4-13 海老とソロモンシリーズと
フィルは今、とある食事処の個室にいた。
側で卓に立てかかるメフィスト。卓を挟んだ正面にはコルレオーネ。
そして給仕の男が一人。
「お待たせいたしました。サマル海で採れた海老の塩ゆで、夏風を添えて、で御座います」
「おぉ、美味しそう」
メインの料理の紹介だけを済ませた給仕の男は、料理に目を輝かせるフィルに微笑むと「失礼致します」と、個室を後にした。
軽く手を振り返しながらも、フィルの目は料理にくぎ付けである。
フィルの前に置かれたのは、皿にドンッと乗った真っ赤な海老であった。
身を曲げながらも、大きな海老は堂々と皿の端から端までを埋め尽くしている。
その赤の側に置かれた緑色の野菜と皿の外曲線に沿わせた黄色のソースは、完全に脇役と化していた。
隣の小皿に置かれた白パンに至っては、目にも入っていない。
『『夏風を添えて?』』
フィルとメフィストの頭に疑問符が湧くが、フィルは『まぁ美味しそうだし良いか』と、ナイフとフォークを装備した。
「いただきまーす……うーん。これ食べ方が分からない奴だねぇ」
「戦勝祝いだ! 礼儀など不要!」
皿からコルレオーネへ視線を向けたフィルは、素手で大きな海老の頭と胴をバリッと分ける淑女の姿を目撃してしまった。
あれが高貴なる者の食べ方……ではない事ぐらい、フィルにも分かる。
フィルは「あはは……」と乾いた笑い声を出しながら海老を観察し、ナイフで海老を解体し始めた。
解体作業を続けながら、フィルは同時に口を動かす。
「戦勝祝いと言っても、結局怪盗には逃げられちゃったけどね。全く特務隊の人も不甲斐ない不甲斐ない」
「ハハッ! リーブラが来ずとも、奴が逃げおおせていた事には変わりないがな」
「まぁねぇ。でもあの娘、自爆しないでふつーに逃げたっぽいよ」
「怪盗め、やるではないか! 次は一対一で戦いたいものだな。ハッハッハッ!」
快活に笑いながら、豪快に手で殻を剥くコルレオーネ。
対しフィルは、海老の腹へナイフを通し、器用に殻を剥いていく。
『生まれ的に逆じゃないかなぁ』と思いながらも、フィルは食欲と赤の誘惑に耐え切れず、剥いた身を一口大に切り、それをそのまま口へと運んだ。
プリッとした身を噛んだ瞬間、海老が生き返った――かに思えるほどに、フィルの口の中で海老が跳ねたのだ。
同時に、海老の海々しい旨味がフィルの口内へ広がっていく。
軽い塩味に下支えされた濃厚な味わいに、フィルの頬が落ちんばかりに緩む。
味を一つも逃さぬよう一噛み一噛みを楽しみながら、自然とフィルは脳内会話でメフィストに言葉を放り投げていた。
『なにこれなにこれ。美味しいんだけど。凄い美味しいんだけどぉ!』
『ゆっくりな、相棒』
『うん!』
そして口が空っぽになった瞬間、フィルが雄叫びを上げた。
「うぅーまぁーいぃーぞぉぉぉぉ!!!!」
「うむ! 口に合ってなによりだ……んー、相変わらずここの飯は美味い。フィル君も存分に食べてくれ」
「おーい、コル。そんなこと言ったら相棒マジで腹いっぱい食うぜ。金が幾らあっても足りねぇぞ」
「……もぐもぐ……もうメフィちゃん。こういうお店でお腹いっぱい食べるほど、わたし常識知らずじゃないよーだ」
フォークとナイフを持ち上げ、隣のメフィストに抗議するフィル。
子供っぽいその仕草に、コルレオーネの鋭い顔が綻んだ。
「ハハハ! いくらでも追加注文したまえ。ここの支払いは支配人持ちだ」
「うぅ……余計に注文し辛くなった……」
「感謝の印なんだ。受け取るのが礼と言うものだぞ、フィル君」
「これだけでも充分過ぎるけどね。ソース付っけてっと」
黄色のソースが絡んだ海老の身が、フィルの大口へと運ばれる。
すると、フィルの鼻を柑橘の涼やかな香りが駆け抜けた。
『おぉ! メフィちゃん。ここに夏が隠れてたよ』
『よく分かんねぇな、それ。夏風を添えて、か?』
『YES』
海老の濃い旨味と柑橘のさっぱり感に、フィルの顎が加速し、跳ねる。
幸せの顔をしたフィルへ、合間を計りコルレオーネが語り掛けた。
「礼といえば、トルテ嬢からも礼の言葉があったと聞いたな」
「……甘くて旨くてさっぱりぃ……ふぅ。無事でなによりってことで」
「然り! それもこれも君が怪盗の変装を見抜いたお陰だ。流石だぞフィル君」
「えへへ。まぁねぇ」
鼻を高くするフィルへ、コルレオーネは聞き忘れていた事を尋ねた。
