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◆29話 護衛と合図(前半)

使節団が滞在するようになって五日目。


使節団の随行者達から向けられる、噂を確認するような視線には逃げ出したくなりつつも、

段々とどこか緊張感のある空気にも慣れてきた気がする。


俺は鏡の前で、自分で結んだ長い黒髪を見つめた。


(髪の毛も一人で結べるようになるとは……俺ってば、すごくない?)


元の世界で髪を伸ばしたことは一度もない。

つやつやの長い黒髪の感触は未だに慣れないが、生活は嫌でも毎日積み重なっていく。

俺は鏡の中の“皇女ミナト”にフフンと笑いかけた。と、そこに背後から聞こえる声。


「ミナト様、髪留めが緩んでいます」


容赦なく指摘してくる、いつも通り丁寧で、落ち着いた低い声。

ここ最近、外交の場にでることの多いテオは、いつもより更にピシッと騎士服を着込んでいることが多い。

俺の背後に来ると、頭の上からひょいと覗き込んでくる。

俺はその整った顔を不満げに見上げた。


「もう、結んだだけで力尽きた……テオ、後は頼んだ」


「……明日から体力作りに訓練場へご一緒しましょうか」


テオが溜息交じりの苦笑いをすると俺の髪留めをそっと直す。

その指先が髪に触れ、うなじ近くを通った。

たったそれだけで、俺の体は勝手に反応して、肩が小さく跳ねた。


「大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫。普通!」


いや、普通って何が普通なんだ、俺。


(平常心、平常心……

 きっと昨日の女子会のせいで、今はほんのちょ~~っと意識してるだけ!)


言い聞かせるほど挙動が怪しくなるけど、そこは気合だ。

昨日の恋バナのせいで、普段ならスルーできる動作が全部“意識の矢印”になって刺さってくる。


(くそ…アリアとリーン、絶対許さないからな……!)


俺が百面相しながら内心でそう呟いた瞬間、テオが視線を落として小さく言った。


「……昨夜は、賑やかでしたね」


「え」


「サロンの扉の前を通ったら、笑い声が聞こえましたので」


声はいつも通り丁寧なのに、言葉の選び方が微妙に、こう……。


(これ、まさか……嫉妬ってやつでは?)


いや、違う。たぶん、護衛として状況確認。

そうだ、護衛。護衛だ。便利な言葉だな護衛!


「べ、別に普通だろ。平和だったよ」


俺は敢えて明るい声で返す。

直してもらった髪留めはきっちりと綺麗に収まった。


「そうですか。なら良かったです」


テオが淡く笑った。

俺の心臓が思いっきり飛び跳ねる。

その笑顔が、安心してるのか、別の何かなのか分からなくて、俺は慌てて目を逸らした。


「本日は、異形に対する共同対処の会談が大詰めです。

 私も騎士団側の調整で、一度離れますが――」


言いかけて、テオが俺を真っすぐに見つめたまま言葉を飲み込む。

代わりに、俺が後の言葉を引き継いだ。

どうせ独りで危ないことするなよ?ってやつだ。


「わかってるって。 俺、セシルと朝ごはん食べる約束したくらいで、他に予定ないから。 ちゃんと待ってるよ」


そう言って自信満々に頷いたつもりだったのに、テオが少しだけ眉を下げた。


「“待っている”だけで済ませられないのが、ミナト様の良さであり……不安の種でもあります」


「不安の種って言うな!」


俺がむくれると、テオは咳払いで笑いを隠しながら、俺の手首に一瞬触れる。

昨日の出来事を思い出し、一瞬で顔が熱くなる。


「……すぐ戻ります」


すぐ、がどれくらいか分からないのに。

でも、“戻る”と言われるだけで、変に落ち着くのが悔しい。

俺は赤くなってるだろう顔を誤魔化すようにぎこちなく笑うと片手をあげて了解を示す。


「おう、行ってらっしゃい」


テオは小さく頷き、踵を返す。

扉が静かに閉まると、部屋が少し広くなった気がした。





◇◇◇


朝の城は忙しい。

廊下には文官の足音、侍女の衣擦れ、護衛の鎧の微かな音が混在する。


俺はその波に紛れて、大食堂のほうへ向かっていた。

朝ごはんをセシルと一緒に、となると恐らく護衛隊長のホークも一緒だろう。


(俺ひとりで食べると、絶対余計なこと考えるからな。人は多い方がいい)


