冬休み編① 雪灯祭と騎士団長の罪
雪が降るのを、この城で見るのは初めてだった。
朝、カーテンの隙間から見えた白が、最初は霜かと思った。
でも窓を開けた瞬間、冷たい空気と一緒に、小さな綿みたいなものがふわっと頬を撫でる。
「雪……」
思わず声が出る。
白い粒は空から静かに落ちてきて、城壁の縁に積もり、庭の木々の枝を柔らかく縁取っていく。
魔帝城が、いつもより少しだけ童話みたいだった。
「ミナト様。窓を開けたままですと冷えます」
背後から落ちた声で、俺はびくっと肩を跳ねさせた。
振り返ると、いつの間にか定位置にテオがいる。
いつものぶつからない距離、離れない距離。
「……雪、すごいな」
俺は視線を外に戻すとポツリと呟く。
テオも俺の背後から同じように窓へ視線を送る。
「ええ。雪灯祭の朝に降るのは、縁起が良いとされています」
「雪灯祭?」
「本日、城内で行われる冬の行事です。
……“聖夜祭”の前祝いのようなものですね」
聖夜祭…は、
明らかにクリスマスっぽい響きだな。
なら雪灯祭は“クリスマスイブ”ってところなんだろう。
「へぇ……なにするの?」
「城の廊下と中庭に“雪灯”を並べます。魔晶石を入れた小さな灯籠で、夜に点すと雪が青く光るようになっています」
「ロマンチックじゃん」
「……ロマンチック、ですか」
テオが真面目な顔で首を傾げる。
俺は降り続く雪を見上げるとグッと拳を振り上げた。
「俺も行ってみたい!手伝える?」
「もちろんです、ミナト様。
……ただし、滑りやすいので」
「分かった分かった、転ばないようにするって」
そう言って一歩踏み出した瞬間には、
さりげなくテオの手が俺の肘当たりに添えられた。
支える気満々の力加減だ。
「……過保護」
「護衛です」
即答。
もう、この距離感に慣れてきてしまっている自分がちょっと怖い!!
◇◇◇
中庭に出ると、雪が音を吸っていて、
世界がやけに静かだった。
いつもは聞こえる訓練場の掛け声も、今日は遠い。
代わりに、城の人たちの足音と笑い声が近くにある。
「皇女殿下、おはようございます!」
雪を踏み固める係の青年が頭を下げる。
籠いっぱいに白い雪を運ぶ使用人たち。
灯籠を並べる文官の人。
布を巻いた手で魔晶石を扱う魔導師団の助手。
忙しく動いている人が多い。
多いのに、みんな自然に動いていて、“冬の城”が日課として回ってるのが分かる。
「ミナト様、こちらを」
俺に小さな灯籠が渡される。
手のひらサイズで、透ける石の枠の中に、小さな魔晶石が入っている。
「うわ、かわいい」
「それを“雪灯”と呼びます。並べ方にも意味があるそうです」
「意味?」
「願いを通す道になる、と。……この城はこういう話が多いんですが」
「へぇ~!いいじゃん!」
俺が言うと、テオがほんの少しだけ目を細めた。
うれしそう、に見えた。見えただけ、かもしれない。
雪灯を並べる作業は単純だ。
中庭の端から端へ、道みたいに灯籠を置いていく。
でも単純な分、気づいてしまう。
テオが、やたらと声をかけられていることに。
「団長、おはようございます!」
「団長、これ運びます!」
「団長、この後……」
「団長、こちらの配置はこれでよろしいですか!」
相手は騎士団員だったり、見習いだったり、城の人だったり。
中には、俺と同じくらいの年に見える女の子もいた。
整った制服、きびきびした動き。騎士見習い、だと思う。
「団長、寒くないですか? これ、手袋の替えです!」
そう言って手袋を差し出した彼女は、顔を赤くしている。
それは、まるで恋する……
……いや、寒いからだろ。寒いからだよな。
テオはいつも通り真面目な顔で受け取る。
「ありがとう。助かる」
……ありがとう。助かる。
俺に言うのと同じトーンで。
胸の奥に“チクッ”と痛みが走った。
(は? なんで俺が今、引っかかった?)
「団長」って呼ばれているのが当たり前のはずなのに。
城の人に慕われるのは良いことのはずなのに。
なのに、あの子が手袋を渡した瞬間、俺の中に小さな針が立った。
(……なにこれ。嫉妬? 俺、嫉妬してんの?)
