◆第42話 焚き火に落ちる真実
日が完全に落ちる前に、野営地は形になった。
(相変わらずテントの設営が爆速なのすげぇな……)
焚き火がぱちぱちと鳴く。
その輪の外では、随行の騎士たちが手慣れた動きで馬の世話と見張りの配置を回している。
ノクスが低く鼻を鳴らし、少し離れた場所でルーチェが首を振ってたてがみを揺らしていた。
そして焚き火の輪には、俺を始め、
テオ、アリア、ホーク、セシル、そしてロウガンが座っている。
「リーンちゃん……」
「ミナトちゃん、なーに? ……って痛ぁ!!!」
俺は無表情で、膝の上でゴロゴロしている妖精の羽をつまみあげる。
「この、重ーい空気の中でくつろぐな!!」
「えぇー!? ボクが悪いのぉ!?」
背中をさすりながら涙目のリーンが頬を膨らませる。
ついさっきまで異形の群れと戦っていたのだ。核持ちも二体倒した。
昼の話だ。まだ戦闘の余韻が残っている。
わかってる。わかっちゃいたけど……空気が重い!!
俺は八つ当たりのように無表情のまま、リーンの膨らんだ頬を両手で潰す。
「いひゃいよ、ミナトひゃん~~」
「ははっ……よく見たら、確かにお嬢ちゃんは“リサ”じゃ無いな」
俺とリーンの様子を見ていたロウガンが吹き出す。
盾を横に置き、手袋を外した。指は太く、古傷が多い。幾度と戦ってきた男の手だ。
「そう。俺は“リサ”じゃない。 “ミナト”だ。
一ノ瀬……じゃなかった。ミナト・グリーグ・ランバルディア」
親子とはいえ、何度も間違われるのは嫌だ。自然と俺の眉が寄りしかめっ面になる。
それに……この世界で母さんと間違われるということは、聖女だと思われるのと同じだ。
(……俺は、聖女じゃない)
つやつやの黒い髪、虹色の瞳。外見情報は間違いなく聖女なんだろう。
それでも俺は、真っ向からロウガンを見返した。
ロウガンは気まずそうに、がしがしと頭を掻く。
「昼間は間違えた。すまん」
「別にいいよ。……びっくりしたけど」
言いながら、胸の奥がひりっとする。
“リサ?”という呼びかけは、間違いだったけど、間違いだけで済ませられない痛さもあった。
重くなりがちな空気を払うように、ホークが肩をすくめる。
「まぁまぁ。 ここは自己紹介からじゃないですか?」
軽い口調。セシルがコクコクと頷く。どこか期待の眼差しだ。
ロウガンが両手を組んで座り直した。火の光に、くたびれた顔が少しだけ若返る。
「そうだな……改めて名乗ろう。ロウガン・ヘイスだ。 ……今は大陸ギルドの職員ってことになってる」
「あの! 聖女リサ様と共に戦ったロウガン様、ですよね……!」
セシルが小さく身を乗り出す。
物語にもなっている英雄を目の前にして、彼女の目の奥が熱を帯びるのが分かる。
瞳のキラキラが零れて落ちそうなくらい。
「昔の話だ。今はしがないおっさんだよ」
ロウガンはセシルの視線を眩しそうに逸らして、喉でクッと笑った。
アリアが足を組むと自分の膝の上で頬杖をついた。挑戦的に厚い唇がニヤリと弧を描く。
「そんな英雄サマが、どうしてこの調査隊に……“政治”に関わることにしたのか、聞きたいわね?」
「俺が今回の調査隊に加わる理由は……シグの奴から聞いてるだろう?」
「ふぅん……?」
アリアの探るような目を器用に避けたロウガンが、降参といわんばかりに両手を上げる。
「シグからは、ロウガン様は異形のエキスパートと聞きました! 私、聖女列伝の……」
アリアの代わりにセシルが身を乗り出す。
頬を赤くして勢いづくセシル。きらきらが倍増している。
隣に座るホークが苦笑いしながら両手で制した。
「セシル様、セシル様。 ちょっと落ち着きましょう」
セシルはハッと口を押えて、耳まで真っ赤になりながら小さくなった。
うーん。かわいらしい。俺はひとりで“うんうん”と頷いた。
ロウガンは焚き火を見る。
でも炎じゃなくて、炎の向こうにある過去を見ているみたいに遠い視線だ。
「ま、ルーメンティアまで浸透している例の噂を確かめたかったのも事実だ」
“隠しても仕方ない”と、肩をすくめたロウガンの視線が俺に落ちる。
痛いわけじゃない。けど、重い。
リーンが俺の膝の上で寝っ転がり、頬杖をつきながら器用に首を傾げた。
