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◆第26話 城内案内の尊い距離感

使節団が来訪して二日目の朝。

午前の光は、窓の外で澄んだ顔をしていた。


なのに俺の胸の奥は、まだ昨日の暖炉の火の名残を抱えている。

温かいような、落ち着かないような。


服を整えて、外套を手に取って、深呼吸。

鏡の中の“皇女ミナト”を覗き込むと、虹色の瞳が陽の光に反射して煌めいた。

俺は口の中で「笑いすぎない、睨まない、困ってない」を反芻する。


コンコン――


扉がノックされた。いつものだ。


「ミナト様。お時間です。外套をお持ちください」


テオの声はいつも通り丁寧で、落ち着いていて、揺れない。

その“揺れなさ”に背中を押してもらい、俺は扉に向かう。


「うん、行く」


廊下に出ると、石の冷たさが足元から上がってくる。

城は大きくて、静かで、吸い込まれそうな程だ。


(がんばれ俺!!

 “今日の皇女サマ”は案内だけ。落ち着け。歩くだけだ)


そう思った瞬間に、テオの気配を半歩後ろで感じる。

近いのに、邪魔じゃない距離。


「今日って、城内見学なんだよな」


「はい。表向きは友好の一環としての案内です」


表向き。

その言い方だけで、もういろいろ察してしまう。


「つまり、みんなで距離感を測りに来るやつね」


「……ミナト様の言い方が、少々鋭いですね」


「俺、たまに鋭いんだよ」


テオは返事をしなかった。

しなかったけど、口元が一瞬だけ柔らかくなった気がする。

気のせいかもしれない。俺が都合よく解釈してるだけかもしれない。

でも、それだけで“歩ける”気になったのが、ちょっと悔しい。


そして、もう一度深呼吸をすると真っすぐ前を向いて足を踏み出した。




◇◇◇



集合場所の回廊には、すでに人間側の一行が揃っていた。


シグは淡々と全体を見渡し、ネオジールは緊張の取れない顔のまま腕を組んでいる。

セシリアは……昨日より表情が柔らかい。緊張の鎧が一枚薄いままの気がする。

壁際に寄りかかっているのはホーク。腕を組みながらも威圧感はない。

俺達が近づくと、気づいたホークが腕を解きながら小さく会釈をした。


「ミナト殿下。騎士団長殿。おはようございます」


「おはようございます。ホーク殿」

「おはよう!……ご、ございます。」


俺が苦し紛れの“ございます”を付け足すと、ホークの眉がほんの少しだけ上がった。

皇女スマイルを張り付けた俺は内心だらだらと汗をかく。


(うわーーさっそくやっちまった!)


