◆第2話 騎士団長テオバルト(前半)
魔王城で目を覚ました翌朝。
俺――ミナトは、胸の上でそっと両手を丸めたまま、しばらく動けなかった。
……やっぱり、夢じゃないんだよな。
寝返りを打った瞬間、寝間着の胸元がふわっと揺れた。
でかい胸って、こう……こんな自己主張してくるのか。
重いっていうより、生き物みたいに動く。
寝間着の中で胸が柔らかく流れる感覚に、思わず変な声が出そうになって慌てて口を押さえる。
(俺……マジで女の体なんだよな……)
手を腹の上まで滑らせると、腰は狭くて、骨盤はほのかに丸い。
鏡がなくても、体のラインだけで“女性”だと分かるくらい、造形が丁寧すぎる。
(くそ……ちょっと感動してる自分が腹立つ)
いや、男の時なら絶対触れなかった“柔らかさ”が全部自分に備わってるんだから、そりゃ気にもなる。
でも、考えすぎると変なスイッチ入りそうだから、
俺は意識を逸らすために大きく伸びをした。
ーーーコンコンッ
俺が起きるのを待ちかねていたかのようにノック音が響く。
「ミナト様、目覚めていらっしゃいますか?
本日は城内をご案内するよう、陛下より仰せつかりました」
低く落ち着いた声が扉の向こうから聞こえてきた瞬間、俺の全身はびくっと跳ねた。
テオの声だ。
返事しようとした瞬間、胸元がまた揺れ、それに驚いて変な息が漏れ――
「っ、は……!」
「ミナト様? ご体調が優れませんか?」
「ち、違う違う! 今行くから待って!」
慌てて寝間着を直し、髪を手ぐしで整え、深呼吸して扉を開けた。
扉の前に立つ騎士団長――テオバルトは、朝日を浴びた灰色の髪を揺らしながら、軽く頭を下げた。
「おはようございます、ミナト様」
190センチはありそうな長身に戦士特有の鋭い雰囲気があるが、
俺の目線に合わせて話すときは少し屈んで優しく話してくれる。
同じ男だった俺から見ても反則級の“良い男”である。
「お、おはよう……」
俺は自然と視線を逸らしていた。
元々男とはいえ、今の俺は女の身体なことは間違いなくて…
胸とか髪とかいろいろ気になってる状態で、この大人の色気をまとったイケメンに近づかれるのは……少々心臓に悪い。
そんな俺の動揺を知らないテオは、俺の返事に小さく一礼する。
「本日は城内をご案内いたします。身体がまだ環境に慣れておられないでしょうから、ゆっくり参りましょう」
「う、うん……」
「その前に」
テオが少しだけ俺の顔を覗き込んできた。
「寝間着のままでは、色々と見えてしまいますよ。」
「みっ……!?」
ゆったりとした寝間着は自分で見下ろしても
服の中が見えそうだったのを思い出す。
慌てて自分で自分を抱きしめるようにして
テオの視線から身体を隠す。
「ふ……冗談ですよ」
口元だけで笑いながら、テオは手で胸元を軽く押さえる仕草をした。
(いや……絶対冗談じゃねぇだろ!!)
俺はテオの目の前で扉を勢いよく閉めると
クローゼットから着慣れない女物の服に手を伸ばした。
◇◇◇
城の廊下は黒と白を基調とした重厚な造りで、壁には魔帝国の紋章が刻まれている。
俺が召喚されたこの国の名前は”魔帝国グリーグ”。
魔族を中心に、獣人やドワーフ、妖精やエルフ等も暮らしているらしい。
魔族は限りなく見た目が人間に近いけど、
本物の人間はいるのか聞いたら、現在は戦争中で国交断絶状態なのだそうだ。
元の世界では人間だった俺としては少し複雑な気持ちだ…。
テオはこの世界を説明しながら俺の歩幅に合わせてゆっくり進んでくれる。
「階段を降りる際は、お気をつけください」
テオが自然な流れで俺の腰に手を添えてきた。
大きな手で触れられると逆に
俺の腰が、女の腰ってこういう……細さなんだって実感する。
(っていうか……近い!)
テオの手は紳士的だけど、体格差があるせいで余計に距離が詰まって感じられてしまう。
元男だったとしても、彼女いない歴=年齢の自分にこの距離は刺激が強すぎる。
「あの、テオ……掴まなくても……」
「いえ。階段でお怪我でもされたら陛下に合わす顔がありませんので」
真面目に言われると何も言い返せない。
でも、耳のすぐ近くで声がしてたら
余計に意識するだろ!
早く離れてくれ〜〜!と心の中で叫んでいたら、テオが少しだけ視線を外した。
「……本当は、触れていたいだけです。」
「えっ!? えぇっ!?!?」
「冗談です」
またそれかよ!!
