◆第34話 王女の決意
皇族用の食堂に差し込む朝の光は、やわらかい。
大広間みたいな冷たさはなく、
静かな贅沢だけが整然と並んでいる。
焼きたてのパン、香草の香るスープ、果実のジャム。
給仕が都度行き来をし、最適なタイミングで出してくれる。形式を感じさせる作りだ。
大食堂のがやがやした雰囲気も好きだけど――
(……ここで皆と食べる朝ごはんの方が、家にいる感覚になるんだよな)
俺はしみじみと一緒に食卓を囲む三人、テオ・アリア・リーンを眺める。
「ミナトちゃん、そういえば昨日の夕飯の話、まだ聞いてないわ」
俺の視線に気づいたアリアがスプーンをくるりと回しながら言う。
向かいのリーンはパンをちぎって、目をきらきらさせた。
「ねえねえ! 何しゃべったの? 魔王陛下、ちゃんとパパしてた!?」
「そんな大した内容話してねぇって……」
俺は言いながら、ちょっとだけ口角が上がるのを止められなかった。
思い出すと、勝手に顔がゆるむ。腹立つくらいに、あったかい時間だった。
テオはいつものように、俺の前の皿の位置をほんの少し整えた。細かい所作は騎士団長というより、もう“習慣”の域だ。
「ミナト様。差し支えなければ、私も伺いたいです」
テオにしては珍しく興味津々の声音だ。
俺はスープを一口飲んで、熱で言い訳できるうちに話し始める。
「……ええと、ちゃんと眠れてるかとか、毎日楽しいかとか」
「生活指導だ!!」
「想像できるわ~」
リーンのツッコミに、アリアが水のグラスを揺らして笑った。
「あとさ」
俺は言葉を探して、少しだけ視線を落とした。
「父さん、俺に聞いてきたよ。『お前は、どうしたい』って」
テーブルの上の空気が、ふっと静かになる。
アリアの目つきが柔らかくなって、リーンもパンを置いた。
「ミナト様が、どうしたいか」
テオが繰り返す。その声が、朝の光と同じくらい穏やかだ。
「うん。条件とか命令とかじゃなくて、俺の気持ちが一番大事なんだって」
俺は続けながら、昨夜の父さんの顔を思い出す。
威圧感そのものみたいな存在なのに、俺の前だけちょっと不器用になる、あの感じ。
「俺が『行きたい』って言ったらさ……すげえ嫌そうな顔してた。あの顔、反則だろ。心配が表に出すぎ」
アリアが小さく笑う。
「親バカの顔ね」
「うん。完全に親バカだと思う」
俺がツッコむと、テオが小さく息を吐いて笑った。
「……陛下が、ミナト様のお言葉を尊重なさっていて、良かったです」
ほんのわずか。見逃すと消える程度の笑みなのに、胸の奥が勝手にほどける。
俺は急に照れ臭くなると、パンを大きめにちぎって口に放り込んだ。
「で、他には?」
リーンが興味津々で身を乗り出す。
俺は少しだけ息を吸って、思い出の“締め”を取り出した。
「……それからはアレだよ。例の巻物と一緒」
俺は思い出して感情のない半目になる。
あの長い長い巻物は持って行かないといけないんだろうか?
