◆第23話 礼儀作法を紐解く午後
書庫を出た瞬間から、俺は悟った。
(……今日、俺の心が休む時間、ゼロだな)
廊下に戻ると、石床の冷たさと、遠くから漂ってくる昼食の匂いが混ざって、妙に現実味が増した。
異世界なのに、腹は減る。胃は痛くなる。人間らしい反応だ。今は魔族だけど。
リーンが俺の頭の上で、小さな腕で頬杖をつく。
「ミナトちゃん、明日の人間さん、どんな感じだろうね?」
「知らん……考えただけで胃が死にそう」
「胃が死ぬとどうなるの?」
「知らねえよ! そんなの実験すんなよ!?」
リーンが「えへへ」と笑う。こいつ、だいたい危険側の好奇心で生きてる。
そこへ、テオが少し前を歩きながら、いつもの落ち着いた声で言った。
「使節団が滞在中は、何があっても対処しますが……懸念点はありますね」
「なに?」
「明日の謁見で、ミナト様は“皇女”として紹介されます。……その際、相手がどの程度の礼を求めるかは、読めません」
「求められても、俺、礼儀の引き出し少ないぞ」
アリアが後ろから追い付いてきて、肩をすくめる。
「少ないなら作ればいいの。アタシの授業は“即席で生き残る”がモットーよ」
「学校教育より過酷じゃねえか」
「生き残りたいなら、胃薬を飲みなさい」
「やっぱり胃が死ぬんだ!」
そんなやり取りをしていたら、廊下の角から鎧の音が近づいてきた。
騎士団員が数名、巡回中らしい。俺の姿に気づくと、慌てて立ち止まり、背筋を伸ばした。
「ミナト皇女殿下!」
……殿下、って呼ばれるたびに、心が一回転する。
俺って殿下なんだよな。ゲームの称号みたいなやつじゃなくて。
テオがすっと前に出た。その瞬間だけ空気が変わる。護衛じゃない、騎士団長の顔だ。
「整列。通路を空けろ」
命令口調。きれいに通る低音。団員たちが「はっ!」と揃って動く。
(……やっぱ切り替えがえぐいな。この人)
俺が感心していたら、リーンが耳元で囁く。
「ねえ、テオって“外側”と“内側”が違うよね」
「言い方が危ない」
「だって外側はこわいのに、ミナトちゃんにはやさしい」
「……それは」
俺が返事に詰まると、テオがこちらを振り返った。目が合った。俺の虹彩が勝手にきらっと光った気がする。
「ミナト様、どうぞ」
さっきまでの鋼みたいな声が、ちゃんと“俺用”に戻ってる。ギャップが心臓に悪い。
「ありがと、テオ」
俺が言うと、テオはほんのわずかに頷いた。……その“わずか”で充分なんだよな。悔しい。
◇◇◇
皇族用ではない大食堂は賑やかだ。
香ばしいパン、肉と香草の匂い、スープの湯気。
異世界の城なのに、飯がちゃんと旨そうなの何でなの。人の生活を誘惑で釣りに来てる。
俺たちが席につくと、リーンが即座にテーブルの端に陣取り、
アリアは当然のように俺の隣へ来た。距離が近い。いつも近い。
テオは俺の斜め後ろに立ちかけて、俺が「座れよ」と目で言うと、少し迷ってから向かい側に座った。
しまった……正面のテオ、思ったより破壊力が高い。
俺がスープを一口飲んだ瞬間、アリアがいきなり本題に入る。
「さて。明日までの宿題。ミナトちゃんは“人間側を刺激しない言葉”を覚えてきてね」
「なにそれ?」
「たとえば、光と闇の属性について触れない、とか。あと余計なツッコミをしすぎない」
「俺のアイデンティティを殺すな」
「殺さない。封印するだけ」
「それ、殺すのと大差ないよね!?」
リーンがはっと気づいた顔で得意げに手を挙げた。
「ボク、刺激しない言葉、知ってる!」
「うーん。嫌な予感しかしない」
「『わぁ〜すごい〜さすが〜』」
「それはそれで刺激してんだよ! 相手の自尊心をくすぐって!」
アリアが思わず吹き出して笑った。
「まあでも、そういうのも必要かもね。外交は、相手の機嫌を“壊さない”ことから始まるから。」
「俺、そういうの苦手……」
「そうね。ミナトちゃんは口が先に動くから」
「うわーー否定できねえ!」
テオが顎に手を当てて思い出すように口を開く。
「ミナト様は、感情がよく顔に出ます。その分、誠実に見えます」
「……フォローに見せかけて、欠点を言ってない?」
「欠点は、守るべき部分でもあります」
