◆第33話 共同調査隊と核
朝の光ってやつは、相変わらず容赦がない。
カーテンの隙間からスッ…と差し込む白い光が、
俺の頬と指先を撫でて、
昨夜の全部を「はい現実です」って突きつけてくる。
礼拝室。結界。あの気配。
(……だめだ。思い出すな、俺。)
思考が昨夜へ滑りかけたところで、
突如として明るい妖精の声が、俺の意識に割り込んでくる。
「おはよーー!!ミナトちゃんっ!!」
ノックの音より先に声が届いた。
いや、叩いてはいた……かもしれない。
俺が返事をする前に扉が開いて、隙間からリーンがシュッと入ってくる。
「勝手に入るな!」
「だってミナトちゃん、返事遅いんだもん」
「遅くねぇ!」
言い返す間もなく、勢いのついたリーンがベッドへ飛び込んでくる。
そのまま俺の胸元がどすん、と沈む。
「ぐぇ」
「うん。ここが一番、ミナトちゃんの顔が見えるね!」
「それはお前の都合だろ」
リーンは胸元にちょこんと座り直す。
俺の頬をむにっと両手で挟むと、そのままぐいっと正面を向かせてくる。
逃げられない。視線が合う。見つめ合った淡い緑色の瞳は思ったより真剣だった。
「顔色よし。目よし。呼吸よし。ついでに座り心地よし!」
「最後いらねぇ!」
「親友は確認が大事なの」
「親友はそんな確認しない!」
俺が枕を引っつかんだタイミングで、廊下から落ち着いた声がする。
「ミナト様。おはようございます」
テオの声だ。
いつも通り丁寧で、なのに今日は、ほんの少しだけ低い。寝起きの耳に、ずるいほど馴染む。
「入っていいぞ」
扉がスッと開いて、朝の支度を急いだのかいつもより軽装な騎士服のテオが入ってきた。
茶色の瞳が俺の姿を見つけると、ほんの少し細まる。
手に持ったトレーには水と軽い朝食。今日は何だか気配がやわらかい。
そんなテオの姿を見た途端、
俺の腹はとても正直に、きゅるる、って鳴った。
……人って安心すると腹が減るの、なんでなの。
「……」
「……食欲があって、何よりです」
「鳴ってねぇ!」
「腹が鳴ったとは言ってませんが……」
「それ言ってるのと変わんねーから!」
リーンがげらげら笑って、俺の胸の上で揺れる。
揺れるな!余計な揺れを起こすな!
テオは咳払いをして、リーンに視線を向けた。
「リーン。ミナト様の上に乗るのは……危ないです」
「なにが危ないの?」
「……転倒の危険があります」
「ミナトちゃん、これくらいじゃ転ばないよ」
「転びます」
(俺、そんなにすぐ転ぶか!?)
丁寧語で断言されると、妙に説得力があるように聞こえる。
俺は俺で、リーンの襟元を掴むと胸にしがみついている妖精を引き剥がそうとする。
「……リーンちゃん、ほら。降りて」
「やだ」
「やだじゃない!」
そこへ窓がぱん、と開く音。風がふわり。
そして、アリアがぬるっと現れた。
こいつらドアの概念どうなってんの?
「おはよ、ミナトちゃん。顔、いい感じに生きてる?」
「言い方!」
「心配してるのよ」
アリアは窓を跨いで当然みたいに俺の横に来ると、肩にどん、と寄りかかってくる。
距離感がいつも雑。いや、狙って雑。
「昨日、怖かったでしょ?」
しなやかな白い指で俺の顎をスッと撫でると
甘い声で刺してくる。
待って。ここだけ完全に朝の空気じゃない。
「……別に」
「別にって言う顔じゃない」
そう言いながら、アリアが手の甲でリーンをぺいっと払うと俺の肩に腕を回して、抱きついてくる。
「はい補給。ミナトちゃんに元気をおすそ分け♡」
「だぁあ!朝から濃いんだよ、お前ら!!」
アリアのやわらかい感触と良い匂いに包まれて動揺する俺の横で、
リーンが宙でくるっと体勢を戻すと、わざとらしく悲しい顔で肩を落とした。
「そうかー。残念だけど、ミナトちゃんはボクやアリアじゃなくて……」
「……じゃなくて?」
「テオにぎゅってしてもらわないと回復しないんだよ……」
ガチャン!
