4.5-6 アイヴィ、一日を終える
二体の大猪レッドフードボアを討伐した狩人一行は、近隣の村パラパにて大猪の解体を済ませ、大量の戦利品と共に魔法都市『ヴァルミオン』へ帰還した。
馬車に揺られ、ギルド銀水晶まで戻って来たアイヴィは、手続きや戦利品の処理をマイトに任せ、ミィミンと共に大浴場へと向かった。
ギルド一階にある大浴場は今、仕事を終えた女性ギルド員達がちらほらとおり、共同浴場に慣れぬアイヴィは、少々気恥ずかしさを感じながら服を脱ぎ、大浴場の中へ足を踏み入れた。
だが、気恥ずかしいのも初めばかりで、髪を洗う頃には『誰も自分の事など気にしないだろう』という自虐めいた自意識と慣れにより、裸である事の羞恥心は薄れてしまっていた。
意外と順応性のある少女である。
髪を泡で包み、目をつぶったままのアイヴィが正面の青い石に触れると、細やかな線状の湯がアイヴィの上方から流れ、泡という泡を床へと連れ去っていく。
再び青い石に振れ、シャワーを止めたアイヴィは、体を洗う前にゆっくり、ゆっくりと息を吐き出した。
明るい髪を伝い、水滴がポタリポタリと滑らかな床へと落ちる。
アイヴィは、魔物を狩った後の風呂というものが好きであった。
戦いの中で自然と纏わりつく、血、汗、泥、塵、そして穢れ……そういったものを泡で包み、温かな湯で洗い流す。
戦いに生きる狩人から、ただの自分へと戻る感覚。
それは、アイヴィにとってある種の儀式的な行為であった。
アイヴィは持参した石鹸を泡立て、己がスレンダーな体を泡で包み始める。
ふわりと広がる柔らかな香りに、熱い視線が周囲の女性たちからアイヴィへと注がれる。だが、体を洗うアイヴィは、その熱を持った視線に気が付かない。
再びシャワーを動かし、全身をサッパリさせたアイヴィは、余裕で十人は入れるであろう大きな浴槽へ進み、端の方に腰を下ろした。
温かな湯がアイヴィの体を包み込み、じわりと熱が移動し始める。
愛らしい顔をホッコリと綻ばせ、湯を堪能するアイヴィ。
そこに、ハキハキとした声が掛かった。
「隣、いいかい?」
「どうぞ、ミィミンさん」
「よっこいしょっと……はぁ、沁みるわ。何度入ってもいい湯だねぇ」
そんな年寄り臭い事をいいながら、ミィミンが全身から力を抜く。
そんなミィミンへ向け、気の抜けたアイヴィの目が動いた。
女性としては大きな体。無駄な脂肪の見えぬ鍛えあげられた筋肉質な肉体。引き締まった腰から覗く割れた腹筋。厚い大胸襟の上に盛られた大きく形の良い乳房――あまりじろじろ見るものではないと、アイヴィは視線を正面へと逃がした。
湯の温かさゆえか、顔を赤く色づかせるアイヴィ。
それを見て「ハハハ」と笑うミィミン。
アイヴィは先程とは違った羞恥を感じながらも、ミィミンの体を思い浮かべていた……その全身に刻まれた、古傷の痕を。
自然とアイヴィは、自分の体を見下ろしていた。
そこにあるのは、鍛えられ引き締まってはいるが、力強さのない細い体。
傷一つ見えない体。
アイヴィは思う。きっと、ミィミンの体こそが戦う者の体なのだろうと。
ずぶずぶと湯に沈むアイヴィの顔が、アンニュイになってしまう。
そんなアイヴィへ、隣のミィミンが穏やかに問いかけた。
「やっていけそうかい?」と。
その優し気な声を聴き、アイヴィは今日の事を思い出していた。
食堂を、馬車を、草原を、村を……そして更に思い出す。ララの事を、友人の事を……。
アイヴィは、やや小柄な体を湯に沈めたまま、ハッキリとした声でミィミンへ言葉を返した。
「はい……なんとか」
「上等さ。あたしは魔物狩りを主にやってるから、その時はまたよろしく頼むよ」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
アイヴィはミィミンを見上げ、ペコリと頭を下げる。
その堅苦しさの抜けぬ姿に、ミィミンはわざとらしく眉を顰めていた。
「ふぅん……あんた堅いねぇ。銀水晶は上とか下とかないから、もっと気楽でいいのさ。だからって、ロックやサンドみたいになっちゃ困るけどねぇ」
「あははは……気を付けます」
「まっ。ちょっとずつで良いさ。アハハハハ……」
笑うミィミンに合わせ、湯の水面が揺れる。
その揺れを肌で感じながら、アイヴィは深く息を吸い込み、長い、長い息を吐き出した。癒しを取り込み、疲れを吐き出すように。
その後、ミィミンは多くを語らず、ただただアイヴィの隣で顔を綻ばせていた。
立ち昇る湯気。浴槽へ流れ込む湯の音。