「……はい。今日はよろしくお願いします、殿下」


一拍間があったもののホークが口端に笑みを乗せて一礼する。

ちらっと横目で見たテオも涼しい顔のままだ。俺はホッと胸をなで下ろした。


時間になり、バルドが現れる。

バルドは全員が揃っているのを目だけで確認すると、静かに一礼した。


「本日は城内をご案内いたします。段差が多いので、足元にお気をつけください」


言い方が穏やかなのに、誰も逆らえない種類の丁寧さだ。

そして、天井の梁の上から唐突に聞こえる、余計な声。


「段差は敵。ミナトちゃんの天敵」


「リーンちゃん、聞こえるところで言わない」


「聞こえるように言ってる」


ちくしょう。


テオが淡々と補足する。


「ミナト様は、気づかない段差が多いので」


「お前ら、俺の足元に何の恨みがあるの」


「恨みはないです」


「あるのは段差」


テオとリーンが即答する。


「段差の擁護をするな!」


俺たちのやりとりにセシリアが小さく笑った。

昨日より自然な笑い方だ。笑顔が可愛い。

……クラスメイトだったら隣の席になりたいタイプの癒し系だと思う。


そうこうしているうちに案内は回廊から始まった。


窓の外には中庭。整えられた植え込み、白い石畳、遠くに見える訓練場。

兵士の影が時折通り、城が“住まい”であり“砦”でもあると分かる。


バルドが淡々と説明していく。


「こちらが儀礼用の回廊。来賓の導線と警備の導線を分けています」


シグが頷き、ホークが視線を走らせる。護衛の目だ。

テオもまた、同じ種類の目で、違う方向を見ている。


セシリアが窓の外を見つめて、ぽつりと言った。


「……綺麗です。でも、どこか緊張します」


俺も同じ気持ちで、素直に頷いた。


「うん。緊張するよね」


するとセシリアが驚いたように俺を見る。


「ミナト皇女殿下も、緊張されるのですか」


「……するよ。俺、わりとすぐ緊張する」


言ってから、また“しまった!”と思った。皇女が「すぐ緊張する」って格好つかないよな。

でもセシリアは、ふっと笑った。小さく、柔らかく。


「安心しました……私も、緊張しやすいんです」


その一言が、胸にじんと残る。

“私も”って言える距離まで、昨日より近づけたってことだ。


「いいわね、聖光王国の王女と魔帝国の皇女が仲良くなる瞬間……尊い!」


リーンが俺の肩越しに、聞き覚えのある口調で身を乗り出す。

……この口調は。


「リーンちゃん、それ、アリアの真似?」


「うん、言いそうじゃない?」


「……否定できない!!」


セシリアがまた小さく笑って、肩の力が抜ける。

穏やかな空気に包まれた俺が更に口を開きかけたところで

テオが小声で言った。


「ミナト様、段差です」


「……今?」


「今です」


俺は慌てて足元を見る。

ちゃんと段差だった。悔しい。


ホークが「フッ」と小さく笑った気配がして、俺は横目で見そうになったけれど踏みとどまった。

そして段差を越えた瞬間、肩の上から拍手。


「はい!ボクのミナトちゃん、無事に段差クリア!」


「拍手すんな!」


セシリアが笑いをこぼして、慌てて口元を押さえた。

やっぱり可愛い。口にはできないけど。


執務区画に近づくと、空気が少し硬くなる。

バルドが扉の前で立ち止まった。


「こちらは執務室です。内部の見学は控えさせていただきます」


すると、それまで貝のように黙っていたネオジールが眉を寄せた。


「……協議は“清廉”であるべきです」


低い声。優しい言い方なのに、喉に指を差し込まれるみたいな響き。


「聖女リサの名が囁かれている今、なおさら……“不浄”の混ざる余地は……」


シグが短く言う。


「ネオジール。控えろ」


その一言で、ネオジールは従う。従いながら、笑わないまま口元だけを整えた。

その気配に、ホークの位置がほんの少し動く。セシリアの背後へ寄りすぎず、でも安心させる距離。

テオは俺の斜め後ろ。視線の線を先に読んで、危ない方向を潰している。音もなく。


(護衛って、静かな仕事だな……)


感心する俺の耳元でリーンが、ひっそりと囁く。


「ねえ、ネオジールって人、さっきからすごいミナトちゃん見てるね?」


「……やっぱり?」


小声になった俺の返事にリーンが小さく頷く。


「テオが、さっきからかなり視線を遮ってるけど……全然、諦めない感じ。」


「……でも、高位司祭って教会の偉い人なんだろ?」


「そうだねー邪険にはできないかなー」


リーンはそういうと集団の先頭へ飛んで行ってしまう。

俺は静かに溜息をついた。


生活区画へ向かう回廊に入ると、光が柔らかくなった。

花の香りが混ざり、石の冷たさが少しだけ薄れる。


セシリアの表情が、また少しほどける。


「……ここ、好きです。お花の匂いがします」


「うん、落ち着くよね。」


俺が頷くと、セシリアが少しだけ歩幅を合わせてきた。

合わせたことに気づいて、慌てて離れそうになる。

俺は慌てない。慌てない方が、相手が落ち着けるって知ってるから。

いつもテオが俺に、そうしてくれてるように。


「セシリア王女殿下、歩き疲れてない?」


俺が普通に名前を呼ぶと、セシリアの肩がぴくっと跳ねた。


「……っ。い、いえ。大丈夫です」


大丈夫って言う顔が、大丈夫じゃない。

ていうか、今の反応は疲れじゃないな?