「ぐぬ……っ」
俺は反論しかけてテオの視線の柔らかさに気づき、その後の言葉に詰まる。
瞳の奥に違う感情が見えそうで、変に胸がくすぐったい。
俺が黙ってスープを飲んでいると、アリアが指先でスプーンをとん、と鳴らした。
「ここで問題。ルーメンティアの使節団がミナトちゃんを見て何を思うか?」
「……聖女の子、じゃない?」
「そう。で、その次に来るのが」
アリアがわざと低い声を作る。
「『聖女の子を魔族から取り戻せ』」
「うわ、怖」
「ね。でも向こうは“正義”の顔でそうするかも。
だから厄介。正義の顔をしてる人間は、悪役より止めにくい」
俺はスプーンを置いて、息を吐いた。
「……聖女リサ、母さんが行方不明扱いだから、余計にそうなるのかな」
きれいに磨かれたスプーンに映り込む俺の瞳が、虹色に反射した。
テオの気遣う気配に、目だけで“大丈夫”と告げると俺はスープを口に運ぶ。
アリアが飲み物に口をつけながら頷く。
「そうね。『聖女は失われた』って神話みたいに扱ってる層もいる。そこに“似た存在”が現れたら、祈りが暴走しても、おかしくないわ。」
「祈りの暴走って、なんか怖い言い方だな」
「怖いもの。美しくても、ね」
リーンがパンを齧りながら小さく呟く。心なしか羽も下がっている。
「ボク、祈りってあんまり好きじゃない。お願いばっかりだから」
意外と鋭いこと言うんだな、と俺が思った瞬間。
テオがナプキンを差し出した。無言で。俺の頬を指さして。
「……ここ、ついています」
「え。まじ?」
俺が手で拭こうとすると、テオは一瞬だけ手を伸ばしかけて……止めた。代わりにナプキンを俺の手の上に置く。
その“寸止め”が逆に意識させるんだよ!とは言えず。
俺は素直にナプキンで拭いて、誤魔化すみたいに言った。
「ありがと。……過保護かよ」
テオは少し困ったように、でもきちんと答えた。
「護衛ですので」
「はいはい」
隣でアリアが頬杖ついて、ニヤニヤしている。
「……護衛ね」
「アリア、顔がうるさい」
「顔はうるさくない、口がうるさいの」
リーンが「どっちも!」と笑った。
俺の胃は、痛いくせに、ちょっとだけ軽くなった。
◇◇◇
昼食のあと、俺たちは「礼儀作法」とやらの名のもと、応接用の小広間へ移動した。
大きな窓、柔らかい絨毯、やたら豪華なソファ。ここで“即席外交訓練”をやるらしい。
アリアが真面目な顔でパンパンと手を叩く。
「はい、ミナトちゃん。まず“挨拶”」
「挨拶って、どのレベルの?」
「皇女レベルの」
「無理」
「無理じゃない。やるの」
アリアは指をくるんと回して、幻影を作った。
光が揺れて、人型が浮かび上がる。
ざっくり“それっぽい人間”たち。髪色も服もふわっとしてるけど、雰囲気だけは妙にリアル。
「わ、なにこれ」
「使節団ごっこ。相手が堅物でも、ミナトちゃんが動じない練習」
「動じるわ!」
テオが俺の耳元に顔を近づけると小声で付け足した。
「動じても、立っていれば大丈夫です」
「……根性論かよ」
顔をしかめる俺の肩を、困ったように笑ったアリアが押して、立たせる。
「さあ。姿勢。胸張る。顎引く。目は逃げない。……虹彩が勝手に煌めいてるんだから、目線で勝て」
「目線で勝てって戦闘じゃねえんだぞ」
「戦闘よ。笑顔の戦闘」
リーンが横で手を振る。
「ボク、応援する! ミナトちゃーん! 負けるなー!」
「応援のノリが試合なんだよなぁ!?」
アリアが幻影の一体を前に出した。
「はい、こいつが外交官。いかにも堅物な大人ってタイプ。丁寧、理屈、胃が痛い系」
「雑な分類!」
「挨拶」
俺は深呼吸して、脳内の皇女フォルダを漁る。
皇女っぽく……皇女っぽく……。
「……えーと。ようこそ、魔帝国へ。今日は……来てくれて、ありがと、ございます?」
声は裏返り、敬語とタメ口が混ざって自分で震えた。
アリアが顔をしかめる。
「最後の“ございます?”が疑問形なの何?」
「仕方ねえだろ! 普段使わねえんだよ!」
テオが静かに助け船を出す。
「『お越しいただき、ありがとうございます』が無難かと」
「それ、覚えた。言う」
俺はもう一度深呼吸をして言いなおす。