「例の噂って、ミナトちゃんが魔帝国に“拉致された聖女”なんじゃないかーってやつ?」
「ちょっ……リーンちゃん!!」
いきなり落とされた爆弾に皆の目がリーンに集まる。
そして、リーンが乗っかってる身体の持ち主である俺にも自然と集まる。
ロウガンが「ふっ」と息だけで笑うと目を細めた。
「妖精は昔も今も、正直だな」
リーンちゃんはむっとして、羽をふるるっと震わせる。
「でも、ミナトちゃんは聖女じゃないよ。グリーグの皇女だもん!」
その言い方が、珍しく強い。
俺の胸の奥が、かすかに熱くなった。
「ああ、そうだな。 おじさんの早とちりだったって、すぐにわかったさ」
セシルが組んだ両手にグッと力を入れるのがわかった。
言いたいことを我慢している顔だ。察したホークがセシルの膝に手を置く。
テオとアリアが、俺を挟んで一瞬だけ目を合わせた。
言葉はない。でも「ここまで」「ここから」が通じ合った顔だ。
それからテオが俺にそっと視線を向ける。俺は小さく頷いた。
火に照らされて、テオのアッシュグレーの髪に影が落ちる。
少しの溜息と共にテオは顔を上げると両手を組んで、皆を見渡す。
「ロウガン殿。リーンの言うことは半分、正しいです。ミナト様がグリーグの正統な皇女であるのは事実です」
そこで一拍。
テオの声が、いつもより丁寧に落ちた。
「そして……ミナト様は、聖女リサ様の血を引いておられます」
「えっ……では、ミナトさんは……!」
セシルが思わず声を漏らして、両手を組み直す。
祈りの形なのに、揺れが見えた。
ホークが動揺を隠すように、口元を片手で隠す。
「王国の記録でも、教会の記録でも……聖女リサは異形との戦いで行方不明になってる。まさか、そんな……」
ロウガンの眉が動いた。喉が鳴る音がした。
「……リサは、生きているのか?」
俺は答える前に、テオのマントの裾を掴んでいた。
自分でも驚くくらい、反射だった。
アリアが、俺の代わりに口を開く。口元はいつも通り上品に笑ってるのに、声はやけに柔らかい。
「生きてるわ。ロウガン。ここは、嘘をつく場じゃないもの」
俺も小さく頷く。
それだけで、ロウガンの顔が崩れそうになる。崩れないように耐える顔が、逆に苦しい。
火の光が、男の目の奥を滲ませた。
「……よかった」
短い一言なのに、ずっと胸に刺さってた棘が抜けるみたいな声だった。
リーンが羽を広げて俺の膝に座り直す。小さい体で俺の壁になるみたいに。
「噂って自分勝手だよね。 ミナトちゃんは“教会が召喚した聖女”じゃない。
グレゴールが必死に、自力で召喚して取り戻した“リサとの娘”なのに!」
瞬間、アリアとテオの視線が交差する。
ホークが片方だけ眉を上げた。セシルが蒼白な顔で両手を握る。
ロウガンが、両手を組んだまま身を乗り出した。目が鋭い。
「どういうことだ? リサは、魔帝国にいないのか?」
アリアは赤紫の髪をかきあげながら、溜息をついた。
「リーン。言葉に気を付けなさい」
テオが、蒼白な顔のセシルをちらりと横目にみて小さく首を振る。
「リサ様は、魔帝国でちょうどミナト様を身籠った頃、元の世界へ送還されました」
“誰が送還したのか”を誰も口にしなかった。
焚き火がぱちぱち鳴く。
炎の明るさの外側に、俺たちの影が大きく揺れていた。
俺は大きく息を吸って、焚き火の音を一拍数えてから口を開いた。
「その、だから俺……この世界の出身じゃないんだ。ここじゃない“別の世界”から来た」
ロウガンが動きを止める。
ホークは黙って聞き、セシルは祈るみたいに手を組んだ。
「最初は訳わかんなくてさ。母さんと離れちゃったし。帰りたいってよく思ってたけど。
でも……俺は今、俺の意思でここにいる。誰かに鎖で引かれてるわけじゃない」
セシルの肩が、ほんの少し下がった。
揺れた信仰が、いったん地面に着地する音がした気がした。
俺の膝の上でリーンが得意げに腕を組む。淡緑の瞳がきらりと光る。
……あ、いやな予感。
「うんうん、そうだね! ミナトちゃんは、今むしろ魔帝国の番犬の鎖を“引いてる方”だよね!」
魔帝国の番犬……
まさか、魔帝国の人狼族の血を引く騎士団長のことか……!?
