4-1 大切な思い出
フィルがアイヴィと出会う十三年ほど前の話。
フィルメイル・クリスタという少女が喋る不思議な杖と出会ったのは、フィルがまだ幼い四つの頃であった。
ここは王国の南方にある小さな村。村の外れにある一軒の家。
普段と変わらぬ、とある昼下がりの事。
村に友人などおらず、話し相手は祖母だけであったフィルは、いつも通り家に籠り。半分しか読めない本を読んでいた。
そんな彼女の耳に、突然、少年のような高い声が届いたのだ。
それは、祖母の声とも違い、そして村にいる他の者とも違う声であった。
フィルがキョロキョロと見回しても、そこにはフワフワと浮かぶ不定形の青いものや、戸から窓へと流れる緑色のにょろにょろしたものしか見えない。
半透明なそれらは、フィルにとっては別段珍しいものではなかった。
「だーれぇ?」
謎の声にそう問いかけてみるも、フィルの声に反応はない。
だが、暫くすると、また少年の声が聞こえてくる。
「空気の入れ替えぐらいして欲しいもんだぜ……あー婆ちゃん早くこねぇかなぁ」
その声を頼りに、フィルは部屋を飛び出した。
そして聞こえる声に誘われるまま廊下をペタペタと歩き、フィルは倉庫代わりに使っている部屋までやってきた。
フィルは、この部屋があまり好きではなかった。
暗く、埃っぽく、そして何より黒いうにょうにょが他の部屋よりも多い部屋。
出来れば近寄りたくないのは、当然の事である。
だが、恐怖よりも好奇心が勝っていたフィルは、ドアノブをよいしょと掴み、少女にとっては重い扉を開けた。
「だーれぇ?」
フィルを歓迎する様に蠢く黒いうにょうにょを避けながら、フィルは倉庫の中へと足を踏み入れ、周囲を見回した……だが、当然ながら誰もいない。
ガックシと肩を落とす彼女の耳に、再び声が届いた。
「誰も居ねぇよ。嬢ちゃん。物音聞いて来たんなら、さっき窓のとこに居た猫の仕業だぜ、て聞こえてる訳ねぇ――」
「ねこ! そと!」
窓際へと駆け出し、小さな体で木箱によっこいしょと登ったフィルは、外で日向ぼっこをする黒猫を発見した。
目を輝かせ、その愛らしさを堪能するフィル。
暫し猫を眺めたフィルは、うんしょっと木箱から降りると、どこに居るかもわからない謎の声の主に、ペコリと頭を下げた。
「おしえてくれて、ありがとう」
「どういたしまして……え? やっぱ聞こえてるよな? 俺様の声」
「うん。でも、だぁれ?」
声はすれど姿は見えぬ。
フィルは何となく聞こえるの方角へ移動し、棚に無造作に置いてあった木製人形を手に取った。
「こんにちは」
「違う違う。横だ、横。俺様は杖だよ杖」
人形を元の位置に戻したフィルの青い瞳に、立てかけられた一本の杖が映った。
大人程に大きな木製の杖を見上げると、フィルはむんずっと掴んだ。
「こんにちは。わたしフィルメイル」
「知ってるぜ。何度も見てるからな。婆ちゃんの孫だろ?」
「うん。おばあちゃんのまごー……わぁぁ、おはなしするつえさんだぁ!」
青い目をキラキラと輝かせながら杖を持ち上げようするフィルであったが、小さな体に長い杖は重く、バランスを崩し、倒れそうになってしまう。
持つと危ないと思ったフィルは、長い杖をギュッと抱きしめた。
「すごい。おはなしするつえさん」
「おうよ。世界一硬い喋る杖とはこの俺様、メフィストフェレス様の事よ」
「メフィシュトフェレシュ……メフィシュ……メフィちゃん!」
「まっ、好きに呼びな、嬢ちゃん」
「わぁぁぁ、メフィちゃんだ、メフィちゃんだぁ」
フィルは喜んだ。近くに見える黒いうにょうにょの事を忘れる程に喜んだ。
フィルはメフィストを抱き締めたまま、小さい体をブンブンと振る。
喋る杖。
それは、少女が読めぬ本の中で見たどんな道具の絵よりも、どんな武器の絵よりも、どんな動物達の絵よりも……どんなものよりも素晴らしいものであった。
故に少女は、この素晴らしいものを誰かに知らせないとと思った。
思ってしまった。
だが祖母は今、外で畑仕事中であり、フィルはお仕事の邪魔をするべきではないと考えた。そしてフィルは、一つの答えを思いつく。
フィルは、倉庫を飛び出し、家を飛び出し、外へと向かった。
「いってきまーす」
「フィルー。あんまり遠くに行くんじゃないよー」
