◆第25話 晩餐会と甘い逃げ道
晩餐会の会場となっている広間の扉の向こう。
音が多い。でもうるさくはない。むしろ、きっちり整っている。
俺は足を止めたまま動けないでいた。
(……これ、逃げ道が少ないやつだ)
俺が内心で胃に言い訳を用意していると、半歩後ろから落ち着いた声が降ってきた。
「ミナト様。大丈夫です。こちらは儀礼の形に沿うだけです」
テオの言い方はいつも丁寧で、妙に安心する。
安心するのに、心拍だけ忙しくなるのを、俺は敢えて見ないふりをした。
「その“沿うだけ”が難しいんだよなぁ」
「難しくならないよう、私も傍にいます」
いつも傍にいてくれているけど、改めて言われると、なんだか余計に頼もしい。
反対側でアリアが、ウインク混じりに軽く手を振った。
「晩餐会も薄味でいけば大丈夫!
ミナトちゃん、会話は“短く、当たり障りなく、笑顔”よ。」
「全部じゃん」
「そう、全部。全部できたら勝ち」
得意げな笑顔のアリアが俺の頬をぺちぺちと触る。
「勝ち負けじゃないって」
俺は憮然とした顔のまま、アリアの手から逃れようと試みる。
その時、天井近くからくすくす笑いが落ちてきた。
「薄味って言葉、面白いね!ボク、塩だいすきだよ!」
「リーンちゃんは今何かすると余計なことになりそうだから黙って」
「えー。ボクは自由な風だよ」
「風も黙って」
リーンの“ひどーい”という笑い声混じりの抗議の声は天井に消えていく。
あの妖精、マジで神出鬼没すぎない?
前へ向き直った俺に対してバルドが一礼する。
視線も所作も無駄がないのに、なぜか常に柔らかく見える。これって、この人の才能なんだろうな。
「皇女殿下。お時間でございます」
バルドの声と共に扉が開く。
熱と香りが一気に押し寄せて、俺は“皇女の顔”に切り替えた。
◇◇◇
広間は、少人数用に整えられた格式の塊だった。
一段高い場所の中央に置かれた横長のテーブルが上座。要人の席だ。
魔帝国の側近やルーメンティア使節団に随行している人たちが座る下座のテーブルから、視線が散らない設計になっている。
真ん中に父さん、魔王グレゴールが座る。
そして、魔王の右隣にシグ。左隣に俺。
(父さんの隣、ってことは……逃げ場ゼロのセンター帯じゃん)
俺が内心で呻いた瞬間、父さんがこちらを見て、にこっと笑った。
笑ってるのに、圧がある。
親バカの圧なのか、魔王の圧なのかは判断が難しい。
シグは静かに、でも一切ブレずに座っている。
外交官の姿勢って、こういう時は鎧になるんだなと妙に納得した。
セシリアはシグの隣。緊張してるのに、その視線は真っ直ぐだ。
ネオジールはさらに外側。視線が硬い。威嚇というより、値踏みだ。
隠そうとしない俺への視線には、皮膚の上をゆっくりなぞられるような不快さだけが残る。
祈りの言葉を抱えてる顔で、目だけが“欲”を隠していないように思えた。
壇の端には、テオとアリアが立つ。
テオは俺の背後斜め。少し動けばすぐ届く距離。
アリアは逆側で、会話が尖りそうな気配を先に潰せる位置だ。
下座テーブルで一番上座寄りの席、セシリア側寄りにはホークが着席していた。
軽そうな顔をしているのに、視線がずっと働いている。
あの視線には慣れ親しんでいるから俺でもわかる、護衛の目だ。
全員が位置についたのを確認したバルドの合図で、起立する。
魔王モード全開の父さんが杯を掲げた。
「友好と協働に」
「友好と協働に」
シグが同じ温度で返す。
俺も含めたその場にいた全員が、杯を上げた。
「……乾杯」
杯が触れ合う音は少ない。
少ないのに、空気はちゃんと鳴る。
厳粛な雰囲気の中、
緊張でなかなか喉を通らないまま料理が進み、会話も薄味のまま粛々と進む。
異形の発生状況、共同観測、境界域の情報共有。
シグの言葉は短く、バルドの返しも短い。
大人たちの会話は言葉にならないところでも進んでいるように見えた。
(……笑いすぎない、睨まない、困ってるのがバレないように)
俺は頷いて、必要な時に必要な分だけ答える。
「把握しております」
「協議が前へ進むなら、喜ばしいです」
薄味。薄味。薄味。
この場は塩分控えめが正義。余計な感情は添え物にもならない。
けれど視線は、薄味で誤魔化せない。
セシリアの目が時々、俺の虹彩を追う。
追って、慌てて逸らして、また追う。
悪意がないのはわかる。
確かめたいのか、友達になりたいのか。全部混ざっている目だ。
ホークはその視線の動きを守るように拾っている。
拾いながら、時々、俺の方にも目を向けているのがわかる。
確認の視線。噂の手触りを測る視線だ。
(やめろ、手触りを測るな。俺は布じゃないんだぞ。)
俺が心の中でツッコミを入れた、その時。
ふわっ。
リーンの風が、天井から落ちた。
(おいおい!? リーンちゃん!?)
