◆第39.5話(閑話)笑ってはいけない調査隊
焚火がぱち、と鳴った。
乾いた薪が爆ぜる音は、夜の静けさを破るというより、夜の背中を軽く叩くみたいに響く。
二日目の夜。
昼間の熱が地面に少しだけ残っていて、空気は思ったよりも冷えない。
それでも草の匂いは濃く、革の匂いと、馬の息の匂いが混ざって、城とは別の夜だと教えてくる。
ノクスは闇そのものみたいな黒で、少し離れた場所に立ったまま動かない。
ルーチェは焚火の明かりを栗毛に溶かしながら、品よく首を揺らす。
馬たちは、人より賢い顔でこちらを見ている。
人間が余計なことを始める気配を、もう察している気がした。
焚火の輪には、男だけが集まっていた。
テオ、ホーク、アッシュ、オーク、トニー、ファビオ。
本来なら、見張り交代確認だけをして、すでに各々休むべき時間だ。
だが、焚火というのは不思議なもので、火があるだけで口がほどける。
ほどけた口は、だいたい余計な方向へ転がるのだ。
「……暇だなぁ」
棒で焚き火の炭をかき回しながらアッシュが呟く。
夜番なので、本当に暇なわけではない。
しかし、ここには暇と言えるだけの実力者が揃っているのは確かだった。
ホークが涼しい顔で頷く。
「じゃあ、ゲームしよう」
「ホーク隊長、名案っすね!」
トニーが目を輝かせた。ファビオは一歩遅れて、まじめな声で確認する。
「……ゲーム、ですか。見張りに支障が出ない程度なら……」
「出ないよ。笑わなければ」
ホークがさらっと言った。焚き火に照らされた青い目が悪戯っ子のように煌めく。
「……?」
ファビオが固まった。
「今から、笑ったら罰ゲームだ」
ホークの言葉が落ちた瞬間、オークの眉がぴくりと動いた。
「不適切です」
「不適切じゃないよ。静粛性の訓練さ」
ホークが腕を上げて背筋を伸ばしながら、涼しい顔のまま切り返す。
火に油を注ぐのが上手い。しかも悪びれない。
ルーメンティア騎士団の若きエースはやり手だった。
オークが渋々頷く。
「静粛性は適切です」
「すんません、オレ……“適切です”が、もうおもしれぇ!」
トニーが肩を震わせた。
腕を組み、木立に寄りかかっていたテオの静かな声が落ちる。
「トニー、笑うな」
短い命令。静かで逆らいにくい低い声。
アッシュとオークのように直属の部下へ飛ぶ時ほどの鋭さはないが、
それでも団長として存在してきた男の声。
そして、その声は紛うことなくゲームへの参加表明だった。
「は、はいっ……!」
返事の時点で、トニーの口元はもう危険だった。
ファビオは最初から片手で口を押さえている。守りが堅い。偉い。
ホークは何も言わずに目だけを細めた。
アッシュが自分の頬を両手でバチバチッと叩くと
挑戦的な目で手を挙げる。
「ルール! 笑ったら負け! 負けたら薪一本! そして謝罪!」
「謝罪は不要です」
オークが即答した。
「“謝罪は不要です”、やばい!だめだ! ツボる!」
トニーが慌てて自分の口を両手で封鎖した。
火より先に顔が赤くなる。
テオは一拍置いてから、淡々と確認する。
「……見張りの耳は塞ぐなよ。笑うなら腹の中だけにしろ」
「腹の中だけって、余計きついっすね」
アッシュがぼそっと言い、オークが低い声で宣告した。
「不適切です」
「ぶはっ……オレ、もうダメっす!」
トニーが吹き出しなら反射で言ってしまい、あ、という顔で黙った。
言ってしまった自分が一番不適切だ。
トニーの手により薪が一本追加される。
焚火が育つ。火が明るくなる。
夜が少しずつ、“真面目な野営”から“宴会”へ寄っていく。
「……始めるのでしたら手短にしましょう。見張りの交代がありますから」
オークの注意がスタートの火蓋となる。
「団長も参加っすか?」
アッシュが聞く。
「ああ」
テオの返事は淡々としていて、逆に怖い。
感情がないわけじゃない。感情の出し方が上手すぎて見えないだけだ。
ホークが焚火を棒で整えながら宣言した。
「じゃあ最初は簡単。全員、“団長の真似”」
「うわ、地雷っす」
アッシュがすでに笑いそうになっている。