「はーい」
遠くから聞こえる祖母の声に返事をし、フィルは走る。長い杖を抱えて走る。
皆に教えようと。
教えてあげようと。
そう。フィルは淡い期待を抱いてしまったのだ。
だが、当然のようにフィルに待ち受けていたのは、冷たい現実であった。
喋る杖を皆に紹介したフィルへ向けられたのは、子供らしい残酷な視線であったのだ。
「なんだよ。しゃべんねぇーじゃねーか。うそつき」
「ばっかみたい。聞いて損したぁ」
「そんな嘘ばっかりついてるから、親にも捨てられるんだよ」
同い年の少年も、二つ上の少女も、一つ上の少年も、そして周りにいる子供たちも、誰も少女の言葉を信じはしなかった。
その理由を、フィルに抱えられたままの杖メフィストが告げる。
「やっぱ俺様の声が聞こえんのは、嬢ちゃんだけっぽいな」
「そんなー」
杖を抱えたまま肩を落とすフィルを、少年少女達が囃し立てる。
「なにが『そんなー』だよ。うそつき。もっとましな嘘つけよな。それ、うーそつき、うーそつき」
「「うーそつき、うーそつき」」
一つ上の少年、村長の息子の音頭に合わせ、周りの少年少女達が一斉に声を上げ始めた。嘘つき、嘘つき、と。
重なる合唱に、周囲の大人たちは何もしない。
少年少女達を止めるどころか、クスクスと笑い始める始末。
止まぬ声に、フィルはメフィストを抱きしめたまま俯いてしまう。
「なんだこの餓鬼ども……帰ろうぜ、嬢ちゃん」
「……うん」
フィルのか細き声は、少年少女達の声にまぎれ、かき消されてしまう。
俯いたまま動かぬフィルに、少年少女達の悪態は続く。
「母ちゃんも言ってたぜ。うそつきと喋るとうそが移るってさ」
「ならこの子のお婆ちゃんも嘘吐きってことよ――」
「ちがう!」
少女の声を遮り、フィルが叫んだ。
フィルは丸っこい顔を上げ、真っ直ぐに少女を睨みつけていた。
「ちがうもん。わたしもおばあちゃんもうそつきじゃないもん。うにょうにょもいるし、ふわふわもいるし、ぽわぽわもいるもん。メフィちゃんだっておはなししてくれるんだもん」
フィルの叫びもむなしく、少年少女達は嘲笑うだけであった。
フィルの前へ来てニタニタと笑った村長の息子が、罵声を浴びせかけた。
「うそつきがそういうってことは、ぜーんぶうそじゃねーか。そんなのどこにもいねーじゃん。ほら、おもしろいうそのひとつでもついてみろよ」
「……もういい」
そう一言だけ返し、フィルは自分に罵声を浴びせる少年少女達に背を向けた。
だが、村長の息子がメフィストを掴み、放さない。
「はなして!」
「おまえがしゃべらせられないってなら、おれたちがしゃべらせてやるよ」
そう言って村長の息子は、力尽くでフィルからメフィストを奪い取った。
「かえして!」と手を伸ばすフィルを、少年と少女が掴み、阻む。
新しいおもちゃを手にした村長の息子は、少々重そうに杖を振り回し始めた。
「こいつもさ。バキッっておっちゃえば『いたいよー』とか『おらないでー』っていってくれるとおもうんだぁ」
「やめて! メフィちゃんをいじめないで!」
メフィストへ手を伸ばしながら必死に逃れようとするも、フィルを掴む少年と少女はフィルよりも大きく、その手から抜け出すことが出来ない。
だが、村長の息子に振り回されているメフィストは笑っていた。
「ケッケッケッ、安心しな嬢ちゃん。おいクソガキ。俺様を折れるもんなら折ってみな。出来るもんならなぁ」
そんな威勢のいいメフィストの声は、フィルにしか届かない。
メフィストが『安心しな』と言った所で、フィルが安心出来る訳もなかった。
抵抗を続けるフィルを尻目に、子供達は長い杖であるメフィストを攻め始めた。
だが、メフィストが自称するように世界一硬い杖メフィストを、子供達が傷つけることなど出来る訳がなかった。
地面に叩きつければ手が痛み。踏みつければ足が痛い。
ひっぱっても、曲げようとしても、石で叩いても、水たまりに放り込んでも、メフィストが傷つくことはなかった。傷だけでなく、汚れ一つ付いていない。
ただの木製の杖にしか見えぬのに、全く折れる気配がない。そんな杖を前に、子供達は肩で息をするばかりである。
その間も「だめー! やめてよ」と叫び抵抗するフィルであったが、子供にとっての一、二年の年の差は、覆しようのない力の差であった。
