2-1 昔の夢と変わらぬ朝
フィルは夢を見ていた。
硬質な石材で塗り固められた部屋の中、白いランタンの光が男の銀の髪を照らしていた。儚さを感じるその男は、机に向かい必死に何かを書き記している。
それを眺める夢の中のフィルは、その男の隣でふわふわと浮かんでいた。
『あぁ、この夢って……』
暫し無言で眺めていると、聞き覚えのある少年のような高い声が部屋に響いた。
「そろそろ休めよ、ハル」
それはフィルが予想していた通り、相棒メフィストの声であった。
ハルと呼ばれた男は、メフィストの声にハッと我に返り、ペンを置いた。
もぞもぞと胸元から取り出した懐中時計を見たハルの目が、驚きで点になる。
「あれ? 七時? 時間が経ってない? 不思議だ……」
「アホか。一周したんだよ……熱中するとすぐこれだ」
「もしかして何度も?」
「声かけたさ。聞いちゃいなかったがな」
「ごめんごめん。しかし、どうりでお腹が空いてるはずだ。カリンちゃんに――」
「飯ならもう頼んだぜ」
やれやれと言った感があるメフィストの声に、ハルは儚げな容姿とは対照的な自信に満ちた笑みを浮かべた。
「流石メフィスト。僕の最良の友人」
「ハハッ。ハル、おめぇにそう作られたからな」
「ん? 僕は君にそんな機能は付けてないよ。意思を持ち、そして喋る。メインの機能はそれだけ」
嘘偽りないハルの言葉に、杖メフィストはぶんぶんと空中を飛び回る。
ぐわんっぐわんっと動く視界に、フィルは『おろろろろ』と吐き気を催す。
「こうやって自由に動けるのや、クッソ堅いのは?」
「どっちもおまけ。動けないと暇だし不便だろう。ドラゴンでも壊せないほど――いや、この星が壊れても傷つかないようにしたのは、君を守る為」
「人類の友人を……か」
メフィストはつまらなそうに、そう呟いた。
すんっとハルの近くで止まったメフィストを、ハルは元気づけるようにポンポンと優しく叩く。
「そうあって欲しいって願いだけで、どうするかは君次第さ」
「なら、おめぇが死んだ後は、俺様は人類の敵になるぜ。モンスターの味方になる気もねぇがな、ハッハッハ」
「メフィスト。君が決めたのならそれでもいいよ。その選択を受け入れられないなら、ソロモンシリーズ同様、態々君に悪魔の名前なんて付けたりしないさ。けどそれだと、もう一つ付けた『おまけ』が役に立たなくなるなぁ」
ハルの言葉に食い付いたメフィストが、思案気なハルの顔に近づく。
近い近いと言わんばかりにメフィストを骨ばった手で押し、遠退けるハル。
「おっ! もしかして俺様にも秘められた力が……フラウロスみてぇに一面火の海にしたり――」
「出来ないよ」
「サブナックみてぇに一瞬で要塞を築いたり――」
「出来ないよ。君自身がなにか出来るものじゃないから」
「ケッ。なんだよ、つまんねぇーな」
「そう言わないでくれ。僕にとって最も大事な機能を君につけた……いや、託したんだ。君は――」
ハルの口は動き続けている。だが、フィルにはその言葉が聞き取れなかった。
唇の動きから内容を読み取ることも出来ない。
『いっつも大事な所は教えてくれないんだよなぁ』
夢に介入出来ぬフィルの意思は『ぶーぶー』と不満を露わにする。
それでもフィルは、嬉しそうに弾む相棒の声を聞き、共に嬉しく思っていた。
「ハル兄ぃ! ご飯できたよー! メフィストもおいでー」
「すぐ行くー! さぁて、今日のソロモン家のご飯はなにかな?」
「人間は食う楽しみがあっていいよな……なぁ、ハル。今からでも俺様に飯を食う機能つけてくれよ」
