◆第37話 出発式という名のお見送り
城の中庭が、朝から妙に“広い”。
いつもなら、石畳の端っこに寄せて歩けば済むのに。今日は違う。
視線が多い。音が多い。旗が多い。箱が多い。……箱が異常に多い。
出発式。
バルドが言っていた正式名称はたぶんもっと固くて長い。でも実態は、ほぼ“お見送り”だ。
「……すごい人数だな」
俺が呟くと、隣でセシルが小さく笑った。
「みんな、ミナトさんのことが心配なんだと思います」
「……俺、そんなに危なっかしい?」
「はい」
「え、そこ即答なの!?」
セシルは口元を押さえた。笑いを隠したい顔なのに、隠れてない。
その向こうで、リーンがふわふわ飛びながら笑顔で手を振っている。
「ミナトちゃーん! こっちこっちー!」
「お前、飛ぶな! 目立つ!」
「今日は、目立たない方が無理だよー!」
確かに。
中庭の端から端まで、人がいる。騎士団、給仕、厨房、厩舎の馬係、見習いの子まで。
城って、こんなに人がいたんだな……と、変なところで感心した。
そして、ど真ん中に“圧”がいる。
普段は執務室か玉座の間にいるはずの存在が、なぜかここにいる。
魔王グレゴール。俺の父親。
父さんが漆黒の外套をバサッと翻す。
それだけで魔王と呼ばれるだけのオーラが周りを威圧している。
鮮やかな赤い瞳が俺の顔を真っすぐ見ると、ゆっくりと口を開く──
「我が娘……ミナト、これを持て」
その足元には、荷物が積まれている。
……いや、荷物って言っていいのか。箱の山だ。山。
「……父さん、これ何」
「“もしものためミナトお守りセット”だ」
…………
沈黙が降りる。こんなに人が居るのに沈黙が辺りを包む。
皆の視線が痛すぎる!俺は思わず箱の山を指差して叫んだ。
「もしもが多すぎるだろ!」
そして箱のラベルを読む。
“もし寒かったら”
“もし暑かったら”
“もしお腹が空いたら”
“もし眠れなかったら”
“もし敵が出たら”
“もしテオが足りなかったら”
「最後おかしい!」
「必要だ」
「必要なのは分かるけど、表記がヤバい!」
周囲が肩を震わせる。
笑っていいのか分からない、でも笑ってしまう、あの顔だ。
給仕の人たちが口元を押さえている。厨房の人が背を向けて震えている。
ちょっとだけ、その光景に慣れてきている自分も怖い。俺は長い溜息をついた。
「父さん……荷物は最小限って、昨日、夕飯の時に報告したよね」
「言ったな」
「なのに、この量!」
「最小限だ」
「どこが最小限なんだよ!?」
父さんは堂々と胸を張った。俺は額に手を当てて空を仰ぎ見る。
そこへ、淡々としたテオの声が落ちた。
「陛下。過積載は馬車が壊れます」
いつもの丁寧語、いつもの落ち着き。
俺の視線が勝手にそこへ引っ張られる。
テオは、ノクスの手綱を整えた手で、箱の山を一度だけ見た。
「……馬車が壊れると、ミナト様が揺れます」
父さんの眉がぴくり。地を這うような声が轟く。
「揺れるのはよくない」
テオは動じるそぶりもないまま、相槌を打つ。
「はい。よくありません」
「では減らす」
減らす決断が早い。重いのは圧だけで十分だ。
バルドが、何事もなかったかのように前へ出てくる。礼を取る姿勢、完璧な角度で頭を下げた。
「陛下、ならびに皆様。出発の段取りを整えております。
ミナト殿下、お荷物につきましては、私どもが“適切に”選別いたします」
穏やかな笑顔に、有無言わせない声音。
“適切に”が怖い。でも安心もする。バルドの“適切”は本当に適切だからだ。
俺の肩に座っていたリーンが耳元でひそひそ囁く。
「バルドさん、荷物を消す魔法使えるよ」
「使えるなら最初から使ってくれ」
「陛下の愛情も一緒に消えちゃうからダメだよ」
「……そこは残しといてくれ」
隣でアリアが楽しそうに笑った。ポンポンと背中を撫でるように叩く。
「ミナトちゃん、良かったわね。旅の前から手厚い」
