3-9 彼女と彼女の日常
倒れた男の側で、フィルとベルが神妙な顔つきで、お互い見つめ合っていた。
「ベル先生……彼の容体は?」
重々しいフィルの言葉に、ベルは首を横に振った。
わざとらしく『まさか……そんなぁ』と顔を手で覆い隠し、俯くフィル。
フィルが指の隙間からチラリと見下ろす男の顔は、殴られた傷跡一つなく綺麗なものであった。
「残念ですが……峠は越えたよ。見て分かる通りね。アハハハッ。相変わらずフィルは良い薬を持ってるねぇ」
「魔女の秘薬さね。しっかしベルが居てくれてほんと……いや、ほんっっっとうに助かったよぉ。危うく友人を殺人犯にするところだった」
「ハッハッハッ! フィル君もベル君も大袈裟だな。手加減して殴ったのだから、もとから死にはしないさ。私の部下は、誰一人としてあの程度では死なんよ」
高圧的にも見える鋭い顔を楽し気に崩しながら、コルレオーネが笑う。
さしものフィルも、彼女への冷たい視線を隠しきれなかった。
「コルちゃんに付き合える警ら隊の皆さんが凄いだけだからね、それ……はぁ、今日は私が相手するから、とりあえず他の人に手を出しちゃ駄目だよ」
「了解だ! 思う存分仕合おうぞ!」
「おぉ麗しきかな自己犠牲の精神……あっフィル、友達価格なんてないからね」
「ぶーぶー。二ヶ所につき一ヶ所無料ぐらいしてよー」
「駄目ぇー。お金の世界は厳しいのだよ」
フィル、コルレオーネ、ベルの三人は、粗雑な担架で運ばれる男を見送り、次の戦いへの準備を始めた。
鞄を体に引っ掛けて飛ぶメフィストと共に、二人の側から離れるベル。
軽く飛び跳ねながら体を慣らすコルレオーネ。
そしてフィルは、目を閉じ、深呼吸をしながら魔法の準備をしていた。
「この魔法、得意じゃないんだよなぁ……光よ、魔力よ、広がり、この身に宿れ」
呪文と共にフィルの右腕の腕輪が赤く輝き、そしてフィルの全身が白く輝き始めた。その光が収縮するように弱まり、フィルの体の中へと消えていく。
フィルの魔法を見ていたベルが、拍手をしながら口を開いた。
「おぉぉ、光魔法の『マジックボディ』だね。防御よりの身体強化魔法」
「YESだよ、ベル。ってベルに掛けて貰えば良かった」
「金取るよぉ~。めちゃ取るよぉ~」
「Oh……」
離れた位置で守銭奴の顔をするベルへ、フィルは苦笑いを作り「自分でやって良かった」とボソリと呟く。
正面に視線を戻したフィルを、やる気――いや殺る気に満ちたコルレオーネの笑みが待ち構えていた。
「準備は出来たな! フィル君!」
「死なないための準備がね……ふぅ。じゃっ、やろっか、コルちゃん」
「応さ!」
徒手空拳の構えを取り、睨み合う二人。
二人は、間を取り持つ者の声を待った。
「相棒、コル。死ぬなよ……それじゃあ、始めっ!」
メフィストの声に弾かれ、二人の足元が爆ぜた。
地を蹴り進む一足は、瞬く間に互いの距離を零にする。
お互いに前へ出した右前腕が、二人の間で×印を描き、互いの突進を制した。
力と力の押し合いでは勝てぬフィルは、素早く飛び退る。
追撃するコルレオーネの右拳が、フィルの顔面へと飛ぶ。
迫る剛腕を器用に手の平で払ったフィルは、そのまま踏み込み、肘を打ち込む。
だがその肘も、コルレオーネの左手に防がれてしまう。
そのまま接近距離から離れず、二人の拳が、肘が、足が、膝が飛ぶ。
フィルの拳がコルレオーネの頬を掠めれば、コルレオーネの強打が守る腕の上から衝撃をフィルへと伝える。