派手な突風じゃない。
杯を倒すほどでもない。
でもナプキンの端がふわりと浮き、セシリアの杯の横でひらっと揺れた。
「……っ」
セシリアが反射で手を伸ばす。
けれど、その一瞬前に――
ホークがスッと立ち、一歩で近づくと、杯とナプキンの間に手を滑り込ませた。
音を立てない。揺らさない。危うさだけが消えていく。
「失礼いたします、セシリア王女殿下」
ホークが丁寧に戻すと、セシリアは頬を赤らめて、小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「当然です」
ホークが席へ戻ろうとした時、
テオが、ほんの半歩だけ動いた位置から元の位置に戻ったのがわかった。
動いたタイミングは同じだったようだ。
でも前へは出ない。出る必要がない。
俺の背後で“線”を引き直し、また静かに戻る。
そして一瞬。
ホークとテオの視線が交差したようだった。
言葉はない。
でも「了解」と「牽制」が同時にそこにあった。
(……何事もなくてよかった!)
俺はほっと胸を撫で下ろす。
天井でリーンが小さく拍手した気配がした。
おい演出家。拍手すんな。後で説教だ!
アリアが笑顔のまま話題を戻す。
「風が気まぐれでね。大広間は天井が高いから、空気が遊ぶのよ」
“自然現象です”の顔で、場を丸める。
アリアの社交術、怖いくらい滑らかだ。
ネオジールが僅かに目を細めた。
笑っていない目。
けれどここでは突っ込めないようだった。
セシリア越しに俺を凝視しているのがわかったが、俺は敢えて無視した。
(……見つめられ過ぎて穴開きそう。胃に。)
晩餐会はそのまま、最後まで薄味で終わった。
形式は形式に沿って、美しく締まる。
そしてバルドが告げた。
「食後は暖炉の間にて甘味と茶をご用意しております。ご希望の方はどうぞ」
やっと、息ができる場所に行ける……!
俺が無意識にちらっと送った視線に、テオが小さく頷いた。
俺はそそくさとナプキンを置いたのだった。
◇◇◇
暖炉の火は、世界を少しだけ柔らかくしてくれる。
硬かった肩の力が、火の音に合わせてほどけていく気がした。
テーブルは点在していて、立っても座ってもいい。
会話も“公的”から“半歩だけ私的”へ移っていい合図だ。
(甘いもので逃げる!甘未は正義だ……!)
俺が内心でガッツポーズしそうになったのを、テオの気配が止めた。
テオは俺の斜め後ろ。いつも通りな護衛の距離。
近いのに、邪魔じゃない。むしろ、背中が落ち着く。
アリアは甘味の台の近く。
もう皿を確保している。仕事が早い。
「ミナトちゃん、はい。これ、ふわふわ系。心がほどけるやつ」
「ありがとう……助かる」
「でしょ。糖分は正義」
「この城、正義が多すぎるんだよ」
リーンは暖炉の上の装飾に座って、足をぶらぶら。
絶対に何か言う顔だ。
言うなよ、言うなよ……って願うと大体裏目に出るから、俺は敢えて目を逸らした。
セシリアは暖炉の近くで、さっきより表情が柔らかい。
緊張の鎧が一枚だけ脱げたみたいな顔だ。
シグは少し離れた卓で、薄味のまま周囲を見ている。
でも肩が下がっている。外交官にも休息は必要らしい。そうだよな、人間だもの、だよな。
俺は皿の甘いふわふわを口に目いっぱい詰め込みながら
更に広間をぐるりと見渡す。
ネオジールは祈りがなんとか、って理由でもう部屋へ戻っていった。
ずっと耐えるには視線が痛い程だったから、内心ホッとしたのが正直なところだ。
ホークは壁際。
混ざりすぎない。けれど必要なら動ける距離。
護衛隊長の“ちょうどいい場所”が、たぶんそこなんだろう。
そのホークが、俺の視線に気づいて、こちらへ一歩だけ近づいた。
「ミナト殿下。先ほどは失礼しました。こちらが前に出てしまって」
言い方は軽い。けれど礼は崩さない口調だ。
俺は素直に頷いた。
「いや……セシリア王女殿下の杯、助かった。ありがとう」
ホークは肩をすくめる。
「護衛の反射です。気にしないでください」
さっきの動きが脳内で再生されて、俺はうっかり納得しかける。
いや、納得するしかない。あれは見事だった。
穏やかな空気が漂いかけた時、案の定、リーンが俺の肩後ろから顔を出す。
「反射って言葉、好き。
ボク、ミナトちゃん狙ったのに、セシリアちゃんに風行っちゃってごめんねー」
「俺と席かなり離れてたけど!? てか狙うな!!」
思わず俺がツッコむと、リーンは堂々と胸を張る。
「狙うよ。ボクは自由な風!」
「自由にも限度がある!」
「風に限度はないのだー!!」
その会話を、少し離れたところで聞いていたセシリアが小さく笑った。
緊張で固かった口元が、少しだけほどける。
