◆第35話 魔帝国流の装備点検
装備室。
城でずっとのほほんとしていた俺にはあまり馴染みのない部屋だ。
金属の匂い。革の匂い。並びすぎて逆に怖い道具たち。
……黙ってると逆に緊張してくるな。
しかも今日は旅のための装備点検だ。空気が余計に張っている。
「こちらです、ミナト様」
テオが扉の前で立ち止まり、いつもの落ち着いた声で言った。
落ち着きすぎて逆に怖い。嵐の前なのに気象観測員だけ冷静、みたいな態度だ。
「……なんか、俺まで出勤してる気分になってきた」
「装備室は騎士団の職場です。ある意味、出勤です」
「ある意味って何だよ」
横からアリアが肩を抱くと唇を奇麗な弧にして顔を覗き込んでくる。
「ミナトちゃん、出勤してきた顔してる。ほら、背筋も口元も“真面目”になってる」
「真面目は悪くないだろ!」
「悪くないけど、似合わないわね」
「おい」
リーンが宙でくるりと回った。
「ミナトちゃん、旅の装備はね、心で選ぶんだよ!」
「機能と安全と……規律じゃないの?」
「心が一番大事!!」
よく分からない理屈を押しつけられたところで、テオが扉を開ける。
きい、と控えめな音。
中は明るく、整然としていて、そして……先客がいた。
「おっ、姫! 待ってたっす!」
元気の塊みたいな騎士が一歩前に出る。
同時に、真面目の塊みたいな騎士が半歩後ろで姿勢を正した。
「護衛騎士として随行いたします、オークです。準備は整っています」
「同じく、アッシュっす! 任せてください!」
テオが淡々と頷く。俺は見覚えのある顔に思わず前に出ると人差し指を立てた。
「あ!前に挨拶してくれたよな? えっと……アッシュに、オーク!」
「合ってるっす!」
「問題ありません」
「よし。覚えた。たぶん」
「たぶん!?」
アッシュが大袈裟にのけぞり、オークが真顔で言う。
「ご安心ください。騎士A、騎士Bでも問題ありません」
真面目なトーンに俺は慌てて手を振る。
アリアとリーン、追加でホークも後ろで笑いを堪えるために仲良く肩を震わせていた。
「いや、冗談だよ!! ちゃんと覚えたから安心して!」
「ミナトちゃん、テオみたいに何回も呼んであげたら覚えるわよ。」
アリアが笑いながら雑に親指でテオを指す。
指差されたテオが咳払いで流す代わりに、ホークが口を挟む。
「確かに、繰り返し呼ばれると覚えますよ。戦場で間違えると怖いので」
「怖!やめろよ、フラグになったらどうすんだ!」
ホークは飄々と笑う。
セシルは俺の隣で、少しだけ背伸びするみたいに立っていた。
いつもの王女の顔なのに、視線は既に旅立ちにわくわくしながら並び立つ装備を見ている。
「ほら! 装備点検に来たんだろ!?」
俺は空気を変えるために両手を振ってアピールする。
みんなの視線が俺に集まったところで、その後は……
「……で、テオ。俺は何したらいい?」
いや、旅立ちの準備とかね。俺わかんないからさ。
ここは経験者に振るのが正義!!
