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◆第30話 白い罠

カーテン越しに陽の光が漏れている。


石畳を滑るように行き交う侍女の足音。

鎧が擦れる控えめな金属音。

普段より一段“よそ行き”の空気が張りつめていて、息を吸うだけで襟元が正されるみたいな朝。


……俺はそういう日でも、ベッドの中で丸まっていたい時は、意地でもベッドから出たくないタイプだ。


「ミナトちゃん、起きてる? 起きてるわよね? 起きなさい。

 起きてないとアタシ、何するかわからないわよー!」


扉がノックの途中で開く。

アリアが、いつも通り堂々と侵入してきた。

髪も香りも完璧で、表情は生き生きとしている。

――つまり、ロクでもない何かがあるってことだ。


背後からリーンも顔を出し、そのままヒュッとベッドに近づいてくると、にこにこしながら俺の頭を撫でる。


「おはよー、ミナトちゃん! 今日ね、楽しいことがあるよ!」


「……まだ寝てたい」


俺が枕に頬を押しつけると、アリアがカーテンを開けて容赦なく俺を陽の光に晒す。


「寝かせないわ。今日はイベントなの」


「イベントって何……嫌な予感しかしない」


「撮影会よ」


「……は?」


口が勝手に間抜けな音を出した。

リーンが俺の顔を覗き込みながら、目をきらきらさせる。


「ぱしゃってやつ! 記録のやつ!」


「記録のやつ……?」


「うん。魔導具で“記録画”を残せるんだよ。小さい魔晶石が入ってて、光がピカッてして、あとで絵が出るやつ!」


リーンの説明は雑なのに、なぜか分かりやすい。

俺は思い出す。冬の中庭で、騎士たちがやけにノリノリで“記録画”を撮っていたことを。


「あー、あの写真みたいなやつか……」


「そうそう、それそれ」


アリアが腰に片手を当てて、もう片方の手をひらひらさせる。


「使節団滞在の記録を“公式に”残すのよ。外交は見栄が九割。残り一割は圧よ!」


「圧で外交すんな」


「可愛いミナトちゃんの外交デビューを記録するのは、魔王陛下の意向でもあるのよ?」


「赤ちゃんの成長記録かよ……」


リーンがベッドの端にちょこんと座り、足をぶらぶらさせた。


「セシリアちゃんも来るよ。いいじゃん、記念だよ! みんなで写真撮ろ!!」


「……テオは?」


聞いた瞬間、アリアの口角がすうっと上がる。

その笑みは、完全に悪魔……いや、魔族だ。


「テオは残念ながら、使節団側の用事で同席できないの。会談の〆に向けたやつ。真面目すぎて、つまんないわよねえ」


「つまんないは余計だろ」


俺がぼそっと返すと、リーンがげらげら笑う。

笑い声が軽い。朝の空気が少しだけほどける。


「大丈夫よ。今日はアタシとリーンでミナトちゃんを包囲して守るわ」


「おかしい……何故か逃がさないって言われてる気がする……」


「安心しなさい。公的な予定だし、みんな一緒。危ないことなんて……ねえ?」


アリアが言葉を切る。

リーンも“うんうん”と頷くと、良い笑顔で親指をあげる。


「大丈夫だよー!たぶん!!」


「たぶんが一番怖いんだよなぁ……」


そのとき、控えめなノックが入る。

扉の向こうから、落ち着いた低い声。


「ミナト様、失礼いたします」


テオだ。


アリアは一歩だけ引いた。リーンもくるりと振り返る。

俺の胸が、勝手に少しだけ軽くなる。


扉が開いて、テオが入ってくる。

朝の光を受けて髪色がいつもより淡く銀色に煌めいていた。

表情はいつも通り――なのに目だけが、俺を見つけた瞬間わずかに柔らかくなる。


「おはよう、テオ」


「おはようございます、ミナト様」


