夜の車
今日が終わり週末がやってきた。最近は時間がとても早く感じる。今日の昼間に起こったことがもう数ヶ月、中には一年前なのではないかと思える程だった。──時間が早く感じるとはこういう事なのだろうか。しかし全くもって嬉しくない。私にとっての仕事は呪いのように永遠に付きまとうものであったため、金曜の夜になっても「明日は休みだ」ではなく、「明々後日からまた仕事だ」と常に考えてしまうのだった。辛かった。疲れたから家に帰りたい気持ちと帰りたくない気持ちが同時に存在する。帰ってしまえば寝て明日を迎えなければいけない。しかしこのまま会社の前で棒立ちしているわけにもいかない。曇った帰り道のイルミネーションが眼を痛くした。
最近のプリウスはああなっているのか。私はふと目に入ったトヨタのプリウスに注目した。私の知っているプリウスは可愛らしく、たまに格好良いのがあるな、と感じるものだったが、この車は近未来的で少し厳つかった。それにしても、車か。私は実際に持つことは叶わなかったがそこそこ車が好きだった。私は家に帰り着替えると、車の鍵を持ってエンジンをかけた。
十年来の愛車であるマツダのプレマシーに乗り、走らせる。目的地は決めていなかったが、なんとなく北上しようと思っていた。街は眩しい程明かりが沢山あった。建物、青色に光るイルミネーション。前方を走る車のテールランプ、自転車の反射板、様々な光が私の網膜を刺激した。それを好意的に受けられない私は段々と億劫になってしまい、いよいよ本当にただ車を走らせているだけになった。帰って寝ていればよかった、腹が減った、楽しくない。憂鬱な言葉が更に私を憂鬱にし気分が落ち込んでくる。しかし、ここまでそこそこの距離を既に走ってしまっていた。ここまで来ては戻れないという不貞腐れた時に起きがちなプライドのせいで私にはアクセルを踏むという選択肢しかなかった。早く目的地であり目的地でない"北上"に辿り着くために高速道路に乗った。
一時間半程経ち高速道路に電灯が無くなってきていた。私は数分前の緑の看板に書いてあった、残り五キロメートルにあるサービスエリアに入った。トラックが沢山停めてあったが軽自動車は少なかった。建物が近い方に停め外に出ると冷たい風が首元から入り一瞬にして私の体を冷やした。着替えを適当に済ませたため防寒性能がイマイチだった私は左右を確認した後に駆け足で建物の中に入った。よくあるご当地者が売っている様に見えたが、よくよく見てみると浅草で売っているものがあったり、東京ばな奈が売っていたり、どういう訳か福岡の博多ラーメンが売っていた。私はそれを見て少し不快になり、温かい飲み物とエナジードリンクを自動販売機で買って車に戻った。
再び走っているとどこかも分からない、聞いたこともないような地名になってきたので出口に向かった。少なくとも栃木は超えていた。ETCから出るとナビのカードの有効期限を伝える音声と同時に久々にT字路と信号を目にした。「ようこそ〇〇へ!」と書かれた古い看板がありなんだか寂しくなる。右へ左へ真っ直ぐへと何も考えずに進んでいくと、空よりも暗くて黒い山が近づいてきた。五百メートルに一本程度の電灯が道の隣にある数少ない家と色の分からない田んぼを照らし、これでは高速道路と変わらないではないか、と思わせるような長い長い信号のない道が山へと私を誘う。
私は誰もいない道を車で走っていた。家どころか電灯なんてものは完全に無くなった。その上、空が曇っているため星も月も見えず、乗っていた車のライトだけが唯一の光だった。私は一瞬「こんなに辺りが暗いのに、その中でも光れていないのか」と思ったが、すぐにこんなことを考えてしまう自分が気持ち悪いと自己嫌悪に陥った。気分転換にと窓を開けると冷たい風と肥料の匂いがツンと鼻に入り少し眉を顰めたがすぐに慣れ、普段では味わえないような体験に私はなんだか嬉しくなった。そしてそれと同時に気づいたのが音だ。少しの間しかすれ違わないのに、コオロギや蛙の鳴き声がよく聞こえた。イリリリリ、ゲコゲコ。車内には自分しか居らず、恐らく半径一キロメートル以内に人間は私しかいない。私も一緒に「ゲコ」と声に出してみる。返事は無かった。しかし都会のそれとは何もかもが違った。
ハイビームのライトが景色が変わったと告げる。木々が現れ、頭上を覆った。フロントガラスから上を見ると暗くても少しは分かっていた空の色が完全に黒に変わった。何故だかは自分でも分からないが安心感があった。ずっとこのまま走り続けていたかった。しかし、道には終わりがある。私は思い出した。木々が風で騒めいたのが窓越しでも分かった。私はアクセルを少し強く踏み、四つある窓を全て開けた。寒かったが、タイヤが地面を蹴る音、空を切る音、車体に枝や葉がぶつかる音、聞いたことはあるが正体が分からない鳥の鳴き声、それらが丁度良い雑音になり私の耳を癒してくれた。
最初はただ登っていたのがくねくねとした道に変わった。車内にある空のゴミ箱や後ろに積んである荷物がバッサバッサと左右に大きく揺れる。今の私は夜だから危険だとかそういうのは考えていなかった。ただ早く頂上に行きたかった。タイヤが擦れるキュルやキルといった音が聞こえることもあった。流石にその危険性は知っていたため少しアクセルを緩めたりもした。全てを忘れ、気持ちは、目的地は、北上から"上"へ変わっていた。私は数十回右へ左へハンドルを切って、遂に頂上へ辿り着いた。頂上には閉まっている道の駅と駐車場があり、私は車を停め外に出た。サービスエリアで外に出た時や道中で窓を開けた時とは比べ物にならない寒さだった。上を向くと月と星の光が空いっぱいに広がっていた。




