3-6 コルレオーネが現れた
アイヴィが去り、ララとヨハンナへのシュークリームの提供が終わった後、フィルは休日を満喫すべく、三階にある自室に籠っていた。
机に備え付けられた椅子に腰掛け、一冊の本を読んでいる真っ最中である。
自分の後ろでふわふわ浮かび、一緒に読むメフィストに合わせ、フィルがページをめくる。
二人が読んでいるのは、貸本屋の友人におすすめされた恋愛小説。
中身は、主人公である魔法学校に通う庶民の娘が公爵家の御曹司に見初められるという、この世界でもギリギリ有りえるようで寡聞に聞かぬフィクションなラブストーリーであった。
運命的な二人の出会い……囁かれる甘い言葉……立ちはだかる壁を前に燃え上がる二人の恋……主人公の献身的な愛……絡み合う指と心……だが、フィルの顔は終始真顔であった。
文字を追う青い瞳にも、ページを捲る白魚の如き指にも、何一つ感情が乗っていない。むしろメフィストの方が楽しんでいる始末。
物語は、恋を妨害していた御曹司の婚約者との決着の場面へと――ガタンッ! と大きな音を立て、現実にある扉が勢いよく開かれた。
「待たせたかね! フィル君!」
耳に響く、この快活な女性の声の主を、フィルは知っていた。
読んでいた本をパタンと閉じ『あとで読もうぜ』とウキウキなメフィストの言葉を聞き流し、フィルは一つ溜息を吐いた。
クレア先生も、こんな気持ちなのかも……今度から気を付けよう。
そう思いながら、フィルは開け放たれた扉へと目を向け、抗議の視線と小言を来訪者へ送った。
「もうちょっと静かにね、コルちゃん」
フィルの視線の先には、威圧感を放つ一人の女性が立っていた。
それは、年の頃は二十前後に見える、金の髪が美しい目を惹く女性であった。
縦に高く細身な輪郭。その体躯を包むのは、灰色の警ら隊制服。
見る者に圧を与えるのは、ビシッと着こなした制服だけではない。
金の縦ロールに挟まれた顔には、鋭い目鼻顎が備わっており、居丈高な印象を姿全体に与えていた。
フィルの青の瞳と視線が重なり、彼女の紫の瞳がキラリと輝く。
「おっとこれは、すまないすまない」
そう言いながら部屋へと入った女性は、己の力を持て余すかの如く、扉をガタンッ! と強く閉め、フィルの元へと歩み寄った。
彼女の名はコルレオーネ。
若くして魔都警ら隊遊撃班の班長を務める女傑である。
だが警ら隊だろうが班長だろうが高圧的な見た目だろうが、友人に対して口をつぐむフィルではなかった。
「もうちょっと静かにね!」
「ハッハッハッ。私に二度も小言を言えるのは君くらいなものだよ、フィル君」
鋭く高圧的な容姿とは裏腹に、コルレオーネの口から出て来るのは快活な声であった。
フィルは、疲れの見えぬ友の元気な声を嬉しく思いながらも、その内容には甚だしく不服であった。
「一度で聞けば、二度も言わないよぉ……ふぅ、こんにちはコルちゃん」
「よっ、コル。昨日ぶりだな」
「ああ! こんにちはだ、フィル君、メフィスト君。ふむ、どうやら優雅な読書の時間を邪魔してしまったようだな。すまないすまない」
机の上に置かれた本を見ながら謝罪をするコルレオーネであったが、その顔には一欠けらほどの謝罪の色も浮かんでいない。
だが、そこは特に気にしないフィルであった。
「別にいいよー。泥棒猫の主人公がいつ刺されるか期待して読んでたけど、ハズレだったみたい。刺される気配なし。ざーんねん」
「おいおい相棒ぅ。そんな風に読んでたのかよ」
「フィル君! ネタバレはいかんぞ! ネタバレわぁ!」
鋭い目をクワッと開き、コルレオーネが大声を上げる。
しかしフィルは慣れたもので、平然と本を指差していた。
「コルちゃんも読むの? こういう恋愛小説」
「うむ。読まん!」
「だよねー、水よ、氷となり、形作れ」
フィルが素早く魔法を放つと、床から氷が生まれ、伸び始めた。
氷はすくすくと育ち、まるで玉座の如き仰々しい椅子へと変化する。
コルレオーネは部屋に似合わぬ氷の椅子にドッシリ座ると、満足げに椅子のひじ掛けを撫で始めた。
「うむうむ、いつもすまないな」
「イッヒッヒッ、今から魔女のお茶を用意するから、ゆっくりくつろいでって下さいねぇ。イッヒッヒッ」
怪しげな笑い方をしながら、フィルが茶の用意を始める。
その間、暇なコルレオーネは、先程までフィルが読んでいた本を読み始めた……だが、すぐに本を閉じ、彼女は元の場所へと本を戻してしまう。
「コル、それつまんなかったか?」
「ああ、私には合わん」
「コルちゃんは血沸き肉躍る冒険活劇の方が好きだからねぇ。好みなんて人それぞれってことさね。ハイおまたせー。まーじょーのーおーちゃー」