とうとうしびれを切らした村長の息子が、右手を前に出し手の平を空へ向け、呟いた。
「もうしらねぇ。こんなぼう、もやしてやる。≪ファイヤー≫」
村長の息子が首に下げる発動体が赤く光り、その右手に赤い炎を生む。
勝手に魔法を使う事を禁じられている事を知っている他の子供達は「ダメだってタック」「それはまずいよ」と、次々と制止の声を掛けた。
だが当の村長の息子は、メフィストを睨みつけ、地面に投げ捨てられたままのメフィストへと一歩、一歩と近づいて行く。
声をあげるだけの子供達。動きもしない大人たち。
独り駆けだしたのは、緩んだ拘束を振り払ったフィルであった。
フィルの小さな体が、村長の息子へとぶつかる。
衝撃で転ぶ、フィルと村長の息子。
フィルは転んだ痛みに耐えながら、地面に転がったままのメフィストへと覆いかぶさった。
「メフィちゃんをいじめるな!」
四歳の子供であるフィルがどれだけ覆おうとも、長い杖であるメフィストを覆い隠すことなんて出来ない。
だがフィルは、必死でメフィストを庇い続ける。
起き上がった村長の息子が、右手に炎を浮かべたまま、フィルへと近づく。
「どけよ、うそつき。おまえごともやしてやるぞ」
「どかない! みんなきらい! だいっきらい!」
フィルは恐怖に体を震わせながらも、メフィストの上から動かない。
フィルを見下ろす村長の息子は――「チッ」と舌打ちし、右手の炎を消した。
「つまんね。あっちいってあそぼうぜ」
「お、おう」
立ち去る村長の息子を先頭に、子供達が立ち去っていく。
子供達が立ち去っても、暫くの間フィルが動くことはなかった。
「おい嬢ちゃん。あいつ等もう居ねえぞ」
「う……うう」
フィルはゆっくりと体を起こし、周囲に子供達が居ない事を確認し、地面に横たわるメフィストを頑張って抱え、立ち上がった。
その顔は、くしゃくしゃとなっており、大きな青い瞳からは涙がボロボロと零れ落ちていた。
「泣くなよ、嬢ちゃん。ああいうクソガキは何処にでも居んだよ」
「うっ、ううう……ちがうの……メフィちゃん。ごめんなさい」
「あ? 嬢ちゃんが謝ることねぇよ。悪いのはあのクソガキどもだぜ」
フィルはメフィストをギュッと抱き締めながら、首を横に振った。
流れる涙が、メフィストに触れる。
フィルの口から嗚咽と共に零れる声に、メフィストは黙って耳を傾けた。
「わたし、わたし、メフィちゃんをみせたら、みんなにすごいっていってもらえるって……もううそつきだっていわれないって……ごめんなさい。ごめんなさい」
「はぁ……ようするに、俺様のことを人気取りに利用しようとしたって訳だな」
メフィストの指摘に、フィルは顔を涙で濡らしながらコクリと頷いた。
そんなフィルに対し、抱きかかえられたままのメフィストは、長い間、本当に長い間動かしていなかった体を動かし、フィルの頭にコツンと優しく体をぶつけた。
それが何を意味するのか、フィルにはすぐに分かった。
殴られたのだと。
流れる涙が、より多く流れ出る。
「わぁ~ん。メフィちゃんがぶった~」
「おう、ぶったぜ。けど、これでちゃらにしてやるよ」
ぐすんと鼻をすすりながら、フィルは分かんないと首を横に振る。
「利用したのは許してやるって言ってんのさ。そしたら何が残る?」
「ぐすっ……のこ、るぅ?」
「ああ。残んのはお前が俺様を守ろうとしてくれた事実さ。クソガキ共が何人いようが、魔法使った馬鹿相手だろうが、頑張って俺様を助けたお前さ。あいつに喰らわせた体当たり、中々格好良かったぜ、フィルメイル」
メフィストの声を聞いても、フィルは泣き止まない。
だがフィルは、ぐすぐすと鼻を鳴らしながらも、メフィストをより強く抱きしめていた。
「……わかんない……フィル。フィルがいい……」
「おうよ、フィル。ほら、帰ろうぜ。あのクソガキ共のこと、婆ちゃんにチクっちまいな。フィルの婆ちゃんは、俺様の声が聞こえなくても偶に拭きに来てくれる良い婆ちゃんだからな。きっと力になってくれっさ」
「うん。メフィちゃん」
泣いた顔は変わらぬままだが、フィルは頷き、歩き出した。
フィルはその時、初めて『喋る杖』ではなく『メフィスト』という存在に出会った気がした。
初めて出来た、大切な友人に。




