4-17 お仕事前にスコーンを
天使の花冠が本物であると証明された後、フィル、メフィスト、アイヴィの二人と一杖は、アダマセイン嬢達と別れ、劇場ロビー横にある軽食の取れる休憩所を訪れていた。
オークションの為に訪れた者達は、現在劇が行われているメインホール内に居る為か、彼女達の周りに殆ど人の姿はなかった。
居るのは、シックな装いをした給仕のお姉さんだけである。
その給仕のお姉さんは、小さな卓の上にスコーンやミルクティーを並べると「ごゆっくりどうぞ」と去っていった。
残されたフィルとアイヴィは、小さな卓を挟んで座ったまま互いに見つめ合い、自然と大きな溜息を吐いてしまう。
「疲れたぁ~」「疲れた」
倦怠を言葉と共に吐き出した二人は、苦笑いを浮かべたままスコーンを手で横半分に割ると、左手に一片を残し、右手にナイフを持った。
二人は無言のまま、個々に置かれた白いクロテッドクリームと赤いいちごジャムをナイフで取り、左手のスコーンに乗せるように塗り始めた。
フィルはクリームを先に塗り、その上にジャムを。
アイヴィはジャムを先に塗り、その上にクリームを。
互いに流儀は違えど、態々口に出すほど無粋な二人ではない。
二人は、白と赤で彩られたスコーンを同時に口へ運んだ。
下の歯がサクッと外壁を砕き、上の歯がしっとりを通り抜ける。
咀嚼する二人の口内に、三つの味わいが広がっていく。
スコーンの放つバターの風味。クリームの持つ濃厚なコク。そして苺の甘くてほんの少し酸っぱい芳醇さ。
口の中に広がる三重奏に、既にフィルとアイヴィの頬は柔らかに蕩けていた。
だが無言のままスコーンを味わう二人は、そこで止まらない。
二人は素早く右手の装備をナイフからカップへと変え、ミルクティーを口へと運んだ。
少し奪われていた口内の水分が紅茶によって蘇り、味わいがまた一つ重なる。
濃い目の茶葉の香りが鼻を通り抜け、心地良い。
四重の味わいは舌に混乱をもたらす事無く、ただただ美味しいという感情を二人に与え続けていた。
一口目を十分に味わった二人は、同時に喉を上下させ口内を空にすると、穏やかで温かな息を吐き出した。
「嗚呼ぁ、美味しいぃ」
「ええ。スコーンが甘過ぎないのが良いわね」
ほっこりした二人へ、フィルの隣に立てかかった杖メフィストが労う。
「相棒もアイヴィも、お疲れさん」
「私はまだ良いわよ。フィルメイルは……その、大変だったわね」
苦笑いを浮かべたアイヴィの言葉に、二口目に行こうとしていたフィルは左手を理性で止め、アイヴィと同じ表情を作った。
「アダマセインさんね……まぁ、友人から聞いてたよりもヤバい人じゃなくて良かったよぉ……ただ、ただぁ! アイヴィちゃんへのあの言葉だけは、許せん!」
フィルは左手のスコーンを崩さぬよう、右手を握りしめ怒りを演出する。
ひと演技終えたフィルは、先程と同じように左手のスコーンを齧り始めた。
そんな相棒の演技に乗るメフィスト。
「だな。俺様も、いつ一撃喰らわせてやろうか隙を伺ってたんだぜ」
「ありがと、フィルメイル、メフィスト……一撃って冗談よね?」
「相棒に止められなきゃどうしてたかな、ケッケッケッ」
その発言が冗談か否か分からぬアイヴィは、笑うメフィストに対して乾いた笑い声を返す事しか出来ない。
「ははは……助かったわフィルメイル。けど本当に大丈夫よ。彼女に言った通り、ああやって直接言って来るだけマシだから」
「全くもう。そういう事に裏も表も無いよ。こんなに可愛くて良い子になに言ってんだいって話さ。貴族の奴ら、目が腐ってるんじゃない?」
