◆第9話 夜更かしバルコニー
妖精の間でのトラブルもどうにか収まり、風呂もご飯も済んだ。
身構えていた食後の検査も、アリアが俺の魔力量に「きゃあ♡すごぉい!こんな!あぁー♡」って悶えていただけで、俺自身は無事で済んだ。
あとは心置きなくゆっくりと寝るだけ……の、はずだった。
「……眠れねぇ」
自室のベッドに横になって、目を閉じても、瞼の裏がうるさい。
妖精魔力の金色の粒。池に落ちそうになった感覚。
そして何より――
テオの腕の硬さと、近すぎる体温が、やけに鮮明に残っている。
思い出した瞬間、胸の奥あたりがじわじわ熱くなっていくのが分かった。
「うわあああああ……!」
枕に顔を押し付けて、ベッドの上でじたばたと足をばたつかせる。
あの金色の光と、くすぐったいような、でも気持ちいいような、妙な感覚と
暴走が落ち着いた時に傍にあった、テオの匂いと体温、硬いのに弾力を感じる胸板の記憶がリンクする。
全部が生々しくて、頭が冴えまくっている。
(…テオの筋肉、凄かったな。
胸筋って鍛えると、ちょっと柔らかいのか
……いや、何考えてるの俺!?)
自分で思い出しにいっておいて、「やめろ」と心の中で叫ぶ。
胸のあたりを両手で押さえると、心臓と、その奥の魔力の核が
同時にどくどく脈打っている気がした。
このままベッドの上でごろごろしていたら、朝になっても悶え続けていそうだ。
俺は布団を蹴飛ばし、勢いで跳ね起きた。
「……仕方ない。クールダウンだ」
ナイトドレスの上から薄手のショールを羽織り、部屋の照明を落とす。
窓際に歩み寄り、バルコニーへ続く扉にそっと手をかけた。
きぃ、と控えめな音を立てて、扉が開く。
夜の空気が、ひやりと頬を撫でた。
「……うわ。冷た……でも、気持ちいい」
昼間は陽の光と人の往来でざわめいていた城内も、夜は格段に静かだ。
裸足で石の床に一歩踏み出すと、冷たさが足裏からじわっと伝わり、その冷たさが頭の中の熱を少し持っていってくれるような気がした。
バルコニーの手すりまで歩み寄り、身を乗り出して下を見下ろす。
魔王城の下に広がる城下町。
そこに点々と灯る光が、小さな宝石みたいに瞬いている。
「……相変わらず、ファンタジー感がすごいな」
元の世界の夜景とはまったく違う。
あっちはネオンとか看板とかビルの窓だったけど、
こっちは魔力ランプと、炎と、星の光。
空を見上げれば、びっしりと星が浮かんでいる。
本当に、こぼれて落ちてきそうなくらいだ。
「……やっぱ、きれいだな」
こんな景色を毎日のように見ているはずなのに、見るたびに「おお」と思ってしまう。
元の世界の夜景とはまた違う、魔力が薄く混じったような光。
遠くの方で、ふわりと風が流れを変えたような気がした。
胸の奥が一瞬だけ、ちり、とざわつく。
(……リーンちゃんの話で、ちょっと敏感になってるのかもな)
そうやって自分で自分を納得させようとした、そのとき――。
「ミナト様?」
背後から、聞き慣れた低い声がした。
「うおっ!?」
変な声が出た。
心臓が一気に跳ね上がる。
振り返ると、バルコニーの扉のところに、テオが立っていた。
さっきまでの重装備は外されていて、
黒を基調とした軍服の上にマントを羽織った、軽装の当直スタイル。
アッシュグレーの髪が、薄暗い室内から漏れる灯りに縁取られ、
軽く掻き上げられた前髪が額にかかっている。
薄暗がりの中でも、黄金色の瞳がはっきり見えた。
「びっくりした……心臓止まるかと思ったぞ」
「それは申し訳ありません。
ですが、ミナト様がバルコニーに出られた気配がしたので」
「……そんなのわかるもんなの?」
「護衛ですから」
さらっと言い切る。
「先ほどから、何度も寝返りを打たれる気配もしていましたし」
「あれ、バレてたのか!?」
「ベッドがきしむ音も、少々」
「うわああああっ!?」
思わずその場でしゃがみ込む。
ベッドの上で一人悶えていた姿を知られていたかも、と思うとこのまま羞恥で死ねそうだ。
そんな俺の心境を知ってか知らずか、テオは少しだけ肩をすくめた。
「本日は、色々とありましたからね」
「……だよなぁ」
その一言に、全てがまとめて詰め込まれている気がした。
胸がくすぐったいような、きゅっと締め付けられるような感覚でいっぱいになる。
「城内もようやく静かになりました。
騎士達もそれぞれ持ち場に戻り、今は巡回だけです」
「テオは? 休まなくていいのかよ」
「今夜は、もともと私も交代で詰める予定でしたので。
ミナト様のお部屋の前は、私の担当です」
そう言って、テオはほんの少しだけ胸を張った。
その仕草が妙に子どもっぽく見えて、少し笑ってしまう。
「……なにか、おかしいですか?」
「いや。頼もしいなって」
そう答えると、テオは一瞬きょとんとした顔をして、
それから耳のあたりをかすかに赤くした。
「それは……光栄です」
いつもの真面目な口調なのに、どこか照れがにじんでいる。
こっちまで気恥ずかしくなってきて、俺は慌てて話題を変えた。
「そ、それにしてもさ!