このイケボによる破壊力。

それだけで、俺の心がドキッと跳ねる。

……すごい。俺、ちょろい。


「本日ですが、私は使節団側の会談で席を外します。 記者会見ではアリア殿とリーンが同席されると伺いました」


「そうよ。ミナトちゃんはアタシたちが守るわ」


テオは頷いた。

それから一拍置いて、俺の顔を見た。視線が頬、目元、口元へと静かに落ちる。

体調を測るみたいに。


「承知しました。……ですが、ミナト様」


「ん?」


「無理はなさらないでください」


言い方が優しい。

優しいのに、逃げ道がない感じがする。


「うん。今日は……撮影会らしいし。無理しない」


「撮影会……」


テオの眉がほんの少し寄る。

制服の襟元に触れる指が、わずかに止まった。


「衣装は、アリアが選んだ物ですか」


「今その情報いる?」


アリアが即答で刺す。リーンが吹き出した。


「大丈夫よ! 公的な場だし、アタシのセンスを信じなさい」


「露出がない、とは言わないのが怖すぎなんだけど!」


俺の切なる叫びに、リーンが腹を抱えて笑い転げる。

テオは咳払いひとつで流した。……流したけど、耳がほんのり赤い気がしたのは気のせいじゃない。


「……行ってまいります、ミナト様」


「いってらっしゃい」


扉が閉まる。

テオの気配が遠のいた瞬間、胸の奥がきゅっと鳴った。


公的な予定。分かってる。

分かってるのに――俺はまだ、この城での“当たり前”に慣れきれていない。


「はいはい、じゃあお着替えしましょうね!」


アリアが手を叩く。

すると扉が開いていつもさんを含め何人か侍女が入ってくる。


俺は布団をぎゅっと握りしめたのだった。




◇◇◇


「……確かに露出はない。ないけど……これは……」


鏡の前で、俺は呻いた。


衣装は魔帝国らしい色だ。

黒を基調に、真紅の刺繍が流れ、縁取りには銀の細工が光る。

落ち着いた品格がある。あるんだけど――


上半身のラインが、俺の意志と無関係に“出る”。


「胸、邪魔……」


ぽつりと言うと、いつもさんが「ふふ」と小さく笑った。

……珍しく笑ってくれた。

相変わらず名前は教えてくれないし、礼儀という名の壁を崩さないけれど、

最近はこういう時にふっと笑ってくれるのが、俺には嬉しい。


「ミナト様、こちらの留め具を……」


白い手袋越しの指が器用に動く。

留め具が締まるたび、衣装が“皇女殿下”の形に俺を押し込めていく。


アリアが後ろから覗き込み、満足げに頷いた。


「うん。いい。魔帝国のカラーが映える。身体のラインも完璧。

 欲を言えばもっとお尻のお肉、つけてもいいんじゃない?」


「知らん。この身体にした父さんに言ってくれ……」


リーンが俺の袖をつまんで、すんすん嗅いだ。

俺は嫌な予感で肩をすくめる。


「甘いにおい、ちょっとする」


「……えっ」


「するよー。今けっこう緊張してる? 魔力抑えた方がいいかも」


図星すぎて言い返せない。

俺の意思に関係なく匂いに出る体質、ほんとやめてほしい。


いつもさんが、胸元の内側に指を差し入れた。

――銀の鎖が触れる。


「……ネックレス」


「はい。ミナト様の大切なものですので、目立たぬ位置に整えております」


彼女の指先が、そっと鎖を寝かせる。

銀鎖はひんやりしていて、それだけで少し落ち着く。


「ありがとう」


「恐れ多いことでございます」


俺が笑うと、いつもさんは困ったように目を伏せた。

困ってるだけで、嫌がってるわけじゃない。規律で困ってる。


「よし、アタシは一足先に行って記録画の魔導具の様子見てこようかな!」


アリアが時計を確認すると、長い赤紫のウェーブロングを払う。