穏やかな時間に包まれながら、二人は温かさに身を委ね続けた。
~~~~
風呂を上がったアイヴィは、皆と共に食堂の卓についていた。
彼女の右手には、木製のジョッキが握られている。
ジョッキの中には、麦の香る低アルコール飲料が満ち、その黄色の上には白い泡が溢れ出んとしていた。
当然ながら、そこにあるのは飲み物だけではなく、卓の上には料理の数々が並んでおり、一面を肉、肉、肉で埋め尽くしていた。
だが、誰も食事に手を付けない。
正面に座るマイトも。隣に座るミィミンも。ダグやビルザー、モノスも。そして何故か居るロックとサンドも。
皆の視線がマイトに注がれる中、マイトはゆっくりと今日の総括を始めた。
「トラブルもあったが、今日の仕事は上々な出来だ。依頼料は等分し、既にギルドに預けてある。牙や毛皮、骨や肉の売却金は、取引が終わり次第、いつも通り各々の預かり金として入る予定だ。各自、受け取り忘れるなよ」
「はい」
小気味よいアイヴィの声が堰を切り、他の者の声が続く。
「うむ。良い仕事だった」
「なぁ、等分でいいのか? 俺なんか御者やってただけだぜ?」
「いいんだよ、ビルザー。さぁて素材は幾らで売れるかねぇ」
「状態が良かったですからな。そろそろ新しいレリックが欲しいものです」
「いぇーい! 等分だってよ、サンド」
「やったな、ロック」
なぜか喜ぶサンドとロックへ、マイトがバサッと言葉で切り捨てた。
「お前らの分はない。当然だ」
「「ちぇー。おっさんのケチ」」
ハモる双子に刺さるビルザーの視線は、冷たい。
「お前らなぁ、ケチだなんだってのは働いてから言え……てか、何でお前ら自然に混ざってんだよ」
「よしなビルザー。そいつらに構ってると、いつまで経っても肉が食えないよ。さあさあ、マイトさん」
しびれを切らし、苛立ちを声に乗せたミィミンに、マイトも渋みの宿る顔で大きく頷き、右手に持つジョッキを皆へ掲げた。
「ああ。皆、無事に依頼を終えた喜びと、新しい仲間に……乾杯」
「「「「かんぱぁーい」」」」
ジョッキが重なり合う音が響き、皆の喉が一斉に鳴った。
アイヴィもジョッキに口を付け、黄色の酒を喉の奥へと送り込んでいた。
苦味が口の中を走り抜け、ジョッキから離したアイヴィの口に麦の柔らかな香りが広がる。
アイヴィは、酒に弱い人間ではない。
むしろ強すぎるぐらいである。
アイヴィ達の住まう王国では、濃度の低いアルコール飲料ならば、十二を超えた年齢から飲むことが許され、十パーセントを越える物は二十歳を過ぎてからと法で決められていた。
隣国では、この国とは違い一律二十歳まで飲んではいけない法があるのだが、国による制度の違いなど、今はどうでもよい事である。
しっかりと住む国の法律を知り、守りましょう……閑話休題。
アイヴィは好んで酒を飲みはしないし、狩人の付き合いで飲んだ時も、一度たりとも酔った試しがない人間であった。
酔えぬというのは、ある意味悲しい事である。
酒に魅力を感じぬアイヴィからすれば、目の前に並ぶ肉の方が興味をそそられる物であった。
特に大皿にドンッと乗った肉の塊は、可憐な少女であれ気になってしまうものである。
香草と共にオーブンでじっくり焼かれた肉の塊は、人によっては臭いと言いかねないほどの肉肉しい匂いを周囲に拡散させていた。
アイヴィは、一番下っ端の自分が皆に取り分けるべきだろうと、大皿の横に置かれた大きなナイフへ手を伸ばした――のだが、アイヴィよりも早く動いていたミィミンに阻止されて、ナイフはミィミンのがっしりとした手に納まってしまう。
アイヴィへ、ニコリと笑うミィミン。
彼女の顔が言外に言っている。
『銀水晶は上とか下とかないから』と。
ペコリと頭を下げ、前傾姿勢だったアイヴィは椅子に背を戻した。
ミィミンさんに任せよう、と。
「さぁ、取り分けて欲しい奴はあたしに言いな」
「ミィミン姉さん。分厚く頼んます」
「俺も」
我先にと口を開いたロックとサンドを見るビルザーの視線は、やはり冷たい。
厚顔な双子に負けぬように、アイヴィも声を出す。
「私も少し、お願いします」
「あいよ」
ミィミンが肉の塊に刃を入れると、焼き目の香ばしい肉がすぅーと切れ、まるでステーキめいた一枚肉が切り離された。
その一枚肉を白い皿へと移し、ミィミンがアイヴィの前に置く。
「ほい、アイヴィ。しっかり食いなよ」
「ありがとう御座います」
再びペコリと頭を下げるアイヴィを見て、ミィミンが苦笑いを浮かべる。
だがそんなミィミンの気など知らず、頭を上げたアイヴィの目には、既に白い皿に栄える肉しか映っていなかった。