テオが頷いて、俺の言葉を引き継いでくれる。
「ミナト様は軽装の確認を。緊急時に必要なものを最小でまとめます」
「最小……最小ね」
きょろきょろと辺りを見回す俺の横で、アリアが装備棚のいちばん“映えてる”位置を指差した。
「最小なら、これよ。これ絶対かわいい!」
革のベルトだ。
細身で、金具は銀。
そして腰のあたりに、小さな小物入れが付いている。財布や札、鍵みたいなものを入れられそうだ。
「便利枠?」
「便利枠であり、映え枠でもある」
「両立させんな」
「両立させるのが美なのよ」
リーンが俺の肩越しに覗き込んでくる。目がキラキラだ。
「ミナトちゃん、小物入れあるとね、拾った石も入れられる!」
「拾った石を入れる前提で旅するな!」
ホークがアッシュに渡された手袋を締めながら横目で確認する。
「地図を畳んで入れるのにも良さそうですね。……ただし、付け方を間違えると旅の途中で全部落ちますが」
「落ちるのは嫌だな」
顔をしかめた俺に、テオが棚から革ベルトを取りながら振り返る。
「正しく装着できれば大丈夫でしょう。 ご自身で試してみますか?」
「……うん。俺がやる」
ベルトを掴んで腰に回し、適当に留め具を通して、カチッ。
「よし」
言った瞬間、アリアの眉がぴくりと動いた。
「よしじゃないわよ」
「え、何」
「通し方が違う。あと角度。あと小物入れが斜め。あとその締め方、雑」
「四つもダメ出しされた」
「旅に出る子の腰回りは大事でしょ」
「言い方!」
アリアがずいっと距離を詰めて、俺の腰に手を伸ばす。
反射で一歩引こうとしたら、背中にそっと触れるものがあった。
「ミナト様。動くと余計にずれます」
テオだった。
いつも通りの丁寧さ、いつも通りの落ち着き。なのに触れられたところだけ妙に熱い。
「……分かってる」
「分かっているなら、止まってください」
「うっ」
リーンがにやにやする。いつの間にかセシルの肩にちゃっかり座っている。
「テオはいつでも、ミナトちゃんを止めるの上手〜」
「上手とか言わなくていいから!」
騒ぐ俺とリーンにかまわず、アリアが留め具に指をかける。
「ほら、ここ。こうして……」
その瞬間。
ベルトがぎゅっと締まった。
「痛っ……!」
「……え?」
アリアが引く。引いても動かない。
留め具がまるで“拒否”してるみたいに固い。アリアが驚いた顔で呟く。
「なにこの装備、賢い子……」
「賢くなくていい!!」
それを見たリーンがシュッとセシルの肩から飛んでくると「任せて!」と小さな手を突っ込んだ。
「ストップ!それ絶対やば――」
遅い。
紐が増えた。増えて絡まった。なぜ増えた。
「増えたぁ!?」
「妖精パワーだよ!」
「いらない!!」
アッシュが「かわいいっす!」と盛り上がり、オークが「合理性がありません」と真顔で否定する。
装備室が、だいぶ装備室じゃなくなってきた。
「もう!だから俺がやるって!」
俺は意地で留め具をいじる。
すると今度は、さっきより強く、殻に閉じこもる貝のごとく、カチッと締まった。
「ぐえ! くるしっ……何このサービス精神!」
「装備がミナトちゃんの心を汲み取ったんだよ!」
「装備に心いらねーだろ!」
腰回りの圧迫感と、視線と、増えた紐と、アリアの楽しそうな目。
頭がごちゃごちゃになって、息が浅くなる。
(こんなの完全に呪いの装備だろ! 宝物庫行きの!!!)
その時だった。
「……ミナト様。動かないでください」
テオの声が、すっと落ちた。
怒っていない。焦ってもいない。
なのに、その落ち着きが逆に心臓に刺さる。
テオの手が俺の腰に添えられる。支えるための、当然の位置。
触れられた瞬間だけ、胸の奥が変に跳ねた。
(やばい。これ、まずい。俺、今……)
頭の隅を、妙な記憶がかすめる。
真面目な顔で近づかれて、触れられそうで、触れられなくて。勝手に自分だけが騒がしくなる、あの最悪で最高のやつ。
(違う違う違う。これは安全確認。業務。業務だ……!)
俺が必死に自分へ言い聞かせている間に、テオの指先が留め具に触れた。
スッ。
音もなく、ベルトがほどけた。
……え?
締まりすぎて外れなかったはずなのに。
アリアが苦戦して、リーンが絡ませて、俺が意地になって余計に締めたはずなのに。
テオが触れた瞬間だけ、全部が「どうぞ」と言うみたいに従った。
装備室の空気が一拍、止まる。
俺の頭の中はもっと止まる。
(装備、何? 何を許可した? 俺の意思じゃないんだけど!?)