「手厚いの方向が、完全に物理なんだよなぁ」
そこへ、ホークがひとつ咳払いをして、儀礼の顔で前に出る。
いつもの飄々とした余裕が薄くなる、騎士としての顔だ。
「聖光国ルーメンティア騎士団、ホーク・グレイス。本日より共同調査隊として、境界方面へ向かいます」
その声が通ると、中庭の空気が少し引き締まる。
同時に、セシルが俺の横で背筋を伸ばした。さすが王女。こういう時の“場の顔”が早い。
シグがホークに頷いて、セシルに向き直る。
「セシリア王女殿下。前線はあなたに任せます。
私は王都側を固めます。教会への連絡もお任せください」
「……お願いします、シグ」
セシルは王女の顔で頷いた。
……俺も、ちゃんとしないとな。
俺はできるだけ皇女殿下を意識して少し背筋を伸ばす。
「共同調査隊か……って言っても、まだ慣れないけど」
ぼそっと言ったつもりが、リーンに拾われた。
楽しそうな顔で俺の頬をつんつんと突いてくる。
「ミナトちゃん! 顔、真面目!」
「今は真面目にする場だろ!」
「真面目も似合うね!」
「今さら褒めるな!」
笑いがまた起きる。
不思議だ。これから異形と向き合うのに、怖くない。いや、怖いけど、温かい。
……自分で言ってて、上手く表現できないけど、なんだか俺は前を向ける気になった。
テオが俺の隣に来て、静かに言う。
「ミナト様。立ち位置はこちらです。ご挨拶が届きやすい」
「……届きやすいって」
「声も、表情も。皆へ見せてあげてください」
それは、俺が一番苦手なやつだ。
でもテオが言うなら、やるしかない。
俺は一歩前に出た。みんなの視線が俺に集まる。
「……えっと。みんな、今日は、ありがとう。行ってきます!」
簡単すぎる。
でも、簡単にしないと喉が詰まりそうだった。
すると、中庭の端から声が飛ぶ。
「ミナト殿下ー! 寒い時はこれを!」
「殿下! 甘いもの! 道中で!」
「殿下! 足元滑らせないでくださいね!」
「殿下! 転んだらすぐ周りに言うんですよ!!」
最後の何。みんな俺をすぐ転ぶと思ってないか!?
でも、胸がきゅっとなる。
召喚されてからまだ日が浅いと思っていたけど、短いようで、俺にとっては“人生が変わった期間”だった。
厨房の人が大きな包みを差し出してくる。
たぶん、焼き菓子。だとしたら、ものすごい量。
「ごめん……持てない」
「持てますよ!」
「根性論やめろ!?」
その包みを、アッシュが勢いよく受け取った。
「大丈夫です、俺が持つっす!」
オークがすぐ横で真顔を保ったまま、荷物の重量配分を調整し始める。
「左右のバランスが崩れます。こちらは私が」
「二人とも助かる!」
その後はテオがスッと二人に指示を出す。
急に“隊”っぽくなって、俺は出発を実感する。
その時、誰かが控えめに前に出た。
角のある侍女。“いつもさん”だ。
実は、こないだ父さんとの夕飯で許可をもらってるから、俺はもうその名前を知っている。
──ポリン。
なのに、いざ本人を前にすると、言葉がつかえる。
「……えっと」
俺が迷ったのを見て、ポリンは柔らかく目を細めた。
「お気をつけて、ミナト殿下。ポリンは、ミナト殿下をお待ちしています」
「え、名前……」
目を丸くした俺から、なんともいえない間抜けな声が出た。
でもポリンは笑わない。真面目に、丁寧に続けた。
「無事にお戻りになって。……その時、どうか呼んでくださいませ」
『呼んでくださいませ』
ただそれだけなのに、“帰ってきて”がたくさん詰まっている。
ポリンとは全然まともな会話もなかったし、
いつも俺のお世話だけしたらすぐ居なくなっちゃうし。
それでも召喚されたあの日から今まで、冷たいと感じたことは一度もなかった。
俺は喉の奥が熱くなるのを誤魔化して、頷いた。
「……うん。帰ってきたら、呼ぶ。絶対」
ポリンは小さく頭を下げた。
