4ー26 決闘は舞台で踊る~フィルメイルのとっておき~
幻を生む霧の中、八人のフィルに囲まれたアダマセイン嬢は、笑いながら輝く右手を振るい、周囲に破壊の渦を巻き起こしていた。
どれも本物に見える八人のフィルは、己に迫る輝きの群れを飛び跳ねながら躱していく。
時に、躱し損ねたフィルを魔法が捉える事もある。
だが、その全ては偽物であり、本物のフィルを傷つける事は叶わなかった。
堅いオロバスの守りの膜に包まれながら、当たれば死と見える必殺の力をいとも簡単に振るうアダマセイン嬢。
対し、本物を捉えさせぬフィル。
両者の戦いは、膠着状態に陥っていた。
だが、当然ながら優勢なのはアダマセイン嬢に他ならない。
しかし、優位に立つアダマセイン嬢には、一つだけ気に入らない事があった。
アダマセイン嬢は攻撃の手を止め、大きく息を吐き、フィルへ声をかけた。
「ねぇ、フィルメイルさん。なぜ貴女は、客席側に幻を作らないのかしら? その方がわたくしを翻弄出来るでしょう」
「いやいや。そっちに移動したら、寝てる人が巻き込まれちゃうし」
八重に響くフィルの声。
その声を発する八人のフィル達は、アダマセイン嬢から見て舞台袖側と舞台奥側にしかいない。
彼女達は、先程まで続いていた攻撃も、そのボロボロになった空間を動き辛そうに回避し続けていた。
反対に、客席側は綺麗なままである。
「これは貴女の未来が懸かった決闘よ。そんな事、些事ではなくて?」
「……確かにね。どんなお偉いさんであれ、知らんおっさんよりは自分の方が大切だねぇ……けど、そんなの趣味じゃないんだ」
「だから、わたくしとこうして戦っているのかしら?」
「まっ、そんなところ。手を伸ばせば助けられるのに助けないで……それで自分が元気なままでも、そのあと食べるご飯って美味しくないのさ」
アダマセイン嬢を見つめる八人のフィルが、右手に持つ杖を地に付け、胸を張ってニコリと笑い、続きを言葉にした。
「出来れば私は美味しいご飯が食べたい。あなたと戦う理由なんて、たったそれだけ」
果たして、それが演技なのか本心なのか……アダマセイン嬢には分からない。
知るのは、フィル本人と相棒のメフィストだけである。
「私って、あなたみたいな大義も夢もないの……笑う?」
「笑いませんわ。わたくし、確固たる主義を持っていらっしゃる方って好きですもの……そんな貴女の血が、例え一滴でも愚民の為に流れかねないだなんて、やはり世界を作り変えねばなりませんわ」
「そう思うなら、その危ない魔法止めてくれなぁい? お・ね・が・い」
八人のフィル達に、別々のおねだりポーズを受けるアダマセイン嬢。
だが彼女は、愛らしい懇願を鼻で笑った。
「お断りしますわ。わたくし、自ら作り上げたこの金剛石の魔術で人を切り裂くのが大好きですもの。血を流すならば、せめてわたくしの魔法で流しなさい」
「うへぇ。好きになれそうでなれないタイプだ、こりゃ」
八人のフィル達はそう言うと、唐突に右手に持つ杖を上方へと放り投げた。
天井へと向かう八本の杖は、その途中で姿を消してしまう。
地上に残る八人のフィルは、己の大きな胸の前で両手を重ねていた。
「仕方がないから、私のとっておきを見せてあげる」
「ウフフ。楽しみ」
そう微笑むアダマセイン嬢は、フィル達の次の動きを待ちながら、次に放つ魔法の準備を始めていた。
八人のフィル達もまた、攻撃が飛ばぬ事を知っていたかのように目を閉じ、長く長く息を吐き出していた。
僅かな静寂が、破壊され尽くした舞台の上に生まれる。
その静寂を破るのは、八人のフィルの声。
「闇よ、闇よ、闇よ」
詠唱に合わせ、八人のフィル達の重ねた両手が黒に包まれた。
フィル達は、その黒を伸ばすかのように、ゆっくりと両手を外側へと広げる。
黒一色に満ちた空間を胸の前に生み出しながら、フィルは詠唱を続けた。
「形取り、鋭き、剣と化せ」
