表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/54

◆第32話 氷解する夜

時計の針は深夜を回っている。


礼拝室で魔法陣を起動させた神官ネオジール。

その協力者も、あれからすぐに捕まったらしい。


たった半日にも満たない出来事。

自室の空気は、まだ少しだけ冷えたままだ。


さっきまで礼拝室で鳴っていた心臓の音が、壁の向こうから、まだ追いかけてくるみたいで落ち着かない。


……けど、俺の目の前には湯気の立つ白湯のカップと、毛布と、俺よりも更に落ち着かない顔のテオがいる。


「……ミナト様。息は、苦しくありませんか」


「大丈夫だって。ほら、普通」


グッとガッツポーズを作ってみせる。

普通と言いながら、胸の奥はじんわり熱い。

いや、熱いのはたぶん……さっきの出来事じゃなくて、テオの、心配そうな視線のせいだ。


テオは俺の返事を聞いても、すぐには納得しない。

まるで呼吸の数を数えるみたいに俺を見ている。


「……すみません。もう一度だけ、確認させてください。目が回っていませんか」


「平気、平気。」


「……」


「ったく、過保護すぎだって……」


俺は白湯のカップを両手に持ったまま天井を仰ぐ。

横でリーンが、ベッドの縁にちょこんと腰掛けて、足をぷらぷらさせた。


「過保護じゃないよ。命綱だもん」


「それはそれで重過ぎるんだけど……」


アリアは窓際で腕を組み、俺とテオのやり取りを眺めながら、口元だけで笑う。

笑ってるのに、目は冷めた刃みたいだ。

きちんと“外交”を済ませてきたアリアは、まだ仕事モードらしい。


「さてと、そこまでにしましょうか。

 ミナトちゃん、そろそろ行くわよ?

 早く嵐を鎮めに行かないと」


「嵐って……」


「“ミナトちゃんのお父様”よ、今たぶん大嵐」


俺は盛大な溜息を吐いた。

うん。わかる。たぶん、ぜったい怒ってる。


いや、怒ってるっていうか……

きっと、すごく心配させてしまったに違いない。


同じくらい心配そうな顔のままテオが一歩引いて、

俺が立つスペースを作ると手を差し出す。


「ミナト様、歩けますか」


「歩ける。転んだのもさっきだけだし」


俺が差し出された手を掴んで立ち上がると、テオの肩の力がほんの少し抜けた。

それでも、背中は固いままだ。


アリアが片手で首を抑えて肩を鳴らしながら扉を開ける。


「はー。気が重いわねぇ。怒鳴られても泣かないようにね?」


「泣かねぇよ」


「泣かなくてもいいけど、ちゃんと顔は見せましょ。親ってそういうのに弱いから」


リーンが頷いて、さらっと言う。


「魔王陛下、転移の魔法陣は一回トラウマになってるからね。仕方ないよ。」


「そっか……俺、母さんと同じ罠にかかりそうになった、ってことか」


俺はぽつりと呟くと、廊下に出た。

玉座間へ向かう廊下は、いつもより静かだった。

黒を基調とした城の装飾が、今日はやけにくっきり見える。視界が冴えてる証拠だ、と言い聞かせたい。


テオが、俺の歩幅に合わせて半歩後ろを歩く。

気を抜いたら肩が触れそうな距離なのに、触れない。触れさせない。

……でも、俺のことを守ってるっていうより、まだ俺の呼吸を数えてる感じ。


「父さん、どれくらい怒ってる?」


小声で言うと、前を歩くアリアが肩越しに振り返る。


「すごーく怒ってる。けど、それが恐怖からくる怒りだって、自覚もあると思うわ」


「……」


「ミナトちゃんが居なくなるの、怖かったんだろうね~」


黙り込んだ俺の頭をよしよしと撫でるリーンが鼻歌みたいに言った。


「魔王陛下は、世界よりミナトちゃんだから」


俺は苦笑いした。

この世界の魔王は、そういうところがある。


扉の前で、テオが一瞬だけ呼吸を整える。

その横顔が、騎士団長の顔だ。冷えていて、折れない。大人の顔。


扉が開き、玉座間の空気が流れ込んできた。

普段の豪華な装いが、今日は刃みたいに見える。


玉座の前には父さん――魔王グレゴールがいる。

脇に宰相のバルド。少し離れて、使節団団長のシグ。


俺の胸が、少しだけ跳ねた。


(……空気が、重い)


