◆第15話 戦闘後の静けさ
──天井が、違う。
ぼんやりと目を開けて、最初にそう思った。
見慣れてきた魔帝国での、自分の部屋の天井より、ちょっとだけ高くて、装飾が少ない。
(……どこだ、ここ……?)
ゆっくり首を動かすと、まず視界に入ってきたのは白いカーテン。
それから、整然と並んだ棚。薬瓶。ガラス。
……あ、ここ、たぶん医務室的な場所だ。
「お目覚めになりましたか、ミナト様」
すぐ傍で、よく知った低い声がした。
ベッドの横の椅子に座っていたテオが、静かに立ち上がる。
鎧を外しただけの黒いインナー姿で、いつもより少しだけ疲れた顔をしていた。
「テオ……?」
自分でも驚くほど掠れた声が出た。
喉が乾いてる。身体も重い。だけど、意識ははっきりしている。
「そうだ、俺……森で気が抜けて──」
「ここは城の治療室です。
私がこちらまでお運びしました」
テオは俺の言葉に小さく頷き、安堵の息を吐いた。
淡々と言ってるけど、城の外周近くの森からここまでかなり距離があったはずだ。
「ご、ごめん……重かったよな。」
思わず、変なところを気にしてしまう。
この姿になってからも身長はそこそこあるし、表立って言えないけど、胸が。
自分でも分かるくらい前に重いのだ。物理的に。
テオは一拍置いて、小さく息を吐いた。
「そうですね……」
(うわ、やっぱ重かった!?)
一瞬で血の気が引きかけた俺の耳に、続けざまに言葉が落ちる。
「皇女殿下ひとり分の重さは、護衛として当然覚悟している範囲です」
「言い方!!」
思わずベッドの上に突っ伏す。
でも、その言葉の裏に「全然平気でしたよ」というニュアンスがちゃんと乗っているのが分かって、胸の奥がじんわり温かくなった。
(……ああ、そうか。俺、ちゃんと守られたんだな)
実感と共に顔を上げてぼんやり考える。
テオはベッドのそばに立ったまま、俺の額にそっと手を当てた。
大きくて、少しひんやりした掌。
「熱は……ありませんね。
魔力を使用した反動で一時的に体力を消耗しただけでしょう。
ですが、しばらくは無茶をなさらないように」
「……無茶、か。
でも、あのまま俺が暴発しても、危なかっただろ?」
そう言うと、テオは一瞬だけ目を細めた。
怒ってるのか、呆れてるのか、感心してるのか──たぶん、その全部だ。
「……その通りです。ですから、責めるつもりはありません」
少しだけ視線を外し、
「ただ──私の心臓には、あまり優しくなかったですね」
ぽつり、と落ちた本音に、俺は固まった。
からかいとも本気ともつかないその一言が、やけに胸に残る。
顔が勝手に熱くなるのを誤魔化すように、俺は慌てて話題を変えた。
「そ、それで魔王…父さんとか、アリアとか、リーンちゃんは?」
テオはわずかに表情を和らげる。
「陛下は“勢い余って世界を半壊しようとした罪”で宰相殿に説教されています。
アリア殿は、ミナト様の魔力の余波を観測したいと、この治療室の結界を解析中。
リーンは……先ほどまで、ミナト様の枕元で反省会をしていました」
「反省会?」
「『ボクもっと上手くできたかもしれない。でも楽しかったからプラス・マイナス、ゼロ!』と」
「全然反省してねぇ!!」
とりあえず元気そうで安心したけどさ!!
テオの口元に、ほんのわずかな笑みが浮かぶ。
初めてまともに戦った後だというのに、
その笑みを見た瞬間、俺の胸の中の緊張がすっとほどけていくのが分かった。
(……なんだろ。
ちゃんと帰ってこれたなって感じで、ちょっとだけ、安心する)
テオは小さく頷くと
いつもの騎士団長モードの顔に戻って、淡々と話を続ける。
「身体の具合はいかがですか。頭痛、吐き気、眩暈などは?」
「あ、えっと……ちょっとだるいくらいで……」
自分の体をゆっくり動かしてみる。
腕も動くし、足も動く。
多少の重さと、筋肉痛っぽい痛みはあるけど、致命的なダメージはなさそうだ。
(……よかった。ちゃんと生きてる)
胸をなでおろした瞬間、ふと違和感に気づく。
(あれ……なんか、着てるやつ違くない?)
俺の体を包んでいるのは、ゆったりとした白い寝間着。
肌触りは柔らかくて、でも胸元の布の張り方が、自分で見ても“だいぶ主張が強い”。
……ねぇ、俺、下着付けてなくない??
一度認識してしまうとそのままでは居られず、同時に自分で自分の肩を抱いて前を隠す。
「テオ……あの、これって」
「戦闘時の衣服は土埃等で汚れていましたので、治療班が着替えさせました」
テオが即答する。
「…………」
(……つまり俺、意識ない間にフルコースで……着替え……?)