フィル達の前に生まれた闇は、言葉に従い蠢き、収束し、細く鋭い刺突剣へと姿を変えた。
八人のフィル達は、十字鍔の側にある護拳付きの柄を右手で握ると、左手を標的へと伸ばし、その左腕に沿うように黒き刺突剣を構えた。
刺突剣の先端をアダマセイン嬢へ向けたまま、動きを止めるフィル達。
だがその一瞬の静は、動へと急変する前兆であった。
八人のフィル達が地を爆ぜさせるかの如き勢いで床を蹴り、前へと加速する。
八人のフィル達が向かうは、オロバスの膜に守られたアダマセイン嬢の元へ。
爆発的な加速で距離を詰めたフィル達は、黒き刺突剣を前へ突き出し、薄紫色をした膜へと剣の切っ先を潜らせた。
だがしかし、膜へと突き刺さった剣は、膜を突き破る寸での所で、その勢いを止めてしまう。
八本の剣の切っ先が集う位置で、アダマセイン嬢が不敵に笑う。
「残念だったわね。≪ダイヤモンドダスト≫は、こういう使い方も出来るの」
アダマセイン嬢が呪文を唱えた瞬間、八人のフィルの足元がキラキラと輝きを放ち始め、そのきらめきが上方へと昇り始めた。
眩き粒子の渦に呑まれ、八人のフィル達の全身が裂け、穴が穿たれる。
輝きが通り過ぎた後には、フィル達の姿はボロの布切れよりも凄惨な姿へと変わり果ててしまっていた。
アダマセイン嬢は、消えゆく八人のフィルを見送り、そしてオロバスの膜に突き刺さったまま残る八本の刺突剣を見て、小さく溜息をついた。
「ふっ……当然ながら、迂闊に近づく訳がありませんわね」
「まぁーねぇー」
ただ一点から聞こえるフィルの声に、アダマセイン嬢は横へと振り向く。
その方向は、決闘を始めた時と同じ方向であった。
二人が視線を交わすのと同時に、舞台上に満ちていた幻惑の霧が晴れた。
晴れる霧に合わせ、杖を持たぬフィルの姿が露わとなる。
「逃げ回るのは止めましたの?」
「いやぁ魔力がきつくてね。でもこれで最後、ありったけだよ。影よ、我が命に従え」
フィルの詠唱に応じ、膜に突き刺さったままの八本の黒き刺突剣が、凝縮された内なる黒を解放した。
膨張した黒は、瞬く間にオロバスの膜全体を包み込む。
黒き球体へと姿を変えた闇は、刺突剣の突きにて削った傷を修復させぬまま、オロバスの膜を破壊せんと内へ、内へと圧力を掛ける。
黒に包まれ、闇に包まれたアダマセイン嬢は、ギシギシと軋むオロバスの膜の中で、独り優雅に微笑んでいた。
「わたくしのオロバスの方が、一枚上手でしたわね」
彼女のその言葉通り、シャドウサーバントの力ではオロバスの膜を破壊する事は出来ない……そんな事ぐらいフィルも知っている。
だが、舞台の光に照らされたフィルの顔には、勝者の笑みが浮かんでいた。
フィルは床の無事な部分をピョン、ピョンと踏みながら黒い球体へ近づき、歪む口元から軽い言葉を闇の中へと送る。
「ざーんねーんでした。だって私のとっておきは、いつだって――」
「俺様なんだぜ」
杖メフィストの声と共に、アダマセイン嬢の上方で何かが砕ける音がした。
その音は、包む闇を通り抜け、上方より勢いよく振り下ろされたメフィストの一撃によって、オロバスの膜が砕けた音であった。
「なっ――≪マジックボディ≫」
咄嗟に放った防御の魔法が、アダマセイン嬢の全身を白く包む。
彼女はそれと同時に、隠し持っていたレリックへ魔力を通し、自分の外皮に沿う風の守りを生み出した。
二重の守りが生み出される間に、彼女を囲む闇は、上方一点を破壊されたオロバスの膜の内側へと浸食し、彼女の周囲を覆い尽くしていた。
全身を闇に包まれたアダマセイン嬢を、内へ、内へと収縮する闇が圧し潰さんとする。
風の守りが抵抗出来たのは、一瞬でしかなかった。
守りを突破した闇がアダマセイン嬢を内へ、内へと攻める、攻める。
「ぐぅ……あぁ……」
そこに悲鳴はなく、全身に走る激痛に歯を食いしばって耐えるくぐもった声が、闇の中から零れるのみであった。
