◆第11話 リーンと魔王陛下
夜の玉座の間は、昼間の喧騒が嘘みたいに静かだった。
巨大な柱に支えられた天井、赤い絨毯の先に鎮座する黒曜石の玉座。
そこに、ひとり腰掛けているのは――
この国の頂点に立つ魔王、グレゴール・グリーグ・ランバルディア。
……なんだけど。
「……ふむ……ふむ……」
玉座の上で、長い脚を組んだまま、
膝の上のミニサイズクッションをぎゅうっと抱きしめている、銀髪の大男。
クッションの刺繍には、
丁寧に縫われた《虹色の瞳の黒髪少女》の横顔。
そう、これは――
「……ミナト抱き枕、二号……完成……」
「完成って言わないでよ、陛下。重いよ父性~~~」
天井近くからひらひら降りてきたボク――妖精のリーン・フェアリールは、
頭を抱えながら、玉座の肘掛けにちょこんと腰を下ろした。
「陛下、それ、また新作作ったの?」
「うむ。我が娘をモデルにした特注品だ。
前回のは腕に抱きつく形であったが、今回は膝上にちょうど収まるサイズに改良してある」
「改良とか言ってる場合?」
グレゴールはまったく悪びれず、
2メートル超えの図体で、膝の上のふわふわミナトクッションを大事そうに撫でる。
真っ赤な瞳が、少しとろんとした“親バカ”の色を帯びた。
「……可愛いな、我が娘は……」
「本物は、クッションじゃなくて、今ベッドで寝てるけどね」
「知っておる。知っておるが……こうしておらねば、
会いに行って骨が砕けるまで抱きしめてしまうではないか」
「行かないで正解だよ。テオが過労で倒れる」
ボクは「やれやれ」と肩をすくめると
足をぶらぶらさせながら魔王に首を傾げる。
「で、今日は何のご用ですか、魔王陛下?」
グレゴールはようやく膝の上のミナトクッションから視線を上げた。
「……リーン。お前、今日もミナトのそばにおったな」
「うん、ほぼずっと一緒だったよ?」
「ならば、父として確認せねばなるまい。
――今日、あの子は楽しそうにしておったか?」
その瞬間だけ、
魔王の声が、少しだけ“父親”のものになった。
ボクは思わずにやりと笑って、
羽をぱたぱた揺らしながら頷く。
「んー……楽しかったと思うよ?
テオと一緒に城内歩いて、メイドの人たちにも挨拶して、
訓練場も見学して――」
「テオと二人きりで歩いていたのか?」
「そこ?」
食いつくところそこ?
グレゴールの瞳が、わずかに細くなる。
「……どのくらいの距離で歩いていた?」
「えーとね、肩がちょっと触れそうな、ギリ触れない距離?」
「近いな!!」
玉座の肘掛けがミシッと鳴った。
ボクは反射的に耳を押さえる。
「やめてよ陛下、城が揺れる。
あの二人、ちゃんと“護衛とミナトちゃん”の距離だったよ?」
「本当か?」
「本当だって。
ただミナトちゃんが階段でちょっと足滑らせた時に、
がっしーん!ってテオが腰抱いて支えただけ」
「抱いたのか――?」
「支えただけ!!
今明らかに“抱いた”に単語の重心乗ったよね!?」
グレゴールは額を押さえながら、
深く、深く溜め息を吐いた。
「……やはりテオは解任すべきでは……」
「なんで!?」
ボクは思わず飛び上がる。
「いやいやいや、彼は真面目に仕事してるから!
ミナトちゃんのこと、一番大事そうに扱ってくれてるよ?」
「そこが問題なのだ。
“真面目で誠実で面倒見が良く、顔も良い大人の男”など、
娘のそばに置いていい要素が一つもない」
「全部褒めてるのに、全部ダメ扱いしてて草」
グレゴールは顎に手をやり、少し本気の顔になった。
「……だが、テオ以上に信頼できる護衛もおらん。
我の右腕であり、剣でもあり、犬でもあり……」
「今、最後に犬って言ったよね?」
「人狼族の末裔だ。ほぼ犬である」
「怒られるよ?」
口ではそう言いつつ、
ボクも内心では少し同意していた。
――陛下の忠誠心と、ミナトちゃんへの庇護欲。
それにミナトちゃんを一番近くで支えてるの、確かにテオなんだよね。
「……テオはどうだ? 今日の様子は」
「ん~、相変わらず“騎士団長モード”で真面目だったけど……」
ボクは、今日一日の出来事を思い返す。
長い黒髪を揺らしながら城内を歩くミナトちゃん。
その半歩後ろを歩きながら、常に周囲の気配を探っていたテオ。
ミナトちゃんが何かに気を取られれば、
さりげなく手すり側へ誘導し、
階段ではほんの少し前に出て足元を確認する。
言葉少なだけど、
全部“守るための行動”が自然に出てくる人。
「……やっぱ、騎士団長って感じ。
ミナトちゃんのこと、魔王陛下の娘として扱ってるのが分かるよ」
「ふむ」
「ただねー」
ボクはにやりと笑う。
「ミナトちゃんの無自覚な可愛い動きには弱いね!