笑いを堪えるアッシュは、犬が伏せを我慢している時に似ていた。
トニーが背筋を伸ばし、声を低くして言う。
「……交代、確認する」
似せたつもりで、語尾がほんの少し上がった。
それだけで場が揺れる。
テオの口角が、0.5ミリだけ動いた。
それを見たアッシュが死んだ。
「っ、……!」
肩が震える。息が漏れる。アウト。
堪えようとした分だけ、崩壊が派手だ。
オークが冷静に判定する。
「アッシュ、失格です」
「失格です、って言い方がもう……っ」
「アッシュ、薪を焚べろ」
テオの命令形が落ちる。
「はい、団長! 焚べます!」
アッシュは笑いながら薪を放り込む。焚火がさらに明るい。
キャンプファイヤーの第一歩だ。
ホークが次の弾を装填する。
「次。オークの真似」
トニーが即座に姿勢を正す。
「不適切です」
発音が妙に柔らかい。
オーク本人より丸い。丸いのに、丸いせいで面白い。
オークが即座に刺す。
「不適切の発音が不適切です」
「え、オークさん、今の言い回し、ちょっ……だめ……!」
トニーが笑いそうになって喉を掴む。
ファビオが必死に目を閉じる。視覚情報も危ない。
アッシュが焚火の前で得意気に身を乗り出す。
「次は“団長が褒める時”の真似やろうぜ。団長、見本お願いします!」
「偉い」
テオが即答した。
“偉い”の一言が、軍令のように固い。
トニーが耐えきれず、肩を震わせた。
「……だめだ、団長の“偉い”が硬すぎて……っ」
「トニー、耐えろ」
テオが言う。
命令ではない。けれど“耐えろ”は命令に近い。
「は、はいっ……!」
声が裏返った。アウト。
本人は笑ってないつもりなのに、声が笑ってる。
オークが淡々と判定する。
「失格です」
トニーが笑いながら薪をくべる。焚火がさらに育つ。
火が高くなるほど、全員の顔が明るく照らされる。危険だ。もはや女子陣のテントから見える。
ホークがしれっと涼しい顔で言った。
「次、ファビオ。君は強いから難易度を上げる」
ファビオが青ざめる。
「……え……」
「“セシル様のことが大好きな騎士”の真似」
ファビオが固まった。
固まっただけで、もうアウトになりそうだ。
アッシュがにやにやする。
「ファビオ、ほら。言ってみ。『セシル様の邪魔になりたくないので空気でいます』って」
ファビオが口を開く。
「……セシル様の……」
そこまで言った瞬間。
テオが、咳払いを一つした。
正しくは、咳払いじゃない。
笑いを抑えるための呼吸だ。
オークの眉間の皺が一本だけ減った。
減っただけで、場が揺れる。
ホークが肩を揺らす。
「テオさん、今の、危ない」
「危なくない」
テオの否定が速い。速いほど怪しい。
ファビオが耐えきれずに叫んだ。
「……す、好きです!」
焚火の輪が、一瞬だけ静かになった。
静かになったのが、まずい。
ホークが涼しい顔で言う。
「良い告白だった」
オークが真面目に言う。
「不適切ではありません」
その“真面目な承認”が致命傷だった。
アッシュが爆笑した。
トニーも爆笑した。
ファビオは真っ赤なまま涙目になった。
そしてテオが、ほんの一瞬だけ、口角を上げた。
0.5ミリ。
でも確かに、笑った。
ホークがすかさず指をさす。
「テオさん、今笑った」
「笑ってない」
「いや、笑ったね! 俺は見た!」
「笑ってない」
オークが淡々と宣告した。
「団長、失格です」
焚火がぱち、と鳴った。
夜が勝ち誇っている気がした。
テオは一拍置き、穏やかに言う。
「……薪を」
オークが捧げた薪を
魔帝国騎士団長が自分で薪を足す。
規律が完成してしまう。
しかも、その姿が妙に様になりすぎて、全員がまた崩壊した。
「笑ったやつは全員、薪を焚べろ」
テオの命令形が飛ぶ。
「「はい、団長!」」
全員の返事が揃いすぎて、また面白い。
焚火が一段と高くなる。もう完全にキャンプファイヤーだ。
その時だった。
「……うるさい」
寝起きの声が、闇から刺さった。
焚火の輪が凍った。
凍ったはずだが、焚火が明るすぎて凍ることができない。