全員の視線が一気にテオに集まる。
当のテオは目を伏せたまま、否定もしない。
何食わぬ顔で焚火の炭を整えた。
俺は反射で叫ぶ。焚火に照らされるよりも顔が赤い自覚があった。
「俺はテオの鎖なんて引いてない!」
「ボク、テオとは言ってないのに~~」
「言ったのと変わんねぇだろ!!」
ロウガンが“ぶはっ”と吹き出して笑った。ホークやセシルも肩を震わせる。
アリアに至っては容赦なく腹を抱えていた。
眉を吊り上げた俺がリーンを捕まえようと膝の上に手を伸ばすと
リーンは、笑いながらひらりと避けて火の上へ浮かんだ。
小さな手を広げて、光を散らす。眩しくない、柔らかい光だ。夜の影だけが薄くなる。
「ボクね、いっぱい見てきたんだ。良いことも、悪いことも」
リーンの声が少し落ち着く。みんなに聞かせているようで、俺に向けた声だった。
「グレゴールは、リサのことを大事にしてたよ。奪ったんじゃない。閉じ込めたんでもない。……ちゃんと、二人で選んで、結ばれてた」
セシルが言葉を失い、ホークが眉を上げる。
ロウガンだけが、目を見開いたまま固まっていた。
リーンがにこっと笑って、明るさをほんの少し戻す。
「いや~。ミナトちゃんがグレゴールの闇属性を色濃く受け継いでてよかったよね!
じゃなかったら召喚できなかったんだから!」
俺は目をぱちくりさせて、召喚された日のことを思い出す。
そういえば父さんが、母さんも喚んだのに、魔王の血を引く俺だけが喚ばれたって言ってた……気がする。
――あぶね。俺、そんな細かい設定忘れかけてたわ。
皇女モードで焦りを隠し、スンとなる俺。
テオが俺の内心を見透かしたように、ふっと笑うと静かに補足する。
「ただミナト様は、光属性も同じくらい色濃く受け継いでいます。
――この光属性は、リサ様と同じものです」
セシルが息を呑み、胸元の聖印をきゅっと握る。
ロウガンの眉が動き、ホークは感情の読めない表情のまま頷いた。
アリアが腕を組むと、ちらっと俺を見る。
「ミナトちゃんの光と闇の両属性体質。まだ分析中なんだけど……異形の“核の位置”を直感的に捉えるの。
解析した感じでは、見えるっていうか……分かるって感じよね?」
「……うん。俺も原理はわからない。でも、さっきみたいに……“そこだ”って感覚が来る」
俺は胸の奥の感覚を思い出すように胸元のネックレスを握った。
その様子にホークが目を細める。
「だから、あの指示の精度か。
信じてなかったわけじゃないけど、核の位置がわかるっていうのは中々……魅力的ですね」
「私たちが核持ちと相対する時は、探りながらになりますからね」
テオが頷く。
焚き火の鳴る音だけが辺りに響いた。
ロウガンはしばらく黙っていた。
それから焚き火に向けて、笑ったのか苦い顔をしたのか分からない表情で息を吐く。
「……俺は、ずっと思ってた。リサが消えたのは、俺たちが間に合わなかったせいだって」
拳がぎゅっと握られる。
盾を握る手と同じだ。強いのに、悔しさが滲む。
「でも……生きてるなら、それでいい」
俺は頷いた。
「生きてる。俺の世界で、ちゃんと」
ロウガンの喉が上下する。
肩が少しだけ落ちた。重さが抜けた音がした。
――その時だった。
「……あっ」
少し離れた場所から、トニーの声。
次いで、鍋が「ぼふっ」と嫌な音を立てた。
「す、すみません! えっと、これは……」
ファビオが覗き込み、無言で蓋を閉めた。
遅い。遅いけど優しい。
ホークが立ち上がり、火の輪の空気をわざと乱すように口角を上げると肩をすくめる。
「よし、飯にしましょう。重い話は腹が減ってると胃にきます」
「ホーク……」
セシルが呆れた声を出す。ホークはわざとらしく考え込むように視線を宙に浮かせた。
「同じ釜の飯をなんとか……って、ことわざがありませんでしたっけ?」
ふわっとした知識に、なんともいえない沈黙が降りる。
でもその一言で、場が息を吸えるようになった気がした。
◇◇◇
結局、鍋は作り直しになった。
テオが淡々と指示を出し、アリアが容赦なく手際を奪い、セシルが真面目に野菜を揃える。
俺はというと、台所経験が浅いから皿を並べる係になった。悔しい。
焚火の輪でもテオの隣だった俺は、夕飯の時もテオの隣に座っていた。