顔にじわじわ熱が上っていく。
「ま、安心していいわよ。アタシもいたから」
今度は扉の方から、色っぽい声音が飛んできた。
「アリア……」
赤紫のウェーブロングヘアを揺らしながら、アリアがカーテンをくぐって入ってくる。
ラボコートみたいな白いローブの裾をひらつかせ、その下にはボディラインが強調された露出多めのいつもの服。
「ミナトちゃん、起きたんだ!おはよーー!!」
アリアの肩後ろからリーンも顔を出すと
ひらひらとこっちへ寄ってくる。
「治療とついでに簡単な検査もしたけど、身体的な異常はなし。ただし――」
アリアは扇子代わりのメモ用紙をひらひらさせながら、にやりと笑った。
「魔力の質と量は、ちょっと笑えないレベルね。
光と闇が共存してるどころか、完全に混ざってる。」
「……それって、やばいやつ?」
「やばいね~」
アリアとリーンが声を揃えた。
仲良いなお前ら。
ひととおりの状況説明を受けたあと、アリアは「詳しい魔力の話は後でね」と言って研究室へ戻ってしまった。
室内には俺と、テオと、定位置と言わんばかりに俺の胸の上に座っているリーンだけが残る。
「ミナトちゃん、怖かった?」
リーンが小首をかしげる。
珍しく淡い緑の瞳に心配の色がみえる。
「……まあ、そりゃ……怖くなかったって言ったら嘘になるけど」
あの異形のモノ。
骨とも肉とも影ともつかない、気持ち悪いシルエット。
それを吹き飛ばした、あの眩しすぎる光と、飲み込まれそうな闇。
思い出しただけで、心臓がざわざわする。
「でも、ミナトちゃん、ちゃんとできたよ」
リーンがふわっと笑う。虹色の瞳を覗き込むように顔を近づけてきた。
「怖かったけど、逃げなかった。
それって、ボクから見たらすっごく勇者だと思うな!」
「……勇者って柄じゃないけどな。俺、元ただの高校生だし」
「“元”ね」
リーンは意味ありげに笑った。
「今はこの国の皇女様だし、光も闇も超一級のチートちゃんだし、
ボクの一番のお気に入りだし」
(最後の理由が一番軽い気がする)
思わず苦笑したところで、「こほん」と控えめな咳払いが聞こえた。
「……ミナト様」
「ん?」
「先ほどから申し上げる機会を逃していましたが……」
少しだけ言い淀んで、テオがまっすぐこちらを見る。
茶色の瞳が、妙に真剣だった。
「今回、私は……護衛としてあなたを守り切れませんでした。
結果としてミナト様が、自ら力を使う形になってしまい…
申し訳ございません……」
「いや、それは――」
「本来であれば、ミナト様が剣を、魔法を振るう前に、
全て私が片づけるべきでした」
一言一言、噛みしめるように。
責任を自分の中に抱え込むような言い方だった。
(……あー。やっぱり、そういうこと気にするタイプだよな。)
「テオのせいじゃないって」
俺は自然と、口を開いていた。
「俺が勝手に動いたとこもあるし。
……っていうか、あのまま見てるだけなんて、できなかったし」
視線を逸らしながら、布団の端をぎゅっと掴む。
「守られてばっかでいるのも、なんかムズムズするんだよ。
俺だって、戦えるなら戦いたい。
――皇女様じゃなくて、“俺”として、さ」
テオの目が、ふっと揺れた。
「……ミナト様は、強いお方だ。」
「え?」
「恐怖を感じながらも、前に出た。
それは、剣の腕前とは別の強さです。
……私は、それを尊敬します」
真摯な茶色の瞳が俺を真っすぐ見ている。
テオの瞳の中で、動揺する俺の虹彩が揺れていた。
ストレートな褒め言葉なんて、慣れてない。
しかもそれが、テオの低い声で、真正面からぶつけられるとか。
……イケボの暴力ってこういうことか。
俺は自分の動揺を隠すように、そんなことを考えた。
「そんな真顔で言われるとさ……」
「はい」
「……余計に心臓に悪いんだけど」
思わず本音が漏れた。
テオが一瞬だけまばたきを止め――それから、喉の奥で小さく笑う。
「それは、失礼しました」
口調は真面目なのに、目の端だけが少し緩んでいる。
「ですが、心臓に悪い程度には生きておられるようで、安心しました」
「うわ、そうやってサラッと返すのやめろ。大人か!」
「……ミナト様よりは。」
さらっと自分で言った。
くそ、経験値の差が憎いな!