今日のメニュー何かな?なんて考えながら、

角を曲がったところで、声が聞こえた。


「セシリア王女殿下。少しだけ、お時間を」


硬い。

声の温度が、妙に冷たい。


足を止める前に、もう見えてしまった。


廊下の窓辺。

立ち尽くす修道服姿のセシル。その向かいに教会神官のネオジールがいる。


ネオジールは相変わらず背筋が真っ直ぐで、彫像みたいに動かない。

清廉な神官服とはかけ離れた、妙に粘ついた視線が――セシルの顔、肩、指先へと滑っている。


(あいつ、嫌な目つきだな……)


対するセシルは笑顔だ。

でも、付き合いの浅い俺ですら作り物だとすぐ分かる笑顔だった。

口角の角度だけが正しくて、目が笑ってない。


「すみません、あの……これから朝食を――」


「殿下の務めをお忘れですか? 祈りは民の導きにおいて、もっとも重要な事項です」


「わ、私は、今は使節団として……」


「だからこそです」


語気を荒げたネオジールが一歩近づいた。

その距離が、セシルに近すぎる。


俺の足が勝手に動いた。頭より先に体が動く性分だ。


「セシル、おはよ」


明るい声を作って、間に滑り込む。

セシルの目が一瞬だけ大きくなり、それから、ほんの少しだけ救われた顔になる。


「ミナトさん……おはようございます」


その声は、さっきよりちゃんと息が入っていた。

俺はしっかりとセシルに向き合うと安心させるようににこっと微笑んだ。


「……ミナト皇女殿下」


ネオジールの視線が、セシルから俺へ移る。

空気が、ぴんと張った。


呼び方は丁寧。でも、言葉の下に別のものが沈んでみえる。


黒髪。

虹色の瞳。

聖女は教会のモノである。

歪んだ欲が透けて見える、そういう種類の“決めつけ”。

何より、その視線が雄弁に語っていた。


「朝からここで立ち話? 寒いよ」


俺は何でもないように言いながら、さりげなくセシルの前に立つ。

盾になるってほどじゃないけど、間合いを作るだけで呼吸が戻る時ってあるからな。


ネオジールは俺の瞳が朝日で煌めくのを見て微笑んだ。

笑っているのに、ちっとも温かくない。むしろ、うすら寒さすら感じる笑みだ。

ゆっくりとした動きでネオジールが両手を広げる。


「寒さは祈りで乗り越えられます」


「俺は祈らないから、わかんないな」


俺はわざと挑発的な態度で腰に手を当てる。

背後のセシルが息を呑んだのがわかった。


祈りのポーズを取ったネオジールの視線が、俺の顔から胸へ、腰へ足元へと舐めるように落ちる。

その“視線の落とし方”が、まるで形を確認しているかのようで気持ち悪い。


「祈りは、いつでも傍に」


ネオジールは小さく呟くと、

今度は足元に落ちた視線をゆっくりと上にあげて、胸で止まった。

隅々まで確認しようとする、絡みつく視線に、ぞわっと背筋が冷える。


……おいおい。

今の俺、見た目は女の子だぞ。


視線の意味を分かってしまうのが嫌すぎる。

俺はぐっと睨みつけると腕を組んで視線から胸を隠した。


「殿下は、ご自身がどれほど尊い存在か――」


「わかってるよ。俺、皇女殿下だもんな」


軽く返すと、ネオジールの眉がわずかに動いた。

計算外、って顔だ。


そこへ、コツコツと廊下に別の足音が重なる。


「ミナト殿下、セシル様、おはようございます」


快活な、よく通る明るい声。

振り返ると、ホークがいた。

白と金を基調にしたルーメンティアの軍服姿で、背筋は真っ直ぐ。

朝日を浴びて明るい茶色は金髪にも見えた。