フィルが地を這う足払いを放てば、コルレオーネは軽やかに跳び躱し、跳躍そのままにコルレオーネが踵を落とせば、フィルはひらりと避ける。
一手一手変わる攻撃と防御。
主導権を奪い合いながら続く流れるような攻防に、周囲で観戦する者達は、ひと時たりとも目を離せずにいた。
彼らは知っている。
コルレオーネの放つ一打一打が、先刻男を吹き飛ばした一撃と同等の威力があるという事を。相対するフィルの打撃も、遜色なきものである事を。
猛虎を思わせる剛力のコルレオーネ。
流水を思わせる技巧のフィル。
均衡の取れていると思われた二人の攻防は、たった一瞬で崩れてしまった。
フィルが受け流し損ねた拳が、フィルの頬を捉えたのだ。
インパクトの瞬間、フィルの整った顔がぐにゃりと歪み、衝撃の強さそのままにフィルが吹き飛んだ。
吹き飛ばされながらも冷静に身構え、ゴロリと受け身を取ったフィルは、すぐさまコルレオーネへ向け戦う姿勢を見せた。
腫れる頬に触れぬ様に口元を拭い、フィルが酷く痛む口を開く。
「やったなぁ~。お返ししなきゃ、ねっ」
言い終わるや否や、フィルは矢が飛ぶが如く一直線にコルレオーネへと肉迫し、最接近からの右フックを放つ。
左から高速で迫るフィルの拳を受け止めんと、両手で防御するコルレオーネ。
だが、その防御にフィルの拳が触れることはなかった。
その右フックは見せかけ。
その場でクルッと素早く一回転したフィル。そこから放たれた裏拳が、コルレオーネの防御の反対側、その右頬を捉え――瞬間、コルレオーネの美しい顔がめきっと曲がり、コルレオーネの体躯が跳ね飛ばされた。
跳ね飛ぶ最中、無理矢理両足を地面に付け、立ったまま地を滑るコルレオーネ。
「ハハッ! やるなフィル君! 奇策はお手の物か」
「あんまり効いてないねぇ。困った困った」
「次は私の番だな!」
「次も私の番だよ」
声で気勢を上げた二人は、瞬く間に殴り合いの距離へと近づき、お互いに攻勢へと繰り出した。
そこから先は、地獄絵図であった。
互いに与えた一撃が、二人の箍を外してしまったのだろうか?
防御を捨て放たれる、攻撃と攻撃。
拳が飛べば拳を返し、肘が飛べば肘を返し、蹴りを喰らえば蹴り返し……怪我を厭わず繰り返される暴力の応酬。
離れた位置で観戦していたベルも、始めのうちは怪我の数で金勘定をしていたのだが、途中から「あわわ、あわわ……」と慌てふためく始末。
密かに二人の勝敗で賭けをしていた男達も、美しき女性二人が織りなす暴力の嵐に震え上がっていた。
ただ、マッシュとメフィストだけは動じず、目の前の惨状を止めるか否かを逡巡していた。
「良い武だが……止めるか? メフィスト」
「いや。相棒も楽しそうだし、決着つくまで見守ろうぜ」
「分かった。君に一任しよう」
メフィストは、相棒の顔が如何ほど変形しようとも、そこから零れる笑みを見逃す杖ではなかった。
戦いはいつまでも続くものではない。
繰り返される報復合戦は、雷の如く防御を貫く一撃によって終わりを迎えた。
両足で地面を擦りながら、後ろへ吹き飛ばされるフィル。
静止し、堪えたかに見えたフィルは「きゅぅ~」と可笑しな声を上げ、そのままばたりと後ろへ倒れてしまった。
「勝者、コル」
メフィストが告げる決着の宣言に、拳を前に突き出したまま固まっていたコルレオーネが、その拳を天へ振り上げ雄叫びを上げた。
威風堂々たる雄叫びに、周囲の男達が歓声を上げる。
「「「「コルレオーネッ! コルレオーネッ!」」」」
賭けに勝った者も負けた者も、等しく叫ぶ。
勝者の名を。