セシリアが胸の前で手をそっと組んだ。

祈りの仕草に似ているのに、目が祈りじゃない。迷ってる目だ。


「……ミナト皇女殿下」


俺は安心させるように、笑って頷いた。


「どうしたの、セシリア王女殿下」


その呼び方を口にした瞬間、彼女の肩がまたぴくりと跳ねた。

でも逃げない。息を吸って、まっすぐ俺を見る。


「お願いが……ございます」


「うん」


「……私のことを“セシリア王女殿下”と呼んでくださるのは、とても丁寧で、嬉しいです」


嬉しい、と言いながら頬が赤い。

その言葉の後ろに、別の気持ちが透ける。


「でも……もし差し支えなければ……」


少しだけ声が小さくなる。

それでも目は逸らさない。強い意志がそこにあった。


「……“セシル”と呼んでいただけませんか」


愛称呼び。名前呼び。

それだけで、距離がもう一段、一気に近づく気がする。


俺は一瞬だけ迷って、すぐ笑った。


「いいよ。これからは、セシルって呼ぶようにするよ」


セシリア……いや、セシルの目がぱっと明るくなる。

火が灯るみたいに表情が柔らかくほどけた。


「……ありがとうございます。ミナト皇女殿下」


「どういたしまして、セシル」


二回目を呼ぶと、セシルは照れて俯いた。

俯いたのに口元が嬉しそうに緩むのが見える。


くるくるとリーンが宙を飛んで、満足そうに頷く。


「はい、可愛い!」


「アリアの真似、やめい!」


「えー。ボクは自由な風だからー」


「風、自重して!」


俺はリーンを捕まえようと手を伸ばしてぴょんと飛び上がるが失敗。

それをセシルがくすっと笑って、慌てて真顔に戻そうとする。

でも戻りきらない。そこが可愛い。

俺はそこで、もう一段だけ踏み込むことにした。


「……じゃあさ、セシルも、呼び方を変えてくれないかな?」


セシルが目を丸くする。


「わ、私が……殿下を……?」


「うん。俺も、“ミナト皇女殿下”って呼んでくれるの、すごく丁寧で嬉しいんだけどさ。

 俺もミナトって呼んでもらった方が馴染みがあるっていうか……」


セシルは真っ赤になって、両手を胸の前でぎゅっと握る。


「わかりました。……ミ、ミナト……さん……」


声が細い。

でも、言った。……“さん付け”だったけど。


俺は思わず笑って頷いた。


「呼び捨てでもいいのに。まぁ、それでもいいや! よろしくセシル!」


「あ、ありがとうございます……っ」


セシルが俯いて、耳まで赤くなる。

その赤さが、まっすぐでかわいい。


リーンがひらひらと舞い降り、俺の頭に乗ると感動した顔をする。


「尊い」


「お前が言うと軽い!」


回廊内に小さな笑いが起こる。

ホークが軽い声で言った。


「セシル様、歩きながら照れるのは危ないです。段差ありますよ」


「ルーメンティア側からも段差情報共有きた。えーっと…」


「俺もホークでいいですよ。好きに呼んでください。」


俺が呼び方に困っていると、ホークが奇麗なウインクと共に一礼する。

……何かすごく色々と慣れてる騎士だな。


「おっけー。」


俺がホークのウインクに親指を立てて応えていると、

テオの声がすぐ横から聞こえる。


「ミナト様、右です」


「右って何!?」


「段差です」


「段差の情報、増えた!」


セシルが小さく笑った。

笑いながらも、慎重に足元を見て歩く。真面目。


そして、そのまま小さな声で、もう一度言った。


「……ミナトさん」


俺の胸が、変なところで跳ねた。


(……やばい。今の、ちょっと嬉しい)