「お越しいただき、ありがとうございます。……俺、じゃなくて、わたし……いや、俺でいいんだっけ」
「そこは俺でいいんじゃない? ミナトちゃんの“ズレ”は武器だから。」
「これ以上の敬語もズレってことにしてほしい……」
嘆息する俺にアリアがニヤリとする。
「じゃあ次。相手が『聖女の子』って言ってきたら?」
「……うーん? 否定と肯定? どっちが正解?」
「正解はない。けど“煽らない”のが正解。たとえば」
アリアは俺の耳元で囁いた。
「『そう見えるのなら光栄です。でも、私は私です』」
「……それ、かっこよくない?」
「でしょ。アタシが考えた」
「さすが魔法師団のエリート!」
リーンが突然、幻影のひとつに化けた。いや、化けたというか、幻影に紛れた。声色まで変えてくる。
「『聖女の子よ! こちらへ来なさい!』」
「お前、煽り役うますぎ!」
俺が反射で言い返しそうになった瞬間、テオが低い声で止めた。
「ミナト様。深呼吸です」
「……っ」
俺は息を吸って、吐いて、言う。
「そう言われても困る。……俺はここで生きてる。だから、勝手に決めんな」
言い切った瞬間、アリアが嬉しそうに指を鳴らした。
「はい合格! いまの“勝手に決めんな”、最高。人間はね、強い言葉より“真っ当な一言”に弱いの」
「急に社会学」
「外交学よ」
俺はちょっとだけ、胸の奥がスッとした。
(……俺、できるかもしれない)
そう思った矢先。
リーンがソファの背もたれから飛び降りて、俺の襟元に突撃した。
「ミナトちゃん! 次は“衣装チェック”だよ!」
「衣装チェック?」
アリアがにやにやしながら、布包みを机に置いた。
「明日の“皇女装備”。新調したの。さあ着てみてちょうだい!」
「待て待て待て」
「待たない♡」
「ここ、男の騎士団長いるんだけど!?」
俺がテオを指さすと、テオは視線を逸らし、丁寧に言った。
「私は、退出したほうがよろしいでしょうか」
「そりゃそうだろ!」
アリアが手をひらひらさせる。
「いいのいいの。テオは護衛。視線を壁に固定して立ってれば無害」
「無害って……言い方」
テオが困ったように咳払いし、きっちり背を向けた。ほんとに壁を見てる。真面目すぎる。
俺は渋々、布包みを開く。
中から出てきたのは、魔帝国らしい色合いに銀糸が走る上品な衣装だった。……いや、上品なんだけど。
「これ、肩が……出てない?」
「出てるわね」
「なんで!?」
「皇女だから」
「意味わかんねえ!」
「布の意味を問うな。世界の美意識に従いなさい」
リーンがキラキラと金の粒を舞わせて歓声を上げる。
「わー! ミナトちゃん、かわいいの確定!」
「まだ着てねえ!」
俺が着替え始めた瞬間、リーンが紐に絡みついてきた。こいつ、紐を遊び道具だと思ってる。
「こら! それ引っ張んな!」
「えへへ! ボク手伝ってる!」
「手伝いの定義が崩壊してる!」
そのとき、背を向けているはずのテオが、静かに言った。
「……紐、難しいですか」
「難しいっつーか、妖精が邪魔!」
リーンが「えっ」と固まる。
「ボク、邪魔じゃないでしょ!?」
「今は邪魔!」
アリアが腹を抱えて笑いながら、紐を器用に結び直してくれる。手つきが慣れすぎていて怖い。
「ほら。こう。こうして、ここで止める。ミナトちゃん、息して」
「……してる!」
衣装はなんとか形になった。
鏡を見ると、黙ってれば高貴……とアリアに言われた通り、黙ってればそれっぽい。
問題は黙っていられないこと。
「……どう?」
俺が聞くと、アリアは満足そうに頷いた。
「完璧。黙ってればね」
「おい!」
リーンが俺の肩の上に飛び乗って、頬にすりすりしてくる。
「ミナトちゃん、いい匂いする。明日、人間さん、びっくりするね」
「匂いでびっくりされるの嫌だな……」
その瞬間、リーンがなぜか俺の背中の結び目をつまんだ。
「ここ、ひっぱるとどうなるの?」
「やめろォ!」
遅かった。
きゅるっ、とほどけた。
背中側の布がふわっと緩み、肩が、胸が、ひやっと空気に触れる。
俺は慌てて前を抑えようと布をかき集める、これは普通にアウト寄りの事件だろ!
