3-1 地味な作業はお手のもの
フィルメイルという少女は、王都から遠く離れた王国南部に位置する田舎村にて生まれた。
少女の見る世界は、物心つくより前から様々な色に満ちていた。
空には緑の波が走り、地には色とりどりのうねりが流れ、大気にはふわふわと極彩色の泡が浮かぶ……そんな世界の中で生きる正直な少女は、当然のようにこう呼ばれた。
「嘘つき」と。
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ここは、ギルド『銀水晶』の地下にあるとある一室。
魔法の光が室内を白く照らす中、灰色の洋装に白いエプロンを掛けた少女が、無心で乳鉢の中で乳棒を動かしていた。
長くしなやかな黒髪を後頭部で一纏めにしたその少女の名は、フィルメイル・クリスタ。魔女見習いである彼女は、現在地下の作業部屋にて黙々と薬作りに勤しんでいた。
乳鉢の中で草がつぶれ、青臭い臭いがむわっと広がりフィルの鼻を攻撃する。だが、彼女の手が止まることは無い。
磨り潰しては鍋に移し、磨り潰しては鍋に移し…………全ての薬草を磨り潰したフィルは、地味な作業の終わりに「ふぅ」と一息吐いた。
暇そうにぷかぷか浮かぶ杖メフィストは、静かに相棒を見守っている。
地味な作業が終わった後には、また地味な作業がフィルを待っていた。
魔法の道具である水差しを手に取ったフィルは、潰した薬草の入った鍋を水で満たし、その鍋を奇怪な模様の描かれた金属板の上へ乗せた。
フィルが金属板へ魔力を流すと、瞬間、金属板から生まれた熱が鍋底へと伝わり始める。
その金属板は、上に乗せた物を熱する魔法の道具である。
金属板と鍋。その両方に魔力を流しながら砂時計をひっくり返し、フィルはじっと待つ……水面の不純物を取り除きながら、じっと待つ……沸騰しても、じっと待つ……魔力を流し続けながら、じっと、じぃっっと…………砂時計の最後の一砂が落ちると同時に、フィルは魔力を流すのを止めた。
鍋つかみを装備したフィルは、鍋の取っ手をガシッとつかみ、漏斗と布を使った簡易的なろ過器に鍋の中身をゆっくりと流し込む。
緑色の液体だけが別の鍋へと移る。
フィルは緑色の液体が入った鍋に蓋をすると、それが冷めるまでの間、また別の地味な作業を無言で始めた。消費した魔力の疲れなど微塵も見せずに。
鍋つかみから手袋へと装備を変えるフィル。
毎回毎回匙を取り換えながら、粉末の入った幾つもの瓶から記憶している適量を寸分違わず器に移しては、次の器で同じ作業を、また次の器で……と繰り返す。
それが終わると、深い乳鉢の中にスライムの死骸と青い鉱石を入れ、粉々になるまで砕き、ガラス瓶へ移し、またスライムと鉱石を入れ砕き……と、全ての鉱物がなくなるまで砕き続けた。
続いて植物の有用な部分と不要な部分を一つ一つ選り分け、あるものは切り、あるものは千切り……と、全ての素材がなくなるまで選り分け続けた。
手袋を外し、今回使わぬ材料――ほぼ全ての材料を、謎の液体や謎の粉がずらりと並ぶフィル専用の棚へと一つ一つ確認しながら片付けていく。
全てを片付け終え、ようやくフィルは再び「ふぅ」と息を吐いた。
そのタイミングを見計らい、メフィストが声を掛ける。
「なぁ相棒。続きは昼飯食ってからで良いんじゃねぇか」
「むぅー、知ってるでしょメフィちゃん。私はやること終わらせてから食べるご飯の方が好きだって」
「っつってもよぉ、今日仕事ねぇからって朝から休みなしだぜ。このままだと休日の概念が壊れちまうぞ」
「んー、そう言われると世界の危機だから休まなきゃってなるけど、今日はコルちゃんが来る日なんだよねぇ。だから、それまでに終わらせておきたいのさぁ」
フィルは、昨日ちょっとしたトラブルで捕まえた暴漢を警ら隊に引き渡した際、友人であるコルレオーネの発した溌溂とした高い声を思い出していた。
『フィル君! 明日そちらへ伺う。時間を空けておけ』という一方的な言葉を。
「あー、そういや昨日コルが何か言ってたな。つーかあいつ、何時に来るか分かんねぇんだよな」
「お仕事大変そうだし仕方ないよ。てな訳で、あの鍋だけだから、ねっ」
「仕方ないなぁ。なら俺様はちょっと遊んでくるぜ」
「うい、いってらしゃーい」
器用に扉を開け、地下の作業部屋から「じゃーなぁ」と出て行くメフィスト。
何をしに行くか知っているフィルは、それを笑顔で見送った。
「よぉーし、俄然やる気出てきたぁ。やるぞぉ」
気合いを入れたフィルは、急ぎ作業へと戻った。