「『甘いものは控えろ』って言ってたくせに『寒い日は甘いものを食え』とか」
「うわぁ! テオ、頑張って条件覚えないとだね」
リーンがとんでもないものを見た顔で口元を押さえる。
アリアがわざとらしく眉間にしわ寄せて“うんうん”と頷く、その向かいでテオだけが真面目に頷いた。
「そうですね。 後ほどミナト様にお借りします」
「覚えなくていい!!」
リーンが机を叩いて笑う。アリアも笑う。俺も、つられて笑う。
テオは、穏やかな目で俺を見ていた。
「良い夕餉でしたね、ミナト様」
「……うん」
俺は小さく頷いた。
昨日の夕飯なのに、もう昔みたいに感じる。昨夜の言葉が、今日の俺の背中を押している。
コン、コン。
その時、扉が控えめに叩かれ、次いで外から声がした。
「ミナト皇女殿下。集合のお時間でございます」
朝のあたたかさが、すっと“仕事の空気”に切り替わる。
俺は椅子から立ち上がって、三人を見回した。
「行くか」
「はい、ミナト様」
テオの返事は短い。けれど、その一言だけで、足元が安定する。
そして、俺たちはバルドの待つ会議室を目指して、部屋を出たのだった。
◇◇◇
会議室は昨日、話したままの空気だ。
バルドが全員が揃ったのを確認して頷く。
「始めましょう。本日は、ミナト殿下を軸に構成した共同調査隊の編成と運用。次に、行程のご説明をします」
向かいに座るシグが、書類を揃えた。
ホークは背筋を正し、セシルはその隣で静かにペンを握っている。
「使節団と詰めていた元案は、双方の騎士団で構成された中規模の混成隊。
異形発生の報告が多い“リムネ村の調査”を名目に、治安維持と威圧に特化したものでした。ですが――」
バルドの視線が、俺の方へ一度だけ寄越された。“俺が軸”だと、言外に釘を刺すみたいに。
シグが頷き、バルドの言葉をそのまま引き取る。
「中規模隊は今回の目的に噛み合わなくなりました。規模が大きいと動きが鈍ります。
判断の遅れは、情報を濁る。何より、護衛線が長くなってしまう」
隣でテオが微かに頷いた。アリアが指先で地図の赤点を弾く。
「今回って、“敵を殴る”より“原因を掴む”でしょ。なら、人数は正義じゃない。精度が正義」
リーンが椅子の背に寄りかかり、ぷ、と頬を膨らませる。
「人が多いと、気配がぐちゃぐちゃになるしね。ボク、そういうの嫌い!」
ホークが低く息を吐いて笑いを飲み込んだ。
「……感知役の意見としては、正しいですね」
バルドが頷く。
「よって、編成は二層にします。
“表”としての混成隊は残しますが、あくまでも政治と後方のため。“実働”は別となります」
シグが指を折った。
「実働は、殿下を核にした少数班。移動、調査、遭遇時の判断を一本化することとしました。
“表の混成隊”は治安維持と輸送、補給、封鎖。“実働班”は原因追跡と対処。
両方が噛み合ってはじめて、両国の面目も民の安心も守れます」
俺は口を開きかけて、やめた。
俺の頭の中だけ、なぜかぼんやり霧が出てきたからだ。
二層? 表? 実働? あと、俺が核で……核って何、爆発するの?
焦る俺を置いて会話はどんどん前に進んでいく。
同い年っぽいセシルに同意を求めて視線を向けるが、セシルは時々頷きながらペンを走らせていた。
これは……完全に理解している人の動き。
「……(リーンちゃん!)」
俺はこっそり、リーンの服の裾をつまみ、ひそひそと声をかける。
「……?(ミナトちゃん? どうしたの?)」
同じようにヒソヒソと返してくるリーンに俺は必死の様子で訴える。
「……(みんなの話、翻訳して!)」
一瞬の間があって。
ぶはっ、とリーンが吹き出した。
一斉にみんなの視線が俺の元に集まる。
「~~~っ!!!」
体中の血が顔に集まっただろう俺は、椅子の上で小さくなった。
みんなの温かい視線が余計につらい。
「ミナト殿下。今回、表向きは“大きい混成隊”を作りますが、実際に動くのは“小さいチーム”です。
この小さいチームに、殿下、テオ、アリア、リーン。ルーメンティア側の現場責任者としてホーク殿に入っていただく予定です。
連絡や見張り要員として追加一、二名は随伴させますが……」
穏やかな目をしたバルドの説明で、俺の世界がようやく開ける。
俺は“うんうん”と勢いよく頷いた。
アリアが背もたれに寄りかかると手元の書類をめくる。
「小さいチームっていっても、ルーメンティア側が少なすぎない?」
アリアの言葉に頷いたシグが、書類のページをめくると全員を見渡す。
「はい。なのでルーメンティア側の希望として、ロウガンを実働班に加えたいと思います」
