1-9 決闘アッシュ・グラント〜決着〜
起き上がらんとするフィルと、剣を構えたアッシュ。
左足を前に半身で構えているアッシュが、そのまま腰を捻り、右手を前に突き出すだけで戦いは終わる。
フィルの胸を貫く刃によって。
フィルの死によって。
だがアッシュは、突きを放つ途中で気付いてしまった。
己が敗北に。
フィルに迫らんとしていた白い刃が静止し、ブゥンと音をたて消滅した。同時に青く輝く指輪も光を失う。
時が止まったかのように広がる静寂の中、アッシュの声が響く。
「我が敗北をここに認めよう」
敗北宣言を受けたフィルは、一瞬だけ口元に笑みを浮かべ、すぐにお道化た様子で額を手で拭い始めた。
「ふぅ、危なかったぁ……もうちょっと遅かったら――」
「てめぇの頭がザクロみたいになってたぜ」
メフィストはそう言うと、アッシュの上方から僅かに高度を下げ、アッシュの灰色の髪をコツンと優しく叩いた。
それに合わせ決闘の場を隔てる障壁が消え、幻惑の霧が晴れる。
倒れたフィルの隣にあった長い杖が、霧と共に消え去って行く。
離れた位置で勝利のポーズを取るフィルの幻影も。
有った幻影が消え、そして隠されていた物が姿を現す。
フィルやアッシュの周囲一面に広がったゴーレムの土が。そしてそこから伸び、アッシュの足首をがっしり捕え、離さぬ土の手が。
これでは逃げられぬなと苦笑するアッシュ。
「フッ、本当に隠したかったのは、術者である魔女殿ではなく――」
「そう。ずっと操ってた土と本命のメフィちゃん」
「自らを囮に死地へと誘い、我を捕えたと……」
「私に夢中で気付かなかったでしょ。あぁ罪作りなわ・た・し――「アホか」――痛っ。酷いよメフィちゃん」
持ち主の頭を遠慮なく叩くレリックと、お道化ながらも足の拘束を解くのを忘れない魔女見習い。その姿を見たアッシュは『魔女』という存在ではなく、目の前のフィルメイル・クリスタが強かったのだと理解した。
敗者となったアッシュは、土の上に腰掛けたままの勝者へと敬意を示す。
「さぁ、お手をどうぞ、魔女殿――いいえ、フィルメイル殿」
「あら紳士。ありがとう」
「おっ! やっぱザクロ頭になりてぇようだなぁ、片眼鏡ぇ」
「やめ給え杖殿。強者への当然の礼儀だ」
「ほんとかぁ? あぁ?」
「まぁまぁメフィちゃん。決闘は終わったから、ねっ」
空中でブンブンと暴れる杖に襲われながらも、観察の視線は止めないアッシュ。笑みを湛えながらメフィストを宥めるフィル。
周囲を覆っていた障壁が消え、急いで駆け付けたアイヴィだったが、半ば呆れた目で彼女達に合流した。
「ずいぶん和やかだけど……終わったのよね?」
「あぁ、我が敗北を以てな」
「いぇーい。勝ったよ! アイヴィちゃん」
メフィストを天に掲げ勝利のポーズを取るフィルを見て、アイヴィはホッと溜息を吐いた。呑気にお道化るフィルに感化されてか、アイヴィの知らぬ間に彼女自身の顔から緊張の色が抜けていた。
「なんかゆるいわね……けど、本当に三本線の魔術師に勝っちゃうなんて……凄いわ。フィルメイル」
「まぁねぇ、鍛えてますから……次やったら絶対死んじゃうけど」
フィルは腰に手を当て、濃紺のローブの内に隠した大きな胸を張った――かと思うと、次の瞬間には自信なさげに横へ目を逸らした。
それが冗談なのか本気なのか分からぬアイヴィであったが、大事なのは有るかもわからぬ『次』ではなく『今』掴み取った勝利なのだという事ぐらいは分かっていた。そして、見ず知らずの自分を助けてくれた、フィルの献身であると。
「本当に凄いんだからもっと胸張ってよ……さて、フィルメイルが勝ったってことは、大人しく捕まるってことよね? アッシュ・グラント」
「そこまでは約束しておらんだろう。だが、コレクターズ・ドーンは貴様に手を出さんと約束しよう。アッシュ・グラントの名に懸けて」
アッシュは右手を己が胸に当て、アイヴィへ向け誓いを立てる。
兄弟子へ疑いの目を向けるアイヴィ。
そしてフィルは、そんな誓いに目も向けず、今も閉ざされたままの中央西門を見つめていた。そんなフィルが『ん?』と何かに反応したことに気づいたのは、相棒であるメフィストだけであった。
門とは反対方向を指差しながら、フィルがアッシュを急かす。
