◆第41話 街道沿いの影②
緊張感で、俺の背筋に冷や汗が落ちる。
さっきまで“それ”がいた場所は、地面がぬるく濡れている。
スライムみたいに潰れた残骸は、すでに形をやめて、街道の土と同じ色に寄っていった。
「……一体目は落ちたが、油断するな」
テオの声が随行騎士達に低く落ちる。
呼吸ひとつ乱していないのが逆に怖い。俺は馬車の縁に指をかけたまま、ゴクッと喉を鳴らした。
いる。
まだいる。
“核”の気配が、薄くならない。
「リーン」
テオが前を向いたまま短く呼ぶ。
リーンが振り返り、俺の肩からシュッとテオの肩へ移動した。
「今は、あの木の根元の奴に全部吸収されたけど、まだ呼ばれてる。
小さいぐちゃぐちゃの気配、また濃くなってきてるよ」
「了解しました」
テオが一拍で理解して、声を張る。
「オーク、左を固めろ。アッシュ、隊列を崩すな。ホーク、右の茂みだ」
「はい、団長!」
「承知しました」
アッシュ達の声に続き、ホークが軽く手を上げる。
「了解、テオさん」
ホークが位置を変えながら、トニーとファビオにも指示を出す。
その時、ぞわり、と空気が揺れた。
空間に穴みたいな、黒い歪みが見える。
そこから、ぬるい粘液が滴るみたいに、何かが滲み出てくるのが分かった。
「動いた!」
俺が叫ぶより早く、ホークが踏み込む。
剣が閃く。風を切る音は乾いてるのに、当たった手応えの音が不快すぎて、胃の奥がきゅっと縮んだ。
二体目の核持ちもスライム型……だけど、こっちもやっぱり、ただのスライムじゃない。
斬っても斬っても、“中心”が逃げる。
切り口が勝手に癒合して、笑ってるみたいに膨らんだ。
「……ちっ」
ホークが顔をしかめて舌打ちすると、本体から距離を取る。
馬車に伸びる粘液を叩き落としたテオがホークに声をかけた。
「ホーク、深追いはしないでください。核の位置を――」
「了解、確認が必要ですね。ミナト様、こいつの核、どこら辺かわかります?」
テオの言葉を引き取ったホークが汗ごと前髪をかきあげて俺を振り返る。
呼吸が乱れないテオもだけど、ホークも軽快な声音と口端の笑みを見る限り、まだ余裕がありそうだ。
(俺も、役に立たないと……!)
俺は俺で、気合を入れるために両頬をペチッと叩く。
気配だけを頼りに自分の感覚を言葉にした。
「……右肩の内側。……いや、今、動いた。腹の奥――二歩、後ろ!」
「上出来!」
ホークの返事は短い。そのまま踏み込む。
核持ちが、ぶわっと膨らむ。
狙われたのはホークじゃない。
後ろの、馬車――つまり、セシルとアリアがいる位置だ。
「きゃっ……!」
セシルの声。
アリアの舌打ちが聞こえた。
咄嗟に構える俺の中で、光と闇が暴れかける。
そんな俺の元に、リーンが半ば叫びながら飛んできた。
「ミナトちゃん! ぬめぬめ、速い! ぬめってるのに速い! イヤな矛盾!」
「実況しなくていい!」
おもわず俺がツッコんだ瞬間、核持ちの触手みたいな何かが、鞭みたいにしなる。
間に入ったのは、テオだ。
黒い外套が翻る。
剣の軌道が最短で走り、触手が俺たちに届く前に地面へ叩き落とされた。
その動きの綺麗さに、心臓が変なタイミングで跳ねる。
(か、かっこよ……!)
――って違う! 今そんな場合じゃない!!
