◆第6.5話(閑話)魔王様は心配性
魔帝城の夜は静かだ。
静寂の中――廊下の向こうの物音ひとつで、玉座の間にいる男の耳がぴくりと動く。
城内の全てに一番早く反応するのは、
城の主――魔王グレゴールだった。
「……報告はまだか」
玉座に座ったまま、腕を組み、眉間に皺。
威厳ではない。完全に心配の皺だ。
今日は我が娘――
ミナトが、お茶会をしていた。
アリア、リーン、護衛のテオ。
危険はない。警備も万全。万全だと使用人からの連絡は受けている。
それでも。
「茶会が終わったら、
湯は冷めぬうちに入らせろ!
夜更かしは禁じる。
寝具は二重。毛布は三重!!
それと、寝る前に白湯……いや、温い蜂蜜湯を――」
グレゴールが傍に控えている侍女に命じていると
控えめなノックの後、扉が開く。
「陛下」
入ってきたのはアリアだった。
艶のある笑みを浮かべ、羽織を適当に肩にかけたまま、
遠慮なく玉座の間の中央に立つと、優雅に一礼してみせる。
「ご報告に参りました」
「来たか! よし、状況を――いや待て。
娘は笑っていたか?
無理をしていないか?
甘味を摂りすぎて腹は――」
「落ち着いてください、陛下。
まず結論から」
アリアは丁寧に一礼して、淡々と告げる。
「本日のミナト様は、
よく笑っておいででした。
緊張は残っていますが、今日のお茶会は“良い意味で”疲れたご様子です」
「よし!!」
玉座の間に、謎の勝利宣言が響いた。
アリアが眉を上げると、グレゴールは咳払いを一つして威厳を取り繕う。
「……うむ。良い。
笑えたのなら、今日は合格だ」
「……ありがとうございます。」
アリアが目を細めて微笑む、
“魔王陛下のいつもの親ばか、今日もちゃんと出てるわぁ~”等とは絶対に口にしないという顔だ。
その瞬間――
天井付近からひゅいっと光が降ってきた。
「ボクもいるよー!」
リーンだ。
顔に「爆弾発言を言いにきました」と書いてあるような笑顔である。
「リーン。余計なことは言うな」
「余計ってなにー?」
「娘が恥ずかしがるような話だ」
リーンはにやぁ、とした。
「じゃあ、クリームの話はだめ?」
「クリーム?」
「アリアがミナトちゃんの口元のクリームを――」
「リーン」
グレゴールの声が、玉座の間の温度を二度下げた。
「それ以上言ったら、明日から甘味抜きだ」
「ひどい! ボクが何したって言うの!」
「余計なことを言いかけた」
「正直なだけなのに!」
アリアが上品に咳払いをして、話を元へ戻す。
「陛下。お茶会の内容ですが――
ミナト様は甘味を気に入っておられました。紅茶も問題なく。
リーンは相変わらず賑やかで、場が明るく保たれました」
「よし!リーン、よくやった!!」
「えへへ!」
褒めるの早い。手のひら返しも早い。
「そして、テオですが」
アリアがそこまで言うと、グレゴールの目がわずかに細くなる。
「……テオがどうした」
「“騎士団長らしく”真面目でした。」
「……真面目なのは良いことだ」
「褒めてます?」
「褒めている。だが――」
グレゴールが一拍置いて、謎に真剣な顔になる。
「だが、娘に優しいのも……真面目ゆえ、だな?」
「ええ、もちろんです。陛下」
アリアはさらりと言うが、言葉の端に“面白がってる”が混ざっている。
リーンがすかさず追撃した。
「ミナトちゃん、耳がちょっと赤かったよ!」
「……赤い?」
「うん!アリアがからかったら!」
「アリア」
グレゴールの視線が刺さる。黒い闇が背後からぶわっと吹き出す。
絶対零度を思わせる低く響く声に広間の空気が震える。
「娘をからかったのか」
アリアは手に持っていた扇子を広げると、涼しい顔で微笑んだ。
「いえ、陛下。
“空気を柔らかくした”だけでございます」
「……ふむ。よし。許す。
だが度を越えるな。娘は繊細だ。繊細で可憐で……」
「急に詩人になりましたね、陛下」
「娘のことになると、言葉が増えるのだ」
グレゴールが得意げに胸を張る。
次の瞬間、リーンは思い出したように手を叩いた。
「陛下、今すぐミナトちゃんの寝顔見に行く?」
「行かぬ」
即答。
