1-1 魔女見習いは空を飛ぶ
星に願いを。
夜空を流れ落ちる星へ向け、願いを込める。
そんなありふれたおまじないは、魔法のあるこの世界においても当たり前に存在していた。
時はファザム新歴1500年。
十数年に一度、夜の神が人々を思い、涙を流すといわれる夜雫の日。
黒き空に次々と流れる流星を見上げる一人の少女がいた。
今日五つになった少女の目は、輝く空の光を受けキラキラと光に満ちている。
貴族の娘らしく華美で瀟洒なドレスを身に纏った少女は、魔法の光で満ちた薔薇の園の中でゆっくりと目を閉じ、胸の前で両手をからめ、やわらかな唇を動かす。
「おじいさまみたいな立派な魔法使いになれますように」
少女を追い庭園へと現れた白髪の老爺に持ち上げられ、少女の愛らしき顔が嬉しそうに崩れる。
老爺もまた皺の多い顔を困り気に崩し、空へと視線を向けた少女と共に夜空を見上げた。
少女の事を思い、星に願いを込めて。
そして、別の場所にて同じ流星群を見上げるもう一人の少女がいた。
そこは周囲を木々に囲まれた、僻地の村の外れ。
祖母と共に空を見上げるその少女の青き瞳は、輝く夜空の彩りに似合わぬ暗さを秘めていた。
少女は五つの歳に見合わぬ大きな木の杖をギュッと両腕で抱き、空から地面へと視線を下ろす。そして、つまらなそうに瞳を閉じた。
隣の祖母が少女の肩へポンッと手を置き、柔らかに声を掛ける。
「願い事は言えたかい?」
首を横に振る少女を見た祖母は「そうかい」と一つ呟き、少女の黒髪を優しく撫で続けた。次々と流れ落ちる星々が夜空から消えるまで。
少女の事を思い、星に願いを込めて。
時は流れ、二人の少女が十七歳となったファザム新歴1512年。
これは『ソロモンの遺産』を受け継いだ少女が一人の少女と出会い、共に歩む物語である。
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雲一つない心地良い快晴。青々と広がる草原。北へ伸びる街道。
パカパカと響く荷馬車の蹄。
穏やかな風が流れると共に、街道を進む荷馬車の一団の上を影が走った。
御者は空へと手を振り、いつものように声を張る。
「配達、ご苦労さん」
「おじさんもねー」
遠ざかる声に御者が視線を上げると、青空の中、長い木製の杖へ優雅に腰掛けている一人の少女が飛んでいた。
飛ぶ速さに比例せぬ柔らかな風が、空を駆ける少女の頬を撫でる。
穏やかに揺れるとんがり帽の先。背で優しくなびく長い黒髪。豊満な体を隠す濃紺のローブの端もまたヒラヒラと揺れていた。
少女の双眸に宿る青い瞳は、同じ色をした空へではなく、遠くの山へと向けられている。
「メフィちゃん。ちょっと飛ばしてもいい?」
「んー? 期限は明日までだろ? 別に急ぐ必要ねぇって」
少女の快活な声に返事をしたのは当然御者の声ではなく、少年のように高く、そしてどこかぶっきらぼうにも感じる声であった。
少女は右手で杖を撫でながら、恥ずかしそうに左手で頬を掻く。
「エヘヘ。お腹すいちゃった」
「相変わらず燃費わりぃなぁ、相棒。町につくまでクッキーで我慢しな……俺様の上に落とすなよ」
「あとで綺麗に拭いてあげるってば」
「そういう問題じゃねぇ!」
アハハと笑う少女の声に、メフィちゃんと呼ばれた杖の溜息が重なる。
肩に掛け腰元に収まる皮のかばんをごそごそと漁る少女を乗せ、杖メフィストは飛ぶ。荷物の届先である、遠く離れた山の手の町へ向けて。
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山の中腹に開かれた町に到着したとんがり帽の少女は、町の中でも一番大きな屋敷の前へと降下を始めた。
腰ほどの高さで地面と水平になる長い杖からヒョイと軽やかに下り、少女は扉のノッカーを鳴らす。
「クヴェルせんせー。おっ届けもっのでーす」
それ程時間を置かずに扉が開き、年齢五十ほどの知的さを感じる男が顔をだす。