フィルは、冷ました鍋の蓋を開け、三種の小瓶から液体を一滴ずつ垂らす。
そして、魔力が凝縮されて出来た鉱物『魔鉱石』で出来た特殊な細い棒を手に取り、棒で鍋の中をかき混ぜる。
ぐるり、ぐるり、と。
すると、緑色の液体が乳白色の液体へとゆっくり変化し始めた。
色の変化を確認し、フィルは挿したままの棒へ魔法を使う。
「光よ、癒しの力を、より強く」
淡く光る棒を通じ、魔法による癒しの力が液体の中へと染み込んでいく。
ゆっくりと、ゆっくりと。
フィルは液体の状態を目で確認しながら、癒しの魔法を使い続けた。
彼女が納得するだけの力を乳白色の液体へ込め終えたのは、光魔法を使用してから三十分後の事であった。
「んー、やっぱり時間掛かっちゃうなぁ。師匠ならパパッとなのに」
『やっぱり光魔法は苦手だ』と独り苦悩しながらも、作業は止めない。
小さく透明な硝子瓶を卓の上に並べ、先程魔法を込めた液体を漏斗を用いて移し替える。一瓶一瓶丁寧に。
そして最後に、乳白色で満ちた瓶を前に「呪いの、罠を」と唱え、全ての瓶に蓋をはめた。
ずらりと並ぶ薬を前に、腰に両手を当てたフィルが大きく頷く。
「よし、完成。んん~ん、我ながら良い出来。さてとあとは片付け片付けっと」
休むことなく、有言実行で片づけを始めるフィル。
そう。使った場所を綺麗にする所までが作業なのである。
それはフィル自身の習性でもあるのだが、なにより片付けて帰らないと作業場の主がブチ切れるからでもあった。
テキパキと片付け終えた彼女は、着ていたエプロンをフックへ掛け、作業部屋を後にした。
階段を上り、一階へと戻ったフィルへ、食堂から声が掛かる。
少年のような高い声、メフィストの声だ。
「こっちだ相棒。お疲れさん」
「流石メフィスト、時間ピッタリだね」
フィルがもう一つの声へ目を向けると、メフィストの横で料理を置いていた金髪の美女ヨハンナが、サッと横へ動いた。
ヨハンナの元へと近づくフィルの目に、食堂の卓が映り――フィルの目が、大皿の上に鎮座する黄色い塊に釘付けとなった。
遠くからでも分かるその巨大さ……一体卵を十何個使ったのか分からぬほどに巨大な楕円が、フィルのことを『おいで、おいで』と誘っていた。
皿を凝視したままフラフラと近づくフィルを、一人と一杖の笑声が待つ。
「ハハハ、特製オムライスだよ。たんとお食べ」
「じゅるり……ありがとう、おばちゃん。メフィちゃんもねぇー」
「いいから食え食え」
立ち去るヨハンナを尻目に席についたフィルは、矢も楯もたまらず「いただきます」と宣言すると、素早く四つ股のフォークを手に取った。
戦いを挑まんと意気込むフィルであったが、ふと、その手が止まった。
初手、巨大オムライスに手をつけるか? オムライスに寄り添う人参か? ブロッコリーか? くし切りポテトか? それとも、隣で湯気を立たせる温かなスープか?
だが、その幸せな苦悩は一瞬。
動き出したフィルのフォークが、オムライスの端を切り取った。
あまりにも巨大すぎるオムライスゆえ、フォークで掬えたのは玉子のみ。だがフィルは気にする様子もなく、それを口の中へと運び入れた。
口を閉じた瞬間、フィルの口でふんわりが解けた。
「んん~~」
甘めに仕上げてある柔らかな玉子に、フィルの顔が蕩けてしまう。
幸せな表情のまましっかりと噛み、噛み、噛み……フィルは、しっかりと味わうと、名残惜しそうに喉へと送った。
別れもつかの間、次の一口がフィルの口へ運ばれる。
今度の一口にはオムライスの内側も含まれており、フィルの口内にチキンライスの旨味を届けていた。
噛む、噛む、噛む……たっぷりと味わい、止まらず次を口へ運ぶ。
次の一口、次の一口と。
そして時折、空になった口を開く。
「ん~~~ん、このとろっと卵と玉葱の甘味が、嗚呼、か、く、べ、つぅ。トマト風味とチキンも合いますなぁ……憎いねぇこのぉ」
そう言いスープを一口飲むと、再びオムライス攻略へと戻って行った。
オムライス本体を喰らい、付け合わせ野菜を喰らい、あっさりスープを喰らう。
そして、噛む、噛む、噛む……。
フィルは決して早食いではない。あまり噛まずに飲み下すなど以ての外である。
味わって食い、休まず食らい、真剣に食す。
それがフィルの、一人で食べる際の食事の流儀である。
隣の椅子に身を立てかけていたメフィストは、フィルの食事姿を見て思う。
『相変わらず幸せそうに食う奴だ』と。
自分の事のように、嬉しそうに。