瞬間、テオの持っていたトレーがテーブルですごい音を立てる。
「ちょっと、テオ。トレーは静かに置きなさいよ」
アリアが口を尖らせて振り向くが、テオは完全に無視だ。
まるで何もなかった動作でトレーの上を整えると、こちらを振り返る。
「ミナト様、朝食を……」
「あ、ありがと!」
俺は慌ててアリアを引き剥がし、ベッドから降りようと足を出した。
焦って勢いよく踏み出した一歩は、床に落ちかけていたシーツを思いきり踏みつける。
滑った俺は、そのまま床に尻もちを――
……つかない。
「……っ!」
気がついた時には俺の腰に、腕が回って、ぐいっと引き寄せられていた。
転げ落ちる前に回収。迷いゼロ。
「……テオ!?」
「ミナト様。慌てると危ないです」
耳元に落ちる感情の乗った低い声。近い。息がかかる。
心臓がどくん、と跳ねたのが自分でも分かった。
「わわ、わかった! ありがとう! ごめん、もう離していいから!」
「離しません」
「は!?」
テオの腕が微妙に強くなる。腰がきゅっと固定される。
俺の胸がテオと俺に挟まれてちょっと苦しいまである。俺は自分の顔が真っ赤になる感覚を実感した。
リーンが得意そうにぱちぱちと手を叩く。
「ほら、ボクの言った通りだ!」
「こ、これは違う!!」
ちゃんと回復することを認めたくない俺は思わず叫ぶ。
アリアは余裕の笑顔だ。
「今日の騎士団長殿、いつにも増して甘いわね」
「昨日のせいだろ!」
「そうね」
「そうですね」
アリアと同時にテオも静かに頷くな。真面目に肯定するな。
テオは俺をしっかり支えたまま、まっすぐ言う。
「ミナト様。今日の“平気”は、信用できません」
「……」
俺はテオの顔を見上げたままグッと言葉に詰まる。
言い返したいのに、言い返せない。
悔しい。けど、ありがたいのも同時に来る。二重苦。
羽を瞬かせ肩に乗ったリーンが俺の頬をつん、と突いた。
「ミナトちゃん。今日はバルドさんから今後の話があるらしいよ?」
「うっ……分かってる」
俺の正直な反応に、アリアが眉を下げて困ったように笑うと肩をすくめる。
「そんなに構えなくて大丈夫よ! アタシもテオも同席するし」
「今日はボクもちゃんといるよー!」
「……そっか。ありがと」
小さく言った俺に、テオが、アリアが、リーンも少しだけ目をやわらげる。
その表情だけで、昨日の息苦しさが一段薄くなる気がした。
◇◇◇
小会議室は紙の匂いが濃い。資料が本棚にぎちぎちに詰まっており、色んな地図が貼られている。
「ミナト殿下。ご足労いただきありがとうございます」
長いテーブルの奥に立つバルドが柔らかく微笑む。
テーブルの片側には、俺(と俺の肩にリーン)、テオ、アリア。
向かい側にはシグ、セシル、ホークが座っている。
魔王グレゴール……父さんは、今やらないといけない研究がある、とかで欠席だ。
「ミナト殿下。昨日は……ご無事で何よりです」
シグが慎重に言葉を選んで口にする。
使節団団長のシグは、相変わらず背筋がぴしっと伸びてるけど、目の下の隈が顕著だ。
ここ数日で何歳か老けたんじゃないだろうか。
「はい。おかげさまで」
短く返すと、リーンが即ツッコミを入れる。
「さっきまでベッドで回復してもらってたけどね!」
「危ない言い方するなよ!」
「回復済みです」
アリアがさらっと言う。
「……回復完了しました」
テオまで言うな!
