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◆第38話 旅立ちの夕餉



城下街を抜けて街道に出ると、空が急に大きくなった。


石壁に守られていた空気が、ふっとほどける。

風が、草と土と馬の汗、革の匂いを運んできて、「外だぞ」と頬を撫でた。


馬車はごとごとと揺れながら進み、隊列は落ち着いている。

先頭と後方には騎士たちが付き、俺たちの馬車は要人扱いの真ん中だ。


そして、そんな馬車の窓から顔を出しているのは……

俺じゃない。俺の向かいに座っているアリアだ。


「……うん。この先の休憩地までなら、変な魔力の“筋”は薄いと思うわ」


仕事の顔をしたアリアが、風に髪を遊ばせながら言う。


窓の外、黒い馬が並走していた。


ノクスの背で背筋を崩さず、手綱を握るテオ。

ただでさえ背の高いテオが大きなノクスに乗ってると迫力が凄い。

黒いマントの裾が風を受けるたび、無駄に絵になる。


「感知の精度はどうですか、アリア」


「いつも通りね。境界に近づくほど、異形の臭いが濃くなるだけ」


「承知しました」


淡々と答えて、テオは前方へ視線を戻す。


……いや、今の会話、めちゃくちゃ仕事なんだけどさ。


俺の中の「旅っぽい」「馬車の窓から顔出すやつ」っていう王道欲求が、むずむずと疼いた。

アリアだってやってるんだ。

俺だって王道、やりたい。


スッと腰を浮かした俺を見て、隣に座っていたセシルが「あっ」という顔をするが、お構いなしだ。


「……俺も、ちょっとだけ」


「ミナト様?」


テオが僅かに首を傾ける。リーンは察した顔で、俺の背中をぽんぽん叩いた。


「ミナトちゃん、やる気だね」


「やる気って言うな」


小声で突っ込みながら、俺は窓枠に手をかけた。

木の縁は丸く加工されていて、危なくなさそう。俺は勝手にそう判断した。


そのまま、勢いよく上半身を出す。


(うわ、気持ちいい!)


髪がふわっと持ち上がって、視界が広い。雲がでかい。遠くの林が、青い絵の具みたいに滲んで見える。


「なあ、テオ。外、めちゃくちゃ――」


言いかけた、その時。


馬車が小さな段差を越えた。


ごとん。


俺の体がふわっと浮いて、窓枠にかけていた腕が、ほんの少し滑った。


「うわっ……!」


反射的に踏ん張ろうとして、指先がつるんと縁を撫でる。


終わった……!


このまま街道に落ちる。初日で転がる。しかもテオの目の前で。

脳内に「魔帝国グリーグのミナト皇女、旅の開始一時間で事故」という不吉な字幕が走った。


――が。


ぐいっ。


次の瞬間、俺の襟元が引かれた。


まるで子猫を拾うみたいに、軽い動作で。


「……ミナト様」


低い声が、すぐ耳元。


顔を上げた瞬間、視界が茶色で埋まった。テオの瞳だ。

鼻と鼻がつきそうな距離に、俺の目がこれでもかと大きく開く。


咄嗟に着いた手が胸当ての金具でひんやりして、逆に頭が熱くなる。

俺、今、テオに襟元を掴まれてる。

しかもテオ、片手は手綱を握ったままなのに、もう片方で俺を持ち上げたまま安定させてる。


器用かよ。


「だ、大丈夫! 俺、落ちてない!」


「ええ。落としません」


落ち着いた即答が返ってくる。


それにしても近い。息が触れそうで、触れたら終わる。

夢の中の記憶が余計な方向に手を伸ばしてきて、脳内の非常ベルがけたたましく鳴った。


(でも、ちゅーはしてない!

 ぎりぎり唇には触れてない!!)


してない。してないけど、すれすれ。


「……っ」


固まった俺の背後から、さらに手が伸びた。


「こら、ミナトちゃん。危ないでしょ!」


アリアだ。


アリアは俺のマントの端を掴むと、容赦なく内側へ引っ張った。

助かった。助かったけど、心臓が助かってない……!


馬車の中へ戻された俺の耳元で、リーンが囁く。


「ねえねえ、見て。テオ、耳の先がちょっと赤いよ」


「は!?」


反射で窓の外を見る。


テオは何事もなかったかのように前方へ視線を戻している。姿勢も呼吸も乱れてない。いつもの完璧な騎士団長だ。


……だが、さっきまで俺の襟を掴んでいた手が、ほんの少しだけ力を入れ直した気がした。


そしてアリアが、さらっと言う。


「そりゃ、いきなり窓から乗り出してキスされたら照れるわよねぇ?」


「えっ!? そんな……ミナトさん!」


セシルが口元を押さえてキラキラと俺を見る。


「してない!! まだ、してない!!」


俺は全力で叫んだ。残念ながら声は裏返った。


リーンが俺の膝の上で顎に手を当てて考えるポーズになる。

やめろ!言うな!!