選んだつもりはない。完全に無意識だ。
なのに、リーンがすかさず指差す。
「あー! ミナトちゃん、またテオの隣! 刷り込みされたヒヨコになってる!」
「偶然!」
「偶然が三回続いたら、それは運命!」
「適当言うな!」
アリアがにやにやしながら言った。俺の胸元のネックレスを指差す。
「ミナトちゃん、テオと相性いいもんね~」
「それは、俺の意思じゃねぇ!」
ホークがスープを口に運びながら、口元だけで笑う。
「ミナト様、テオさんがいると落ち着きますか?」
「それはっ……まぁ、落ち着く、かも」
ポロっと。つい。うっかり。俺は言ってしまった。
隣のテオがスープを飲み損なって咳き込む。
「けほっ……ミナト様。食事中です」
「何だよその注意」
「……事実です」
事実で殴るな。
でも、テオの耳が少しだけ赤い気がして、俺の胸が勝手に温まる。
セシルが小さく笑って、スプーンを握り直した。
「……ヒヨコって可愛いですよね」
「セシルまで……!」
「えっ、あ、ごめんなさい! でも、そう思います」
セシルの笑いが弾ける。
ロウガンはスープをすすりながら、ぼそっと言う。
「……まあ、いいじゃねぇか。巣は必要だ」
「巣って言うな!」
「ヒヨコには必要だろ」
「誰がヒヨコだ!」
リーンが勝ち誇った顔で、火の上をくるんと回った。
◇◇◇
夜が深くなる。
見張りが交代し、焚き火が小さくなり、会話も少しずつ静かになっていく。
寝床に向かう時、俺はまた無自覚にテオに寄っていた。
気づいたら近いんだから、もう俺にはどうしようもない。
テントが見渡せる木立に寄りかかって座っていたテオの隣に座る。
俺に気づいたテオが口端をちょっとだけ上げた気がした。
落ち着いた、低い声が俺の耳に届く。
「ミナト様。……寒くないですか」
「寒くは……ある」
「こちらへ」
テオがマントを広げる。
俺は一拍迷って、のそのそとその影に潜り込んだ。
至極真っ当な理由だ。そう、だって寒いんだから仕方ない。
背中が、ふっと何かに触れる。
胸板。呼吸。テオの体温。匂いが近い。熱が近い。
「……あったか」
言ってから、言っちゃったことに気づいて黙る。
テオは返事をしない。しないまま、マントの端を指先で押さえて風上を塞いだ。
リーンが遠くで「ぴよぴよ!」と小声で言って、テオに睨まれた。
懲りない妖精は、にやにやした顔のまま黙ってアリア達の方へ飛んでいく。
静かになったところで、テオがぽつりと口を開いた。
「ミナト様。今日のお話……重かったでしょう」
「重かったけど、言えてよかったよ」
「……帰りたいお気持ちは」
テオの言葉が、飲み込んだみたいに途切れる。
ほんの少しだけ慎重な声だ。
俺はテオを振り返った。珍しく顔に出てる。俺の気持ちを確かめたいって顔に出てる。
今の俺の答えは決まっているけど、俺に言わせたいって顔。
「帰りたい気持ちは、あるよ」
テオの肩が、ほっと緩む。
安心してるのが分かって、俺はちょっと意地悪したくなった。
「でも今は、それより……俺のやりたいことをやる方が優先だ」
テオが息を止める。
真意を探るような視線に、俺はちょっと勝った気分になった。
「守りたいものがある。……父さんや母さんのことも。ロウガンのことも。セシルの迷いも。あと」
言いかけて、照れて止まる。
「……あと?」
テオが促す。テオの髪が、俺の耳元を掠めた。近い。
思ったより近くで聞こえた声に、俺は一瞬ふるっと震える。
そのせいで勢いを完全に失ってしまう。
俺はゴクッと喉を鳴らしてから、マントの端を握って、言った。
「テ……この隊のことも」
テオの目が、ほんの一瞬だけ揺れた。
護衛の顔のまま、でも人の温度が混ざる。
「……承知しました」
その返事が、いつもより少し柔らかい。
「ミナト様が“選ぶ”なら、私は支えられます」
「……うん」
俺は小さく頷く。
温かさで、段々と眠気が落ちてくる。
焚き火が小さく鳴り、葉が揺れ、見張りの足音が遠ざかる。
テオの温度が、背中にある。
俺が寄りかからない限りは触れないのに、近い。触れないから、安心できる近さ。
交易都市ヴァルモントはもう近い。
旅は、どんどん境界の村に、異形たちに近づいていく。
でも今夜は、火があって、光があって、仲間がいる。
だから――眠れる。




