4.5-5 アイヴィ、狩る
青々と広がる草原の中を、バラバラに散る狩人達。
前衛たるマイト、ダグ、ミィミンは、標的へ向け前へ。
魔法使いであるモノスは立ち止まり、魔法の銃を左手で抜いたアイヴィは、射線を通す為に横へと駆ける。
狩人達の目は、叫び猛る大猪レッドフードボアへと向けられていた。
三方へ分かれ、接近を試みる前衛三人。
大猪の赤い瞳と目が合ったのは、最も前に出ていたマイトであった。
獲物を定めた大猪は、前に出た鼻と口を地面へと下げ、頭部の赤い剛毛をマイトへと向ける。瞬間、太い四つ足が地面を蹴り、大猪の下の地面が爆ぜた。
爆発的に速度を上げ巨体がマイトへと迫る中、アイヴィは突進を止めんと、左手に持つ魔法の銃レイを大猪の進む先へ向け、一つ、二つと白の杭を放つ。
直進運動をする大猪の位置予測は容易であり、アイヴィの射撃は正確無比に大猪の太い前足に命中した。
だが、突き刺さる白い杭から血が流れようとも、大猪の突進は止まらない。
スピードを上げた大猪の赤い頭部と牙が、マイトへ迫る。
しかし、マイトの渋みの効いた顔には焦り一つ浮かんでいなかった。
突進を前に足を止め、右肩から伸びる剣の柄へ両手を伸ばすマイト。
厚く大きな手が柄を握りしめたその時、細長い剣を覆っていた鞘がガシャリと音を立て両サイドへ開き、長い長い刃を解放した。
マイトは左へと一つ跳び、大猪の突進を躱しながら剣を払い、真横を通り過ぎる巨体の腹に一筋の赤い線を刻みつけた。
止まらぬ大猪の腹から噴き出す血が、草々を赤く染めていく。
「浅い」
鋭く入った斬撃であったが、マイトの口からはそんな言葉が零れていた。
その言葉の正しさを示すかのように、大猪は腹から血を流しながらも次の標的へと突撃を始めていた。
赤い双眸が睨んでいるのは、先程足に一撃を入れたアイヴィであった。
傷を負いながらも、爆発的な加速で突き進む大猪。
アイヴィは魔法の銃の狙いを定める為、左手を前に突き出し――
「危ない!」
短い言葉と同時に、アイヴィの前方にスッと人影が現れ、アイヴィの射線を遮ってしまう。
それは、両手を横へ広げた筋肉質な大男ダグの大きな背であった。
「≪マッスルボディ≫」
アイヴィの聞き慣れぬ呪文を唱えたダグ。
ダグの服の中で発動体が白く輝き――ダグの伸縮性の高い服が内側から盛り上がり、ダグの鍛え上げられた全身を、より筋肉の塊へと変化させた。
鍛えた筋肉と自己強化魔法。
二つの鎧を纏い、ダグは迫る大猪へと突撃し――衝突の衝撃に大地が揺れ、空気が震える。
ダグの腹を貫かんと動く大猪の牙と、それを阻むダグの丸太のような太腕。
拮抗する力と力。
しかし、力の拮抗はすぐに崩れてしまった。
強化魔法を使用しているにも係わらず、大猪の、魔物の力は凄まじく、踏ん張るダグの足がジリジリと地面を削り、ダグの大きな体を押し始める。
だが、魔物は一体。狩人は五人。
素早く横へと回ったアイヴィの射撃が、裂けた肉に次々と撃ち込まれていく。
痛みで唸る大猪は、目を真っ赤にし、目の前のダグを振り払わんと暴れ始めた。
それを、ダグの両腕が力の限り抑え込む。
抑え込まれた大猪の横へ、近づく影が一つ。
それは、大斧を後方へと構えたミィミンであった。
ミィミンが大猪の首の横へ踏み込んだその時、後方からモノスの声が響いた。
「≪シャープエッジ≫」
モノスの放った魔法が、ミィミンの大斧に風の力を与える。
鋭き風を纏う大斧がミィミンの大振りに合わせ地を抉り、地から天へと上る刃が大猪の喉元に深く、深く突き刺さった。
強烈な一撃が大猪の体を揺らす。
腹と喉から血が流れ、ダグを押す力が徐々に消え失せると共に、大猪の赤い瞳がどんよりと濁り……大猪は動かなくなった。