俺が脳内で“職務!護衛!”と念仏を唱えていると、
街道の先から、重い衝撃音がした。
ドン。
続けて更にドン、と地面が鳴る。
馬の蹄じゃない。人の足音にしては、でかすぎる。
「――伏せろ!」
テオの声が飛ぶ。
次の瞬間、核持ちが“何か”に叩き潰された。
潰れた粘液が辺りにビチャッと嫌な音を立てて飛び散る。
盾だ。
とんでもなく大きな、古傷だらけの盾。
それを片腕で扱う、でかい男。
視線が合った。
その男は、俺の顔を見て……固まった。
「……リサ?」
第一声がそれ。
殿下でも、姫でもなく。
いきなり母さんの名前を投げられた衝撃で、俺の思考が一瞬、真っ白になる。
「……は? え、誰」
俺が素で返すと、男は眉を寄せ、次に俺の目を見た。
虹色の瞳を。
そして、何かを飲み込んだ顔をする。
「……いや。悪い。似てた」
“似てた”の一言が、妙に重い。
周りの空気も一瞬だけ止まる。
ホークが、その沈黙を切った。
「テオさん。まさかの援軍が来ましたね」
「ええ。……あなたは」
テオが警戒を崩さないまま問う。
男は盾を地面に立て、片手を軽く上げた。
「ロウガンだ。……本当はヴァルモントで合流の予定だったが」
“予定より早くなった”と言いかけて
ロウガンは、核持ちの動きを見て顔をしかめる。
「――また随分と厄介な奴に好かれちまったな」
核持ちは、潰されてもまだ生きている。
中心が逃げている。
“核”が、まだ息をしてる。
俺は息を吸う。迷わない。
「ロウガン……さん。核、そこ。盾の右、半歩先。
……今、露出する」
「ほう、本当に見えるのか」
ロウガンが短く笑う。
ホークが、その横に並んだ。器用なウインクをロウガンに投げる。
「じゃ、合わせるか。おっさん」
「誰がおっさんだ。……まあいい、合わせろ坊主」
軽口の応酬が、噛み合ってる。
その瞬間だけ、戦場が“チーム”になった気がした。
「行くぞ!」
ロウガンの盾が前に出る。
核持ちの触手が盾に吸い付く。粘液が弾ける。
その隙に、ホークが一気に踏み込んだ。
「ミナト様、もう一声!」
「……中心、今だ! 腹の奥、真ん中!」
「了解!」
ホークの刃が、まっすぐに刺さり――
そして。
核が、割れた。
ぱきん、と。
氷でも硝子でもない、気持ち悪い音。
黒い歪みが一瞬膨らんで、ふっと萎む。
核持ちの身体が、糸を切られたみたいに崩れる。
ただの“ぐちゃぐちゃ”になって、街道に染みていった。
「……終わった、のか?」
俺の呟きに、リーンがぱっと笑う。
「終わった終わった! ミナトちゃん、誘導上手すぎ! スナイパーみたい! スナイパー皇女!」
「うるせ……」
言い返そうとして、喉が詰まる。
テオが、俺の前に半歩だけ出た。自然に。
守りの位置。いつもの位置。
「……ロウガン殿。助太刀、感謝します」
「いや。……間に合ってよかった」
ロウガンの視線が、また俺に戻る。
さっきの「リサ」が、まだ空気に残ってる。
ホークが、空気を読んだのか読まないのか分からない顔で肩をすくめた。
「自己紹介は、どこかに落ち着いてからにしますか」
周囲に、“現実”を促す音が戻ってきた。
馬の荒い鼻息。馬車の軋み。仲間の息。土に残る焼けた匂い。
「そうですね……ここから離れましょう」
テオの声が落ちる。低くて、よく通る声。
それだけで隊の空気が“次”に切り替わった。
「負傷者の確認。軽傷は申告。重傷はいないか」
「いない!」
反射で答えたアッシュが胸を叩いた。
胸を叩いた拍子に「いてっ」と小声が漏れる。
「胸、無事じゃないじゃん」
思わず吹き出した俺が言うと、アッシュがほんのり赤くなりながら頭を掻く。
「無事っス! 誇りがちょっと痛いだけっスから!」
誇りが痛いって何だよ。
リーンが俺の頭の上でけたけたと笑う。