ホークが小さく咳払いして、視線を逸らした。
セシルが、ふふ、と小さく笑う。
おかげで少しだけ、肩の力が抜けた気がする。
バルドが口端に笑みを乗せたまま本題を切り出した。
「今回の会談で発表予定となっていた共同調査隊の発足を、予定通り進めます」
地図に印が打ってある。
国境付近の村落帯に近づくほど赤い点が増えていくのが一目で分かる。
「近年、異形の出現が増え続けているのは事実であり。双方の対応が遅れかねない規模になりつつあります」
バルドが全員を見回す。それぞれが理解してい頷いていることを確認するとシグが言葉を引き継ぐ。
「共同調査隊の役割は、もっとも被害の多い地域の調査と治安維持です。
双方の友好を示すためにも隊の構成は魔帝国グリーグと我が国ルーメンティアの混合で結成……」
「要するに、増えてきた異形を一緒に見に行って、ついでに倒してくるってこと?」
「……率直に言えば、その通りです。ですが、昨日の件で事情が少し異なりました」
シグが一瞬だけ笑みを浮かべるが、すぐに胃が痛そうな顔に戻ってしまった。
リーンが俺の肩の上で腕組みをすると口を挟む。
「昨日、禁術の魔法陣が発動した時に、異形の気配が一斉に発生したんだよ」
「マジか」
「昨夜は、騎士団から何体かの“異形なるモノ”が同時発生したとの巡回報告もございました」
バルドが補足を入れる。
テオが頷き、城周辺の地図に指をさっと滑らせると、複数の赤い光の点を浮かべていく。
全員の視線が光の点に集まり、セシルの息を吞む音が部屋に響いた。
「ボクの考えでは、あの転移魔法陣が、世界をちょっと引っ掻いたんだと思う。布を爪で引っかくと、ほつれるでしょ。あんな感じ!」
リーンの例えは軽いのに、背中がぞわっとする。
俺は息を吸って、吐いた。
「それって……誰かが人為的に異形を発生させることができる。ってことだよな」
会議室に沈黙が降りる。
その空気を破るようにリーンがパタパタとテーブルの上に飛び出すと胸を張った。
「でも、ボクは発生前に感知ができる!!」
「お前だけかよ」
「うーん。そうかも。感知できるのはボクくらいかもだけど、異形の核が見えるのはミナトちゃんだけ」
「……核」
俺は眉を寄せる。初戦闘のとき、胸の奥に残った感覚が蘇る。
アリアが机を軽くとん、と叩いた。
「ミナトちゃんは“自然に発生した異形”の核を一度見てる。
比較できなくても、“自然”を知ってる人は“ズレ”にも気づけるでしょうね」
「人為的な異形がどうかわかるってこと? 俺、まだ一体しか見てないぞ」
「一体で十分。初見の印象って、案外強いのよ」
バルドが咳払いすると口を挟む。
「ミナト殿下であれば、現在増え続けている異形が“自然発生の異形”なのか“人為的に発生した異形”なのかを確認することができる。それはつまり、一緒に調査へ出向いていただく必要があるということです」
全員の視線が俺に集まるのが分かる。俺は視線を落として、拳を軽く握った。
正直、教会と関わるのも、異形と向かい合うのも怖い。
けど、昨日みたいな魔法陣が使える誰かの所為で
今、俺が過ごしているこの国に何かが起きるなら、無視もできない。
「分かった。俺、行くよ」
「ミナト様……」
テオの視線が探るように俺の虹彩を追う。
俺は肩をすくめて、わざと軽く笑った。
「大丈夫。さっき回復したし」
リーンとアリアがお互いの顔を見合わせてから、こちらを見てにやにやする。
場が一瞬だけ、ふっと軽くなったようだった。
「では、ミナト殿下を軸に共同調査隊を組ませていただきます。ありがとうございます」
言いながら、バルドが封蝋付きの文書、というか巻物を机に置いた。
ことん、という音がやけに重い。
「つきましては、ミナト殿下が共同調査隊へ同行するためには、魔王陛下より“条件”がございます」
一瞬で軽くなった空気がガッチガチに固まる。
シグがぴしっ。ホークもぴしっ。セシルも背筋が伸びる。
用意が良すぎる。まるで俺が最初から行くことを了承するのがわかってたみたいだ。
俺は嫌な予感がした。
バルドが封を切る。ぱき、と乾いた音。
「第一。ミナト皇女殿下は安全を最優先とすること」
……うん。まぁ、真面目だけど、わかる。
「第二。甘いものを食べ過ぎないこと」
「そこ!?」
俺の口が勝手に突っ込んだ。
アリアが肩を震わせ、リーンが吹き出した。テオは目を伏せてる。笑いそうなのを堪えるな。
「第三。変な男に引っかからないこと」
沈黙。
セシルがす、と視線を落とした。ホークが咳払いで空気を整えようとする。
俺の顔が熱い。バルドとシグは真顔のままだ。強い。
「……他は文書での確認で問題ないとのことです。以上でございます。」
バルドが淡々と締める。文書をくるり、と巻き直した。
俺は頭を抱えたくなった。
「……いや、父さんさぁ」
リーンが肩をぽん、と叩いてくる。