アリアの研究欲、もう少し加減を覚えてくれないもんかなー。」
「同感です」
テオが即答する。
「騎士団内の統計によりますと、アリア殿に捕まった回数と、その後の仕事量には、ある程度の相関が」
「怖いこと言うなよ!? 統計取ってんの!?」
「“アリア殿関連被害届”という非公式な記録簿がありまして」
「被害届って言っちゃったよこの人!?」
淡々と話すテオに、俺は思わず二度見する。
「ちなみに、リーンの分は?」
「そちらは“リーン悪戯被害報告書”です」
「名前そのまんまだな!!」
やばい…じわじわきた。
魔帝国、意外と真面目にブラック企業っぽい資料作ってないか?
「ミナト様の本日の件も、記録される可能性が高いですね」
「やめろおおおお!!
“皇女殿下妖精被害記録”とか絶対やめろ!!」
「正式名称はまだ決まっておりませんが……」
「決めるな!! そもそも“被害”なのかあれは!?
……まあ被害だな。うん、被害だわ」
自分で納得してしまった。
隣でテオが、肩を震わせている。
普段あまり感情を表に出さない彼が、珍しく声を押し殺して笑っていた。
「笑うなよ……」
「申し訳ありません。
ただ、本日のミナト様が、あまりにも……」
「“あまりにも”なんだよ」
「……お忙しそうだったので」
「言い方ぁ!!」
忙しいのベクトルがおかしいんだよ。
どんな皇女だ俺。
そんなくだらないやりとりをしているうちに、
胸の奥の変なドキドキは、いつの間にかかなり落ち着いていた。
代わりに、いつもの「ツッコミ疲れ」がじんわり来ている。
これはこれでどうなんだ。
「……なあ、テオ」
「はい」
「正直なところさ。今日一日で、一番疲れたのってどこ?」
「それはもう、妖精の間ですね」
即答だった。
「ですよねー!!」
思わずおもいきり良い笑顔でハモる。
今頃リーンちゃんは盛大なくしゃみをしているだろうな。
俺が小さな金色の妖精を思い出していると
テオが一瞬ためらって口を開く。
「ミナト様は……本日は、楽しかったですか?」
テオの問いは、思ったよりもずっと優しい声音だった。
俺はバルコニーの手すりに寄りかかりながら、小さく頷く。
「楽しかったよ。疲れたけど。
妖精の間は……ちょっと色々、想定外だったけどな」
今日の出来事を思い出すと顔がまた熱くなりそうになって、
俺は慌てて夜風を吸い込んだ。
「……テオは、どうだった?」
「私ですか?」
「うん。今日一日。騎士団長とか護衛とか抜きにしてさ」
テオはこちらをまっすぐ見る。
少し考えるように視線を伏せ、それから小さく笑った。
「……騎士団長としては、頭痛の種が増えた一日でした」
「ひどい言い方だな!?」
「ですが、ひとりの男としては――忘れがたい一日になりました」
「……っ」
さらっと、とんでもないことを言うなこの人は。
心臓が、どくん、と一際強く脈打つ。
さっきまで魔力のせいだと思っていた熱が、単純にテオ由来のものだと認めざるを得なくなる。
「あ、あのさ。そういうことを急に言うの、反則じゃない?」
「何か失礼なことを?」
「自覚がないのが一番タチ悪いわ!!」
思わず声を荒げると、テオはきょとんと目を瞬かせた。
その反応がまた腹立たしくて、そして同時に愛おしいのが困る。
ふと、冷たい夜風が吹き抜けて、肩に掛けたショールがふわりと揺れた。
うっすらと肌に鳥肌が立つ。
それを見逃さなかったのか、テオが一歩こちらに近づいた。
「やはり、湯上がりにこの夜気は冷えます。
どうか、こちらをお使いください」
そう言って、自分が羽織っていたマントを外すと、
ためらいなく俺の肩に掛けてくる。
「ちょっ……!」
分厚い布越しに、テオの体温が伝わってくる気がする。
マントはまだ少し温かくて、
ついさっきまでそれを纏っていたことを嫌でも意識させられる。
「テオのマントだろ。お前、寒くないのかよ」
「私のことは問題ありません。鍛えておりますので」
「そういう問題か?」
呆れ混じりに突っ込むと、テオは少しだけ困ったように笑った。
「私の役目は、ミナト様をお守りすることですから」
その言い方があまりに真っ直ぐで、胸の奥がじんとする。
ズルい。本当に、ズルい。
(……こういうところだよな。
俺がこの世界のことを嫌いになりきれない原因って)
マントに包まれたまま、手すりに肘をついて夜景を見下ろす。
城下町の灯りは、小さく瞬いているだけなのに、どうしてかとてもあたたかく見えた。
アリアやリーン、魔王の父さん。
いつも身の回りの世話をしてくれる侍女さんたち。
騎士団の人たち。
他にも今日会った人たちの顔が次々に浮かんでは消える。
「…………。」
しばらく、二人で黙って星を眺める時間が流れた。
城の夜は静かで、遠くで巡回の足音が規則的に響いている。
その音が逆に安心材料になるのは、俺がこの世界に染まってきた証拠だろうか。
「なぁ、テオ」
呼びかけると、彼はすぐこちらを向く。
「はい」
返事が早い。早すぎる。
俺が何か言う前提でずっと待機してたみたいだ。
「この世界の星ってさ、
元の世界と全然違うんだよな……。当たり前だけど」
ぽつりと言うと、テオは少しだけ考えるような顔をした。
彼の視線が星へ向かい、それから俺へ戻る。
「ミナト様の世界の夜空は、どのようなものでしたか?」
「うーん……ここと比べると、もっと薄い感じ?