リーンが俺の膝でごろごろ転がりながら、ニヤニヤとこっちを見ている。
「ねぇテオ、ミナトちゃんの脈拍、さっきからずっと速いよ?」
「リーンちゃん、それ余計な報告。」
俺は素早い動きで転がるリーンを手で抑え込む。
俺の手の隙間からリーンがもぞもぞと顔を出すと悪びれずに言う。
「でも事実だもん。テオが近づくと、もっと速くなるよ?」
「「は?」」
俺とテオの声が、ハモった。
一瞬、空気が固まる。
(……っ!……~~~~!!!!)
ついでに、あまりの羞恥で自分の顔が茹だったのもわかる。
今は流石にテオの顔が見れない。
「……リーン」
テオの声が、ほんの少しだけ低くなる。
「はいはーい、黙りまーす」
リーンはぴょんっと俺の膝から飛び降りて、宙にふわふわ浮かんだ。
だけど浮かびながら、小声でこっそり囁く。
「ねぇミナトちゃん。
ボク、こういう心拍数の上がり方、大好きなんだよねぇ」
「知るか!!」
体に悪いわ、その趣味。
◇◇◇
しばらくして、リーンも宰相に呼ばれて部屋を出て行った。
結果、室内には俺とテオだけが残される。
静かだ。
さっきまで騒がしかった分、余計に心臓の音が目立つ。
「……あのさ、テオ」
沈黙が怖くて、先に口を開いたのは俺の方だった。
「はい」
「テオは、その……怖くないか?
あの“異形のモノ”とか。時々出かけてるのって討伐任務もあるよな?」
言葉を受けてテオが頷く。
「異形に対しての恐怖は、あまりありませんね。
……魔法師団の知識を以ても未だ正体の解明が進んでおりませんので
今のところは、ですが……」
「じゃ、じゃあ俺の魔力について、は…?」
俺は、自分で言ってから本当に気になっていたのはこちらだと気づく。
他のみんなと明らかに違う能力。
世界の例外といういつかのアリアの言葉が心をざわつかせた。
少し間を置いてから、テオは首を横に振った。
「恐怖、というより――」
言葉を探すように、視線を宙にさまよわせる。
「緊張はありました。
陛下のご息女であり、聖女と魔王の血を継ぐ方が、
自ら戦場に立たれたのですから」
「……だよな」
「ですが」
テオはそこで、ゆっくりと俺の方を向き直った。
「……少しだけ、誇らしかったです。」
「……へ?」
「あなたが、自分の意思で前に出たことが。
……誰かに強制されたのではなく、
“守られているだけでは嫌だ”と、そう思われたことが」
その声には、騎士としての誇りと――
それ以上の、何か。
でも、その“何か”が何なのかは、まだ言葉にならない。
(……そういうところ、本当)
俺は布団をぎゅっと握りしめ、視線を逸らした。
「……じゃあ、これからも頑張るわ。
“守られる側”じゃなくて、“一緒に戦う側”でいられるように」
「はい。……ただし」
テオが少しだけ身を乗り出す。
距離が近い。
ほんの少し前屈みになっただけなのに、影がかかるくらい近い。
「無茶は、しないでください」
低くて、真剣で、それでいてどこか必死な響き。
「……したくてしてるわけじゃないんだけどな」
「わかっています。
ミナト様の性格上、止めても無駄でしょうし」
苦笑交じりに、そんなことを言う。
「だからこそ、私はあなたの少し前を歩きます。
あなたが前に出る時、必ず隣か前にいるように」
(……こいつ、めちゃくちゃカッコいいこと言ってるって自覚ある?)
胸の奥で、何かがきゅうっと縮む。
気づけば、口からぽろっとこぼれていた。
「……よろしくな、テオ」
「はい。
こちらこそ、末永くよろしくお願いいたします。ミナト様」
テオが、いつものように丁寧に頭を下げる。
その仕草があまりに様になっていて、
“騎士団長”としての彼と、“俺を守ってくれる人”としての彼が、
頭の中でぐるぐる混ざり合う。
(……この気持ちって何だろうな。)
単純に好きとか、それだけじゃない気がするし、そうなのかもしれないし。
……は?…え?
そうなのかもしれないし???
……いやいやいやいや。
俺は慌ててその声を追い出し、
代わりに努めて明るい声を出す。
「とりあえず!まずは、さ。」
「はい」
「俺が寝てる間に、勝手にいろいろ見られてた件の精神的ダメージから回復したいんだけど?」
「それは――治療上、必要な確認でして」
「アリア呼んでこいアリア!!」
「アリア殿はおそらく、“とても興味深いデータだったわ”と満面の笑みを浮かべるだけでしょうね」
「うわああ想像できる!!」
ベッドの上でじたばた暴れる俺を見て、テオはふっと、肩を揺らして笑った。
その笑い方が、前より、少しだけ――
ほんの少しだけ、近くなった気がした。