~~~~
大猪レッドフードボアを討伐した一行は、魔法で地面に穴を空け、血抜きを行っていた。
どう持ち運ぶか分からぬ大きな猪の重さを少しでも減らす為であり、そして肉の鮮度を保つ為の重要な工程である。
血が流れるのを待つ間、周囲を調べていたアイヴィは、草原の中で大猪が何を食べていたのかを知った。
大猪が地面へ向け、口を動かしていた場所。
そこには、ぐしゃぐしゃになり原型を止めぬ緑色の魔物の死体が転がっており、恐らくゴブリンであったであろうその死体達は、大猪に食い千切られ、食事跡として大地に散乱していた。
魔物が魔物を食う。
常識として理解はしているし、魔物が一匹でも多く死んでいるのであれば倒す手間が省けるというものであるが……残された跡は醜く、アイヴィにとってはあまり気分の良いものではなかった。
漂う腐臭に鼻を抑えながら、アイヴィはフィルメイルの言葉を思い出していた。
『こういうのの塵積で、いきなりヤバい魔物が生まれたりするんだぁ』
友人の言葉、そして森での出来事、地獄の穴……思い出してはみたものの、やはり、知りもせず、感じる事すら出来ぬ問題を、アイヴィは受け入れることが出来なかった。
仮に出来たとしても、今のアイヴィに出来る事は何もない。
アイヴィは大猪の食べ残しを放置し、血抜き中の四人と合流した。
戻って来たアイヴィに、マイトは大猪の傷口から視線を外さず、声をかける。
「アイヴィ。何か見つかったか?」
「ゴブリンらしき死体が数体。マイトさん。耳、落としますか?」
「いや、必要ない。ギルドに報告を上げれば充分だ……そろそろいいか。運ぶぞ、モノス」
「少々お待ちを」
草原に横たわる大猪の死体を、恐らく細い目で見つめながらモノスが杖を前に構え、一つ、二つと深く息を吐き、短く「≪トランスファー≫」と唱えた。
杖の先端を飾る発動体が輝き、物質移動の魔法が大猪へと伝わる。
すると、魔法の力に包まれた大猪の死体の毛が逆立ち、重い体がふわっと浮かび上がり始め――ほんの少し地面から離れた。
アイヴィは、そのまま魔法で運ぶのだろうと思い眺めていたのだが……そこから動く気配はない。
魔法を放つモノスの杖持つ右手がプルプルと振るえ、額に冷や汗が流れており、明らかに無理をしている様子であった。
「ダグさん。ミィミンさん……頼みます」
「うむ。無理はするな。俺の大殿筋の強さを信じるのだぁ」
「初めからそのつもりさ、モノス。マイトさんも頼むよ」
なぜか尻を強調するポーズをとる筋肉の塊ダグと、既に大斧を馬車に置き、空の両手をワキワキ動かしているミィミン。
アイヴィは「私も――」と、運ぶのを手伝おうとするが、マイトのごつごつな手に遮られてしまう。
死した大猪の巨体は、魔法の力と三人の腕力を以て、ようやく動きだした。
手持ち無沙汰となったアイヴィは、魔法の酷使で汗を流すモノスの額を白いハンカチで拭いながら、運ぶ彼らの後ろをゆっくりと歩く事しか出来なかった。
魔法の力で補助をしても重いものは重いようで、ダグ、マイト、ミィミンの三人は顔を赤らめながら、一歩一歩草原を踏み締めていた。
大猪の運搬先である馬車では、ビルザーが暇そうに手を振っている。
運搬を呑気に眺めていたビルザーの顔が、一瞬にして険しく曇った。
そんなビルザーに気付かぬまま『暇でなんだか申し訳ないな』と苦悩するアイヴィの耳に、焦るビルザーの大声が届いた。
「お前ら! 後ろだ!」
その警告に従い、慌てて後方へ振り向くアイヴィ。
彼女の大きな瞳に、広がる草の緑から立ち昇る黒い靄が映った。
その黒い靄は、先程アイヴィが確認した食べ残し跡の側から立ち昇っており、その靄の内側では、黒い何かが蠢いている。
「湧くぞ!」
湧く? 何が?