「無理。不滅の力は、僕にも書き換えられない」
「ちぇっ、そうかよ――「ハル兄」――ほら行こうぜ。カリンが待ってる」
遠い遠い昔の……メフィストの記憶を。
我が相棒が、友と過ごした大切な記憶を。
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アイヴィことアイリス・ブラッドを狙った賊との戦いから、四日後の朝。
魔法都市『ヴァルミオン』の南区画に居を構える、ギルド『銀水晶』の拠点。
その三階の一室で、木製の長い杖が独りでに動いていた。宙に浮く杖は、ゆっくりと窓際へと向かう。
「おーい相棒。朝だぜー」
少年のような高い声が響き、さっとカーテンが開いた。
透き通ったガラス窓を通し、穏やかな朝の光が部屋に明るさを生む。
ベッドの上でむにゃむにゃとしていた少女フィルが、光と声に誘われ、のっそりと上体を起こした。白いシーツと寝巻きの上に広がっていた長い黒髪が、フィルの背に流れる。
「ん~眠い。おはようメフィちゃん」
フィルは寝ぼけ眼のまま、ふわふわとカーテンの元から側まで戻って来た木製の長い杖、相棒たるメフィストを優しく撫でた。
杖メフィストは「おう、おはよ」とだけ告げると、器用に扉を開き、独り室外へと出て行ってしまう。
閉まる扉をぼんやり眺めるフィルは、いつも通り朝食を頼む為おばちゃんの元へ向かったのだろうと納得し、二度寝を――甘い誘惑を断ち切り、のそのそとベッドから抜け出した。
寝巻きをベッドへ脱ぎ捨て、フィルは衣装棚を開く。
同じ濃紺のローブが何着も並ぶ中から一つ選び、着替えを済ませた頃には、フィルの青い目もパッチリと開いていた。
フィルは造りの良い革のブーツを履き、肩掛けの革鞄を下げると、愛用のとんがり帽を被った。
全身の映る大きな鏡にフィルの姿が映る。
上質な絹織物の如き滑らかな黒髪がとんがり帽の下から流れ、小さな顔を包み込んでいる。弧を描く眉は黒髪に隠れ、揃えた前髪の少し下には透き通る青い瞳が納まっている。長い睫毛が目元を美しく飾っていた。
それと高くもなく低くもない鼻、そして柔らかな唇が一つ。
濃紺のローブは特に洒落たものではなく、大きな胸以外は細身である肢体を隠していた。
高い腰には、細い革の腰ひもが横線を引いている。
腰に収まる革鞄、ひらりと揺れるローブの端、そこから伸びる健康的な足、足先をしっかり守る革のブーツ。
そして右腕に納まる赤の腕輪。
「よし! いつもどーり」
夜更かしの隈がない事に満足したフィルは、部屋を出て急がずゆっくりと階段を下りる。下りながら一階から聞こえる同僚の声へ耳を傾けていると、階段を上る赤毛の少女と遭遇した。
「フィルー、おはよ」
「おはようさーん。ベル、仕事は?」
「ない。寝る」
アハハと笑い合い、交差する。
赤毛の少女は三階の自室へ。フィルは一階の食堂へ。
受付や掲示板に群がる男女を横目に、フィルは食堂の一席にどっしりと腰を下ろした。
隣の椅子に帽子を掛けながら、フィルは周囲を見回す。
目が合った食事中の同僚たちへ「おはよ」と手を振り、暇つぶしに人の多い受付へと視線を移した。
今ギルド内で最も忙しい朝の受付では、金髪の小さな女の子が押し寄せるギルド員達を一所懸命に捌いており、朝食を待つ間フィルは『今日もララちゃんは可愛いなぁ』と、そのいつも通りの光景をまったり眺め続けていた。
「ほい。玉子サンドだよ」
「ありがと、おばちゃん。いっただっきまーす」