テオ、ほんの一瞬だけ黙る」
「…………」
「たとえば、髪耳にかける時とか、
スカートの裾気にして、そわそわしてる時とか、
食べ物見て目がきらきらした時とか」
「……それはもう、完全に――」
「言っちゃダメなやつだねー、うんうん。
ボク、空気は読むよ?」
グレゴールは額を指で揉みながら、
どこか遠くを見た。
「……テオめ。
よりにもよって、我が娘を……」
「まだ何もしてないってば」
「“まだ”と言うな、“まだ”と」
一通り父性大爆発タイムを終えたところで、
グレゴールの雰囲気が少しだけ変わった。
玉座にもたれかかっていた背が、ゆっくりと正される。
「――リーン。
お前ほどの魔力感知を持つ者に問う」
「ん?」
さっきまでの“親バカ魔王”ではなく、
“魔帝国の皇帝”の声だった。
思わずボクも、背筋を伸ばす。
「城の外――いや、この国の外縁部。
何か、妙な揺らぎを感じることはないか?」
「……あー」
ボクは小さく息を吸い込む。
「あるよ」
「やはりか」
「ここ数日、ずっと。
遠くのほうで、黒いモヤみたいなのが、
少しずつ、こっち見てる感じがする」
「それは、“異形なるモノ”の気配か?」
「たぶんね。
正確に場所は特定できないけど……
ミナトちゃんが来てから、ちょっとずつ濃くなってる」
広間の空気がわずかに冷たくなった気がした。
グレゴールは目を伏せ、ゆっくりと息を吐く。
「……あやつらは、
“強い光”にも“濃い闇”にも惹かれる性質がある」
「うん。ボクもそう思う」
ボクは羽を震わせ、今日のミナトちゃんを思い返す。
長い黒髪。
万華鏡みたいに煌めく虹色の瞳。
胸の奥で、光と闇の気配が同時に脈打つ、不思議な魔力。
「ミナトちゃん、
光も闇も、どっちも“本物”だからね。
そりゃ、変なの寄ってくるよ」
「……だからこそ、我はあの子をここへ呼んだ」
「奥さんと、ミナトちゃんと、3人で暮らすためじゃなくて?」
「それもある!!」
一気にトーンを上げるな。
ボクは思わず笑ってしまう。
「でも、陛下。
ミナトちゃん、思ってたよりちゃんと笑ってるよ?」
「……そうか?」
「うん。
最初は“女体化した!”、“皇女になった!”って
テンパってたけどさ。
テオやアリアやボクと一緒にいる時、
あの子、普通に笑うもん」
グレゴールの肩から、
ほんの少し力が抜けた。
「……そうか。
あの子が笑っているなら、それだけで――」
「でも、ね?」
ボクはいたずらっぽく笑う。
「その笑顔、
テオとアリアとボクが独り占めしてていいの?」
「よくないな!!」
食い気味に返ってくる。
「父親らしく、もっと接触を――」
「それはそれで、ミナトちゃん怖がるから、
段階を踏もうね?」
父性を抑える役目も、どうやらボクの仕事らしい。
「……リーン」
少し間を置いて、グレゴールが呼ぶ。
「ん?」
「お前に頼みがある」
「家族会議の録音とかじゃないよね?」
「違うわ!! そんな便利な魔道具はない!!」
ちょっと食い気味にツッコむあたり、
やっぱりこの人、ミナトちゃんのお父さんなんだなーと思う。
「……ミナトのそばに居続けろ。
あの子が“光”に引っ張られすぎても、
“闇”に沈みすぎてもいかん。
お前くらい、何にも縛られていない存在が、
あの子には必要だ」
「ふーん」
ボクは羽をふわっと広げて、空中に浮かび上がる。
「つまり、“友達でいてやれ”ってこと?」
「……そうだ」
「最初からそのつもりだよ?」
にやりと笑って、ボクはくるりと宙返りした。
「ミナトちゃん、ボクのこと好きだもん。
ボクもミナトちゃん大好きだし。
だから――」
片手を小さな胸に手を当てて、反対の手で勢いよく握った拳を上げる。
「もし“異形なるモノ”が来るならさ。
ボクが一番最初に、笑いながらぶん殴ってあげる」
「……お前は、本当に妖精か?」
「妖精だよ? ちゃんと種族:妖精って書いてあるもん」
どこに?とか聞くのは野暮だよ。
グレゴールは思わず吹き出して、肩を揺らした。
「じゃ、ボク、今日はミナトちゃんの夢にでも遊びに行ってくるね」
「夢に入れるのか、お前は」
「魔力をちょっと借りればね。
――あ、心配しないで。えっちな夢は見せないから」
「本当か?」
「…………努力はする」
「努力の問題なのか……?」
魔王が途方に暮れた顔をしたところで、
ボクはひらりと玉座の間を飛び立った。
高い天井近くの窓から覗く夜空には、
まだ何も見えない。
けれど、
遥か遠くの向こう側で、黒い揺らぎが、
少しずつ少しずつ近づいてきているのを――
ボクは、ちゃんと感じていた。
「……大丈夫。
ミナトちゃんには、ボクと、テオと、アリアと――
めんどくさいけど、世界一重い父親が付いてるからね」
そう呟いて、
ボクは虹色の瞳を持つ友達の眠る方角へと飛んでいった。