リーンが、寝癖の髪を弄りながらふわっと浮かんでいる。
目が半開き。羽がちょっとだけ怒っている。
「ねむい……。何、戦争してるの……」
「戦争ではありません」
オークが反射で言った。
ホークが涼しい顔のまま頭を下げる。
「ごめん。すぐ静かにする」
「うん、静かにして。じゃないとボクのミナトちゃん起きちゃう」
その一言で、テオの空気が変わった。
「……ミナト様は大丈夫ですか」
語尾が、反射で丁寧になる。
焚火の輪が、また一瞬だけ静かになる。
リーンがにやっとした。
「気になるなら一緒に寝る〜?」
「……寝なさい、リーン」
テオの言い方は穏やかだが、止められない種類の圧がある。
「団長、姫には反射で猫被るっすよね」
そして、アッシュがぼそっと言ってしまう。
言ってから、“しまった”という顔をしたが遅かった。
テオが無表情で振り向く。
「アッシュ、もう寝ろ」
「はい、団長!」
男たちのやり取りにリーンが肩を揺らした。
「随分と面白いことしてたんだね」
「笑ってはいけないゲームです」
オークが真面目に言う。
「今それ言うのが一番面白いよ」
リーンが欠伸をしながら、ふわっと闇へ戻りかけた。
戻りかけて、立ち止まる。
「……今度はミナトちゃんも混ぜてあげて、きっとこういうノリ、好きだから」
焚火の輪が、また静かになる。
誰も否定できない。
あの皇女は、心が男の子のまま笑いの輪に突っ込むタイプだ。
ホークが小さく笑った。
「了解。ミナト様がいたら、勝負にならないかもだが」
テオがほんの少しだけ、息を吐く。
「……あの方は、感情が豊かだからな」
言い方は硬い。
でも、その硬さの中に、静かな守りがある。
リーンは満足そうに頷いた。
「おやすみ。次やるなら、ボクは審判やりたいな」
「火事にするつもりですか」
テオが即答し、リーンが笑いを堪えながら消える。
焚火の輪には、男だけが残った。
火はまだ明るい。
明るすぎて、まるで“やめられない”みたいだ。
ホークが立ったまま腰に手を当てて体を伸ばす。
「結論。笑ってはいけないゲームは不適切」
オークが頷く。
「不適切です」
「不適切です!」
トニーが反射で言ってしまい、全員が同時に肩を震わせた。
テオが穏やかに言った。
「見張りは交代だ……寝ろ」
命令形で終わる。
焚火だけが、嬉しそうに燃えていた。
そして夜は、ようやく“野営”へ戻っていった。
焚火はようやく落ち着いた。
火はまだ生きているが、さっきまでの明るさは引っ込み、静かな赤へ戻っている。
残った薪がぱち、と小さく鳴った。
それすら「笑うな」と言ってくる気がして、テオは無駄に表情を固めた。
焚火の向こう側で、トニーとファビオがようやく寝息を立て始める。
アッシュは最後まで口元を押さえたまま転がり、オークは寝る姿勢でも背筋が真っ直ぐだ。
「……静かになりましたね」
ホークが、ぽつりと呟く。
さっきまでの首謀者としての顔はすでに鳴りを潜めている。
「ああ」
テオは頷くと、見張り位置まで歩く。
草が靴を撫でる。遠くでノクスが鼻を鳴らした。
ホークが小さく息を吐く。
「テオさんが参加してくれると思いませんでした。」
「……ああいう夜が一回あると、隊が馴染む。必要なことだ」
テオが遠くを見渡しながら、そっと呟く。
ホークがわざとらしく眉を上げた。
「今、柔らかい声でしたね」
「……気のせいです」
騎士団長として、調査隊をまとめる者として。
テオが、ようやく一度だけホークを見る。
ほんの短い視線。
そして、ほんの小さな変化。
ふっ、と片方だけ口端があがる。
同じ責任で隊をまとめる者だけに許す余裕が、そこにあった。
ホークがそれを見て、声を出さずに笑う。
「ヴァルモントに着いたら一杯、どうですか」
“いい店知ってます”とホークがグラスを傾ける真似をする。
テオは返さなかった。
返さないのが“拒否”じゃないことを、ホークは知っている顔で見張りを続ける。
沈黙が続く。
夜は広い。星は遠い。草は静かだ。
約束だけが、夜の底に小さく沈んで、静かに光った。
明日に備えるように。