「そういえば、そこをまだ聞いていなかったな。フィル君。君はどうやってトルテ嬢が怪盗だと見抜いたのだ? あの変装、顔見知りである私ですら気付かぬ程の出来だったぞ」
「……うまうま……その事ね。ぱっと見は気付かなかったんだけどさ、よく見るとね……あれ、そもそも人間ですらなかったんだよ。ビックリした?」
怪盗が人間ではなかったという発言に、コルレオーネは得心がいったとばかりに大きく頷く。
「なる程! だから殴った時の感触が可笑しかったのか」
「そんな判別法、コルちゃんにしか出来ないよぉ。そうだなぁ……あれを表現するなら青い魔素の塊? って感じかなぁ。そんなのが人の振りして歩いてるんだよ。めちゃ怪しいっしょ」
「怪しいな! 実に怪しい! 私なら出会い頭に殴り飛ばしていたぞ」
「もしご本人なら大惨事だよ! まぁ別にいいけどさ」
「いやよくねぇだろ」
メフィストの常識的な言葉も「ハハハハ」と笑い食事を続ける二人には無意味なものであった。
二人は、食事を邪魔せぬ程度に会話を続ける。
「魔素の塊か……それならば、トルテ嬢を狙った理由も頷ける」
「へぇ、偶々じゃねぇのか」
「ああ。恐らく検問を抜ける為に『モンタナの薔薇』を利用したのだろう。あれは最上級の魔鉱石でな。あれが側にあれば、本人の異常どころか多少のレリックすら誤魔化し持ち込める」
「ほえー。怪盗さんも考えてるんだねぇ」
気の無い合いの手を入れながら、ウキウキと海老をソースにつけるフィル。
対しコルレオーネは、海老を喰らう手を止めていた。
「しかし困ったものだ。怪盗が人でないのなら何か対策を考えねばな」
「そもそも本人が表に出てこないとさ、捕まえても今日みたいに追っ払えるだけなんだよねぇ。凄いと言うべきか、卑怯と言うべきか、賢いと言うべきか」
「ふむ。突破口はないものか……」
小さく首を傾げながら顎を動かすコルレオーネへ、メフィストから残念なお知らせが届いた。
「あいつがアホやらない限り、ないな。あれの持続距離は測れねぇほど長いぜ」
「メフィちゃん。それ言っちゃっていいの?」
側にいるメフィストを見つめながら、フィルがそう短く尋ねた。
心配そうなその声に、機嫌よい声が返る。
「偽物か本物か分かんなかったから黙ってたけどよ、本物って分かったんだからコルにも話しておこうぜ。ただ、他言無用で頼むぜ、コル」
「誓おう! この血に懸けて!」
食事を止め、己が右拳を胸元へ掲げるコルレオーネ。
意気心地良い彼女と違い、フィルは緩んだ口からゆったりした声を零した。
「そこまでしなくてもいいよー。誓いなんてなくてもコルちゃんなら大丈夫。問題なーし、って事でしょ? メフィちゃん」
「おうよ。元から信じてなきゃ話さねぇよ」
「そうか……ありがとう! そう言っておこう!」
満面の笑みを浮かべたコルレオーネへ、フィルは親指を立てグッドなスマイルを返した。杖であるメフィストの姿は変わらぬが、その内心はフィルが代わりに表現をしている。のだろう。
「てな訳で、メフィちゃん説明よろー」
「相棒は食うのに集中してぇだけだろ」
「えへへ。まぁね」
ようやく白パンの存在に気付いたフィルがパンでその口を塞ぐ中、メフィストによる説明が始まった。
「さてと、どこから説明したもんかな――「全部だ!」――了解だぜコル。怪盗の嬢ちゃんが使っていたレリックの名は、ヴァラファール。お前達が言う所の前人類の遺物。その中でもあいつが……人類が魔物に対抗する為に魔導王ソロモンが作り上げた、毒たる魔素を利用し力に変える道具。ソロモンシリーズの一つだ」
「シリーズ? 他にもあるのか?」
「ああ。冗談みてぇな物から使うべきじゃないやべぇ物までな。魔素を利用する技術はそこから生まれたから、ソロモンシリーズが今の魔法の道具の雛型なんだぜ」
非現実的にも思える未知の情報に、コルレオーネは驚きを隠せない。
彼女は何かを考えるように海老を口へ運び、浮かぶ多くの疑問を海老と共に飲み込んだ。
「そんな大層な物を、何故一介の怪盗が?」
「さぁな。案外探せばそこら辺で見つかるかもな。今のレリックと違ってじゃじゃ馬で使い勝手悪いから、知らずにほっぽり出されてるかもしれねぇよ」
「使えん! とな」
そう言い、クワッと目を見開いたコルレオーネ。
そんな彼女を正面に捉えてしまったフィルは、パッと口を押え、無言で肩を上下させ始めた。口の中のものが出ぬよう必死である。