俺も言ってから自分で気が付いたから――


「ミナトちゃん。まだってことは、じゃあ、これからするの?」


「……し、しない!!」


一瞬言葉に詰まった俺は両手で顔を覆った。穴があったら入りたいくらい顔が熱い。

腹を抱えて笑うアリアとは対照的に、セシルは全く何も分かっていない顔で、とにかく俺を慰めようと肩をぽんぽんと撫でる。その優しさが逆につらい!


その時、馬車の外から豪快な笑い声が聞こえた。


前方にいた随行騎士たちがいつの間にか下がって並走していた。

アッシュが笑顔のまま声をかける。


「姫、さすがに今のは危ないっすよー!

 団長、よく片手だけで支えたっすね?!」


「アッシュ……姫君の安全が最優先です。笑い話ではないぞ」


オークの声は、いつも通り冷静だ。

真面目すぎる正論が刺さる。刺さるけど、アッシュのノリが軽いせいで余計に恥ずかしさが増す。


テオが咳払いで会話を遮った。


「隊列を維持します。馬車の速度はこのまま。

 ミナト様、窓から身を乗り出さないでください」


テオの声は落ち着いている。

落ち着いているのに、早口だった。


「……はい」


俺は反射で素直に返事をしてしまい、さらに恥ずかしくなった。

少し後ろから、軽い声が飛んでくる。


「ミナト様、顔が赤いですね」


ホークだ。声色は軽いのに、目はちゃんと周囲を見て仕事もしている。

余裕があるイケメンは、風で髪がなびいてもちゃんとイケメンだ。


「赤くねぇよ!」


「間違えました。頬が赤いので、瞳の虹色が映えてますね」


「〜〜っ!」


どう返していいのかわからない俺は言葉に詰まる。

ホークはニヤッと笑ってルーチェの手綱を握り直すと、前方に駆けていく。


俺がむくれている間に、テオもほんの少し速度を上げた。

アッシュたちと交代するかのように前方へ出る。

黒い馬と黒いマントが数歩先へ行ってしまう。


「……テオ」


小さく呼んだのに、テオが視線だけでこちらを振り向く。


「大丈夫です、ミナト様。前に出るだけです」


口調はいつものテオだ。

安堵する俺に“どうせ照れ隠しだから気にするだけ損”と、アリアが肩をすくめて、リーンが笑った。


俺は――窓から顔を引っ込めた。


外の風が気にならないくらいには、まだ頬が熱い気がした。



◇◇◇



日が傾き始めた頃、街道沿いの宿場町が見えてきた。


石造りの宿が並び、煙突から白い煙が上がっている。

馬を繋ぐ柵があり、桶が置かれ、旅人のざわめきがある。城とは違う、生の音。


宿の前で馬車が止まり、テオがノクスを引きながら周囲を見渡す。

オークが真面目な顔で先に宿へ確認に走り、

アッシュはもう「腹減った」みたいな顔をしていた。

テオがアッシュにチラっと視線を送り釘を刺す。


「おい、見張りながら腹を鳴らすな」


「鳴ってないっすよ。俺の胃袋が勝手に」


アッシュが肩をすくめる。テオの代わりにノクスが静かに鼻を鳴らした。

ルーチェは品よく首を揺らして、ホークの手にすり寄る。


「いい子だ、ルーチェ」


ホークが柔らかく笑う。その横顔に、宿の女将が一瞬見惚れて、次の瞬間には商売の目になった。


「まあまあ、なんて綺麗なお兄さん! お部屋、いいの用意するよ!」


「ありがとうございます」


ホークが涼しい顔で受け流すと、女将はさらに声を張る。


「隣の連れは、奥さんかい?」


「はは、ちがいます」


ホークの即答に、隣にいた俺は吹きそうになった。

誰が奥さんだ。……いや、待て。ここは反応したら絶対いじられる。


案の定、リーンがすかさず俺の肩をつつく。


「ミナトちゃん、“ちがいます”って言われちゃったね!」


「うるさい」


アリアはそのやり取りを見ながら、にやにやしている。くそ、遅かった。


その横で、ルーメンティア側の随行騎士が手際よく馬と荷を捌いていた。

トニーとファビオ。今日はずっと馬車を引いてくれていた二人だ。


「手綱、僕が取ります。トニー、荷を先に中へ」


「了解。……あ、ミナト殿下、足元。段差あります」


「ありがと」


俺が礼を言うと、トニーは一瞬だけ顔を輝かせて、すぐに何でもないふりをした。空気になるのが上手すぎる。


オークが宿から戻ってくる。


「部屋は足りております。食堂は奥の間。騒がしくはありません」


「さすがオーク。真面目で助かる」


俺がからかい半分で笑いながら言うと、オークは複雑な顔のまま胸を張った。


「当然です」