自覚した瞬間、恥ずかしさで頬が熱くなる。
雪が降ってるのに、体温だけ上がるの最悪だ。
リーンが、俺の肩にふわっと降りてきた。
「ミナトちゃん、顔あかい」
「寒いからだよ」
「嘘だよね」
「寒いからなの!」
リーンはにやにやして、わざとらしく囁く。
「ヤキモチ?」
「違う!」
「違わないよ。ミナトちゃん、いま魔力が……」
「実況すんな!」
「だって分かりやすいんだもん」
リーンの声が頭の中を跳ね回る。
俺は灯籠を持ち直して、作業に集中しようとする。
……集中しようとするほど、目が勝手にテオを追う。
最悪だ。
◇◇◇
夕方。
雪灯は中庭だけじゃなく、回廊にも並べられた。
日が落ちると、魔晶石の中の光がゆっくり目を覚ますみたいに青く灯る。
「おおー。きれいだな……」
廊下の窓から見える雪が、その光を反射して、空気ごと青く染まっていく。
本当に、クリスマスのイルミネーションみたいだった。
「ミナト様、お寒くないですか」
テオがいつも通り言う。
いつも通り言って、いつも通り俺の肩に外套をかけようとする。
……その“いつも通り”が、さっきから妙に腹立つ。
「……寒くない」
「ですが、手先が冷えています」
「冷えてない」
「冷えています」
テオは俺の指先に、ためらいなく触れてきた。
温度を確かめるみたいに、軽く、でも確実に。
触れられたところから熱が走って、余計にムカつく。
「……テオさ」
「はい」
「今日、やたら人気者じゃん」
俺の口から出た言葉に、自分でびっくりした。
言うつもりなかった。
なのに言った。言ってしまった。
テオが瞬きを一つする。
「……人気者、ですか」
「手袋もらってたし」
「支給品です」
「……あの子、顔赤かった」
「寒いからでしょう」
俺と同じこと言うな。
リーンがすかさず口を挟む。
「ミナトちゃん、ヤキモチだー」
「んぐっ…!リーンちゃんは、ちょっと黙っててもらえるかなぁ!?」
リーンは「えへへ」と笑って、青く光る雪灯の上をふわふわ飛んでいく。
テオは少し考えるように黙り、やがて、ものすごく真面目に言った。
「ミナト様。もし私の振る舞いに不快があったのなら、謝罪します」
「いや、そうじゃなくて……!」
俺は咄嗟に否定した。
否定したのに、胸の奥がまだちくちくする。
(俺、何が言いたいんだよ。どうしてほしいんだよ)
言葉にできなくて、灯りの青さが目に刺さる。
そのとき、遠くから響く声。
「ミナトー! いるかー! 我が娘ー!」
魔王だ。
雪灯の回廊の向こうから、でかい足音を連れてくる。
「今日の雪灯祭、娘は楽しんでいるか! 寒くないか! 手袋は二重か!」
「うるさい!」
俺が叫ぶと、父さんは満足げに頷いた。
「元気だな! よし! 良いことだ!」
良いこと判定の基準が雑すぎる。
げんなりと肩を落とす俺を気にもせず、
父さんは俺の手元を見て、雪灯を指さした。
「願いを通す灯だ。ひとつ、願いを入れておけ」
「願い?」
「そうだ。小さく言うだけで良い。
雪が吸って、灯が覚えて、明日の朝に空へ返す」
いちいちファンタジーすぎる気がするけど、
でも、嫌いじゃないんだよな、こういうの。
父さんはにこにこしながら去っていった。
残されたのは、青い光と、静かな雪と、テオの横顔。
俺は唇を噛んだ。
今なら言える気がした。願いとしてなら。
「……願い、かぁ」
「ミナト様?」
俺は雪灯の小さな枠に指を添え、できるだけ軽い声で言った。
「テオが、俺の護衛なの、他の人に譲らないでほしい」
言った瞬間、心臓が跳ねた。
願いにしては具体的すぎる。
でももう取り消せない。
テオが固まる。
雪灯の青が、妙に眩しい。
「……ミナト様」
テオの声が、少しだけ低くなった。
「それは、願いではなく――命令でも良いのでは」
「命令にしたら重いだろ」
「……では」
テオはほんの少しだけ間を置いて、すごく丁寧に言った。
「護衛として。私は、ミナト様のそばにいることを優先します。
……誰にも譲るつもりはありません」
真面目に言うな。
くそ。心臓が持たない。
「……そ、そう」
俺は顔が熱いのをごまかすために、わざとそっぽを向いた。
でも雪灯に照らされて、たぶん赤いのは全部バレている。
リーンが遠くから叫ぶ。
「はいはい〜! いまの“譲らない”って、すっごく良かった〜!」
「リーンちゃんはまだもう少し黙ってようか!?」
即ツッコミを入れる俺にリーンは「怒られたー!」と笑いながら飛んでいく。
俺はその後ろ姿にため息しかでなかった。
テオが咳払いをして、外套を俺の肩にかけ直す。
「寒いので、こちらを」
「……寒くないって言った」
「冷えています」
「……はいはい」
俺が負けたみたいになるのが悔しい。
でも外套の中は、少しだけあったかい。
青い灯の道の先で、雪はまだ降り続いていた。
白と青の世界の中で、俺は小さく思う。
(……来年も、ここで雪見れたらいいな)
それは言葉にせず、雪灯にだけ預けた。