「ミナトちゃん、これが親の愛ってやつだよ」
「愛の形が不器用すぎる」
「では、ミナト殿下。続きはお部屋でどうぞ」
バルドが微笑みながら文書を俺に手渡す。
……いや、もう巻物だ。巻物みたいな重みしてる。
俺が受け取って、ほどこうとした瞬間。
ずる……。
巻物が、長い。普通に長い。机の端まで、ずるずるずる。
「待って。長い。長くない?」
「長いですね」
テオ、落ち着いた声で言うな。余計に現実になる。
俺が下の方を見て、目が止まった。
『追伸:リーンを投げない』
……。
「リーンちゃん」
「なに?」
「俺、リーンちゃんを投げたことないぞ」
「あるよ」
「いつだよ」
「ミナトちゃんが、寝ぼけてるとき」
「覚えてねぇ!」
さらに下。
『追伸の追伸:アリアかリーンに巻き込まれたら、テオの後ろに隠れること』
……。
俺は、ゆっくり顔を上げた。
アリアが満面の笑みで、テオがちょっとだけ目を逸らして、リーンが腹を抱えて笑ってる。
「……父さん、俺の生活を把握しすぎだろ」
「親バカは情報戦よ」
「子離れって言葉知ってる!?」
肩を震わせて口元を隠したままのホークが小さく言う。
「……ミナト殿下、いいお父上ですね」
「いいのか、これ」
セシルも笑いを堪えるみたいに口元を押さえて、でも目が優しい。
「……魔王陛下が、殿下を大切に思っていらっしゃるのが、よく分かります」
その一言が、妙に胸に残った。
俺は巻物を巻き戻しながら、肩をすくめる。
「……よし。条件は守る。安全第一で、甘いもの控えめで、変な男に引っかからない」
リーンが即座に言う。
「最後の、ミナトちゃんには難易度高いねぇ!」
「高くねぇ!」
アリアがくすくす笑う。
「ミナトちゃん、今よ!テオの後ろに隠れときなさい」
「条件に従うな!」
条件を聞いてから考え込むような表情だったテオが
顔を挙げてバルドに向き直る。
「バルド宰相閣下、第一の条件はもちろん、第二の条件も承知しました」
テオが真面目に続ける。
「ただ、第三の条件は……」
ちょっと間が空く。俺が眉を寄せた。
「何だよ」
「……“変な男”の定義を確認したいのですが」
「真面目か!」
俺は思わずガタッと席を立ちあがる。
アリアが机をたたいて爆笑しているし、リーンは羽を震わせて転げまわっていた。
「定義論争が始まるわよ」
「バルドはともかく、シグさんの胃が死ぬよ」
アリアは笑いすぎて浮かべた涙を拭いながら、リーンが息も絶え絶えに楽しそうに言う。
ホークとセシルが、同時に息を吸って同時に吐いた。仲良しか。
俺は咳払いして、前を向く。
「とりあえず決まりだな。俺も共同調査隊、参加する。やることやって、戻ってくる」
シグが深呼吸をひとつして、胃を落ち着かせるように言った。
「ルーメンティアとしても、責任を果たします。必ず」
ホークが静かに頷き、セシルも同じように頷いた。
でもどこか、セシルは“言いたいこと”を飲み込んだ顔をしているようにみえた。
(……セシル、大丈夫かな?)
とはいえ、ここで暴くのはよくないと判断した俺は、巻物を抱え直す。
「……参加するからには、甘いものを食べ過ぎない。リーンは投げない。アリアかリーンに巻き込まれたらテオの後ろに隠れる」
「うんうん、あと変な男に注意ね!」
「引っ掛からねぇから!」
リーンがけらけら笑って、アリアが楽しそうに笑って、テオがほんの少しだけ目をやわらげる。
その空気が、昨日の重さを少しずつ押し返していく。
バルドが孫をみるような目で微笑むと小さく頷いた。
そのままテーブルの全員へ目配せをしていく。
「明日は、人選と細かい行程をお伝えしますので、同じ時間にここへいらしてください」
バルドの言葉にシグが頷く。
二人は引き続き、調査隊の行程について話を詰めるらしい。
俺の参加が確定したことでアリアも交えて詰め直すとのことだ。
シグの隈を気の毒に思いながら、三人を残して俺たちは会議室を後にした。
廊下へ出ると、石の匂いがして、城の空気が肺に入ってくる。
セシルが一瞬だけ足を止めたのが見えた。ほんの少し、唇が動く。
「……私も……」
よく聞こえなくて、思わず振り返る。俺の視線に気づいたセシルはにこっと笑っただけだった。
俺が口を開く前にリーンが背中をぽん、と叩く。
「ミナトちゃん、準備準備!」
「分かってる。じゃあ、また明日」
俺は服を引っ張るリーンを抑えながらセシルとホークに笑顔で手を振る。
「はい、また。」
セシルが会釈し、ホークは器用にウインクして一礼する。
「また明日。同じ時間に」
「おう」
俺は笑顔で応える。リーンも俺の服を引っ張り続けながら手を振っていた。
「戻りましょう、ミナト様」
テオの声が、いつもの距離で、いつもの場所にある。
なのに今日は、ほんの少しだけ温度が高い気がする。
俺は巻物を小脇に抱えたまま、前に進んだ。