切断面が見える様に置かれた一枚肉。
断面の肉色は、しっかりと中まで火が通っている事を示しており、アイヴィの好みからすれば少々焼き過ぎにも思えた。
『まぁ魔物の肉だし』
衛生や健康面での仕方なさもまた、アイヴィは理解していた。
そう。ここに並ぶ肉料理の数々は、持ち込まれたレッドフードボアの肉を食堂の主ヨハンナが急いで調理したものである。
食事用のナイフで肉を切り始めたアイヴィを尻目に、彼女へ肉を渡したミィミンへ抗議の声が上がっていた。
ロックの声だ。
「ブーブー。何でアイヴィちゃんが先なのさ」
「この肉はアイヴィとマイトさんが二人で狩った肉だからだよ。先に食うのは当たり前だろ? マイトさん。量は?」
無言で指を二本立てるマイトへ、ミィミンは素早く肉を切り分ける。
モノスもまた、欲しい量をハンドサインで送っていた。
一方、一番に肉を配られたアイヴィは、一口大に切り分けたレッドフードボアの赤身美しい肉をフォークに刺し、口へ運んでいた。
「「え? マジで? すげぇなアイヴィちゃん」」
重なる声と、集中する双子の視線に、アイヴィはもぐもぐと顎を動かしながら、小さく会釈を返す。
その時、アイヴィの口の中には『俺は肉だ! 肉!』と強く主張する野性味あふれた味わいが広がっていた。
塩の味わいや香草の香りでは、肉の力強い匂いを打ち消せていない。
だが、それもまた味わいの一つである。
『うん。美味しいわ……ちょっと硬いけど』
そんな感想を心の中で呟きながらも、口を休めず動かし続けるアイヴィ。
それを見て、皮肉そうに笑みを浮かべるビルザー。
何処か上機嫌なビルザーは、ゴクリとジョッキを空にすると、先程称賛の声を上げた双子へ絡み始めた。
「ハハッ。お前らが心配してたのが馬鹿みたいにな。俺よかよっぽど強いぞ」
「それはビルザーさんだからっしょ……」
「おっ。舐めてんなてめぇ……ロック、サンド、表出ろや。肉はその後だ」
「え? 俺も? おいロック、謝れって」
「こら! あんたら。暴れる馬鹿には、肉、やらないよ」
肉奉行ミィミンの一喝に強く反応したのは、ビルザーや双子ではなく、ビルザーの隣に座る筋肉であった。
ダグは全身の筋肉をピクピクと動かしながら、四角い顔を苦々しく変えていた。
「それは困るぞミィミン。レッドフードボアの肉は強い体を作るだけでなく、疲労回復、健康促進にも繋がる、脂身少ない良い肉なのだ。全身のありとあらゆる筋肉が震え、早く、早くと急かしているのだ。おぉ早く切り分けてくれぇ……俺とビルザーは激厚で頼む」
「俺はそんな食わねぇよ。普通だ」
「あいよ。順番順番。ロック、サンド、あんたらは最後。余ったらだ」
「「ちくしょー、もう飲むしかねぇ。ヨハンナ姉さぁん、エール追加で」」
心の底から悔しそうに顔を歪め、酒の注文を始めたロックとサンド。
そんな双子をケタケタと笑う、ミィミンとビルザー。
肉を待ちながら上腕二頭筋を躍動させるダグ。
我、関せずと、肉を食うマイトとモノス。
そしてアイヴィは、卓につく皆を見回し、マイトに倣い、肉を喰らう事にした。
きっとこれが、この人達の日常なのだろうと。
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騒ぎ出した酔っぱらい達からミィミンと共に脱したアイヴィは、共用スペースにある洗面台の前でララと並んで歯を磨き、独り三階にある自室へと戻っていた。
机に向かい、愛用の魔法の銃『レイ』の整備を済ませたアイヴィは、白の柔らかな寝巻きに着替えた体をベッドに横たえた。
暗む部屋の中に、騒ぐ声が一階から微かに届く。
暗順応した目にぼんやりと映る天井は、当然、まだ見慣れぬ天井であった。
だが、越してからの二度目の夜は、昨日の夜よりも心軽い。
再び彼らと共に仕事が出来るかなんて、分からない。
まだ一度共に仕事をしただけの彼らの心根など、分からない。
このギルドが本当に自分にとって良い場所なのか、分からない。
それでもアイヴィは口を開き、思いを言葉にした。
「貴女の誘いに乗って正解だったわ、フィルメイル」と。
いつ帰って来るのだろうか?
そう思いながら瞼を閉じたアイヴィは、全身の力を抜き、少し硬く感じる寝台に体を預けた。
一階から届く酔っぱらい達の声よりも小さな、小さな寝息が聞こえ始めたのは、それからすぐの事であった。
心地良い眠りと共に、狩人の一日が終わる。
戦いとは程遠い、穏やかな暗闇の中で。
番外編「アイヴィ、ギルドへ加入する」 完