俺の脳内で「ロウガン」が太字になる。
リーンが俺の頭の上で頬杖をついて足をぶらぶらさせながら口を挟んだ。
「ロウガンって、リサさんのお友達のロウガンさん?」
「え、リーンちゃんは知ってる人!?」
俺が驚いて視線を上にあげるが、頭の上にいるリーンの表情は見えなかった。
代わりにシグが口を開く。
「ええ。ロウガンは過去、聖女と共に“境界線の戦場”を経験した者です。
今はギルド側の人間ですが、異形のエキスパート。きっと役に立てるでしょう。」
ホークがにやっと口端をあげると肩をすくめて付け足した。
「ロウガンのおっさんは“予兆”を嗅げる。俺たちが見落とす種類の危険も、経験で切り分けられると思います」
テオが顎に手をあて静かに頷く。
「それは……護衛上も利がありますね。危険の種類が事前に分かれば、ミナト様の安全性はあがる」
何とか話題についていけた俺が、疑問をぶつけるために手を挙げる。
「そのロウガンって人がルーメンティアから来るなら、どっかで待ち合わせるの?」
バルドが“よくできました”と言わんばかりに微笑みながら頷く。
「良い質問ですね、ミナト殿下。
今回の調査目的地となるリムネ村を起点に私とシグ殿で検討しまして、
いまのところ、“交易都市ヴァルモント”で落ち合うのが良いかと思っています」
シグがバルドの言葉を受けて道に赤く線が入った地図を全員に配る。
「それでは、このまま行程についてお話を――」
「あの、すみません……!」
地図を手にしたシグの言葉を細い声が切った。
「……お話中に失礼いたします」
セシルだった。
同席してからずっと、ペンを握り、頷き、理解の速度を隠していた少女が。
今は、椅子の背から少し身を起こしている。
セシルが、息を一つ吸う。
王女の呼吸。けれど、中身は少女らしい緊張が混じっていた。
「皆さまが今、ミナト皇女殿下を核にして最小の実働班を組むと決めたこと……理解いたしました。だからこそ、お願いがあります」
ホークの目が動く。
護衛の目だ。言葉より先に、危険を測る目。
テオも同じだった。
だがテオは、視線を動かさない。“場”を守っている。
セシルは机の端に指を揃えて、まっすぐに続ける。
「わたしも、共同調査隊に加わりたいです」
会議室の温度が一段下がる。最初に声を出したのは、ホークだった。
「……セシル様、理由をお伺いしても?」
語尾に止めたい気持ちが見える。
それにも怯まないセシルは視線を逸らさず、俺を見る。
「私も……私もミナトさんの近くで、役に立ちたいからです」
胸の奥が、きゅっとした。
もし調査隊に入ったら、異形と戦うことだってあるだろう。
そしたら、あの悪意の塊と向き合わないといけない。
(……セシルが危ない目に遭うのは嫌だな)
そう思ったと同時に、向こうもそう思ってくれていることを理解する。
たった数日だけど、俺たちの距離は最初よりずっと縮まっていたらしい。
俺は思わず口を挟みそうになって、飲み込んだ。
アリアが腕を組んだまま、横から刺す。
「役に立ちたい、って言葉はきれい。けど現場は、きれいなだけじゃ足りないわ。危険なこともある」
セシルは一拍置いて、頷いた。
「分かっています。 ですが……それでもご一緒したいのです」
王女として、シスターとしての意思の強さが瞳に宿る。
バルドが、俺にちらっと視線を送ってから、咳払いで空気を変える。
「私は問題ないかと。王女殿下にしか持てない役割もございますので」
シグが、そこに静かに重ねた。
「王国側にとって、王家が本気で向き合っているという証明になり、教会にだけ権威を渡さない牽制にはなりますな」
セシルは、理解している顔で頷く。
ホークの眉間がわずかに寄る。
「……政治的には正しいんでしょうけど。ですが、俺は護衛です」
「わかっています、ホーク」
セシルの声は柔らかいのに、芯がある。
「もちろん。わたしのせいで、ミナトさんの足を引っ張りたくない。だから、ホークが“守り方”を決めてください」
ホークが言葉に詰まる。
守る側に、“決めろ”と言えるのは、守られる側が覚悟した時だけだ。
「……王女殿下」
声をかけたのはテオだ。
丁寧で、低い声。会議室の空気が整う声。
「ミナト様は核です。核が揺れれば全員が揺れます。王女殿下の同行は、核の運用に影響します」
その言葉だけ聞けば、反対にも聞こえる。
けれどテオは、言い切ったあとに続けた。
「だからこそ、影響を“制御できる形”にするべきです。曖昧にせず、役割と導線を作ることは有意義なことかと」
ホークが、短く息を吐いた。
「……同意します」