テオの気配が静かに変わったことに気づく。

何も言わないのに、背後で気にしているのがわかる。

心を読まれた気がして俺の心臓が、また違う跳ね方をする。

俺は振り返らずに、前だけ見て、できるだけ普通の声で返した。


「うん。セシル」


それだけで、セシルが嬉しそうに頷いた。

今日の回廊は昨日より息ができる。


見学が一通り終わる頃、シグが時計代わりの砂時計を見て、穏やかに告げた。


「本日はこのあたりで。晩の協議に備え、こちらも準備を進めます」


「お付き合いありがとうございました。無理のない範囲で、良い滞在を」


俺がお礼を言うと、ホークが軽く胸に手を当てた。


「無理しないの、難しいですよね。城って歩くだけで疲れる」


「それ、分かる」


思わず本音が出た。

しまったと思った瞬間、ホークの目が少しだけ楽しげに細くなる。


「殿下、今の、本音ですよね」


「……たぶん」


「いい。そういうの、安心します」


安心、ね。

俺は終始緊張してるんだけどね。よかったよ。


セシルが一歩近づいて、控えめに言った。


「ミナトさん。滞在中……もし機会があれば、ゆっくりお話しできたら嬉しいです」


俺はにこっと笑った。


「うん。機会があれば」


その返事の直後、テオがほんの少しだけ、俺の背後へ寄った。

触れてない。触れてないけど、距離が変わったのは分かる。


城内の案内が終了すると、回廊に残ったのは俺たちだけになる。

さっきまで“よそ行き”だった空気が、少しずつ普段に戻っていく。


回廊へ出た瞬間、肩の奥に溜めてたものが、すうっと抜けた。

……抜けたはずなのに、膝がまだ礼儀正しく震えている。


「……やば。足、まだ皇女やってる」


俺が小声で呟くと、テオがすぐ隣で同じように呟いた。


「お疲れ様でした。……よく耐えました」


「耐えたって……そんな、まるで俺が、崖にしがみついてたみたいな」


「笑いすぎない、睨まない、困ってるのがバレない」


「うわ、全部覚えられてる!」


「護衛ですので」


そう言うくせに、テオの声はさっきよりずっと柔らかい。


「……テオ」


「はい」


「俺、ちゃんと出来てた?」


テオは一拍だけ迷ってから、いつもの丁寧さで結論を落とした。


「出来ていました。……ただ」


「ただ?」


「手が冷たいです。無理はしていませんか」


そう言って、俺の手の甲に、自分の手袋越しの熱を重ねてくる。

触れ方が、護衛の“確認”なのに、確認だけじゃない。


「……あったかいな」


「良かったです」


その短い一言で、ようやく“皇女”がほどけて、“俺”が戻ってきた気がした。


そこへ、頭上からぽんぽん、と軽い感触。

リーンが俺の頭を撫でて、ふわっと笑う。


「今日のミナトちゃん、よかったよ。

 アリアに言われてた“軽く話して、深く入らない”がちゃんと出来てた。」


そのままリーンがぐるっと俺の周りを飛ぶと、顎に手を当ててキリッと真顔で呟く。


「だからか、いつもと違う甘さの匂いがする!」


「匂いって言うな」


「匂いは嗅ぐものだよ」


「嗅がなくていい」


リーンは、あえてテオの肩の高さまで浮いて、耳元で言った。


「テオ、明日もがんばってね。壁じゃなくて、ちゃんと“ひと”として」


テオが一拍止まった。


「……意味が分かりかねます」


「分かってる顔」


リーンは勝ち誇ったように笑って、天井の方へ逃げた。

逃げるの早い。妖精ずるい。


俺は思わずテオを見上げた。

テオはいつも通りの顔をしている。……している、はず。


「……テオ」


「はい、ミナト様」


「明日も、頼む」


言った瞬間、テオの目がほんの少しだけ柔らかくなる。


「もちろんです。ミナト様の傍におります」


その言葉は、護衛の言葉の形をしている。

なのに、胸の奥に落ちるのは、もっと別の何かだった。


(……よし。明日も、崖にしがみつくか)


そう思ったところで、天井からリーンの声が落ちてくる。


「崖じゃなくて段差。明日も足元、気をつけてね」


「心読むのやめろ! てか、変な予言するなよ!」


笑い声が回廊に広がって、俺の緊張は少しだけほどけた。


俺の胃と心臓は、明日も多分また忙しい。

でも……この忙しさに、ほんの少しだけ慣れてきたのが悔しい。


そして、それがちょっとだけ嬉しいのも、もっと悔しい。





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