1-3 迫るヘルハウンド
逃走中である少女を乗せ、魔都の路地を飛ぶフィルと杖メフィスト。
「それで行先は?」
「……中央の特区」
「なら大通りを通れば早いよ」
「やめて」
少女が短く告げた拒絶の言葉。強まる抱擁。
その二つから、フィルは少女の感情を読み解く。出来る事ならば他者を巻き込みたくないという、その感情を。
「りょーかい。まぁ大丈夫だと思うけどね。メフィちゃん、ルートはお任せで」
「あいよ。ここらの地理はバッチリだぜ」
「だからこの声何なのよ」
並行して空を飛んでいるのか?
遠くから声を届ける魔法の道具か?
不可視の何者かが存在しているのか?
フィルに抱き着きながら周囲を探す少女であったが、彼女には声の主が誰か分からない。代わりに少女の目は、フィルが後方をじっと見つめる姿を捉えていた。
フィルは、思案するように右手人差し指を顎に当てながら、悲報を口にする。
「んー、ここは一つメフィちゃんのご紹介といきたい所だけど、魔法っぽい何かが出てきちゃったねぇ。しかも二体――おっ! 結構速い……これは炎の……わんちゃん?」
「炎の犬――って嘘でしょ! あいつらこんな町中でヘルハウンドなんか!」
「ヘルハウンド?」
少女へ視線を向けながら首を傾げるフィルに、少女は真顔でコクリと頷く。
「そう。炎の猟犬を生み出すレリック。追跡させたい相手の魔力を覚えさせ、その魔力の持ち主を噛み殺すか、もしくは猟犬自身が死ぬまで追いかけ続けるクソみたいなレリックよ」
「んー、なら狙いは私っかな? 魔力残してきちゃったし」
危機感のない顔で喋るフィルへ、少女は真顔で首を横に振り否定した。
「横やり入れたからって、貴女を殺してもあいつらには何の得もないもの……標的は私。殺してでも奪い取るか……ほんと……」
言葉を吐く程、少女の愛らしい顔に険しさが増す。
その姿を見つめるフィルは、俯いてしまった少女の太腿を遠慮なくペチペチと叩いていた。
内心苛立ちを覚えながら顔を上げた少女を待っていたのは、何も考えてなさそうな柔らかな微笑みであった。
少女の心にスッと風が吹く。
ふぅと溜息を零した少女の口から出たのは、軽く、弾む声であった。
「もう、のんきなの? 強気なの? どっち?」
「どっちも。悲観してたってお腹空くだけだし。まずは行動あるのみ! てなわけで風よ、守護の力、飛行――」
フィルの右腕にて輝く腕輪が、薄暗い路地に赤い軌跡を残す。
魔法の言葉が紡がれる最中、別の赤い光がフィル達の後方より現れた。
それは虎にも見紛う大きさの炎の怪物。
炎の怪物は、その発達した四足で地を駆けながら、窪んだ虚ろなる双眸で獲物を睨む。
暗い道を赤に染めながら、駆けた道に炎の線を残しながら、二体のヘルハウンドが恐ろしき速さでフィル達に迫る。
迎撃せんと腰の武器に伸びた少女の手を、フィルの左手が止めていた。
フィルは微笑みを絶やさぬまま、言葉を紡ぎ続ける。
「――加速、増幅。メフィちゃん」
「応よ」
低く跳躍したヘルハウンドの爪がフィル達を切り裂くよりも早く、風の魔法が発動した。
内なる魔力を世界へ放ち、魔女見習いの言葉が力へと変わる。
フィル達を中心に吹き荒れる風が生まれ、跳ぶヘルハウンド一体を弾き飛ばす。
もう一体の猟犬が肉薄する中、風の力を纏ったフィルと杖メフィストの声が重なり、路地に響いた。
「かっ飛ばすよぉ」「かっ飛ばすぜぇ」
瞬間、今までの飛行とは比べ物にならない加速がフィル達を後押しし、迫るヘルハウンドを置き去りにした。
加速により周囲に生まれた衝撃が、並び立つ堅牢な建物を揺らす。
だが、超絶的な加速がフィル達の髪の毛一本揺らす事はない。
飛ぶあまりの速さゆえ、既に赤い炎は見えなっており、目まぐるしく変わる路地の家々の姿に、フィルに抱き着く少女の目は点と化していた。
目にも止まらぬ速度で路地を駆け抜けながら、フィルは己の失敗を口にする。
「あちゃー。速過ぎちゃった」
「逃げんだからこれでいいだろ」
