1-10 勝利の後にはご褒美を
夜空の中へと溶ける様に遠ざかる魔女見習い。
彼女を見送りながら、トルシオン卿が呟く。
「魔女……か」
「おじさま。彼女は違うわ」
「あぁ。僕らの探す魔女とは歳が離れすぎている。だが……」
トルシオン卿は続く言葉を飲み込み、己を見上げるアイリスと視線を交えた。
まだ小さな子供であった頃の彼女の、その純真な瞳を思い出しながら。
「いや、今は君を救ってくれたことを感謝すべきだね。さぁ、アイリス。まずは安全な場所へ」
「はい」
アイヴィの肩を柔らかに抱き、トルシオン卿は魔女見習いへ背を向けた。
不安に揺れるその目を、夜の神と魔女に気付かれぬように。
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魔都の南側にある銀蹄通り。そこに面する三階建ての大きな建物。
そこはギルド『銀水晶』の拠点。
フィルは今、その一階にある食堂にて巨大ハンバーグと格闘していた。
銀のナイフが焦げ目を裂き、肉汁の海を掻き分けて行く。
フォークに刺した巨大肉片が、そう大きくもないフィルの口の中へと消え――
「んぅぅぅん~~~…………おいしぃー」
肉々しい食感に合わせて広がる旨味が、フィルの両頬を蕩けさせていた。
空いた口にヒョイとポテトを放り込み、フィルの腕は次の肉片を切り出す。
食事を止めぬフィルの席の隣には、椅子に掛けたとんがり帽と立てかけられた長い杖が置かれていた。
『うーん。仕事のあとのご飯は旨い!』
『仕事のあとっつーか厄介事のあとっつーか。雑魚魔法使いに燃える犬っころ、土塊に片眼鏡……今日は厄日だぜ』
『そんなのこのハンバーグで帳消しだよぉ。うぅん、このじゅわぁ……たまらん。おばちゃんはほんと神。ありがたやーありがたやー』
『神はここに居たってか。ハハハ』
お忍びモードで語らう二人の会話は、離れた席で酒を飲む一団には聞こえない。
味変にトマトソースをちょいと付け、フィルは肉を口へ運ぶ。
交わる酸味に、顎が加速を促される。
噛む度に『これは肉だ』『旨い肉だ』という実感がフィルの中に沸き上がった。
肉肉ブロッコリー肉人参肉肉ポテトと、フィルの口が休まる事はない。
『ったく相変わらず旨そうに食うじゃねーか。食えねぇ俺様まで腹減ってくるぜ』
『食べるって生きる基本だからねぇ。それにメフィちゃんや、美味いものは美味しいのだよ……ふぅ』
『よく分かんねぇ。まっ、いいけどよ』
頭の中に聞こえるメフィストの笑い声をスパイスに、荒くれ者達が胃もたれを起こす量のハンバーグを完食するフィル。
満腹なフィルが濃紺のローブに隠された腹をポンポンと叩いていると、目の前に朱に香る一杯の紅茶が置かれた。
やや後ろを見上げるフィルの目に、エプロン姿の女性が映る。
「おばちゃん、ごちそうさま」
実年齢四十には見えぬ若々しき美女ヨハンナは、フィルの前にある皿を見て、帽子を被らぬフィルの黒髪をガシガシと撫で始めた。
それに合わせ、ヨハンナの金の髪とフィルの体が揺れる。
「綺麗に食べたねぇ。このこのぉ」
「うぉー、やぁーめぇーてぇー。もどる! 肉がもどるぅ」
「ハッハッハッ、お粗末さん。聞いたよ、今日も人助けだって?」
「なーりーゆーきーでー。うえっぷ」
ヨハンナの手から解放され、フィルは紅茶で一息つく。
問われたフィルの代わりにメフィストが喋り始めた。
「ハハッ、成り行きねぇ。今日の成果は暴れる魔法使い二人に燃え盛る猟犬ヘルハウンド二匹。でけぇゴーレム二体に、極め付きが三本線の魔術師って所だ。全部相棒が片づけといたぜ」
「もぉぉぉぉ、フィルちゃん。いい娘いい娘。ほんっっっとうにいい娘」
再び始まったナデナデ攻撃を受け入れながら、フィルは器用に紅茶を飲む。
『ヘルハウンドは私じゃないんだけどなぁ』と思いながらも、面倒だからと訂正はしない。それにフィルは、おばちゃんに褒められるのは嫌いではなかった。
「でもフィルちゃん。あんまり無理しないでね……『銀水晶』の荒事なんて、あいつらに任せりゃいいんだから」
「だぜ、フィルちゃん」
「今度は俺らも呼べよー」
「見よ! 俺の広背筋がぁ戦いを求めているぅ!」
「おいダグ。変なもんフィルちゃんに見せんな」
「ヨハンナ姉さんの為なら死ねる……」
フィルは、酒で顔の赤い同僚たちへ「あはは……」と苦笑いを返すだけに留め、未だに己が頭に手を置いたままのヨハンナへ視線を戻した。
「ありがとう、おばちゃん」
その声に返る言葉はなく、ただヨハンナの手がポンッと頭の上を跳ねた。
遠ざかる足音を聞き、酒盛りに戻った同僚たちを見ながら、フィルはヨハンナの淹れた紅茶の残りを飲み干す。
息を吐くフィルの脳内に、メフィストの笑い声が響いた。
『アハハハハハ。化物退治は出来ても、おばちゃんには形無しだな』
『そりゃぁねぇ。私、善人には勝てないよ』
『俺様もさ。しかし善人か……あの三人はどうだろうな』
フィルは、メフィストの言う『あの三人』を思い浮かべる。
『魔女』という言葉に反応を示した三人を。
敵意の眼。偽名を名乗った追われる少女、アイヴィ・アルケイン。
興味の眼。再戦すれば死と見える三本線の魔術師、アッシュ・グラント。
怖気の眼。魔都の主にして星の魔術師、ヘリクス・トルシオン。
『誰か動くかなぁ? 動かないかなぁ?』
『ちょっとでも情報が手に入りぁいいんだけどな……節制の魔女の行方のさ』
『まぁまぁメフィちゃん。期待しないで、まったりゆったり待つとしましょう』
師匠が探しても探しても、半ばで途切れてしまった魔女の行方。そんなものが、そう易々と手に入る訳がないとフィルも理解していた。
だが、一夜にして『魔女』という言葉に三人も喰い付いた事実に、フィルは運命めいたものを感じずにはいられなかった。
特に、アイヴィ・アルケインという少女との出会いに。
人と人とが出会い、風が吹き、物事が動き出す。
昔も今も変わらず、フィルは自分自身の直感というものを信じていた。
メフィストと出会った時もそう、師匠と出会った時もそう……何かが変わる。
自分が? 他者が? 世界が?
それは分からない。
椅子に腰掛けたままのフィルは、横の椅子に掛けていたとんがり帽を被り、ぼさぼさになった髪を隠した。
明日を思い、その口元に美しい弧を描きながら。
第一話「そして少女は少女に出会う」 完