テオが一歩前に出て、深く頭を下げる。


「魔王陛下。騎士団長テオバルト、ただいま戻りました。

 ……ミナト様はご無事です」


父さんの視線が俺に刺さる。

空気が熱を帯びるのが、肌でわかった。


「……前へ」


短い命令。

俺は一歩前に出た。父さんが玉座から降りる勢いで近づいてきて、俺の肩に手を置く。


乱暴じゃない。

けど、震えがある。


「怪我は?」


「ない。……ちょっと転んだくらい」


「“くらい”で済ませるな」


(うわ、怒ってる。ん?いや、怒ってるふりして安心したい顔か、これ)


父さんは、俺からゆっくり視線をテオへ移す。

玉座間の温度が落ちた。


「テオバルト」


「はい、陛下」


「守れなかった」


短い。鋭い。

玉座間が真空みたいに静まり返る。


「……その通りです。申し訳ございません」


テオは、即答だった。

俺の喉が勝手に動いて、反射で言葉が出る。


「父さん、それは違――!!」


言いかけたところで、バルドが一歩前に出る。

遮るんじゃない。受け止める動きだ。


「陛下。――“守れなかった”は事実かもしれませんが、“防げたか”は別です。あの禁術は通常の警戒を踏み越えます」


暗に過去を示すバルドの言葉に、父さんの指が俺の肩を強く掴みかけて、ふっと力が抜けた。


「そして本件は、城の警備の問題ではなく、外交案件となります。

 使節団の監督責任、禁術の企図、協力者の有無……裁きは順序立てて行うべきです」


「順序など、今はどうでもいい」


低い声。

けど、怒鳴ってはいない。

バルドは父さんの威圧にも全く臆さず、表情の読めない顔のまま冷静に言葉を被せる。


「陛下が“今すぐ”裁けば、国が動きます。

 ――陛下が最も嫌う、“感情で始める戦”となるでしょう」


父さんの目が一瞬だけ細くなる。

そこへアリアが前に出た。口元は笑ってるのに、目は鋭い。


「陛下。今回の手口は……二度と通用しません」


父さんの視線がアリアへ移る。

殺気じゃない。“聞く”目。


「今回の手口で、長年不明だった禁術。教会が使う転移魔法陣の詳細が明らかになりました。

 対象の周囲に対策を打てば再現性は潰せる。結界、監視、術式の運用……全部、次はアタシが潰します」


リーンも、小さく頷いた。


「うん。ボクも見ててあげるよ!逃げ道も全部」


「……次がある前提で話すな」


「“あるかもしれない”前提で潰すのがアタシたちの仕事です。陛下も、それは分かってるでしょ」


肩をすくめて挑戦的な態度をとるアリアに

バルドが咳払いしそうな顔をしたが、父さんは怒鳴らない。


少しの沈黙の後、

シグが腹を括った顔で前に出て、深く頭を下げる。


「魔王陛下。――この度の件、我が使節団の監督不行届き。弁明の余地はございません」


重い沈黙が辺りを包む。

緊張した面持ちのシグは喉を鳴らすと言葉を続けた。


「責任はルーメンティアが取ります。宰相レオネス、国王へは既に報告済みです。

 必要な処分、協力者の引き渡し、再発防止――全て対応いたします」


目を細めた父さんが鼻で笑う。


「“対応”で娘は戻らん」


「戻ってるって」


俺の口が勝手に動いた。

場の温度が一瞬だけ揺れる。


父さんが俺を見る。

俺は肩をすくめて、なるべく軽く言った。


「……俺、ここにいる。ちゃんと戻った」


父さんの手が、俺の肩を一度だけ、重く叩くように撫でた。


テオが敬礼すると、父さんに向き直る。短く、硬い、報告する声が広間に響く。


「陛下。犯人及び城内の協力者は拘束済みです。城外の協力者の線も追跡中。

 礼拝室は封鎖し、禁術の残滓の確認はアリア殿が進めております」