「つかず離れずだよ、メフィちゃん。迎撃しなきゃ追われ続けちゃうから」
ヘルハウンドが追い付ける程度に速度を落としながら、緊張感なく喋るフィルと杖メフィスト。
圧倒的加速に呆けていた少女も、雰囲気にあてられ「ハッ」と意識を取り戻す。
そして少女は、普通の魔法使いとは違うフィルの魔法の行使と、実現させたその力の強さに驚いていた。
だがそんな少女の驚きなど気にも留めず、フィルとメフィストは会話を続ける。
「はぁ、面倒くせぇ。もうあの犬っころ、俺様がぶん殴ってきてやろうか?」
「それもいいけど路地でやっちゃ駄ぁ目っ。あれ多分、死んだら爆発するから」
「マジか! やべぇ奴だな、ヘルハウンド」
「殺意増し増しだねぇ。おぉこわいこわい」
冗談交じりで話すフィルを見る少女の目に、もう一つの驚きが浮かぶ。
その驚きは、先刻までヘルハウンドという魔法の道具について知らない風であったフィルが、ヘルハウンドの死と共にため込んだ力を四散させ破壊の術とする特性を看破していた事であった。
だが、驚愕や尊敬よりも自分にはやる事がある。
そう決意を秘めた少女は、腰に携えた武器を握り締めていた。
後方からは、ようやく追いついてきた赤き炎の猟犬が二匹。
「私がやる。あいつらがその気なら遠慮はしない」
「よし! 任せた! とはいえ大通りに出てから、ねっ」
「駄目よ。大通りだと大勢の――」
「私を信じて」
そう会話する間にも、フィル達の進む先には光が見えていた。
瞬く間に光へ突入したフィル達は、器用に直角の方向転換を成功させ、大通りに沿って飛ぶ。
少女の目に映るのは、荷馬車が行き交う事の出来るほどに幅広い石畳の道、その両脇に並ぶ煉瓦造りの店々、大通りを彩る魔法の光を放つ街灯の数々、そして人の気配一つしない無人の空間。
そう、誰もいない。
そこは先刻までの喧騒が嘘のように静けさを保っていた。
聞こえるのは、遅れて大通りへと飛び出した猟犬達の唸り声と石畳を駆ける音。
「なんで……」
「魔都ってちょーと治安が悪くてね。みんな逃げ足速いの。というわけで、真ん中に誘導するから、思いっきりやっちゃって」
「っと、そうだった。やってみる」
張りのある返事と共に少女が腰から抜いたそれは、見る者が見れば短い銃であると分かる形をしていた。
硬質な外装には芸術品めいた流麗な細工が施されており、どこか儀式剣めいた印象を銃に与えている。特に、本来発射物が射出されるべき銃口に鎮座する透明な宝石が、この世界では普及していない『火薬を用いた銃』でないことを表していた。
進行方向の真横を向いて杖に座る少女は、後方へ向け上半身を捻ると、地を駆け迫るヘルハウンドへ銃口を向けた。
地に水平にした左前腕。
銃を持つ右腕が、その上で十字に重なる。
「第一封印解放」
その言葉に合わせ、銃先端の空間に白く輝く円形の模様が浮かびあがった。
動いていたのは少女だけではない。
駆けるヘルハウンド達も、一つ、二つと石畳を強く蹴り、フィル達に肉薄せんと跳躍していた。
先行する炎の猟犬が跳ね、今にも噛み付かんと空中にてその大口を開く。
だが、近づく恐怖に少女の手が震える事はない。
腰にまわるフィルの左手も、恐怖を払い除ける一因だったのかもしれない。
落ち着き、やや斜め上へ狙いを微調整した少女の「発射」という声と共に、銃口に位置する透明な宝石から白き光が放たれた。
生まれた一筋の線が瞬く間に銃とヘルハウンドの頭部を繋ぎ、さらに貫いた先の夜空へと白き光芒を描く。
瞬間、死したヘルハウンドの魔力が使命に従い拡散し、炎の力へと変わる。
広がる爆発がフィル達の後方を赤く染め、石畳を焼く。
眩むような赤。
その爆発の中を突っ切り飛び出す、もう一体のヘルハウンド。
だが既に、少女の狙いはそちらへと向いていた。
「次」
少女の銃より放たれた光がヘルハウンドを貫き、二つ目の爆発を生む。
生まれた熱と破壊の力は、止まらず飛び続けるフィル達に届くことはなかった。
副次的に生まれた熱風すらも。