届け先本人を確認した少女は、肩から下げた皮の鞄へと右手を突っ込み、男クヴェルが前に差し出す両手の上へ、一つ二つ三つと荷物を積み上げていく。
「やぁフィル君……ハハハ、今日は大量だね。これは?」
「魔術師協会から。んー、たぶん鑑定依頼かな、ハイ手紙……よっと。これも」
大量の荷物に苦笑いを浮かべるクヴェルを気にもせず、フィルと呼ばれた少女は鞄をごそごそと漁る。
腰に収まる程度の鞄には明らかに入らぬ長い剣を取り出したフィルは、荷物を玄関に置くクヴェルに合わせ、そっと剣を荷物の横に寝かせた。
「全く自分達でやればいいものを。これじゃ隠居した意味がない」
「まぁまぁせんせー。魔都の協会は今、この間の騒ぎでドタバタしてるから」
「魔物の群れか……王都から狩人の応援が出る程だったって聞いたけど、フィル君も大変だったろう」
「アハハ。私は空からちょっかい掛けてただけだよ。ほい、サインありがと」
受け取り確認を済ませたフィルは、外へと歩を進め、くるりとクヴェルへと向き直り、まるで見えない椅子にでも座るかのように腰を下ろした。
そこに自然と収まった杖が彼女の体を持ち上げる。
宙へ浮かんだフィルは、人好きする笑みをクヴェルへ向け、クヴェルにとっては聞き飽きたであろうお決まりの言葉を口にした。
「それでは、御入用の際は魔都ギルド『銀水晶』の魔女見習い、フィルメイル・クリスタをどうぞ御贔屓に」
自在に空を飛び、屋敷から離れ行くフィルの背に「気を付けて帰るんだよ」と声が掛かる。
「まだ仕事ぉー」と返す言葉通り、その後もフィルは町のあちこちを飛び回った。
役場には書類を。食堂には食材を。工場には道具を。
老夫婦には孫の手紙を。幼子に裾を引かれる母には夫の出稼ぎの成果を。
そしてお決まりの言葉と共に去る彼女の姿を見上げながら、皆が皆、疑問を覚え首を傾げる。
「ママ―『まじょみならい』ってなぁに?」
「さぁ? なんだろうね」
子供の素朴な疑問に答えられる者は、この町には居なかった。
いや、この世界の殆どの者が答えられない。
魔法使いはありふれているが、誰も魔女を知らない。
知らぬ存在というのは恐ろしいものだ。
だが、笑みを絶やさず働く『魔女見習い』の事を嫌う者は、この山の手の町には居なかった。
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とうに暗んだ空の中、薄っすらと星々が輝く頃。
魔都と呼ばれる魔法都市『ヴァルミオン』は、魔法の光で満ち満ちていた。
煉瓦造りの街並みを白き光を放つ街灯が照らし、行き交う人々の姿を照らす。早い者は眠りに付いている時間にもかかわらず、町の喧騒は眠らない。
喧騒を嫌い、光を嫌うならば裏路地へと逃げ込むしかないだろう。
腹ペコな少女フィルと杖メフィストは、魔都の騒がしさを眼下に置きながら、ゆっくりと空中遊覧を楽しんでいた。それは、山の手の町にて受け取った荷物を北門に下ろした後の、怠惰な仕事終わりのひと時。
鳴る腹を片手で押さえながらも、フィル達は速度を上げず、夜をゆるりと飛ぶ。
生家のある田舎村とは違う、明るく輝く魔都の空を。
「いやぁ。今日もこき使われたぜ」
「お疲れ、メフィちゃん。あとはギルドに報告しておーしまい」
「ハハッ。どうせ報告よりも、頭ん中はおばちゃんの料理でいっぱいだろ?」
「まぁねぇー。お昼はキノコサンドだけだったし、がっつり肉欲しいね、お肉ぅ」
帰りに空で食べた『山の手特産キノコサンド』のジュワっと零れる旨味を思い出しながら、まだ見ぬ夕食の肉へと思いをはせるフィル。
その耳には「三つも食っといて、だけってなんだよ……」と言うメフィストの言葉は届いていない。
愛らしき顔をポヤポヤさせながらも、フィルの警戒心は魔都西方から感じた魔力の異常を逃さなかった。
「ん? 攻撃魔法? メフィちゃん、あっち」
「面倒事か……なぁ相棒。お節介が過ぎると、まぁたギルドマスターのげんこつが飛ぶぜ」
「いいからゴーゴー」
帰路から魔都西部へと針路を変え、フィルとメフィストは速度を上げた。




