2-12 一日の終わりに
ここはギルド『銀水晶』の拠点にある大浴場。
立ち昇る湯気の中、ゆうに十人は入れる程の大きな浴槽に腰を下ろしたフィルは、その口から気と疲れと声を吐き出した。
「あ~~、極楽極楽ぅ」
「あったかぁ~~。はぁ~~」
フィルは長い黒髪を頭上で巻いており、温かい湯に胸元まで浸かっている。
その横にはもう一つの声の主、肩まで湯に浸かる小さな少女ララの姿があった。
二人は再び脱力の息を零し、気の抜けた顔で視線を合わせた。
「お疲れぇララちゃん。こんな時間までお仕事大変だねぇ」
「はひぃぃ。お疲れ様ですぅ……ほぇえぇ」
半分口を開けたまま呆けている十二の少女に、フィルの肩が揺れる。
フィルは何か言うのも野暮に感じ、体を温めてくれる湯に身を委ねる事にした。程よい湯加減が、フィルの全身から疲れという疲れを抜き去っていく。
いつの間にかフィルも、隣の少女と同じ表情をしていた。
フィルとララ。
二人しかいない大浴場に、ぼんやりとした時間が流れる。
暫し呆けていたフィルは、己の腕に触れる柔らかな感覚に気付き、ララへ視線を向けた。
フィルの細く引き締まった腕をサワサワと撫でながら、ララが呟く。
「うーむ。綺麗」
「ハッハッハッ。プロポーションには自信あります」
「違うんです。さっき服が穴だらけだったのに」
「怪我したまま帰って来ないよ。しっかし光魔法様々ですなぁ」
陽気に喋るフィルとは違い、ララの表情には申し訳なさが滲み出ていた。
背筋が前に曲がっており、ララの小さな体がより小さくなっている。
「あの仕事、あんな風になるほど危険な仕事だったなんて……御免なさいです」
「あー、違う違う。怪我は別件」
「あれ? 魔女さんのお仕事ですか?」
「そっちもはずれ。怪我は訓練中に、ねっ。ララちゃんが案内してくれた仕事は、書いてあった通りのお仕事だったよ」
『本当ですか?』と顔で問うララへ、一つ微笑みを浮かべ、フィルはララの頭をポンポンと優しく叩いた。
洗ったばかりのララの髪が、フィルの手を湿らせる。
「うーん、それでも私は心配なのです。独りでお仕事するフィルさんの事が。もしフィルさんの身に何かあったら……」
「何かあったら?」
「うちのお仕事が滞るのです」
「あー、そっちかー」
『私、仕事に手がつかなくなっちゃうですぅ』的な予想を外されたフィルは、わざとらしく悲しさを顔で表現していた。
隣のララは、えっへんと子供らしく胸を張りながら『してやったり』な顔をしている。そんなララが、本心では一人行動を取るフィルの事を本当に心配しているのだと、フィルは充分に理解していた。
故にフィルは――思いっきりララを抱きしめた。
「もぉぉぉぉぉ可愛いなぁぁぁぁぁ」
「うわぁぁ、やめるです~やめてです~~」
身長差のある二人ゆえに、ララの小顔はフィルの大きな胸に埋もれてしまう。
肌が触れ合おうがお構いなしに、フィルは愛らしき少女をギュッとし続けた。
「やーめなーいよーだっ」
「ううう。フィルさんの大人が、大人な部分が憎いですぅぅ」
「アハハハハ。そんなこと大人か子供か関係ないよぉ」
二人が湯舟で騒ぐ中、ガラガラと戸が開き、大浴場に一人の少女が現れた。
その活発そうに見える赤毛の少女は、フィルやララにとってもよく知る人物であった。
彼女は、今日の朝方フィルに仕事がないので寝ると宣言した少女ベルである。
「あっ、ベル。今起きたの?」
「んな訳あるかぁ。しっかし騒がしいと思ったら……おうおうフィルさんよぉ、私のララちゃんになぁにしてんだぁ」
「ハハッ、ベルさんや。今日わたしララちゃんの仕事をこなしたから、愛でる権利はこちらにあるのだよ」
「そんな権利ないですぅ。ていうかベルさんのでもないですぅ」
ベルが現れようとも拘束を解かぬフィルに対し、ララは必死の抵抗を試みる。
だが、十二の少女がフィジカル強者であるフィルの魔の手から抜け出す事など到底無理な話であった。
むしろフィルが「よーしよし」と、不躾にララの頭を撫で始める始末。
「フッフッフッ、羨ましかろう」
「ぐぬぬぅ……今は預けるわ。けど、風呂上がりにカードで勝負よ。ララちゃんを賭けた女と女の戦い、逃げるんじゃないわよ」
「望む所」
「もう知らんです」
体を洗い始めたベルを後目に、フィルはララに頬ずりを始める。
抵抗をやめたララは、諦めの表情をしながらも、ほんの少しだけ目元に嬉しさを作っていた。
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風呂上がり、熾烈なるテキサスポーカーの結果、フィルは明日の昼食代をベルから巻き上げる事に成功した。
ララの身柄は、流石に賭けぬ二人である。
そんな彼女も、今は自室で勉強をしていた。
机の上に置かれた光の魔法の道具が、白い寝巻きに身を包むフィルと彼女の手元を淡く照らしている。
走るペンが、白紙の本を黒の文字と図形で埋め尽くしていく。
勉強に集中するフィルを邪魔せぬよう、杖メフィストは机の横に立てかかったまま、沈黙を保っていた。
聞こえるのは、一階から微かに届く酒飲み達の騒ぐ声。そしてペンの走る音。
ふと、ペンの音が止まった。
お道化など一切ない真剣な顔のフィルが、空いた左手を顎に当てる。
「その本を、こっちへ」
フィルがそう唱えると、壁の本棚から背の上質な一冊の本が抜け出し、フィルの元へとゆっくりと飛び始めた。
フィルの側までやってきた本は、彼女の前で独りでに開き、パラパラとページを捲り出す。そしてフィルが探していたページでピタリと止まる。
フィルは、そこに描かれた奇怪な魔法の図形へ目を走らせると、一つ頷き、再びペンを走らせ始めた。
ペンの音が室内に響く中、閉じた本が元の場所へと戻って行く。
それからも長い時間、似たような光景が部屋の中で繰り広げられ続け……。
「そろそろ休めよ、相棒。昨日も同じように夜更かししたろ」
「ん……ちょっと待って……ありゃ? もうこんな時間」
壁に掛けてある時計を見て、驚くフィル。
その時刻は、既に夜中の一時を過ぎていた。
「サンキュー、メフィちゃん」
「まったく世話が焼けるぜ。人間は俺様と違って、食って寝て休まなきゃいけねぇからな」
「あはは、だね」
フィルは座ったまま一つ背伸びをすると、ペンを置き、書いている途中の本をパタリと閉じた。
そして机を照らしていた魔法の道具に触れ、光を消す。
暗闇の中、慣れた動きで「よいしょっと」とベッドへと潜り込んだフィルは、ふわふわと近づいて来たメフィストを一撫でした。
「おやすみ、メフィちゃん」
「おやすみ、相棒」
メフィストの声に返すように、フィルの寝息が聞こえ始める。
寝つきの早いフィルを、メフィストはいつもの様に「フッ」と笑い、ベッドに寄り添うように長い体を立てかけた。
眠らぬ杖メフィストは、静かに身を休める。相棒の目覚めを待ちながら。
第二話「魔女見習いの日常」 完