俺は叫びたくなる衝動を辛うじて抑えながら
ズカズカとテオの前に出ると目の前の扉に手をかけた。
「ここは?」
「使用人が使用する食堂です。
ミナト様が利用される皇族用の食事室は、
また別にありますので、ご安心ください。」
「俺はどこで食べても美味しけりゃいいけどなー」
口を尖らせながら、そのまま扉を押し開く。
大広間につながる食堂では、すでに数名の魔族たちが朝食を取っていた。
みんな俺を見ると一瞬きょとんとして、次の瞬間にうわっと立ち上がる。
「お、おはようございます! 皇女殿下!」
「まぁまぁ、なんてお綺麗なんでしょう…!」
口々に言われて、俺は苦笑いで手をひらひら振る。
「お、おはよう……って、魔王の娘だから皇女なのか。呼ばれるのはまだ慣れないって!」
その場に小さな笑いが広がった。
「ミナト様は気さくでいらっしゃるんですね」
「いや、気さくっていうか……普通だよ……」
周囲からの視線に戸惑う俺を、テオはどこか誇らしげに見守っていた。
その視線が、なんか……むず痒い。
騒ぎになる前に、と食堂を出る瞬間、俺は床の僅かな段差に気付かず――
「あっ!」
前に倒れそうになった。
瞬間、少し前を歩いていたテオの腕がぐっと俺の身体を抱き寄せた。
胸が、テオの胸板に押し付けられる形で密着する。
体温、硬さ、匂い。
色々な情報が脳に一気に流れ込んできて、頭が真っ白になる。
「……っ!」
声が出ない。
息もできない。
少女漫画みたいな展開って
実際に起こるとこんなに刺激が強いの…!?
「ミナト様、危ないところでしたね。大丈夫ですか?」
落ち着き払った声が耳元で響く。
俺の心臓の音だけがやたら大きい。
「っ、だ、大丈夫……!」
離れて、お願いだから離れて……!!
そう思っているのにテオは確認のためか、俺の肩をしっかり支えたまま離れない。
(マジで無理……なんなのこの体、イケメン耐性なさすぎるだろ……!!)
やっと解放された時、俺は顔がめちゃくちゃ熱くなっていた。
◇◇◇
廊下に出ると、テオが少し屈んでこちらに顔を寄せてくる。
「先ほどは失礼しました。少々強く抱き寄せすぎましたね」
「い、いや、助かったけど……!」
「しかし……」
テオは言いかけて少し沈黙し、視線を伏せる。
「……あまりにも柔らかかったので驚きました」
「はあぁぁぁああ!?!?」
「冗談です」
「どこまでが冗談なんだよお前!!」
俺が真っ赤になって叫んだら、テオは声を漏らして笑った。
「お顔が赤いミナト様も……可愛らしいですね」
「やめろぉぉぉ!!」
本当に心臓がもたない。
うっかりテオのイケメンムーブにドキドキしてしまう自分がいる。
(いやいやいや、落ち着け……!)
もしかして、俺が早く異世界生活に馴染めるように
テオなりに気を遣ってくれているのかも、と
頭をブンブンと振って思い直す。
実際、元の世界に戻れないことで落ち込む暇もないのは有り難かった。
広い廊下を歩きながら、テオがふと俺に話しかけてくる。
「訓練場には場所だけ案内だけするつもりでしたが……中もご覧になりますか?」
「え、剣とか武術の訓練って俺も見れるの?」
「ええ。後、魔法もですね。私達は魔法剣士ですから」
魔法剣士。
体格と声と立ち居振る舞いがもう少女漫画してるのに、戦えて魔法も使えるのかよ。
スペック盛りすぎだろ!!
剣とか魔法とか
元男としては、憧れないわけがない。
「……ちょっと、見てみたい」
「ふふ、素直でよろしい」
「からかうな!」
「いえ、本当に。ミナト様が興味を持ってくださるのは……光栄です」
穏やかにそう言うテオの笑顔が……また心臓に悪い。
さっき、食堂にいた人たちとテオはもっとあっさりした距離感だったような…
なんでこの人、俺への距離感だけちょっと甘く感じるんだ。
(……いや、気のせいだよな?)
本日、何度目かの頭を振る動作で思考を切り替える。
訓練場へ続く扉の奥は階段になっていた。
テオが長い脚で階段を降りるとき、後ろをついていく俺の視界には、どうしても彼の背中と肩幅が映り込む。
(……うわ。背中の筋肉、すご……)
男だった頃なら「うわ、強そう」程度で済んだはずなのに。
今の俺――この細くて柔らかい身体になってしまった俺は、妙に意識してしまう。
階段を降り切ると、少し肌寒い空気が流れ込んできた。
「ここが騎士団の訓練区画です」
テオが扉を押し開くと、外に面した広い半屋外の訓練場が見えた。武器スタンド、魔法陣の描かれた練習場、砂地の闘技場。
魔帝国の騎士団というだけあって、空気からしてピリッと引き締まった雰囲気が漂っている。
「今日は見学ですので、どうか気楽に」
「う、うん……」
(気楽って言われても、そもそもこの胸が……揺れて気になるんだよな……)
歩くだけでバインってするし、砂の上を踏みしめるたびに、胸元の重さがわずかに上下する。
(俺、ほんと……女の子なんだ……)
鼻の奥が少し熱くなる。
自分の胸に負けてどうする。
そんな俺の変化に、テオは気づいていないふりをして、優しい距離感で隣に立った。
「ミナト様、足元にお気をつけて」
手を添えようとした瞬間、彼は一度だけ視線を逸らした。
その横顔は、ほんのわずかに……耳の後ろが赤い。
(お、おいテオ。急にどうした……?)