今度の怒りは演技ではなく、フィルの声には怒気が乗っていた。
その怒りを鎮めるように、フィルは割ったもう一片へクリームを乗せ始める。
荒っぽくスコーンを齧るフィルを見て、アイヴィの目尻が柔らかに下がった。
「まぁ魔法の名家ブラッド家にとっては、魔法が使えない事はそれだけ大きなことなのよ……いいえ。よく考えるとそれ、他の奴らには関係ないことよね。ちょっとムカついてきたわ」
「ハハッ。アイヴィ、そういう時は食え食え」
「おっしゃー。一緒にやけ食いじゃぁ」
宣言と共にスコーンとカップを掲げたフィルへ、アイヴィの笑声が飛んだ。
「フフッ、スコーンしかないけどね」
「おねぇーさーん。スコーンと紅茶八セット追加で」
「わぁぁ! 待った待った! 一つで良いのよ。一つで」
「ちぇー」
大量注文しようとするフィルを阻止し、アイヴィもスコーンを食すのに戻る。
互いにもぐもぐしながら、口の空いたタイミングで二人は喋る。
「にしても、セルゲイさんの孫ってのも大変だねぇ」
「そうでもないわよ。お爺様の遺産なんてそこらに転がってるものじゃないから。今回みたいなのが特別」
フィルは、アイヴィの言葉をスコーンと共に咀嚼し……疑問が浮かんだ。
セルゲイ・ブラッドの残した魔法の道具は、全部で何個あるのだろうかと。
フィルが知っているのは、アッシュ・グラントの持つ『大天使の剣』と『智天使の眼』そして今回オークションに出品される『天使の花冠』だけである。
だが、今聞く事ではないと、疑問をスコーンと共に飲み込んだ。
「へー。あの天使の花冠も、本当はアイヴィちゃんが受け継ぐ物だったんでしょ。さくっと奪い返しちゃう?」
「別にいいわよ……」
フィルの冗談に返って来たのは、アイヴィの浮かない表情であった。
笑うか怒ると思っていたフィルは『おや?』っと首を右に左にと傾げてしまう。
そんなフィルの子供っぽい動きに、アイヴィは小さく息を吐き出すと、浮かない表情の理由を口にした。
「実は天使の花冠はね……お爺様が残した遺産じゃなくて、元々私の物なの。お爺様が一つだけ私の為に作ってくれたレリックなんだ」
「おいおい。なら尚更取り戻そうぜ」
「フッフッフッ、さてどう盗んでやろうか……腕が鳴るねぇ」
ニヤリと笑いながら腕まくりしだしたフィルに対し、アイヴィの視線は穏やかなものであった。
「だから別にいいって……私が持ってても役に立つ物じゃないし、それに……」
「それに?」
「あんまり良い思い出がある訳じゃないんだ」
「そっか。やっぱメフィストフェレス怪盗団は、結成ならずかぁ……」
フィルは、己が落胆の声をスコーンで塞ぐ。
その謎の言葉を聞き、疑念に満ちたアイヴィの目がメフィストへと向く。
「なにそれ? メフィストフェレス怪盗団?」
「ああ。闇夜を駆ける義賊だぜ。ケッケッケッ」
ただの冗談だと気付いたアイヴィは、ジャムの代わりにハチミツをとろりとかけたスコーンを頬張った。
こっちも良いものだと雄弁に顔を綻ばせるアイヴィに向け、フィルが親指をグッと立てた。どうやらフィルも同じ味変をしていたらしい。
「……うん、美味い。にしてもなぁ、私がお金持ちなら、アイヴィちゃんの為に競り落としてあげるのになぁ」
「お金が幾らあっても足りないわよ。私達が働いて稼ぐお金とは桁が違うから」
「うげぇ……仕方ない。アイヴィちゃんの為にお金使うのは、ここの支払いだけにしとくか」