俺は、やっと口を挟めた。
「セシル。……俺は、一緒に行けたら嬉しい。けど、無理してない?」
セシルは、ほんの少しだけ笑った。
怖いのを隠すための笑いじゃない。ちゃんと、俺に届く笑いだ。
「無理はしてません。……私がお役に立ちたいのです」
リーンが、机の上で指を一本立てた。
「じゃあ、セシリアちゃんは“ミナトちゃんが無理しそうな時に止める係”だね!」
「それは、私の仕事です」
テオが即座に返し、会議室に小さな笑いが落ちる。
アリアがいたずらっぽく笑って肩をすくめる。
「いいんじゃない? ルーメンティア側の権威や教会にも顔が利くセシリアちゃんは、万が一があった時、居たら強いわ」
俺が“うんうん”と頷くのをバルドが微笑みと共に見届けると、パンと手を叩く。
「では。王女殿下の意思は受け取りましょう。
王国側の現場責任はホーク殿だ。護衛導線はテオバルトと二人で調整をお願いします」
ホークがテオを見て頷き、テオもホークを見て頷く。
視線だけで、仕事の握手が交わった。
「……互いの死角を埋める、ということですね」
「はい。双方の安全が同じ線上にあるよう、組みます」
ホークの呟きに対して、テオの返事は短い。短いけど、確かな“承諾”だった。
セシルが、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。必ず、役に立ちます」
そして会議室の空気が「決める」から「動く」に変わる。
「今後の行程ですが、最終目的地は境界の村と呼ばれている“リムネ村”となります。
魔帝国からもルーメンティアからもかなり離れた……この辺ですね」
バルドが壁にかけられた地図を指先でなぞった。
「中間地点の交易都市ヴァルモントで補給と情報更新を。
ロウガン殿と合流後は、そのままリムネ村周辺での調査をお願いいたします。」
それぞれが頷き、理解したことを確認してバルドが言葉を紡ぐ。
「異論は……ないようですね。 では、ご武運を」
穏やかな、それでいて有無を言わせないバルドの言葉を最後に会議が締まる。
硬かった空気が、ようやく呼吸できる温度に戻った。
俺は書類を抱え直して、小声で言った。
「……で、旅の準備って何からだ?」
横から、リーンがひゅいっと顔を寄せてくる。目がやけに輝いてる。嫌な予感がする。
「ミナトちゃん、装備はね。宝物庫がアツいよ」
「宝物庫? あそこ危険判定の贈り物が入ってるとこだろ」
「うんうん! だから最高!」
絶対に最高じゃない。
リーンは胸を張って、なぜか少し声を大きくした。
「宝物庫に『ビキニアーマー』があるよ! あれ凄い強い!」
「はぁ!?」
会議室内に響き渡るリーンの声に全員の視線が、またも俺に一斉に集まった。
同時にテオの気配が一瞬で変わった。
……目が、目が怖い!!!
そして次の瞬間。
「却下」
バルドの声が、まるで落雷みたいに落ちた。
早すぎて、リーンの羽ごとびりびり空気が震える。が、この妖精は全く気にしない。
「えぇー!? でも金属だよ!? 防御力あるよ!? ほら、肌が出てる分、動きやすいし!」
「視線が武器になる時点で危険判定でございます」
「視線が武器ってなに!」
ついツッコミをいれてしまった俺に、アリアが噴き出して、肩を震わせる。
ホークは咳払いで笑いを誤魔化し、シグが手元を口で隠す。
セシルは固まっている。理解はしている顔で、固まっている。
リーンは頬を膨らませると、静かにどす黒いオーラを出しているテオを振り返る。
「ね、テオはミナトちゃんが可愛く目立つの、嫌?」
「“可愛く目立つ”という表現自体が問題です」
即答。
机の端でアリアが「強い」と肩を揺らしている。
テオは淡々と続けた。
「装備は機能と安全と規律で選びます。ミナト様の尊厳も含めて」
「尊厳って言うな!」
俺の抗議が虚しく室内に響く。
俺は顔を押さえて息を吐いた。
……硬い会議の最後に、なんで俺が装備で公開処刑されてるんだ。
テオが少しだけ声を落とす。
「ミナト様。旅支度は私が整えます。ですので、安心してください」
「……うん。頼む。ほんとに」
リーンが俺の黒髪を少しだけ手に取るとさらさらと流して楽しそう笑う。
「じゃあ代わりに、マントはひらひらのやつね! 風でチラッとするやつ!」
「リーン」
テオの声が一段と低く落ちた。
リーンは俺の髪からパッと手を離すと笑いながら、ひゅいっと天井高く飛んでいく。
会議室の扉の向こうに、交易都市ヴァルモント。
その先に、境界の村リムネ。
旅の始まりは、どうやら静かには始まらない。