不意に風が吹き、自分の黒髪が顔に当たると鼻を甘い香りがくすぐる。
人狼族の血が入っていると言っていただけあって
彼の嗅覚は狼並みに鋭いらしい。
(そういえば俺、リーンちゃんにもいい匂いがするって言われたんだっけ……?)
妖精族のリーンは、俺が召喚された後、部屋に案内されてから寝るまで
ずーっと「ミナトちゃんの匂い、甘~い!」とくっついていた。
たぶんそれのせいだ。そう思いたい。
訓練場へ向かうと、若い騎士たちがテオに気づいて姿勢を正す。
「団長! お疲れ様です!」
「おはようございます!」
周囲からかかる声にテオは落ち着いた声で返す。
「あぁ、ご苦労。引き続き励め。」
その端正な横顔に、俺は思わず見とれてしまう。
(……騎士団長ってかっけぇー……)
「団長、お戻りでしたか!」
ハッと辺りを見回すとがっしりした体格の男性騎士達が数人駆け寄ってくる。
テオは騎士たちが一定の距離まで来ると手で制した。
「ミナト様を城内案内中だ。粗相のないように」
「「はっ!」」
騎士たちが一斉に敬礼で応える。
騎士の一人が俺に視線を向けると恐る恐る口を開いた。
「こちらが……皇女殿下で?」
「俺、殿下とかじゃなくて名前でいいよ!」
反射的に言うと、テオが横からそっと口を挟んだ。
「……ミナト様、肩書きは必要な場で使わせていただきます」
「あ、そっか……ごめん」
「いえ。お気遣いだけで十分でございます」
その声が優しくて、ほっと胸を撫で下ろす。
皇女として威厳を持てってことだよな?
とはいえ元男子高校生にいきなりの皇女ムーブは難易度が高いから…と心の中でぶちぶち呟く。
「――団長、こちらが噂の『虹色の瞳』の……!」
騎士の一人が俺の顔を見た瞬間、口をあんぐり開けた。
俺の瞳は、常に万華鏡みたいに光ってるらしい。
「えっと……どうも?」
「す、すごい……本当に聖女の血が…!」
「だが、魔王陛下の気配も強いぞ…!」
「あぁ。こちらが魔王陛下のご息女、ミナト様だ。」
何故か誇らしげなテオの紹介に周囲が更にざわつく。
「は、初めまして! 自分、アッシュと申します! あっ、あの、いつも団長には世話になってて……!」
「あの!俺、いえ自分はオーグと申します!俺も団長にはいつも世話になってて…」
口々に話す騎士たちの視線がくすぐったい。
俺はぎこちなく微笑んで手を振った。
「よ、よろしく……」
「かわいい……!」
「殿下、思ったよりかわゆ……!」
「おいアッシュ、言い方!!」
勝手にどんどん盛り上がる団員達と俺の間に
テオが静かに一歩前へ出ると、騎士たちはピシャッと背筋を伸ばした。
「ミナト様はまだ環境に慣れておられない。失礼のないように」
「す、すみません!!」
空気が一瞬で締まる。
団員たちは訓練を再開し、散らばっていく。
その様子を二人で眺めながら
テオがふと思い出したように言った。
「ミナト様。そういえば後ほど、アリアドネ殿のもとを訪ねる必要があります。」
「アリアドネ…アリアに?」
「ええ。召喚直後の玉座の間でお会いになった時にも申していましたが、
ミナト様の魔力を“正式に測る”必要があるそうです」
ああ……あの妖艶で気怠げな魔法師の女の人か。
(……おっぱい、俺のより大きかったな……)
ちょっと緊張する。
「アリア殿はミナト様に強い興味を抱いておられましたからね。……お気をつけください」
「なんで脅すような言い方!」
「冗談です」
「またかよ!!」
テオは俺に向かって黙って爽やかに微笑んでみせる。
その後は、一緒に訓練を眺めている間、時々団員に指導の激を飛ばしていた。
魔法や剣技が飛び交う訓練は、
想像よりもずっと華やかで見ていて楽しいものだったが
元居た世界とは明らかに違う世界であることを俺にしっかりと突きつけてきた。
これが異世界ってやつか…
俺はテオにも、誰にも
気づかれないように、そっと息を吐いた。