「そっちの方が嬉しいわ。仕事あんまりなくて結構カツカツなの」
少しだけ軽く砕けた口調のアイヴィに、フィルとメフィストの笑声が響く。
「ケッケッケッ。狩人も大変だな。まっ、相棒も食費でカツカツだけどな」
「もぅ~。それなりにちゃーんと稼いでるってば。メフィちゃんの冗談だからね……冗談だからね」
「二回言わなくても分かってるって」
アイヴィが優しい溜息を吐いていると、給仕のお姉さんがトレイと共に現れた。
「お待たせいたしました」
「おっ、来た来た」
「一セットずつ……よね?」
クスッと笑う給仕のお姉さんが、スコーン、追加のジャムとクリーム、そして紅茶と、次々並べた。
より鮮やかになった卓に目を輝かせながら、お姉さんへ礼を言う二人と一杖。
フィルとアイヴィは、待っていられぬと温かなスコーンを手で割り、クロテッドクリームと新しく置かれたブルーベリージャムをナイフで乗せた。
それを一口食み、すかさずストレートな紅茶を口に含む。
先程までとはまた違った四重奏に、二人の口から甘い声が漏れた。
好きに味を変えられるのも、スコーンの魅力である。
「さっきよりもサッパリしてていいわ……こういう時間も必要よね」
「だねー。うまうま。これが仕事を頑張るエネルギーになるのさ」
「そういえばフィルメイルは仕事だったわね。これから?」
フィルはコクコクと頷き、扉の閉まったメインホールを指差した。
「そう。オークション中はずっと中でカーリア夫妻の護衛。平穏無事に終わって欲しいんだけどねぇ……さっきグラントさんがコレクターズ・ドーンが動いてるって言ってたから、一波乱ありそうなんだぁ。はぁ、やだやだ」
わざとらしく肩を竦めるフィルと、嫌な名前を聞き顔をひそめるアイヴィ。
嫌悪を表すのは顔だけでなく、アイヴィの声にも険が含まれていた。
「うげっ。アッシュ・グラントも来てるだなんて……あいつ、いったいどうやって特区に入ったのよ」
「どうせ貴族の誰かにでも鼻薬嗅がせたんだろ。あの片眼鏡め」
「普通にニュクス・ケープで隠れながら、歩いて入ったんじゃなぁい? あれなら侵入も楽ちん楽ちん」
お気楽なフィルの言葉に、アイヴィは食べる手を止め、周囲を見回し始めた。
だが当然の如く、辺りにいるのはシックな服装の給仕のお姉さんだけである。
「もしかして、今もこの辺に隠れて鍵を狙ってたりして」
「いないから大丈夫大丈夫。というか、少なくともアイヴィちゃんは狙われないっしょ。あの時、アイヴィちゃんに手は出さないって約束してもらったし」
呑気にスコーンを齧るフィルに、アイヴィからジトリとした視線が伸びた。
それはアイヴィだけではなく、相棒たるメフィストからも声が飛ぶ。
「おいおい甘いぜ相棒。あいつが悪党組織の一員ってのを忘れんなよ」
「そうよ。あいつが約束守るような奴なら、初めから人を襲ってレリックを奪うだなんて外道しないのよ」
「アハハ、二人ともグラントさんに厳しいねぇ。今日会った感じ問題ないと思うけどなぁ。まっ、一応警戒だけはしときますか」
本当に大丈夫なのか疑うアイヴィの視線に、フィルは一つ微笑み返すと、次のスコーンに手を伸ばした。
温かなスコーンにクリームをたっぷりと乗せながら、フィルは考える。
アッシュ・グラントはいったい何処へ行ったのだろうか?
そして、ここで何をするつもりなのだろうか? と。
だがフィルは、一欠けらすら心配していなかった。
それはアッシュ・グラントを信用しているからではなく、大丈夫だと感じた自分の直感を信じているからであった。