食堂の主ヨハンナの置いた皿には、二個で一人前の玉子サンドが計五個並んでいた。二人半の量ではあるが、当然「おっ。ちゃんと起きたな」と戻って来たメフィストの分ではない。杖は食事を取らない。
全てフィルのものであり、彼女にとっては軽い朝食である。
立ち去る美女ヨハンナへ振られたフィルの手は、休む事なく玉子サンドを掴み、それを彼女の口へと運ぶ。
白パンに入った切れ目の中に、潰した茹で卵がこれでもかと詰められており、端から被り付くフィルの口の中に卵のコクをジュワリと広げる。
柔らかなパンに柔らかな玉子。
顎が動く、動く。
玉子に混ざるマヨネーズと乾燥香草もまた、美味しさを後押ししていた。
「んん~~~ん」
「喋んのは口を空にしてからな」
『美味しい!』
『顔見りゃ分かるさ、相棒』
口をもぐもぐさせながら態々脳内伝達で感想を言うフィルに、メフィストの上機嫌な声が返る。
二個目を食べ終えるまで、フィルの口と手が止まることはなかった。
ヨハンナが皿と共に置いていった温かいミルクで、ホッと一息つくフィル。
「ふぅー、朝だねぇ」
「ん? 朝ですよ?」
「ララちゃんは分かってないなぁ」
静かにコップを置いたフィルが、卓の前に現れた小さな少女ララへ顔を向ける。
椅子に座ったフィルと立ったままのララの視線の高さが、丁度重なっていた。
綺麗に整えられた金の髪。幼さを隠しきれない丸みの残る顔。そして突っつきたくなるような柔らかな頬。身にまとう革のベストと長袖の白いシャツは、このギルドの事務員の仕事着だ。
仕事中であるのは、抱きかかえる書類からも明らかである。
フィルはララに対し『相変わらず頑張ってて偉いなぁ……そして可愛い!』と思いながらも、まだ十二だしこれから成長するのかもと、心で一つ頷く。
十二歳の頃の自分はどうだっただろう……師匠と旅をしていた頃の自分は――そんなフィルの記憶の旅は、きゅーと鳴る愛らしい腹の音によって一瞬にして現実へ戻されてしまった。
腹を鳴らした当人であるララは、顔を赤らめ視線を逸らしている。
「フフッ。これもまた愛しき朝の音色だよ、ララ君」
「むぅー。フィルさんは意地悪です」
「アハハ、ごめんごめん。朝のドタバタは?」
「終わりましたよ」
ララの言葉通り、受付や掲示板の前には人の気配はなかった。仕事のある者は仕事へ。仕事の無い者は自由に。ギルド員の日常である。
であればとフィルは、皿の上に三つ残る玉子サンドを指差した。
「なら一緒に食べよっ」
「いいんですか?」
「うん。その方が美味しいからねぇ。ねぇーメフィちゃん」
「あー、うん、そうなんじゃね? ララ、食っとけ食っとけ」
玉子サンドに釘付けなララの背を、メフィストも言葉で押す。
「ありがとうございます」と元気に一礼し、ララはフィルの正面に座り、玉子サンドを食べ始めた。
少し齧ってはしっかり噛む、少し齧ってはしっかり噛む。
ララのその動きに、頬に餌を貯め込むリスの姿を想起しつつ、フィルもまた玉子サンドへ手を伸ばした。
「ララちゃん。朝ごはんはちゃんと食べないと『メッ!』だよ」
「…………ふぅ、朝は忙しくって、つい」
「……ん~、美味しい。子供は食べて大きくなるんだから。いっぱいお食べぇ」
「…………今日のフィルさんは、お婆ちゃんですね」
「えへへ。そんな褒めないでよ、もぅ。マスター、こちらのご婦人にコーヒーを」
『それ褒めてんのかぁ』と疑問を抱くメフィストであったが、輝く二つの笑顔にそれを言うのは無粋であろうと、口をつぐんだ。
コーヒーを持って来たヨハンナが増え、笑顔が三つになったのはすぐのことであった。