「了解。集合場所どこ?」


「光がたくさん当たるところ!! 中庭近くのサロンだったかな?」


リーンが顎に手を当てて“うーん?”と首を傾げる。


「リーン、確認お願い。ミナトちゃん、そしたら中庭で待ち合わせしましょ!」


「わかった。もう少ししたら行く」


アリアが部屋から出る間際に顔だけだしてリーンに指示をすると俺の返事も待たずに行ってしまう。


「じゃあ、ボクも場所確認してくるよ!」


「へーい。また後でな」


窓の隙間からリーンが飛び出していく。

外の空気が、ひやりと肌を撫でた。





◇◇◇



結局、撮影場所は城内の礼拝室になった……らしい。


アリアとリーンが先に部屋を出た後、俺は一人で中庭を目指していた。


途中の廊下の角で、すっと影が立つ。

見た瞬間、背筋が冷たくなる。


大陸聖教会の高位神官ネオジール。


今日も背筋が真っ直ぐで、祈りの像みたいに動かない。

なのに――視線だけが、ぬめりを持って俺に絡む。


「ミナト皇女殿下」


呼び方は丁寧。

でも、目が“敬っていない”。


俺の頬がこわばるのが自分で分かった。

笑顔を作る余裕がない。


「……何か用ですか」


声が硬い。

ネオジールは気づかないふりをして、穏やかな顔を作った。穏やかな“ふり”だ。


「本日の合同会見、撮影会ですが、セシリア王女殿下のご都合で場所が変更となったそうです」


「え」


「やはりご存知でない?  お忙しいことです。

 礼拝室は普段利用されますか? どうぞこちらへ……」


嘘だ、と言い切れる材料がない。

アリアが勝手に予定を変えるのも、あり得る。リーンも「いいね!」で乗りそうだ。


俺は一瞬だけ迷って――迷った分だけ遅れて、嫌な気配が胸に沈む。


「セシルの都合で?」


「はい。殿下もお急ぎでしょう。皆様、お待ちです」


ネオジールが一歩進む。

香の匂いが近づく。甘くて、重い。


俺は反射で一歩下がりそうになり、踏みとどまった。


(もしかしたら、またセシルが絡まれたのか……?)


相手は“使節団の高位神官”だ。

それに教会についてまだあまり知らない俺が感情のままに疑ったら失礼になってしまうかもしれない。

大人たちが何日もかけて行っている“外交”を俺が台無しにするわけにはいかない。


本能に抗うように、そんな思考が一瞬で駆け巡る。

なにより――俺は、人を疑う経験値が圧倒的に低かった。


「……分かりました。案内してください」


ネオジールの微笑みが、ほんのわずかに深くなる。

後ろを歩く俺にその表情は見えない。


気づいた時には、もう遅かった。




◇◇◇


案内されたのは、城内でも人の気配が薄い区画だった。


白い壁。白い柱。白い天井。

清潔で無機質。祈りの匂いが濃い。

聖女信仰の薄い魔帝国でも信者がいないわけではないため、そういった者がここを使用するのだろう。


扉が開く。

中に入った瞬間、空気が少し冷たい。




……誰もいない。


アリアもリーンも、セシルもホークも。

当たり前みたいにいるはずの気配が、どこにもない。


「……あれ?」


声がやけに響く。

白い空間に、自分の声だけが跳ね返る。


背後で、ネオジールが扉の内側に立ったまま、ゆっくりと手を上げた。

指先で、何かの形をなぞるように。


空気が、ぴんと張る。


透明な膜が、視界の端で波打った。

……水面みたいに。見えないのに“そこにある”と分かる。


「……結界?」


俺が呟いた瞬間、扉が「ことり」と静かに閉まる。


外の音が、消えた。


耳が詰まったみたいな感覚。

自分の呼吸だけが、やけに大きい。


(封じ……と、防音?)