「……生きているな」


「はい。この後、事情聴取予定です」


父さんがしばらく黙った。

沈黙が長いほど怖い。俺の心臓が一回跳ねる。


「……テオバルト」


「はい、陛下」


「よく間に合った」


父さんの声はテオに向けて発せられたが、どこか過去の自分を見つめているようだった。

テオのまつ毛が、ほんの一瞬だけ揺れた。


「娘を最優先で回収した。それでいい。――よくやった」


テオが深く頭を下げる。


「……恐れ入ります。陛下」


俺は、息を吐いた。

父さんの鮮やかな赤い瞳が、俺を捉える。


「ミナト。戻れ。今日はもう休め」


「うん。休む」


「……明日は夕食を共にしよう」


「うん。一緒に食べよう」


リーンが小声で、でも聞こえる距離で言う。


「怒鳴られなくて良かったね!」


「リーンちゃん、今はシーッ……!」


この場の大人は誰ひとり反応しなかったが、俺は思わず口の前に人差し指を立ててリーンを諫める。

テオが半歩前に出て、道を作ると俺を促した。


「では、ミナト様をお連れいたします」


扉が閉まる直前、父さんの声が背後に落ちる。


「……次は無い」


“次は無い”は誓いだ。

つまり、次が来る前提で全員が動く。


会議室の外に出た瞬間、肺の奥まで空気が入った気がした。

俺の肩の力が抜けるのが分かる。


「はーー。何あの空気。シグさん、胃に穴開いちゃうんじゃないの?」


テオは、まだ固い。

けど、さっきより少しだけ……目がほどけてる。気がする。


「……ミナト様」


「ん?」


「……すみません」


「何に謝ってんだよ?」


俺が小さく突っ込むと、リーンが後ろで笑った。

と、廊下の少し先で、二つの人影がこちらに気づいた。


セシルとホークだ。


セシルは胸の前で手を握りしめていて、顔色がまだ白い。

ホークは……いつもの余裕が薄い。

足を組んで寄りかかっていた壁から跳ねるように体を起こしたのがわかった。


「ミナトさん……!」


セシルが駆け寄ってきて、俺の前で足を止める。

触れたいのに触れない距離。王女と皇女の距離、ってやつだ。


「大丈夫。ほら、立ってる」


俺が両手を軽く広げて笑うと、セシルが泣きそうな顔で頷いた。

ホークが、気まずそうに口元に手を当て、言葉を探しながら口を開く。


「……すみません。俺、兆候には気づいていたのに……」


「いえ、ホーク殿の的確な情報共有。助かりました」


誰かが口を開くよりも早く、テオが静かに首を振って否定する。

俺はテオをチラッと確認する。

いつの間にそんな会話する仲になってたんだよ?


それでも、すぐに重くなってしまいそうな空気を

アリアがパンッと手を叩いて変えていく。


「はい、みんな深呼吸してー。ここで倒れたら私が笑えない」


「笑うの前提なんだ……」


「笑わないと、やってらんないのよ」


アリアはセシルとホークに向き直り、柔らかい声を作る。


「二人にも心配をかけたでしょうし、今日の詳しい話は私がするわ。セシリアちゃんには甘いものも必要そうね」


「いえ!お話を聞けるだけで私は……」


セシルが手を振って遠慮するが、顔色はまだ真っ白だった。

アリアがそんなセシルの肩を抱きながら、ホークを振り返る。


「ホークくんはお酒もイケる方?」


ホークがぱちぱちと目を瞬かせた。

そして少しだけ調子を戻して片方の口角をあげると、サッと一礼する。


「ええ、人並みには。美女のお供なら……ぜひ、お任せください」


アリアが“オッケー♡”とホークにウインクして、大食堂の方へ足を向ける。

そして、ぽかんとしたままの俺へアリアが振り返る。


「ミナトちゃんは戻って休む。テオ、リーン、送迎頼むわよ?