ホークは俺とセシルに一礼してから、その青い瞳をネオジールへ向ける。

まるでそこに居たことに、たった今気づいたようなオーバーリアクションをとった。


「おや、ネオジール殿もご一緒でしたか。おはようございます」


「……おはようございます。護衛隊長殿。」


ネオジールが囁くような小さな声で返す。

その視線はまだ俺を見つめたままだ。

ホークは肩をすくめると、一礼をとった。


「お話中、失礼します。お二方を、朝食の席へご案内する手筈になっております。」


そこで初めてネオジールの目がホークへ向く。

ホークは堂々とその目を受け止め、“なにか?”とわざとらしく首を傾げた。

ネオジールの目が細くなる。


「私は――」


「使節団としての予定です」


ホークの声は丁寧だ。

でも、譲らない線がはっきりある。


“守る側の人間”の立ち方。それが、今は頼もしい。

俺は知らず知らずのうちに固唾を呑んでいた。


ネオジールが一拍、黙った。

それから、ゆっくり息を吐く。

祈りの形をとった手は握りしめる力が強いのか、指先が白くなっているのがわかる。


「……わかりました。

 では、ミナト皇女殿下、セシリア王女殿下も……また後で」


言い残して、ネオジールは踵を返した。

去り際、俺のほうをもう一度だけ舐めるように見て、薄く笑う。


「……っ」


――鳥肌ものなんだが?!


俺は思わず自分で自分を隠すように抱き締めた。

ネオジールの後ろ姿が曲がり角の先へ消えた瞬間、セシルはほぅ、と肩の力を抜いた。


「ミナトさん、それにホークも……ごめんなさい」


「いえ。セシル様が謝ることではありません」


ホークはさらっと言う。

セシルはその言葉だけで泣きそうな顔になって、慌てて瞬きをした。


「……ああいうの、多いの?」


(男の時には絶対、あんな風に見られたことなかった!!)


俺は女の身体になって初めて向けられた視線を思い出し身震いする。

セシルは言いづらそうに頷いた。


「王都の教会では、とても敬虔な方だったのですが……。

 最近、少し……話しかけられることが増えて……」


ホークの目が一瞬だけ鋭くなる。

でもすぐに元の涼しい顔に戻った。


「まずは朝食へ行きましょう。立ち話も良くない」


「賛成。早く朝ごはんにしよ」


俺が言うと、セシルが小さく笑う。

ホークも、口元だけで笑った。


「魔帝国は、ご飯が美味しいと思います」


セシルが俺の隣を歩きながら、ニコニコと俺に視線を向けてくる。

早く話題を変えようと気遣ってくれているみたいだ。


「だよな? 時々すごい色合いの肉出てくるけど、不思議と美味いんだよ」


セシルの気遣いにほっこりした俺は浅い魔帝国知識を得意げに披露しながら歩く。


「確かに。ルーメンティアにはない食材も多いですね」


ホークが顎に手を当てながら頷くと、セシルもコクコクと同意の相槌を打つ。

……元日本人としては異世界の食文化、気になりすぎる。


「ルーメンティアには……ラーメンある?」


「……らあめん?」

「何かの食材ですか?」


ホークとセシルがきょとんとした顔になる。

俺はアリアの忠告を思い出して慌てて手を振る。余計なことは言えないんだった!


「そ、それより! 今日の朝ごはん――」


そして、誤魔化すように強引に話題を変える。


俺たちは朝をやり直すかのように大食堂へ足を向けたのだった。







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