役目を終えたシャドウサーバントが消えた後には、瀟洒なドレスが痛み、先刻まで光り輝いていた女性と同じとは思えぬ程にボロボロになったアダマセイン嬢が立っていた。
辛うじて左腕に竪琴を持つばかりで、輝いていた右手も、周囲を守っていたオロバスの膜も、今は消え失せている。
アダマセイン嬢は倒れる事を拒み、正面に立つフィルを睨む――彼女を待っていたのは、フィルの全力の拳であった。
力の限りを乗せた拳が、防がんとしたアダマセイン嬢の右手ごと彼女の顔面を貫き、そう重くない彼女の体を吹き飛ばした。
破壊され尽くした床へと飛ぶアダマセイン嬢。
彼女は床にドレスを裂かれながらも、両手両足を壊れた床につき、獣の如き姿勢を取ろうとも、倒れる事を拒んだ。
青の視線と銀の視線は、未だに絡み合っている。
そして二人は同時に、ある事に気が付いた。
吹き飛んだアダマセイン嬢が、竪琴を落としている事に。
両者の間に落ちた竪琴へ、二人は示し合わせたかのように左手を伸ばし合い、同時に物質移動の魔法を唱えた。
「≪トランスファー≫」「オロバスを、この手に」
素早く唱えたアダマセイン嬢の元へと向かう竪琴。
だが、フィルの魔法が放たれた瞬間、拮抗することすらなく、竪琴はフィルの手元へと真っ直ぐに飛び、吸い込まれる様に納まった。
竪琴を左腕に抱え立つフィルへ、地に手足を付けたままのアダマセイン嬢が、怒声と共に魔法を唱えた。
「それはわたくしの物よ! ≪ダイヤモンドダスト≫」
「起きて、オロバス」
振るわれた輝く左手。そして響く竪琴の音。
二つの間を走るは、破壊の徒たる輝く粒子の渦。
迫るダイヤモンドダストに対し、フィルは避けようとしない。
舞台の光に照らされた粒子の渦がフィルへと迫り――展開された薄紫色の膜が触れた輝き全てを掻き消していく。
ダイヤモンドダスト全てを消滅させたオロバスの膜は、その健在さを示す様に、傷一つない美しい膜のままフィルを包み込んでいた。
「なぜ……貴女が、オロバスを……オロバスを使えるのよぉぉぉ」
「ねぇ。私ばかり見てていいの?」
フィルのその言葉は、疑問でも、心配でも、そして嘲りでもなかった。
それは、彼女の勝利宣言であった。
フィルの言葉が終わった瞬間、床についたままのアダマセイン嬢の右腕へ、宙を舞う杖メフィストの強烈な一撃が撃ち込まれる。
その一撃は、腕輪にはまる発動体を砕き、そして鈍い音と共にアダマセイン嬢の右腕を砕く。
アダマセイン嬢は悲鳴一つ上げず、奥歯を噛み締めたまま、床へと進む体を左ひじを突き、押し留めた。
痛みで明滅する視界。朦朧とする思考。全身を床へ誘う脱力感。
それでも彼女は顔を上げ、虚ろな銀の瞳をフィルへ向けている。
そして彼女は、震える足で立ち上がると、掠れた声をフィルへと投げ掛けた。
「オロバスは、はぁ、ここにありましてよ……なぜなの?」
その声に答えたのは、まだアダマセイン嬢の側に居たメフィストであった。
「オロバスも分かってんのさ。誰が真の所有者なのかを、な」
「そんな、馬鹿なことが……ハァハァ、ありまして……」
言葉と違い、掠れたアダマセイン嬢の声は、どこか楽し気であった。
彼女は痛みに耐えながら赤い唇に三日月を描き、大きく息を吸うと、今出せる最大の声を出し、フィルへと送った。
「貴女の勝ちですわ……また、遊びましょう……その時は、貴女を――」
言葉を途切れさせ、アダマセイン嬢は意識を手放した。
その瞬間、舞台を覆っていた決闘の障壁が消滅する。
意識を失ったアダマセイン嬢の体は、糸が切れたかのように力が抜け、ぐらりと前へと倒れ込んでしまった。
その先で待っているのは、破壊された床から伸びる、鋭い木片。
倒れる彼女の体に、木片が突き刺さ――ろうとした体をメフィストが支え、意識なきアダマセイン嬢を比較的無事な床へと導いた。
静かに横たわるアダマセイン嬢を見て、フィルは『思ったより嫌いになれない人だな』と、心の中で呟いていた。
相棒たるメフィストにも、伝わらぬように。




