2-2 お仕事とクレア先生
食後、フィルはコーヒー片手に、ララが持って来た書類に目を通していた。
朝を彩る芳醇な香りと強い苦味を楽しみながら、ガサガサ質の悪い紙をめくっていく。
書類の中身は、下水浄化装置の中核をなす部品の受け取りと、町への配達、部品の組み込み、そして回収した不調部品の魔都への配達。
期日、責任者の名前、依頼料と目を通しても、不備も異常も見つからない。
荷馬車でトコトコ向かえば三日は掛かる距離にある町、ポルナ。
恐らく、そこの浄化装置が不調をきたしているのだろう。
高額な部品ゆえ荷馬車でゆっくり運びたくはない。魔術師協会に話は通してあるものの、組み込みの為に追加で魔法使いを雇うと高くつく。だからついでに組み込みもして欲しい。
依頼料は高くもなく低くもない。ケチでもないし太っ腹でもない。
そんな依頼。
『指名依頼でもないし普通の依頼だなぁ』とコーヒーを飲むフィルに、目の前に座るララから声が掛かった。
「そのぉ、大丈夫ですか?」
「ん? うん。普通の依頼だねぇ」
「いえ……それ、苦くないのかなぁって……」
書類からララへ視線を向けたフィルを、本当に心配そうな瞳が待っていた。
ララが両手で包むカップには、砂糖とミルクたっぷりな乳白色のコーヒーが残っている。対しフィルのカップには、琥珀色のコーヒーが少し。
「慣れだよ慣れ。苦いのも美味しさの一つなのさぁ」
「うーん……私、まだまだ子供だなぁ」
「アハハ。こんなので大人か子供かなんて決まんないよ。今日は苦いのって気分なだーけ」
『そんなものかなぁ?』と納得半分なララを見て、頭を撫で撫でしたい衝動がフィルを襲う。愛らしいものに手を伸ばしたくなるのは、そう必然。
己を落ち着けるためカップの残りをグイッと飲み干し、フィルはララへ笑みを作った。
「さてとララちゃん。この依頼、フィルちゃんがお受けしましょう」
「それ、おいしくないですよ。ポルナまでの距離を考えたら――」
「まぁ配達一つだけだとどうしても、ねっ。けど私とメフィちゃんならひとっ飛びだし、それに……」
言葉を止め、フィルは再び書類を確認する。
見る項目は部品の受け取り先。そこに書かれた『魔術師協会ヴァルミオン支部 第三研究室室長クレア・スタンピート』の文字。
それは、一人前の魔女を目指すため師の元を離れ、魔都にて日夜修行と勉学に明け暮れるフィルにとって、第二の師とも呼ぶべき恩人の名であった。
「クレア先生がらみの依頼なら、私が行かないと」
そう言い書類を返すフィルへ、ララはにっこりと子供らしい笑顔を浮かべた。
えっへんと、どこか自慢げでもある。
そう。ララ自身『おいしくない』依頼と言いながらも、フィルなら受けてくれると知っていたのだ。だからこそ、ララは他のギルド員へこの仕事を振らず、フィルの元へ持って来たのである。
小さいのに仕事の出来る大人な女性である。
甘いコーヒーでほんわかし始めたララを残し、フィルは独り立ち上がった。
「ごちそうさま。よっこいしょっと。さぁて、今日も一日頑張るとしましょ」
「ほどほどにな、相棒」
「ファイトです。オー」
フィルはとんがり帽子を被ると、自然な笑みをララへ贈った。
朝の似合う、明るい笑顔を。
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魔術師協会ヴァルミオン支部。
それは魔都『ヴァルミオン』の中央寄りの東部に位置し、そこに小さな村程の広い土地を有する組織である。元々ヴァルミオンという町が、王都に次いで魔法研究の盛んな町であったため、昔から多くの土地を占有しており、魔都と呼ばれる様になってからも強い権威を残していた。
ヴァルミオン支部に属する魔術師ともなれば、男爵も下に置けぬ存在である。
閉鎖的な中央特区と違い市井にも解放されてはいるが、特区と同等に一般人が近づきがたく感じる、そんな場所であった。
そんな場所を、悠々と飛ぶ少女が一人……勿論、フィルである。
本来咎められかねない行為であるのだが、長い杖に乗って優雅に飛ぶ彼女を止める者はいない。
ある者は親しみを以て手を振り、ある者は憧憬にも似た視線で見上げている。
フィルは黒髪をふわりと靡かせながら、視線の主たちへ笑顔で手を振り返す。
朝の空気を肌で感じながら、フィルは目的地である行き慣れた第三研究室へとゆるりと飛ぶ。
目指す場所は、遠くからでも見えていた。
実験場を兼ねた広い庭と周囲を囲む武骨な鉄柵。その内に佇む白磁を思わせる美しい大邸宅。その全てが『第三研究室』である。
特に何もなく到着したフィルは、正門へ――行かず、正面玄関へ――行かず、二階のバルコニーへと着地した。
「おっはよーございまーす。クレア先生」「じゃまするぜぇ」
元気な挨拶と共に部屋へ侵入したフィルを、大き過ぎる溜息が待っていた。
溜息の主は、六十を超えた女性であった。
壁を埋め尽くす本棚の前で、パタリと本を閉じ、この部屋の主クレア・スタンピートがフィルへ振り向く。
六十三の年月を示す顔の皺を、より増やしながら。
フィルは、クレアの長く波打つ茶の髪が今にも動き出し、自分を捕えんとする幻想を見た。
タラりと冷や汗を流しながら、フィルは努めて笑顔を保つ。
「あー先生。本日はお日柄も良く――」
「フィルメイル。いつも正面から入れと言っているだろう」