「アッシュの誇りは、ひりひりするの? かわいい!」
「いや、可愛くはないでしょ!」
黙って聞いていたトニーが耐えられなかったのか、俺の代わりにツッコミを入れる。
オークが無言でアッシュの肩を押す。
前を向かせた先には、包帯を構えたファビオが居た。
ゴリラみたいな大きさの男がゴリラみたいな男を静かに誘導する光景は、妙に平和だ。
そのやりとりがあるだけで、俺は少し息ができた。
終わったんだ、って体が思い出す。
アリアは膝をついて、戦闘跡を一瞥していた。
赤紫のウェーブロングが風に揺れて、口元がわずかに上がる。
アメジスト色の瞳が、研究者の冷たさで残滓を拾い上げていた。
「核の残滓は……これだけか。回収するなら今ね」
「アリア、追跡の邪魔になるものだけは処理できますか」
テオが周囲を見渡しながら声をかける。
「任せて、アタシの得意分野よ」
振り返らずに手だけ挙げるアリアに
テオは頷くと、顎に手を当てて決意のように呟く。
「……残滓か。方法を考える必要がありそうだな」
「ええ。今回ミナトちゃんにやらせなかったのは正解よ。
あの時の痕跡はきれいさっぱりだったもの」
その“線引き”が、さっきまでの熱をすっと冷ます。
俺は銀鎖に触れそうになって、指を止めた。
……触れたら落ち着くのに、今はまだ落ち着きたくない。
「ミナトさん、私たちは馬車へ戻りましょう」
不意にかけられた声にビクッと肩が揺れる。
セシルが俺の肩にそっと手を置くと、ニコッと微笑んだ。
王女らしい姿勢は崩さないけど、頬が少し白い。祈りたいのに、祈れない時の顔だ。
ホークがその傍に立っていた。余裕の笑みは崩さないが、立ち位置は完全に護衛。
テオと同じように目だけ働かせたまま、さりげなく馬車の扉を開ける。
「ルーチェたちも無事だったので、すぐに出発できます」
「……そっか、よかった」
ほっ、と息をつく。俺は馬車の段に手をかけて、さっさと中へ入った。
木と布の匂いが混ざった車内は、外より少し暖かい。揺れが少ない分だけ、現実が一枚遠くなる。
「誰も、ひどい怪我をしなくて……よかったです」
続いて隣に座ったセシルが聖印を押さえつけるように両手を重ねて胸を押さえる。
俺は背筋を戻すと、セシルの震える肩を見ないように、背中をぽんぽん、と撫でた。
窓の隙間から見えるテオは、指揮官の顔をしていた。
汚れた手袋を外し、革紐を締め直し、周囲を一瞥して状況を把握する。
その様子を眺めていると、気づいたテオが視線だけでこちらを確認した。
馬車の中にいる俺へ、まっすぐではなく“角度”で見てくる。
目が合ったと思った瞬間、ほんのわずかに眉が緩んだのがわかった。
それだけで、胸がドキっと鳴る。 俺は慌てて窓から視線を逸らした。
「ミナト様」
テオの声が窓越しに届く。
いつもの丁寧で落ち着いた低い声。なのに、さっきより柔らかい。
「ここは長居できません。日没前に距離を稼ぎます。……馬車の中で休んでいてください」
「分かった」
本当は「大丈夫」と言いたい。言えない。
大丈夫じゃないから、喉が詰まる。
テオはそれを咎めない。
ただ頷いて、外套の裾を払って、隊へ指示を飛ばす。
「ホーク。馬車周りの警戒を二重に。トニーとファビオに負傷があれば報告を」
「了解」
ホークの返事は短い。ロウガンが同じテンポで動き、自然に後衛の形が整う。
面識がある二人の呼吸が、隊を更に“ひとつ”に寄せていく。
撤収が始まった。
馬車の車輪がきしむ音、蹄の音、荷を括り直す音。戦闘の名残が少しずつ現実に回収されていく。
ロウガンは盾を肩に掛けたまま、戦闘跡を見渡していた。
泥が跳ね、髪に汗が残っていても、歩き方がぶれない。古傷みたいな疲れが見えるのに、背中は折れていない。