俺の横で、テオが一度だけ息を吐いたのが分かった。
安心したみたいな、でも少しだけ、寂しそうな。
父さんが咳払いを一つする。空気が、また引き締まる。
俺は父さんに視線を戻した。鮮やかな赤い瞳は、どこか少し不安に揺れていた。
「よいか。ミナト」
「はい」
「危ないことはするな」
「……危ないことって何」
「危ないことは危ないことだ」
「説明が雑だろ!」
でも父さんの目は真剣だ。
俺が返事を迷う前に、テオが一歩前に出た。
「陛下。ミナト様は、私が必ずお守りします」
飾り気のない宣言が、真っ直ぐ父さんに届く。
ホークも並ぶ。聖光国側の責任者としての顔で。
「私も、責任をもって隊をまとめます。殿下の安全を最優先に」
セシルが一歩遅れて、でもはっきり言った。
「……私も、必ずミナト皇女殿下のお役に立ちます」
すると、リーンもスッと俺の肩の上に立って胸を張る。
「ボクも! ミナトちゃんの親友だから!」
「親友を名札みたいに掲げるなよ」
俺のツッコミに遠巻きに見ていたアリアが楽しそうに笑う。
「アタシは、ミナトちゃんの風紀を乱す役がんばりまーす」
「いらない役!」
空気が明るくなる。
でも父さんの目は相変わらず真剣で、最後に一言だけ、低く言った。
「……帰ってこい」
それは命令じゃない。
願いだった。
俺は、ちゃんと正面から受け止めた。
「うん。帰ってくる」
テオの手が、俺の背中にそっと添えられる。
昨日の厩舎の灯りを思い出す温度。
バルドが声を張り上げる。
「それでは、出発を。隊列は予定通り。馬車の扉、閉じます」
ガタン、と木の音が響く。
中庭の空気が“旅”へ切り替わる音。
ノクスが静かに蹄を鳴らした。
ルーチェが、遠くで鼻を鳴らす。
まるで二頭とも「行くぞ」と言っているみたいだ。
俺は最後にもう一度だけ、城の人たちを見た。
大げさなくらい手を振っている。大げさなくらい心配している。
「……行ってきます!」
俺が言うと、返事はひとつじゃなかった。
重なって、重なって、背中を押す声になった。
「いってらっしゃいませ!」
「お気をつけて!」
「無事に!」
「早く帰ってきてくださいね!」
そして、門が開く。
馬車が動き出す。
俺の胸の中の“城”が、少しだけ遠ざかる。
でも不思議と、怖くなかった。
隣にいる。後ろにもいる。前にもいる。
俺は無意識に、テオの姿を探す。
すぐ見つかった。
ノクスの手綱を握り、いつもの顔で、いつもの距離で。
──大丈夫だ。
そう思えたところで、城の旗が一度、強く揺れた。
「……父さんの、あの箱の山、本当に積んでないよな?」
馬車の中で呟くと、窓枠に腰かけたリーンが両手をパッと広げる。
「大丈夫! バルドさんが“適切に”消したよ!」
「マジで消したの!?」
ルーチェで並走するホークの明るい声が続く。
「安心してください。物理的な圧が減っただけです」
「精神的な圧は残るのかよ!」
愕然とする俺に、セシルが教会の印を結ぶ動きをすると微笑む。
「ミナトさん、魔王陛下の加護ですね!」
一拍置いて、俺とアリアは顔を見合わせた。
「絶対、違うと思う」
「あれは親バカの呪いよ」
俺とアリアの真剣な声が揃う。セシルは目をぱちくりと瞬かせた。
「あはは!グレちゃんの愛はしつこいからね~!」
リーンが笑いながら窓枠から立ち上がると羽を震わせて飛び上がった。
きらきらとした金の粒がリーンの飛んだ軌跡を描いて空に消えていく。
俺は馬車の窓からそっと身を乗り出し、顔に当たる風を吸い込んだ。
城壁の影はもう遠く、視界の先には、街道が細い帯みたいに伸びている。
上を見上げれば、遮るもののない空が広がっていた。
高くて、青くて、雲がゆっくり流れていく。
胸の奥のざわめきが、風に撫でられてほどけていく。
「……行くんだな」
小さく呟いた声は、馬車の軋む音に溶けて消えた。