「嘘だー!」
「行かぬ!!」
「じゃあ変装して行こうよ! 黒マントでこそこそ!」
「それは不審者だ」
「陛下。今夜“会いに行く”のは逆効果です。
明日の朝食で自然に会うのが一番です。
ミナト様の安心にもなります。」
アリアが冷静に言い切る。
「……分かっている」
分かっているのに、顔が不満そうだ。
玉座の間の空気が、親ばかの圧でむずむずする。
「……では、明日だ。明日の朝食は一緒に――」
グレゴールが言いかけた瞬間、リーンがピンと指を立てた。
「明日は訓練場に行くよ!そのあとご褒美のお菓子食べるんだ!」
「訓練のあとに甘味……合理的だな」
「でしょ〜?」
「だが、菓子は……二種類までだ」
「ええ〜少ない〜!」
口を尖らせるリーンの横で、
アリアが真面目な顔に戻る。
「陛下。もう一点だけ。
ミナト様の魔力ですが――今日は“日常に馴染む形”で落ち着いていました。
つまり、良い方向です」
「……うむ」
グレゴールの声が少しだけ柔らかくなる。
「娘の日常が、娘を守る……か」
リーンがぶんぶん頷いた。
「だから陛下、心配しすぎると“心配の形”になっちゃうよ!」
「……難しいことを言う」
「妖精、賢いでしょ!」
「賢い。だが余計なことは言うな」
「それはまだ言う!」
リーンと魔王がじゃれあう横で
アリアが最後に礼をする。
「以上、ご報告でした。
陛下もどうか今夜は――“普通の父”として、お休みくださいませ」
「言われるまでもない。
――アリア、明日の朝食をお前に任せる。」
「かしこまりました、陛下」
言い残して、アリアが去る。
リーンも「じゃ、見張りに戻るねー!」とひらひら飛んでいった。
静けさが戻る。
だが今夜の静けさは、どこか温かい。
グレゴールは玉座の肘掛けをぎゅっと握り、誰にも聞こえない声で言った。
「……明日も、ちゃんと笑っておれ。我が娘よ」
そして――その“明日”が何度も積み重なって、城の暮らしが少しずつ「当たり前」になっていくといい。
グレゴールは、未だ日本にいる妻の面影を探し、静かに目を閉じた――
◇◇◇
翌朝。
皇族用の食堂は、朝の光がまっすぐ差し込んで、穏やかな空気が漂っていた。
……漂っていたはずだった。
「――よし。自然に。普通に。平常心で」
魔王グレゴールは、食卓の最奥に座り、
組んだ両手に力を込めて呟いていた。
呟くごとに威圧的な闇が漂い、
使用人達に緊張が走る。
(娘はまだ来ていない。よし。ここで待つ。普通の父親は待つ。待つのだ)
テーブルにはすでに朝食が並び始めている。
焼き立てのパン、果実のジャム、温かいスープ、香草の香る卵料理。
そして、なぜか小さな焼き菓子の籠が添えられていた。
(……昨夜の報告会の影響か。いや、私は指示していない。していないはずだ)
グレゴールが焼き菓子籠を凝視していると、扉がノックされた。
「入れ。」
グレゴールの合図で近くの使用人が扉を開ける。
アリアは慣れた様子で気怠げに髪をかきあげながら笑顔で入ってくる。
「おはようございます、陛下。……随分お早いですね」
「早くない。普通だ」
「普通の定義を後で伺いますね」
「伺うな」
さらに――もう一つ、控えめな足音。
扉横から現れたのは、騎士団長テオバルトだ。
いつも通り無駄がない所作で一礼する。
「陛下。皇女殿下の護衛として、同席いたします」
「あぁ。かまわん。」
テオは胸に手を当て頷くとミナトの席の後ろ、少し斜め――食卓の会話に入らずとも、しかし一歩で届く距離に立った。
アリアが並べられた朝食を眺める。
「焼き菓子まで出てますね。陛下がご指示を?」
「お前ではないのか。……いや、我ではないが」
グレゴールは咳払いをして、話を逸らす。
「娘の栄養は重要だ。朝は甘味も必要だろう」
アリアは穏やかに頷く。
「ええ。甘味は正義です、陛下」
グレゴールが満足げに頷いた、その瞬間――
「ボクもいるよー!」
リーンがふわっと飛び込んできた。
「リーン、食堂で飛ぶな」
「えー? 座る!」
リーンはあっさりテーブルの端にちょこんと座った。
お行儀がいいのか悪いのか分からない。