「リーンちゃん!!」
俺が悲鳴を上げた瞬間、テオが反射で振り向いた。
視線が、俺の肩に、谷間に落ちる。
数秒。
たぶん一秒。
でも俺の体感は永遠。
テオはすぐに視線を逸らし、声がいつもより少し低くなった。
「……失礼しました。見ていません」
「見たろ!!」
「見ていません」
「いいや、見たろ!!?」
茹だって湯気が出そうな俺の顔と気まずそうなテオを見比べ
アリアが楽しそうに笑う。
「テオ、耳が赤い」
「赤くありません」
リーンがくるくる宙を飛びながら「わー!」と拍手した。
「テオ、動揺してるー!」
「していません」
俺は前を押さえながら、顔が熱くなるのを必死で誤魔化した。
「……もうやめろ! 衣装チェック、終わり! 封印!」
アリアが肩をすくめて溜息と一緒に笑みをこぼす。
「やれやれ。結び直すからじっとして。ミナトちゃん、明日は絶対にリーンを近づかせないから安心して。」
「うん。絶対」
「えっ!? ボク、出禁!?」
「紐に近づくな!」
テオは壁の方を向いたまま、丁寧に言った。
「リーン。明日は、私が抱えておきます」
「やった!」
「やめろ! それもそれで嫌な予感!」
アリアがくすっと笑って、最後の授業を締めるみたいに言った。
「いい? ミナトちゃん。明日は緊張すると思うわ。でも緊張していい。あなたは“皇女”だけど、あなたは“あなた”だから」
俺は、鏡の中の自分を見た。万華鏡みたいに光る目。女の体。高貴っぽい衣装。
でも、胸の奥の声は変わらない。
(俺は俺だ)
テオが、少しだけ柔らかい声で言う。
「明日は、私がそばにいます。……何があっても」
「……うん」
俺は短く頷いた。余計なこと言うと照れるから。
そして、それ以上俺が何か言う前に、扉が叩かれた。
「皇女殿下。宰相のバルド・ラグナードでございます。」
タイミングが良すぎる。
世界が演出してるのか? 誰かが俺の胃を試してるのか?
扉が開き、魔帝国の宰相をしているバルドが穏やかな顔で一礼した。
羊の角を持つ執事風の老紳士。魔王グレゴール――父さんの忠実な右腕だ。
その手には巻物。見ただけで「正式」な匂いがする。
「お疲れ様です、皇女殿下。
ルーメンティアより、使節団来訪の通達が届きました。名目は“異形なるモノ”についての協議。」
名目。
その二文字が、逆に裏を強調する。
緊張した面持ちの俺を見て、バルドは優しく微笑んだ。
一度広げた巻物を巻き直しながら更に続ける。
「……背景に例の噂があることは、こちらも承知しております。
陛下は殿下の同席を望まれております。これより執務室へお越しいただけますか」
俺は息を吸って、ゆっくり吐いた。
落ち着け。俺は無意識で胸元のネックレスを握りしめる。
「……わかりました。行きます」
◇◇◇
そして夜。
自室に戻った俺は、ベッドに倒れ込みながら天井を見上げた。
(……明日、この世界の人間達が来る)
聖女リサとしての母さん。行方不明の聖女。
勝手に祈られて、勝手に語られて、勝手に“正義”を向けられるかもしれない。
怖い。
でも。
廊下の向こうに、テオが立っている気配がする。
いつもそばにいる守りの壁。真面目で、丁寧で、ときどきユーモアがある俺の護衛。
俺は小さく息を吐いて、枕に顔を埋めた。
「……よし。寝る。胃薬は明日の俺に任せる」
そんなツッコミを最後に、俺は眠った。
明日。
使節団が来る。
そして、俺の表情筋と胃と人生が、たぶんまた忙しくなるんだ。