「はい! すみません先生。けど、下から入ると手続きが面倒なもので……そんな事より先生! 今日は仕事で来たんですよ、仕事」
「なんだ、講義や鍛錬ではないのか。つまらん」
クレアはまるで興味を失ったかのようにフィルへ背を向けると、手に持つ本を棚へと戻した。
その反応から、フィルは先生の機嫌が悪くない事を知る。
「あはは、これでも先生の名前を見て、かっ飛んで来たんですよぉ」
「文字通りか。銀水晶への仕事ならポルナの浄化装置だな……ほら、これだ」
クレアは机の引き出しから取り出した青い宝石を、まるで飴玉でも渡すかのようにフィルへと手渡した。
「おっと」と受け取ったフィルは、その小指程の宝石を落とさぬ様に気を付けながら暫し観察し、大事そうに革の鞄へ入れる。
「確かに預かりました」「へぇ、こんなんがなぁ」
「メフィスト、それは浄化装置そのものではなく、ただの制御用の魔術回路だからな。弟子に作らせたものだが出来は私が保証する。フィルメイル、組み込み方は分かるな」
「勿論です。装置の中央にガチャンとやって魔力をビビビッと繋げれば――」
「間違ってはいないが、念のため手順書を読んでおけ」
「はい、先生」
差し出された紙を受け取り、フィルは真面目に目を通す。
そこにお道化やおふざけはない。
クレアは『仕事に手を抜かないのは良い事だ』と表情を緩めながら、机に備え付けられた造りの良い椅子へ腰を下ろした。
だが同時に、その真剣さが心配になる。
フィルが全てに目を通したタイミングを見計らい、クレアが手を伸ばした。
「フィルメイル。仕事に熱心なのは良いことだが、魔術師試験の準備は進んでいるのか?」
「自信満々――って言いたい所ですけど……」
手順書を受け取りながら、クレアはフィルを見つめ、見透かす。
愛想笑いの裏に隠れた、その小さな不安を。
「前回の不合格から変化がない、と」
「あはは。先生にはお見通しかぁ」
「まぁな。だが成長を感じられんのにも仕方が無い部分がある。魔法使いとしてのお前の知識と力は、とうに魔術師の域に達しているからな。二年前の試験は兎も角、前回なぞ何故落とされたのか分からんほどだ」
顎に手を当て、思案気に息を吐くクレア。
フィルもまた、過去の魔術師試験の事を考えていた。
初めての魔術師試験は、苦戦としか言えぬものであった。
知識を計る筆記試験にはウンウンと頭を悩まされ、実力を計る森での実地試験では、他の受験者同士の足の引っ張り合いに巻き込まれ、残念な結果に終わった。
少なくともフィルは、そう思っている。
そして、一年後の二度目の魔術師試験。
これは手応えしか感じぬものであった。
筆記は自己採点で満点に一歩届かぬだけであったし、実地試験においては全てをなぎ倒し、トップを取った自負があった。
だが、不合格。
悩むフィルの口から、一つの疑念が零れ落ちる。
「襲って来た相手を全員ぶっ飛ばしたのが悪かったのかなぁ……うーむ」
「貴族も平民もお構いなしだったからなぁ。ありゃ爽快だったぜ」
「ハハッ。それで落ちるなら、私も魔術師になれていないな」
「おっ、若かりし頃の先生も暴れん坊だったんですね」
「それは今も変わらんよ……試してみるか?」
椅子に座ったままのクレアが、指揮棒のような短い杖を腰から抜き、その先端に付く小さな宝石――発動体をフィルへ向けた。
訓練用の杖ではあるが、そこから放たれる魔法の苛烈さをフィルは良く知っていた。その身に受けて。
「あはは……えぇーと、それは仕事が終わってからに……」
「ああ、帰りを楽しみに待つとしよう」
「やばっ! 言質取られたぁ!」
大袈裟にリアクションを取るフィルを見て、クレアの目尻に皺が増える。
「フッ。わざとだろう? アッシュ・グラントなぞと遊ぶ暇があるなら、偶には私の暇つぶしに付き合え」
「流石せんせー、耳が良い」
「仮とはいえ弟子が巻き込まれたんだ。調べもする」
フィルは、クレアに『弟子』と呼んでもらえる事を、とても嬉しく思っていた。
魔術師協会の研究室において師と弟子という関係には、少なからず利害が発生する。それは研究の手伝いであったり、仕事の助けであったり、手駒としての力であったり、または在り来たりな金銭の授受であったり……。
誰も、己の磨いた技術を無償で他人に教えたりはしない。
それが血の滲む努力によって培われたものならば特に。それが泥を啜ってでも辿り着いた境地ならば特に。それが膨大な財を使い得た知識ならば特に。
当たり前の話である。
だがフィルは、クレアの助手ではないし部下でもない。
利害などない関係。
なのに知らぬ事を教えてくれる。なのに魔法の訓練をつけてくれる……少々苛烈ではあるが。
トラブルに遭った弟子を気遣ってもくれる。
普段の厳しい顔に隠れたクレアの優しさに感謝の言葉を――フィルが告げるよりも早く、メフィストがツッコミを入れた。
「いやぁ、相棒は巻き込まれたっつーか、首突っ込んだっつーか――」
「もぅ、メフィちゃん!」
「ケッケッケ」「フフフ、相も変わらずか」
「うぅぅ……けど、ありがと、先生。それで? 何か分かりました?」
少々の気恥ずかしさを誤魔化すために、フィルは話を先へと進める。
「いや。既知の情報ばかりだ……聞くか?」
「宜しくお願いします」
深く頭を下げるフィル。
その様子を見たクレアは「うむ」とわざとらしく反応を示し、四日前の夜に起こった事件についての話を始めた。