「なら急いで回れ右! 早く逃げないとそろそろ動き出すよ」
「そうだな。あれはそういう男だ。去る前に、愚かな妹弟子に一つ忠告をしておこう。ヘリクス・トルシオンという男は、貴様の思っている様な善人ではないぞ」
「ここにきておじさまの陰口?」
「だから貴様は愚かなのだ……言っても詮無き事か」
額に手を当て頭を振ったアッシュであったが、すぐに気を取り直し、フィルの持つ杖へ観察の視線を向けた。
光るモノクルに、メフィストが震え上がる。
「やめろって言ってんだろうが! ゴラァ!」
「フッ。喋る杖殿との別れは実に名残惜しいが……さらばだ」
町の外へ向け歩き出したアッシュが、何かを被るように右手を動かすと、途端にアッシュの姿が消えた。
フィル達の目に映るのは、街灯に照らされただだっ広い石畳の広場とその奥に広がる静かな魔都だけであった。
「あっ、消えた――「帰れ帰れ」――こらっ、メフィちゃん。足音もしないし、あれも良いレリックだねぇ」
「ええ『夜神の羽衣』姿隠しのレリック。まぁ消えるんじゃなくて隠れるだけなんだけどね……今、アッシュ・グラントが走って必死に逃げてると思うと、ちょっと面白いわね」
フィルが、不自然に何も感じない空間を見送っていると、ゴゴゴと音を立て大きな門が動き始めた。
半端に開いた中央西門から、白の軍服を身に纏う一団が姿を現す。
男女二十名で構成された彼らは、全員が一本線以上の魔術師である魔都特務隊。
そんな彼らの先頭を歩く男が一人。
男は華美な赤いマントを纏い、人目でその場の誰よりも地位が高い事を示す装いをしていた。燃える様な赤い髪の内に収まる端正な顔立ち。三十半ばという脂の乗った男の姿は、歩くだけで人目を惹きつける魅力が滲み出ている。
男の名はヘリクス・トルシオン。
己の編み出した螺旋の魔法を用い、魔法が盛んであった程度の町をここ十年で魔法の光に満ちた魔都へと生まれ変わらせた奇才。
その功績をもって爵位を得た貴族。
星の魔術師が一人。
魔都特務隊を引き連れ歩く姿には、魔都の主として相応しい荘厳さがあった。
目を輝かせながらトルシオン卿の元へと走るアイヴィ。
一方フィルは、やや冷めた目で『あれが螺旋の君か……ゆっくりご登場だねぇ』と品定めしながら、遅れて歩き出し、アイヴィの背を追った。
「おじさまぁ!」
「嗚呼、アイリス。無事で良かった……怪我はないかい?」
フィルは、トルシオン卿の元へと辿り着いたアイヴィが、そのまま犬のように跳び付くのではないかと想像したが、フィルの想像とは違い、アイヴィはトルシオン卿を見上げるだけであった。
アイヴィはトルシオン卿へ一つ頷くと、歩み寄るフィルへ向き直った。
「ええ。彼女が、フィルメイルが助けてくれたの」
「そうか。ありがとうフィルメイル君。アイリスは私にとって大切な子なんだ。この恩は、必ず」
「別にいーよ。あっ、後片付けはお願いしても?」
「もちろんだよ。トルシオンの名の下に」
「ふぅ。よかったよかった」
「フフッ。そんなこと気にしてたの?」
トルシオン卿の横でクスリと笑うアイヴィを見ながら、フィルは満足げに頷く。
彼女を助ける。その自分の決断は間違ってなかったと。
「うんうん……さぁてとっ、あとはお任せするね。螺旋の君」
「ああ。重ねてありがとう」
「それでは、御入用の際は魔都ギルド『銀水晶』の魔女見習いフィルメイル・クリスタをどうぞ御贔屓に」
フィルは言い終わると同時に垂直に跳ぶと、フィルを迎え入れるように地に水平となったメフィストに自然と座った。
フィルとメフィストは止まることなく、そのまま夜の空へと飛び立つ。
去るフィルの背に、アイヴィの声が届く。
「フィルメイル。ありがとう」
進行方向へと視線を向けたまま、フィルは無言で左手を振り返していた。
「さぁ相棒。ギルドに帰ろうぜ」
「だね。お疲れ、メフィちゃん」
「相棒もな。てか、腹の具合は大丈夫か?」
「あっ。思い出したら……もぅお腹ペコペコだよぉ」
鳴る腹を笑うメフィストの声を聞きながら、フィルは杖を優しく撫でる。
魔都の空を優雅に飛びながら、フィルはトルシオン卿の瞳を思い出していた。
『魔女』と言った時に浮かび上がった、その怯えの感情を。