街の明かりが多くて、星はこんなにはっきり見えなかったかも」
言いながら、頭の中に浮かぶ。
日本の夜。コンビニの灯り。アスファルト。
母さんと二人で見た、マンションのベランダからの空。
寒い冬に、白い息を吐きながら「星、少ないね」って笑った顔。
(……母さん、今どうしてるんだろ)
考えると、胸がきゅっとなる。
目の奥が熱くなる前に、俺はわざと冗談っぽく付け足した。
「あとさ、こっちの星って……なんか、近い。手が届きそう」
テオが静かな声で言った。
「……帰りたいと思いますか?」
その問いに、心臓が少しだけきゅっとなった。
夜の静けさが、急に“重さ”を持つ。
「……分かんねぇ」
正直に言う。
格好つけた答えは、今は出せない。
「帰りたい気持ちもあるし、こっちでちゃんと生きたい気持ちもある。
父さんだって、この世界にいるし……」
言った瞬間、自分でも驚いた。
“父さん”って、俺、自然に言えてる。
テオの視線がわずかに柔らかくなった。
「……陛下のことを、そう呼べるようになられたのですね」
「まぁ、まだ慣れてないけどな」
言いながら、手すりを握り直す。
父親がいる生活なんて、俺の人生にはなかった。
なのに、この世界では“魔王”が父親として存在していて、
その事実が怖くて、でも少しだけ嬉しくもある。
「いいと思います。私は、ミナト様のペースもお守りします。」
「…護衛として?」
「えぇ、護衛として」
おそらくわざと、少しだけ芝居がかったテオの口調に
俺は思わず吹き出して笑ってしまう。
胸の奥のざわつきは、いつの間にか落ち着いていた。
「……なんかさ」
ぽつりと口をつく。
「こうやって外に出て、風に当たって、テオと喋ってたら、
さっきまでの変なドキドキが、ちょっとマシになったかも」
「それは良かったです」
「魔力が落ち着いたっていうのか、
ただ疲れが出ただけなのかはわかんないけどな」
からかうように言うと、テオは少しだけ目を細める。
「どちらにせよ、ミナト様が少しでも楽になられたのであれば、
護衛としては成功と言えるでしょう」
「……真面目だなぁ、お前は」
「それが取り柄ですので」
胸を張って言い切るその姿に、思わず笑ってしまう。
さっきまで頭の中を占めていた、恥ずかしい記憶や、得体の知れないざわめきは、
いつの間にか少し後ろの方に追いやられていた。
「もう少しだけ、ここにいてもいいか?」
俺がそう尋ねると、テオは即座に頷いた。
「もちろんです。
ミナト様がお部屋にお戻りになるまで、おそばにおります」
頼もしい声だった。
「……じゃあ、もう少しだけ、付き合ってくれ」
「喜んで」
そうして俺たちは、
城下町の灯りと星空を眺めながら、他愛もない話を続けた。
騎士達の失敗談とか、アリアの昔話とか、リーンの悪戯歴とか。
真面目な魔力の話は、今夜だけは脇に置いておくことにした。
笑って、突っ込んで、時々黙って夜景を眺めて。
そんな時間が、思っていたよりもあっという間に過ぎていった。
冷たい風は相変わらず吹いているはずなのに、
マントの中と胸のあたりは、ずっとあたたかかった。
この先、俺自身がどうしたいのか今はまだわからない。
だけど――少なくとも今夜だけは、
そのことを真正面から考えなくてもいい気がした。
嵐の前の夜としては、不思議と心地のいい夜だった。