逃げ道がない。

叫んでも、届かない。


俺は扉へ向かって駆け寄り、取っ手に手をかける。

――動かない。引いても押しても、びくともしない。


「あの! これっ……」


振り返る。

思ったよりもかなり近い距離にあった顔に、喉がヒュッと鳴る。


「……なんでっ」


俺はもつれる足で部屋の奥に逃げる。

祭壇に置かれた、母さんとはあまり似ていない女性の像が無慈悲に俺を見下ろしていた。


ネオジールが一歩、また一歩と近づいてくる。

顔の表情は穏やかなまま。

でも、目が――目だけが、俺を“モノ”として見ている。


「ミナト皇女殿下。大丈夫です」


「大丈夫じゃないだろ」


「大丈夫です。ここは聖なる場所。あなたを穢すものは何も入れません」


「入れないっていうか、俺が出られないんだけど」


ネオジールが両手を広げて微笑む。

その微笑みが、昨日より粘つく。


「出る必要がありません」


言い切られて、胃の奥が冷たくなった。


「あなたは“戻る”必要がある」


「……戻る?」


「私たちの教会へ。あるべき場所へ」


丁寧語の皮が、少しずつ剥がれていく。

内側から出てくるのは、祈りじゃなく――欲だ。


「あなたは聖女の血を引いている。教会のものだ」


「違う。俺は――」


「魔王の娘?」


ネオジールが、くすりと笑った。


「その姿で?」


視線が、俺の黒い髪から虹色の瞳へ、俺の胸元へ落ちる。

ぐるりと、所有物を品定めするように。


吐き気がした。

体が、きしむ。


「やめろ」


「やめるわけがない。これは救済なのです」


ネオジールが、すっと手を伸ばす。

指先が俺の顎に触れた。

ぞわ、と肌が粟立つ。


「香りがする」


「……っ」


「奇跡の香りだ。――聖女の香り」


言葉が気持ち悪い。

呼吸が浅くなる。

俺の中の光と闇が、嫌な方向にざわつき始めた。


「離れろ……!」


俺は手を振り払おうとして、足がもつれた。


衣装が動きにくい。

床が滑る。

一歩下がったつもりが、段差に踵を引っかける。


「っ……!」


背中が祭壇にぶつかり、膝が折れる。


立てない。


膝が笑う。足首に力が入らない。

最悪の体勢だと分かるのに、体が言うことをきかない。


ネオジールの影が、上から落ちてくる。


「逃げなくていい」


「近づくな……!」


声が外に届かない。

叫んでも、膜の内側で溶けるだけ。


ネオジールが、祈るみたいに両手を組む。

祈りの形なのに、内容は汚い。


「この転移魔法陣は、時間がかかるのが難点だ。だが確実だ」


転移魔法陣。

その単語が、喉を刺す。

いつかの父さんの言葉が頭に蘇る。


『聖女を元の世界へ強制的に送り返してしまった』


「……送還の」


「そうだ。あなたを“正しい場所”へ戻す。まだ穢れていないあなたは、私たちの教会へ」


嬉しそうに言う。

攫うことを、救いの言葉で包んで。


視界の端で、床の文様が淡く光り始める。


白い床に刻まれた円。線。祈りの文字。

魔法陣。


(……どうしよう、どうすればいい!?)


胸の奥がざわつく。

光と闇が、肌の下でひっかくように暴れ始める。


銀鎖ネックレスが、じわっと熱を持つ。

――魔力が反応している。


俺は震える指で胸元を押さえ、鎖を握り込む。


「……鎮まれ……っ」


自分に言い聞かせるみたいに。

テオの真似みたいに。


でも、魔法陣の気配は、俺の中の不安と同じ速さで膨らんでくる。


ネオジールが俺の目を覗き込む。

虹色の瞳を、神を見たみたいに欲しがる目。


「その目だ」


「……っ」


「綺麗だ。教会が、あなたを必要とする」


「必要なのは……お前じゃない……!」


言い返した声は震えていた。

怒りなのか、恐怖なのか、自分でも分からない。


ネオジールは笑う。

笑って、確信する。


「抵抗しても無駄だ。あなたは選ばれている」


“選ばれている”

その言葉で、何でも正当化できると思ってる。


俺は手をつき、無理やり体を起こそうとする。

膝が折れそうになるのを歯で噛み締める。


(立て……立て……!)


立てない。

でも、倒れたままはもっと嫌だ。


ネオジールが、また手を伸ばす。

指先が、今度は衣装の縁をなぞるように近づく。


「触るな……!」


叫んだつもりなのに、声は白い空間で鈍く跳ね返るだけ。


(テオ……)


聞こえないのは分かっている。

それでも、名前が喉から漏れた。


「……テオ……!」


銀鎖が熱い。

熱いのに、安心する。

ここに楔が打たれている――そんな錯覚にしがみつく。


白い礼拝室の中心で、魔法陣の光がじわりと増す。

空気が、きしむ。世界の継ぎ目が軋んでいる気がする。



そのとき――



扉の向こうから、何かがぶつかる鈍い音がした。


一度。二度。


(……え?)


防音の膜の向こうで、空気が揺れる。

結界が、水面みたいに波打った。


ネオジールが初めて、表情を崩した。

眉がわずかに上がり、唇の端がひくつく。


「……何だ」


扉が、外側から叩き割られる寸前の音。

木と金具が悲鳴を上げる。


俺の胸の奥が、熱くなる。


(来た)


確信した瞬間、ネオジールの影が俺に覆いかぶさろうとした。


「間に合うと思うな――」


白の中に、黒い予感が落ちる。


光と闇が暴れ、魔法陣が唸り、

銀鎖が熱を持ち、俺の視界が揺れて――


そして扉が――


……壊れる、その一歩手前で。


視界が、白い光に塗りつぶされた。



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