代わりに、食事中でないメフィストが笑い出した。
「ケッケッケッ。使いこなせれば強力なレリックなのにな。怪盗の嬢ちゃんもそれなりにヴァラファールを使ってたけどさ、本来の力はあんなもんじゃないんだぜ。ヴァラファールの基本的な機能は『分身体の生成と操作』そして『解析』だ。驚異的な身体能力と触れた物への変化は、ただのオマケだな。とはいえ巨人ぐらいなら素手でボコれちまうんだけど」
昨日相棒から話を聞いていたフィルは、気にせずパンを頬張っている。
一方、コルレオーネはその説明を受け、口角をニュッと上向かせていた。
「ほぅ。それは手合わせが楽しみだな」
「ハハッ。痛みを知らぬバケモンと戦うんだ。そん時が来たら、相棒にこれでもかってくらい強化魔法を掛けて貰ってから、やるのをお勧めするぜ」
メフィストの助言に、もぐもぐ中のフィルが『任せて』と言わんばかりに再び親指を立てた。コルレオーネも、すかさず同じサインを送り返す。
メフィストは二人を眺め、機嫌よさげに話を続けた。
「仲良くて結構だぜ、ケッケッケッ。まっ、怪盗の嬢ちゃんが使いこなせる様になるかは知らねぇけどな。しっかし今の所有者がああいう奴で良かったぜ」
「能力か? 性格か?」
「性格だ。今の所有者がああいう奴だったのは運がよかったとしか言えねぇ。ヴァラファールは使い方によってはやべぇ代物だからな。出所を追えぬ隠密性。分身体の驚異的な身体能力。本物見紛う変化。破壊に諜報暗殺にと何でもござれだぜ」
相棒の語る怪しい内容と反し、フィルは呑気に海老のミソをパンに塗る。
コルレオーネはそんなフィルを楽し気に眺め、悪戯そうに口を歪めた。
「そうだな。フィル君の姿に化け、白昼堂々裸踊り一つするだけで、一瞬にして社会的に抹殺出来てしまう。全く、恐ろしいレリックだ。もし野心ある者や国が所有していたなら……うむ! ろくでもない!」
「……なんで私なのさ? まぁそれはそれとして、確かにね。都市伝説のアサシンギルドなんかが持ってたら、今頃この世界は闇の勢力に影から支配されてたよぉ。おぉ怖い怖い」
フィルは冗談めかしてそう言ったが、コルレオーネには、それがとても現実味のある話に思えた。
別に世界を支配する者は、真偽不明な『アサシンギルド』でなくとも良いのだ。
ヴァラファールがあれば、誰でもよく、誰にでも出来るのだから。
命も情報も金も握られ、逆らえる者などそうはいない。
そこには高貴なる血も関係ない。
「ふむ……魔導王ソロモンは、何故そんなものを作ったのだ?」
「元々はそんな使い方をする為のもんじゃねぇのさ。本来、魔素と魔物に満ちた地上を、地下から安全に偵察、探索する為のものなんだよ」
「なるほどな! 結局の所、使い手次第か……うむぅ」
食事の止まった友へ向け、フィルが柔らかな笑みを向けていた。
眉間に皺を作る友へ掛けるフィルの声は、明るく軽やかであった。
「アハハ。そんなもんだよコルちゃん。コルちゃんが持てば正義の力、私が持てば悪の手先。赤子が持てばヨッワヨワ、私が持てばサイキョーパワー、ってね」
「ハハハ! 君が悪に使うと? 笑わせる!」
「使うよぉ。覗きや悪戯に使っちゃうよぉ……まぁ冗談は兎も角、残した物が好き勝手使われて、平和の為に作ったソロモンさんがちょっと可哀そうだねぇ」
「どう、だろうな……」
含みのあるメフィストの声に、フィルは小首を傾げながら最後の海老を口へと放り込んだ。
噛み進めたフィルは、最後のひと口まで飽きない濃厚さに感謝しつつ、咀嚼した海老を愛おしそうに飲み込んだ。
「大変美味しゅう御座いました。ごちそうさまぁ」
「ハッハッハッ! まだ早いぞフィル君」
「ほよ?」
フィルのお道化た疑問符に合わせるように扉が三度叩かれ、先程も来た給仕の男性が現れた。
そして彼は、フィル達の前に小さな皿を置く。
フィルの目は既に、白い皿の上に乗った丸い容器の、その上面にて照るカラメルの焦げに吸い込まれていた。
「クリームブリュレで御座います」
「おぉぉぉぉ」
「ごゆっくりどうぞ」
美しく一礼する給仕の男性の事など、もうフィルの眼中にはない。
既にスプーン持つフィルの脳内は、怪盗の事やヴァラファールの事を蹴り飛ばした濃厚カスタード一色に埋め尽くされていた。
パリッと割れるカラメル層。銀の匙の上で揺れるカスタード。
個室に響くフィルの甘い声に、味の感想など必要なかった。