その笑いに、ホークの表情もほんの少し柔らかくなる。
ホークが芝居がかった口調でため息混じりに呟いた。
「妖精って、自由ですね」
「自由だよ。だからケープも飛ぶ」
「飛ばすな!」
堪えきれず吹き出したセシリアが「ご、ごめんなさい」と呟いて、慌てて口をつぐんだ。
謝らなくていいのに、真面目な子なんだな。
俺は慌てて首を振る。
「謝らなくていいよ。……というか、晩餐会のあれは、風が悪い」
「風は自然現象」
リーンがすかさず言い切る。
「リーンちゃんのは、自然じゃない!」
アリアが横から笑いながら入ってくる。
「ミナトちゃん、ツッコミする元気戻ってきたね。よかった」
「戻ってない。戻ってないけど、ここは息できる」
「それが大事」
アリアが言うと、場の空気がもう一段柔らかくなる。
その柔らかい空気の中で、テオが、さりげなく俺とホークの間に“線”を置くように立ち位置を変える。
会話を遮るほどじゃない。
でも距離の角度だけが変わる。護衛の仕事って、こういう微調整が本体なんだろう。
(あ、これ……さっきの大広間と同じやつだ)
ホークも気づいたらしく、何も言わずに半歩退いた。
退き方が上手い。退いたのに、存在感が落ちた感じはしない。
ホークが軽く笑う。
「騎士団長殿、距離の取り方が完璧ですね」
テオは表情を変えず、丁寧に返す。
「皇女殿下の安全が最優先ですから」
「了解。……俺も護衛ですから、わかります」
“俺も”。
言葉は軽いのに、どこか芯のある言い方だった。
セシリアが、そのやり取りを見て、ちょっと目を丸くした。
この子も、あの“線”が見えるタイプなのかもしれない。
俺は小さく笑むと、いつの間にか空になった皿に乗せる次の獲物を探そうと顔を上げた。
それに気づいたセシリアが小さく手を上げる。
「……ミナト皇女殿下。あの……このお菓子、とても美味しいです」
俺は笑って頷いた。
「よかった。ふわふわで、危険な甘さだよな」
「危険……?」
「食べすぎると動けなくなる」
セシリアがくすっと笑う。
「それなら……私も、危険に加担します」
言い方が可愛い。
にこにこする俺の横でホークが、目を細めて微笑みを抑えるように口元を押さえた。
アリアがすかさず会話に乗る。
「セシリア王女様、危険に加担するならミナトちゃんと一緒にデートしなきゃね。動けなくなる前に散歩とかいいんじゃない?」
「ミナト皇女殿下と……ご、ご一緒に……!?」
セシリアの頬がまた赤くなる。
俺は急に照れ臭くなり、無意識で頬を掻く。
(可愛い女の子とデート!)
俺が「デート」という単語にちょっと引っかかったのを、テオの気配が拾った。
拾っただけ。声にはしない。
でも背後の空気が一段だけ“護衛”になる。
(うわ、今の、俺の反応が読まれた気がする)
リーンが上から囁く。
「ミナトちゃん、分かりやすい」
「リーンちゃんは、黙って」
「黙らない」
「黙って」
「風は黙れない」
この妖精、ほんとに黙らない。
そこへバルドが、自然に会話へ混ざってきた。
邪魔にならない角度。必要な情報だけ置く、宰相の動きだ。
「明日以降、城内案内は午後からといたしましょう。午前は各自休息を」
「助かります」シグが頷く。
「ありがたいです……」セシリアも小さく頷く。
バルドはそれだけ言って、すっと引く。
すごい。必要な時だけ現れて、空気を壊さず次の予定だけ置いて消えた。
(宰相、便利すぎない?)
流石、魔王の右腕…と、俺が内心で感心していると、テオが小さな声で言った。
「ミナト様。お疲れではありませんか。少し休まれますか」
俺は目を瞬かせてテオを見返した。
いつの間にか息を止めるような呼吸になっていた自分に驚いたからだ。
さっきの大広間では言えなかった“少しだけ”が、今ここでは言える。
「……うん。少しだけ」
その言葉を口にした瞬間、背後の気配が、俺を退出させる雰囲気に持って行ってくれる。
守られてるって、こういうことなんだろうなと思った。
リーンがひらひらと俺の頭の上に着地すると、そのまま頬杖をついた。
「明日は見学かー。ミナトちゃん、いっぱい歩くよ。転ばないでね」
「転ばないように祈ってくれ」
「祈るより風で応援するね」
「止めろ!」
笑い声が小さく暖炉の間に広がった。
公的な晩餐会の硬さが、甘味と火の音で少しずつ溶けていく。
晩餐会は無事に終わったけど、
使節団はこの後も協議が固まるまでの滞在期間がある。
俺はもう一口だけデザートを食べて、明日の“城内見学という名の皇女ミナト業”に備えることにした。
(よし。今日の俺は燃え尽きてない。たぶん)
暖炉の火がぱちんと鳴った。
世界が、やさしく瞬きをしたみたいに見えた。




