び出しましたのは、四年前の秋でございました。わたくしの持参金でございます。
その持参金の話が出ましたのは、先月のことでございます。フェルディナント様がお出しになりました。わたくしは、関税表の頁をもう開いておりました。
この話になるのはわかっておりましたので。四年、こちらのお家がわたくしを娶らないままでいらしたのは、はじめから決められないからでございます。決められない方に、決めろと申し上げても仕方がございません。
「婚約の解消にあたって、持参金はお返しする。当然のことだ」
「ご丁寧に、ありがとうございます」
「金貨で百二十枚と伺っている。年内には」
「フェルディナント様」
「なんだ」
「持参金は、金貨ではございません」
フェルディナント様が、少し止まられました。
「……羊毛だったか」
「はい。三百俵でございます。四年前の秋に、うちの牧からこちらへ運びました。荷は十四台でございました」
あの十四台には、わたくしも付いてまいりました。峠を越えるときに荷が濡れますと等級が落ちますので、油布の掛け方を御者に指図する者が要ります。三百俵のうち、並等級が二百四十、上が四十、下が二十でございました。上と下を混ぜて積むと荷崩れのときに紛れますので、車を分けます。
峠の上で一度、風が変わりました。油布の端がめくれて、三台目の荷が半分だけ濡れました。あの三十俵は、こちらへ着いたときに下等級へ落としてございます。四年前の目録に、そう書いて出しました。書いて出したものは、あとから直せません。
わたくしは、関税表を卓の上へ滑らせました。
「婚姻法の第九条には、こうございます。持参の品を金銭に換えずに納めた場合、返還は『同じ品をもって行う』。金銭に換えて返すときは、『返還の日の相場をもって換算する』。以上でございます」
「……同じ品を、というのは」
「羊毛三百俵でございます。四年前と同じ等級のものを、三百俵でございます」
フェルディナント様は、しばらく黙っておられました。
「羊毛は、その、もう」
「はい。三百俵は四年で使い切っておられます。こちらのお家は毛織物をお出しですので、当然でございます」
わたくしは頷きました。責めているのではございません。持参金の羊毛は使うためのものでございます。使っていただいて何よりでございます。
「では、金銭で換算いたします。返還の日の相場でございます」
わたくしは、表の二枚目をお見せしました。
「四年前の秋、並等級の羊毛は一俵につき銀貨四枚でございました。三百俵で金貨百二十枚。これが百二十枚の中身でございます」
「そうだ、百二十だ」
「本日の相場は、一俵につき銀貨六枚八分でございます」
フェルディナント様の指が、表の上で止まりました。
「一・七倍でございます。南の疫病で羊が減りました。三年前の春でございます。あれから戻っておりません」
「一・七、というと」
「金貨で二百四枚でございます」
部屋の温度が下がったように感じましたが、実際には窓が開いていただけでございました。
「それから、関税でございます」
わたくしは三枚目を出しました。
「羊毛は峠を越えて運びます。関税は四年のあいだに二度上がっております。一昨年の春に一分から二分へ、去年の秋に二分から二分五厘へ。三百俵ぶんの通関で、金貨二十四枚でございます」
「……合わせると」
「二百二十八枚でございます」
フェルディナント様は、椅子の背に手をかけられました。座っていらっしゃるのに、そうなさいました。
「そんな、はずは」
「条文どおりでございます。第九条の後段でございます。『返還の日の相場をもって換算する』」
わたくしは表を揃えました。
「わたくしは、この条文を作ってはおりません。うちの家に有利になるように書かれたものでもございません。四年前に相場が下がっていれば、返還額は百二十枚を下回っておりました。実際、祖母の代にはそうなった例がございます」
◆
フェルディナント様は、何も仰いませんでした。
わたくしは、表を畳んでから申し上げました。
「持参金は、お返しに及びません」
「……なんと」
「お返しいただかなくて結構でございます、と申し上げました」
フェルディナント様が顔を上げられました。今日はじめて、まっすぐこちらをご覧になりました。
「なぜだ」
「二百二十八枚は、こちらのお家からは出ないからでございます」
わたくしは、そう申し上げました。意地悪で申し上げたのではございません。この四年、こちらのお家の毛織物の出荷高は存じております。買い付けの相手でございますので。
「出ないものを請求いたしますと、こちらのお家が畳まれます。うちは羊毛の買い手を一軒失います。峠のこちら側で、うちの並等級を年に三百俵も引き取ってくださるお家は、ほかにございません」
「……取り引きのために、許すのか」
「はい」
わたくしは頷きました。
「ただし、書面には残します」
「書面」
「免除の書面でございます。金貨二百二十八枚、返還を免除。日付と、両家の署名でございます」
わたくしは、もう一枚を卓に置きました。すでに書いてございます。四年、この日のために少しずつ書き足してまいりました。
「なぜ、そんなものを」
「次にどなたかとご縁談をお進めになるとき、あちらのお家が必ずお調べになります。そのときに、この一枚が出てまいります」
わたくしは羽根ペンをお渡しいたしました。
「わたくしが何かを申し上げる必要はございません。読めばわかるように書いてございますので」
フェルディナント様は、ずいぶん長いあいだ、その紙をご覧になっておりました。
書いてあるのは五行でございます。日付、金額、免除する旨、両家の名。それだけでございます。恨みごとは一行もございません。恨みごとを書きますと、読んだ方が「もめ事だ」と受け取ります。もめ事は、どちらが悪いかわからないものとして扱われます。数字だけを書けば、数字として扱われます。
やがて署名をなさいました。字が少し震えておりましたが、読める字でございました。
◆
羊毛は返ってまいりませんでした。
けれど、羊毛の等級を指で見分ける腕は、こちらへ来る前からわたくしのものでございます。持って出るも持って入るもございません。四年前に運び出せたのは俵だけで、掌のほうは、はじめから運びようがなかったのでございます。
「返さなくていい」がいちばん重い、という形にしたかったのです。
お読みいただけて、うれしく思います。
この「霜月りつ」名義では、声を荒げずに、記録だけで答える人たちの話を書いております。どれも一話で終わります。
・十年ぶんの働きを見積書にした話 『真実の愛に賛成いたします。こちらが十年分の見積書でございます』
https://ncode.syosetu.com/n3188mo/
・言い訳の日付を通行簿で確かめた話 『「急な仕事」と仰った日、街道は雪で閉じておりました』
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・断罪の場で三年ぶんの議事録を読み上げた話 『断罪の前に、議事録を三年分だけ読み上げてもよろしいですか』
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・三年ぶんの炭の数で答えた話 『わたくしが何もしていないと仰るなら、この屋敷の炭は誰が数えたのでしょう』
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・呼ばれ方が変わった日を数えていた話 『あなたがわたくしを「おい」と呼び始めた日を、全部書き留めております』
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・「すぐ駆けつけた」を旅程表で検算した話 『「駆けつけた」と仰いますが、王都からここまでは馬で二日でございます』
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・診断書に書かれていない一行を読んだ話 『妹君の診断書に、安静を要すとはどこにも書かれておりません』
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