そのまま俺たちは宿の中へ通され、長い木の卓に落ち着いた。旅人向けの食堂らしく、暖炉の火が赤く揺れている。


湯気の立つ皿が並び、パンの香りに腹が鳴った。

旅の夕飯、ってだけでテンションがあがる。

なによりめちゃくちゃファンタジーな異世界なのに飯が美味いって、最高すぎる。


「お待たせしましたよ。今日は煮込みがおすすめでね」


宿の女将さんが笑うと、皆の前に大皿がどん、と置かれる。


そこで俺は、ふと昼は空気だった二人に目を向けた。


「……そういえば。トニーさんとファビオさん、ちゃんと座ってくれてよかった。今日ずっと馬車まわりと馬の世話してたよな? ありがとう」


言うと、トニーがぱっと顔を上げた。待ってましたと言わんばかりの勢いで。


「いやぁ! 俺らこういうの得意なんすよ! 空気読むんで!」


「読むの上手すぎて、逆に存在が消えてたけどな」


ホークがさらっと突っ込む。トニーは肩をすくめて、にやっと笑った。


「護衛騎士の鑑ってやつっす。……それに、ほら。奇跡の虹を間近で……」


言いかけて、トニーは自分の口を塞いだ。


「……っす! 俺、空気読むんで!」


読むの早すぎるだろ。俺は苦笑いで頷く。

ファビオは少しだけ遅れて静かに頭を下げた。


「……お気遣いありがとうございます。僕はまだ至らないところが多いので……」


「ファビオさん、元は使節団として選ばれて来てたんだろ? 十分すごいと思うけど」


俺が言うと、ファビオは困ったように笑って、ちらりとセシルを見る。

すぐに視線を引っ込めた。視線が熱すぎて、わかりやす過ぎる。


ファビオの熱視線に全く気付かないセシルが柔らかく微笑む。


「お二人がいてくださって、安心しています。……本当に、ありがとうございます」


その言葉だけで、ファビオの背筋がまっすぐになる。

隣のホークが、ほんの少しだけ表情を緩めたのが分かった。


「よし、食うぞ食うぞ!」


アッシュがスプーンを手に取る。

その言葉に、リーンがぱっと手を挙げた。


「ミナトちゃんは、明日も元気に行けるように、お肉追加ね!」


「勝手に決めるな!」


そのままワイワイと皆の食事が進む。

給仕の女の子が料理を追加で運んできた。

視線が、完全にテオに吸い寄せられている。わかる。あの顔面と体格は反則だ。


女の子が少し赤くなって、皿を置く。


「……あの、よければ、こちらも……サービスで」


「ありがとうございます」


テオは礼儀正しく微笑んだ。女の子がふらっと倒れそうになった。

すげー威力。異形より危険かも、あれ。


「……ミナト様、スープが冷めます」


テオが俺の皿へ視線を落として言っただけなのに、なぜか胸がどきっとした。

瞬間、昼の記憶が蘇りそうになる。俺はスープを飲むふりをして、心臓の音をごまかした。


アリアが横で囁く。


「ほら。旅の飯は、旅の恥も一緒に煮込むのよ」


「やめろ。心読むの、やめろ」


リーンがにやりとして、今度はセシルのほうへ身を乗り出した。


「セシルちゃん!明日もがんばろーね!」


「え、あ、リーンちゃん……」


セシルがぱちぱち瞬きして、でも嫌そうじゃない。

むしろちょっと嬉しそうだ。


そこに、“一応釘は刺しておく”みたいな雰囲気のテオが咳払いを一つ。


「リーン。公的な場では礼節を――」


「ここ、宿だよ? 城じゃないよ? ねえ、セシルちゃん?」


「……はい。私は……その、嬉しいです」


セシルが小さく頷くと、リーンが勝ち誇った顔をした。

様子を伺っていたトニーが勢いよく乗る。


「じゃ、じゃあ俺も! セ、セシルち――」


「トニー」


ホークの低い声だけで、トニーはぴしっと固まった。


「……っす! 俺、空気読むんで!」


ファビオが慌てて場を整えるみたいに言う。


「……セシル様。食事、冷めないうちに。召し上がりましょう」


セシルが微笑む。場の温度がふわっと上がった。硬い礼節が、ほどける音がした気がする。


……この空気が、嫌じゃない。


むしろ、好きだと思ってしまうのが悔しい。


窓の外には、夜の街道と、星の気配。

明日から本格的に境界へ近づく。調査は旅じゃない。テオもホークも、その気持ちは捨てていない。


だけど。


その硬さの隙間に、こういう柔らかいものが挟まってくれるなら。


俺は、少しだけ――明日が楽しみだと思ってしまった。


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