セシルが、真っ直ぐな声を出した。
「……えっ」
嫌な予感がした。
そして予感は当たる。
「自分から脱ぎましたね……?」
「セシル!違っ……俺、そういう意味じゃなくて……!!」
リーンが息を吸って実況の準備をする。
俺は反射で叫んだ。
「リーンちゃん、黙って!」
「まだ何も言ってないよ!?」
ホークが咳払いを一つして、視線だけで笑う。
「……映え装備、意思が露骨ですね」
「そこ、静かに刺すな!」
テオは表情を崩さず、ほどけたベルトを掴み直す。留め直そうとする。
でも、指が離れた瞬間に、またスッと外れる。
「……」
沈黙が増える。
テオが留める。外れる。
もう一回、留める。外れる。
俺の羞恥が、じわじわと上がる。
笑うな。見るな。いや見ないで。
なのに誰も目を逸らしてくれない。装備室、地獄すぎる。
そしてテオが、低い声で淡々と言った。
「……後で封印します」
真顔すぎて、逆に周囲から笑いが噴き出した。
俺は羞恥心でテオに八つ当たる。
「ベルトに何の恨みがあるんだよ!」
「恨みはありません。業務妨害です」
「言い方が重い!」
アッシュが「封印かっこいいっす!」と盛り上がり、オークが「適切です」と頷き、リーンが腹を抱えて飛び、アリアが笑い涙を拭く。
俺だけが、胸の奥でまだ変な鼓動を引きずっていて。
それが悔しくて、さらにツッコミが荒くなった。
「俺の意思じゃないからな!? 絶っ対に、俺の意思じゃないからな!!」
テオは、ほどけたベルトをいったん俺の手から取り上げた。
そして無言で、別の革紐で小物入れだけをしっかり固定し直す。
“映え”は残しつつ、“呪い”を殺す。職人の手際。
「……これなら落ちません」
「最初からそれにしてくれ!」
「最初は点検です」
アリアが肩を揺らしながら言う。親指を立ててウインク付きだ。
「ミナトちゃん、映えは捨てないの偉い!」
「捨てていい!」
リーンがぱたぱた飛んで俺の胸元に着陸すると片耳を押し当てる。
「ミナトちゃん、まだ心臓すっごい速い!」
「言うな!!」
テオが一度だけ咳払いをした。小さい音なのに、空気がすっと整う。
「続けましょう。ミナト様のベルトは予想外でしたが、
ここにある魔力が通っている装備は、どれも装着者の意思で簡単に着脱できるようになっています」
アッシュとオークが、棚からそれぞれの装備品をカウンターに置いていく。
皆がそれぞれ自分のサイズを確認している中、俺は一人呟く。
「なんで俺だけ……」
「ミナトちゃん、やっぱり装備は心が大事なんだよ」
リーンが俺の肩に移動すると小さな手を伸ばして“よしよし”と撫でる。
その様子をホークが軽く笑う。
「明日は馬車の確認と厩舎ですね。 馬も心が大事なんで、一緒ですね」
ホークの言葉にテオが淡々と頷いた。
テオは俺の方に向き直るとほんの少し目を細める。
「ミナト様は、厩舎も初めてになりますね。 馬は苦手ではありませんか?」
「んー。……や、じゃない。かな。むしろ好きな方だと思う」
「……」
「テオ?」
「いえ、それなら良かったです。ミナト様」
テオの口調も声音も、いつも通りのはずなのに。
さっき腰に添えられた手の温度が、まだ残っている気がして。
俺は咳払いで誤魔化した。何故かテオも同じタイミングで咳払いしている。
「……ミナト様、出発までは休息を優先してください。寝不足は判断を鈍らせます」
「……分かった。寝る。絶対寝る」
リーンがにやにやしながら囁く。
「夢、見るかな?」
「見ない!!」
笑いが落ちて、装備室の金属の匂いが少しだけ温かく感じた。