 私は大食堂でセシリアちゃんの甘未の調達したら説明会するから」


言いながらジャスチャーは完全にワインを飲む仕草だ。

テオが小さく頷く。リーンもニコニコと小さな腕で大きな丸を作った。


「承知しました。……ミナト様、参りましょうか」


「はいはい」


俺が手を振ると、セシルが小さく手を振り返し、

ホークも、ほんの少しだけ肩の力が抜けた様子で会釈を返してきた。


……後ろでアリアが何か言い始める声が聞こえる。

たぶん、今日起こったことの中身を“優しく”翻訳してるんだろう。

俺はそれを聞かないまま、廊下を曲がった。


自室へ向かう廊下。

足音が三つ。俺、テオ、リーン。


少し歩いて、俺は軽く伸びをした。


「……俺も何か食べたくなってきたかも」


「ミナト様、後で何かお持ちします」


「出た、世話焼き」


「何とでも言ってください」


「大丈夫だって言ってんのに……」


 リーンが笑った。


「ミナトちゃん、強がれるなら大丈夫だね」


「強がってねぇし」


「あ、ミナト様――」


テオが“段差…”と、そう言いかけた時には、俺はもう足を引っかけていた。


「――っ」


視界がぐらっと傾く。

次の瞬間、俺の身体は前に投げ出され――


テオの腕が、反射で俺を掬い上げた。


……掬い上げた、って言うか。


これは、また……お姫様抱っこじゃねーか!


俺の背中に回る腕が硬くて、胸板が近くて、息がかかる距離だ。


「……っ、テオ!?」


「……すみません、ミナト様」


「だから何が!?」


俺は顔が熱くなるのを自覚して、慌ててテオの胸を押した。

押したのに、全く、ちっとも動かない。岩かよ。


「お、下ろせ! 歩ける!」


「歩けない方の顔をしています」


「してねぇ!」


リーンが目を瞑ったまま“うんうん”と頷いた。


「してる」


「見えてねぇだろ!?!?」


テオが、ほんの少し不満そうに溜息をつくと

少しだけ腕の力を緩めて俺を下ろす。

足が床に着いた瞬間、俺は恥ずかしさを誤魔化すように咳払いした。


「……段差が悪い」


「段差のせいにするミナトちゃん、かわいい」


「うるせぇ!」


テオは、何も言わずに俺の歩幅に合わせ直す。

でも、さっきよりほんの少しだけ近い。


自室の扉の前で、テオが一瞬だけ躊躇した。

視線が心配の色で染まってる。俺はわざと軽く声をかける。


「もう平気。さっきも言っただろ」


「……はい」


テオの返事は短い。

短いけど、そこに“信じたい”が詰まってるのがわかった。


テオが開けてくれた扉をくぐり自室のベッドに倒れこむ。

ぱたんと静かな音を立てて扉が閉まると、外の世界の重さが一段薄くなった気がした。


リーンが窓の方へひゅっと飛ぶと、外を一瞥する。


「まだ動いてるね。城の外も、中も」


「……まだ終わってない感じ?」


「だいじょーぶ!今夜中に終わらせるよ。ミナトちゃんのパパも、バルドも、アリアも、テオも、ボクも、みーんな動く」


リーンが笑いながら羽を震わせ、

宙でくるっと回ると両手を広げた。


俺は無意識にネックレスの鎖に触れる。冷たい銀が、指先に馴染む。

……今日は、これに助けられた。


もそもそと枕の方に移動する。

急にどっと疲れが出てきたのか、瞼が重く感じる。

俺は目を瞑ったままネックレスを握ると、ほっと息をついた。


テオがふっと笑った気配がして近づいてくると、俺に毛布をかける。

その手つきが、丁寧すぎて笑ってしまいそうになった。


「ミナト様。……少しだけ、休んでください」


「少しだけな」


「はい。少しだけです」


俺は枕に背中を預けて、天井を見た。

胸の奥の熱は、まだ消えない。でも、ちゃんと呼吸はできる。


(……次は無い。俺も、ちゃんと立ってやる)


俺がそう思ったところで、リーンがにやっと笑って言った。


「立つ前に、転ばないでね」


「心読むのやめろっていつも言ってるよね!?」


テオが堪えられず小さく息を吐いた。


俺には、それがやっと“ほどけた音”に聞こえた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