そう口ではお道化ながらも、フィルは氷の椅子の横に新たな小さな氷の台を生み出し、そこに白いカップを置いた。
カップの中には、透き通った黄色の液体が七割ほど満ちている。
素早くカップを手に取り、立ち昇る湯気と共に鼻で香気を味わうコルレオーネ。
「んー。フィル君のお茶は、相も変わらずよく分からん匂いがするな。花のような草のような……ふぅ。飲めば甘く華やかなのに、どこか胡散臭い」
「あはは。お茶の正体は、ちょっと健康に良いものを入れただけの普通のハーブティーなんだけどね……健康の為なら飲めるレベル」
「って相棒。それってつまり、不味いってことじゃねーか」
そのメフィストの言葉に反応したのは、小皿に乗せたクッキーを配り着座したフィルではなく、カップから口を離したコルレオーネであった。
彼女の鋭さを感じる目がカッと見開き、ふわふわ浮かぶ長い杖を捉える。
「なにを言うかメフィスト君! 私は好きだ!」
「ありがと。まぁ茶も小説も同じだよねぇ。うんうん」
決して美味しくはないハーブティーで一息ついた二人は、視線を交わし、本題に入った。
「さてと、コルちゃん。昨日時間空けとけって言ってたけど、もしかして調査に行ってた王都で何かあった?」
「あった! が、先に昨日フィル君が捕縛した不届き者について話そう」
「よろ」
あまりにも軽いフィルの返事にも、コルレオーネはいつもの事と一笑するだけに済ませ、不届き者の話を始めた。
「昨日、この町で騒ぎを起こし、駆け付けた君へ襲い掛かった暴漢四人組だが、警ら隊本部にて懇切丁寧に話し合いをした結果――「尋問だね」――うむ。奴らは『蠍の尾』の一員だという事が判明した」
「スコーピオン・テイルって、去年の暮れぐらいに王都で騒ぎになってた、荒くれ者集団の事だよね?」
「正解だ!」
「いえーい。正解のご褒美は話の続きを所望する」
「ああ。問題は輩の素性よりも、奴らが君を狙っていた事だ」
コルレオーネの言葉に、ただの強盗か暴漢だと思っていたフィルは虚を突かれてしまった。
フィルの首が、コクッと横へ傾いてしまう。
「私を……なぁぜぇ?」
「襲撃を依頼されたそうだ。魔都『ヴァルミオン』にて魔女を名乗る、紺のローブを纏ったとんがり帽子の美女『フィルメイル・クリスタ』を襲えと」
フィルは襲撃に意図があった事実よりも、別の事に反応していた。
「美女だってー。やだーもぅ、メフィちゃん。困っちゃうよねぇ」
「おうおう。そんな舐めた真似しやがったのは何処のどいつだ? あぁぁん」
「どうどう。輩になってるよ、メフィちゃん」
コルレオーネに詰め寄るメフィストを掴み、フィルはそのまま椅子へと戻る。
氷の椅子から眺めるコルレオーネは『仲良きことは良きことだ』と快活に笑っていた。
「ハッハッハッ! 私も同じ気持ちだぞメフィスト君! だから依頼主の名も、奴らの指四五本を犠牲に――いや、こちらの丁寧な説得に応じ自ら話をしてくれたのだが、ただの仲介人だったよ。裏は不明。まぁ困ったことにその仲介人すら本物かは分からんのだがね」
「悪いことを悪い人に依頼する人が、馬鹿正直に名乗る訳ないよねぇ。無駄に指を『めきょっ』とされたあの人達はご愁傷様だけど、まぁ襲撃者だし別にいっか。悪党に、あると思うな、慈悲心」
「ハハハハハハ」と、二人と一杖の笑い声がフィルの自室に木霊した。
悪人の指に同情するほど、この二人と一杖は優しくないのである。
「で? フィル君。心当たりはあるかな?」
「んー。正直……有り過ぎて分かんないね、アハハ。ここらの悪は、みんな敵ぃ」
「ったく相棒よぉ。いつもいつもトラブルに首突っ込んじゃぁ、悪党どもをぶっ飛ばし、首突っ込んじゃぁぶっ飛ばし。んな事やりまくってる所為だぜ」
メフィストが苦言を呈しているが、当のフィルはあっけらかんと笑っていた。
フィルからすれば優しさしか感じぬ苦言も、コルレオーネにはそうは思えず、彼女はフィルへの擁護を始めた。
「そう言うなメフィスト君。それはフィル君が、日頃から我々警ら隊に協力している所為でもあるのだよ。むしろ誇るべきことだ」
「わかってんよ。だが俺様としては、ちったぁお淑やかにして欲しいもんだぜ」
「あら、メフィちゃん。優雅なお茶会でそんな話、無粋でしてよ」
そう言ってフィルは、優雅に白いカップを口へと運ぶ。
だが、特に華やかでもないフィルの自室では、容姿の良いフィルやコルレオーネであってさえ、全く絵にならない。
その上、飲む茶は怪しき魔女のお茶である。
「不味い茶じゃ、様になんねぇよ」
「メフィスト君! 決して不味くは、ないっっ!」
「そうそう、不味くはないよぉ……美味しくないだけ」
「私は好きだぞ!」と白い歯をキラリと輝かせる友の姿を見て、フィルはクスッと笑った。