「ミナトちゃん、まだかなぁ~」
リーンが足をぶらぶらさせた瞬間――扉が開く。
「おはよう……」
ミナトが入ってきた。
髪は整えられているけれど、どこかふわっとしていて、眠たげな目が朝の光を反射している。
朝用の服に身を包んだその姿は、昨日より少しだけ“皇女”らしい。
「ミナト様、おはようございます」
テオが即座に言う。
声は静かだが、その反応速度は魔帝国の主すらも凌いだ。
ミナトは軽く手を振った。
「おはよ、テオ」
(……可愛い)
グレゴールの心の声が響く。
響いたが――口に出るのは別のものだった。
「おはよう我が娘! 昨夜は――」
(寝たか? 寒くなかったか? 毛布は足りたか? 悪い夢は――)
頭の中の質問が一斉に行進して喉元で渋滞し、口から出た言葉は――
「――し、しっかり噛んで食べろ」
「え?」
ミナトがきょとんとした。
リーンが噴き出し、アリアは紅茶に口をつけたまま肩を震わせた。
そして、まさかの追撃。
テオが真顔で頷く。
「はい。咀嚼は大切です。消化にも良く、体力維持にも繋がります」
「テオまで!?」
ミナトが思わず振り返ると、テオは「護衛としての正論」顔のまま一ミリも揺れない。
グレゴールは満足そうに頷いた。
ミナトが席に着くと、テオがさりげなくスープ皿に視線を落とす。
そして、誰にも気づかれないくらい自然に――皿の湯気の具合を見て、そっと距離を調整する。
「熱すぎる場合は、お申し付けください。冷ます手配をいたします」
「いや、スープは自分で冷ますよ……?」
「承知しました。では“熱すぎないか”だけ、私が確認します」
「確認って何!?」
アリアが優雅にナプキンを整えながら言う。
「騎士団長殿、あなた……陛下の育児と同じ方向を向いてますね」
グレゴールが即座に言う。
「当然だ。娘は大事だ」
テオも即座に言う。
「当然です。ミナト様は大切なお方です」
「わぁ、被った…」
ミナトが複雑な顔をしている横で
リーンがケラケラ笑う。
「わー!陛下とテオ、同じこと言った!親子みたい!」
「親子ではない」
「親子ではありません」
二人が同時に否定した。
「同時に否定したのも同じ!」
リーンがさらに笑う。
アリアは「平和ねぇ」と目で言っている。
ミナトは諦めたように息を吐くとパンを手に取り、ちぎって口に運ぶ。
「…ん…うま」
その一言で、場の空気がふっと緩む。
「ね! おいしいよね!」
リーンが頷き、ミナトが笑い返す。
グレゴールはその笑顔に、静かに胸が満たされるのを感じた。
(……よし。今日も笑っている)
そこで、グレゴールは“普通の父親”として二度目の挑戦をする。
「……昨夜は、よく眠れたか?」
ミナトが少しだけ目を丸くして、頷いた。
「うん。……ちょっと考えごとはしたけど、寝れたよ」
「そうか」
グレゴールが内心で拍手しそうになった、
その瞬間――テオが一歩だけ前へ。
「ミナト様。考えごとで睡眠が浅くなっていないか、念のため後ほど体調も確認いたします」
真剣なテオの顔にミナトが慌てた様子でパンを飲み込む。
「ちょ、テオ、それはさすがに過保護だろ……」
「護衛ですので」
グレゴールが腕を組み直す。
「……護衛は過保護でよい。父も過保護でよい」
アリアがにこやかに刺す。
「陛下、過保護が二人いるとミナト様が“噛む回数”だけ増えそうですね」
「増えたら健康だ。」
「健康は最強です。」
テオまで同意した。
ミナトがこらえきれずに笑う。
「父さんとテオ……しっかり噛むの好きすぎじゃない?」
グレゴールはむっとしながらも、最後には小さく頷いた。
「……好きなのではない。
ただ、娘に長生きしてほしいだけだ」
テオも、同じ熱量で言う。
「私も同意します。ミナト様には、末永く健やかにお過ごしいただきたい」
ミナトの笑いがふっと柔らかくなる。
「……うん。ありがと」
その返事に、グレゴールは今度こそ“普通の父親”らしく、静かに紅茶をひと口飲んだ。
テオも同じタイミングで、音もなく息を整える。
――そしてこの、何でもない朝食が、少しずつ「当たり前」になっていくのだった。