「この先、林の縁に開けた場所がある。背を預けられる。見張りも立てやすい」
言い方は落ち着いているのに、目が“土地を読んでいる”目だった。
経験がある人の目。迷いのない目。
ホークが軽く頷く。
「いいね。背が取れる場所はありがたい」
ルーチェがその言葉に反応するみたいに、耳をぴんと立てた。
ノクスは変わらず静かで、ただテオの呼吸に合わせて胸を上下させる。
テオがロウガンへ視線を合わせ、短く言った。
「案内できますか」
「ああ。俺が先行する」
随行騎士たちが、合図ひとつで動き出す。
馬の手綱が揃って引かれ、馬車の轍が前を向く。
誰も大声を出さないのに、全員が同じ方向を見ている。
そしてテオは、馬車の脇に立った。
扉の近く。見張りやすい位置。俺を視界に入れたまま、外も見る位置。
いつもの位置。
(……俺、めっちゃ安心してるじゃん)
まだ戦闘後の緊張が残っていてもおかしくないのに。
俺は、急にいたたまれなくなって両手で顔を覆った。
セシルが怪訝な顔で俺を覗き込む。
「セシルちゃん、ミナトちゃんの“それ”。いつものだから。そっとしておいてあげて」
声をかけようしたセシルにアリアの声が飛ぶ。
アリアの視線は粘液の残りを集めた小瓶に固定されたままだ。
小瓶を揺らしながら、ぶつぶつと呟く。
「……性質が変。溶かす速度、さっきより遅い。核持ちだけ別物ね」
完全に興味が勝ってる顔だ。
セシルは、そんなアリアと両手で顔を覆ったまま動かない俺を見つめる。
そのまま、何も言わずにそろそろと背もたれに寄りかかった。
馬車が動き出す。
揺れが来て、街道の景色が流れ始める。戦闘跡が遠ざかる。
リーンが俺の肩の上にふわっと降りてきて、囁いた。
「ミナトちゃん! すごかった! さっきの『ここ!』って指示、かっこよかった! ねえ、もう一回言って!」
「言わない!」
「えー! いいじゃん! スナイパー皇女!」
「やめろ、変な二つ名つけるな!」
俺は両手から目だけ出し、目を吊り上げて抗議の声を上げる。
リーンが俺の両手を剥がすように手を重ねて、淡緑の瞳をきらきらさせた。
「ミナトちゃん! 顔が赤い!」
「赤くない!」
「赤いよ。テオ見てるからだ!!」
「見てない!」
「見てる!」
小声の押し問答をしている間に、窓の外からテオがちらりとこちらを確認する。
その視線だけで、俺の口が勝手に尖る。
(見ないでほしいのに、見ててほしい。なんて――)
“最悪”の感情だ!
夕日が傾き、窓の中に橙が差している。
窓に反射した俺の黒髪の先が赤く染まり、虹色の瞳の奥がいつもより強くきらめく。
万華鏡みたいに色が散るから、そのせいで余計に感情が隠せない気がした。
俺はリーンを振り切ると、また両手で顔を覆う。
「あー!ミナトちゃん、お顔みせてよ~~」
リーンがくるくると俺の周りを飛ぶ。
耳まで赤くなっている自信があった俺は、両手で顔を覆ったまま首を振った。
道中、ホークが時折こちらを見て、何か言いたげに口元だけ笑う。
からかい半分の余裕な顔だ。
ロウガンが先導しながら、手で合図を上げた。
林の縁へ誘導する合図。
「この先だ。日没前に入れる」
ロウガンの声が届くと、テオが一度だけ頷いた。
「承知しました。そこへ向かいます」
その頷きが、あまりに迷いなくて。
あまりに格好良くて。
俺はまた、何も言えずに喉を詰まらせたまま、窓の隙間からテオの背中を見つめてしまう。
リーンが楽しそうに、俺の膝の上に寝っ転がると腕を枕にしてくつろぐ。
「ミナトちゃん、刷り込みされたヒヨコみたいだね」
「……うるさい」
でも否定できなかった。
否定したら、今のドキドキまで嘘になる気がしたから。
日が傾く。
空の橙が濃く深まって、木立の影が長くなる。
馬車の中にも夕色が差して、膝の上の布を金色に撫でた。