当然、魔物であるとアイヴィも理解していた。
『いきなりヤバい魔物が生まれたりするんだぁ』
ここには居ない友人の声が、再びアイヴィの頭の中で響く。
嫌な想像を払うように左手で魔法の銃を抜いたアイヴィは、その銃口を蠢く黒へ向け、一つ、二つと放った。
真っ直ぐ宙を進む二本の白い杭は、四足の獣を形作った黒い靄の頭部らしき場所に命中し、そのまま弾かれてしまう。
『チッ、硬い』
そう思いながらアイヴィは、その蠢き形作った黒の姿に見覚えがあった。
そう、先程まで見ていた――黒い靄が晴れ、黒が形作る獣に色が生まれる。
日の光に晒された、一匹の魔物。
それは、すぐそこで死体となっている大猪と同じ、顔の上部を赤き剛毛で守る大猪の姿であった。
その姿を見たアイヴィは……安堵した。
湧いた魔物が、レッドフードボアであった事に。
『ヤバい魔物』でなかった事に。
安堵と同時に気付く……赤い目が誰を見つめており、生まれた大猪が誰を狙っているのかを。
それは、死した大猪を運んでいる三人。
このままでは不味い。
アイヴィの判断は早く、そして速かった。
「引きつけます」
大猪の咆哮響く中、そう短く告げたアイヴィは、右腰の短刀を抜きながら、斜め前へと駆け出していた。
それは、今にも突進せんとする大猪の進む先を変える為。
死した大猪を地に降ろし、戦闘準備へと動く仲間達の元へと向かわせない為。
少し動いた先で立ち止まったアイヴィは、左手の銃を大猪へ向け、放つ。
その一射は、二百メートルほど離れた位置にいる大猪の足に命中し、大猪の太い足に突き刺さった。
この魔法の銃では足を撃っても効果が薄いことぐらい、アイヴィも先の戦闘で理解していた。
しかし、アイヴィの狙いは別。
彼女の狙い通り、大猪の赤い瞳に怒りの色が浮かび、大猪の巨体は自らを傷つけた相手へと向く。
そう、アイヴィへと。
マイト達が自由になるよりも早く、大猪が動いた。
「「逃げろ! アイヴィ!」」
ビルザーとミィミンの声が響く中、大猪の後ろで土が爆ぜ、巨体が加速した。
大猪は、爆走というべき速さでアイヴィへと迫る。
このまま動かなければ、待つのは死。
加速した大猪が衝突などすれば、アイヴィの軽い肉体などひとたまりもない。
それでもアイヴィは、自分の背丈よりも大きな大猪が近づく光景を前に、酷く落ち着いていた。
一秒引き付け、一秒待ち――ダンッ、ダンッと左手の銃から杭を放つ。
一射一眼。
放たれた二本の杭が、迫る大猪の双眸を見事に撃ち抜き、大猪の視界を黒に染め上げる。
だが、両目から血を流しながらも、大猪の突進は止まらない。
更に加速し迫る大猪を前に、アイヴィは機を狙い、横へ軽やかに身を翻した。
真っ直ぐに突き進む大猪が、一回転しながら躱すアイヴィの指三本横を通り抜けていく。
盲目となった大猪は、暫し駆け、突撃に失敗したことに気付いた。
大猪は見えぬ敵に対し、手あたり次第に顔を動かし、牙で攻撃を始める。
対し、突撃を躱したアイヴィは、左手の銃を大猪へ向け、撃ち続けた。
何発も、何発も。
全身穴だらけになりながらも、大猪の生命力はすさまじく、大猪は暴れるのを止めない。
その大暴れは、マイトが止めを刺すまで続いた。
マイトの持つ剣が、まるで介錯でもするかのように動き、鋭い刃が大猪の太い喉元を滑り、皮と肉を裂く。
鮮血で草原を赤に染めながら、大猪の全身から力と命が抜け落ちていく。
追撃無用と、マイトは長い剣を横へと払い、空を斬る。
マイトの払いと共に剣身から血が拭われ、背へと戻る長い剣をガシャリと動く鞘が包み込んだ。
死を受け入れた魔物の巨体を赤い草原が受け止め、静かに戦いが終わった。
死した大猪とマイトの元へと駆け寄るアイヴィ。
アイヴィの視線の先で、マイトが仕留めたレッドフードボアを見下ろしていた。
「助かりました、マイトさん」
「いや。これなら加勢は要らなかったな」
そう呟くマイトの視線の先には、一本の短刀が大猪の首に突き刺さっていた。
命を抉るように、刃深く。
それがいつ刺さったのか?
考えるまでもなく、アイヴィと大猪が交差した一瞬。それ以外あり得ない。
マイトは近くに来たアイヴィへ顔を向けると、その硬い唇を動かした。
そして短く、ハッキリと称賛の声を上げる。
「良い腕だ、アイヴィ」
「ハイ」
その小気味よい返事に、渋みの効いたマイトの顔が不敵に歪んだ。




