斯くして下剋上は始まった
「釣られたな……?」
この『男』———『色欲の魔王』は路地裏に迫りくる白十字教徒たちの足音に不敵な笑顔を浮かべて見せた。
俺は釣られた者の姿にひどくげんなりした。
目の前の男から発せられる圧力は並大抵じゃない。 生物として位階の違いがあるせいか、3メートル越しでもゲロ吐きそうに怖いし、風邪でもないのに震えが止まらない。
何より不気味なのはその外見。 分厚い神官服越しからでも目視できるほどに盛り上がった大胸筋、白く見えたその拳は袖口から覗く肌の色から古傷で白く染まっていることが分かった。 だというのに身長は俺とそう変わらない(大体176センチ……いやもう少しでかいか)程度だ。
けどそこは問題じゃない。 俺が一番不気味だと思っているのはその『顔』だ。
ほどほどに整っているはずなのに、不気味なほど印象に残らない。 かれこれ1時間は一緒にいるはずなのに、このまま別れれば数分もしないうちに忘れてしまいそうだ。
知らないうちに頭の中を弄られているんじゃないかと勘繰ってしまう。
そんな俺の内心を知ってか知らずかニヤニヤしながらこっちを振り返る。
「さあて……魔王の脅威に慣れ切った世間に爆弾を放り込んでやろうじゃないか。 なぁ?」
魔王は呟き睨め付ける。
真っ黒な瞳。
凡庸な顔面の中で唯一その瞳だけは宝石のごとく輝いていた。
そしてその瞳の先にいるのが―――――
(———————なんで俺なんだよぉ)
拝啓、田舎の親父殿、お袋殿、愚弟・愚妹ども、そして生前の両親殿。 ワタクシはある日勇者を決める儀式にノコノコと参加しに行ってしまったばっかりに、今路地裏で魔王を名乗るおっかないお兄さんに絡まれています。 挙句の果てにとんでもないことを要求されていま―――――――
「反応はすぐ近くだっ、色欲の魔王を探し出せ!!」
「おやおや、時間がないようだなぁ?」
(あーーくっそ!!)
このままコイツといたら最悪仲間だと思われて諸共殺されかねないが、けれど色欲の魔王にとっては関係ない。 なんせこの状況はこの性格の悪い男の計画通りでしかないのだから。
「さて少年、返答に迷ってるようだが難しく考える必要はない……と言っても無駄だろう。 だからここは年長者として世間話の一つでもしながら緊張をほぐそうと思う」
魔王は憎たらしい笑顔を浮かべながら、俺の方へと無遠慮に一歩近づく。
「この世界の半分が6人の魔王に支配されて300年」
「王国、教会、大陸連合、その全てが力を合わせて尚攻略できず、更には支配地域を後退させられ続けているのが現状」
「愚かな王は願った。 『どうかこの世に英雄を―――――救世を成す《勇なる者》を!!』と」
「斯くして世界各国から腕に覚えありと宣う輩が列を作って、その勇者証を求めた」
「断言しよう!今日集まった全員、お前を含めて達成可能な奴は一人もいない」
「………」
「その中でも特にお前はひ弱だ。この国から出た時点で死が確定するといっても過言じゃあない」
「………」
「人間どもの敵は強大無比、空想癖のガキが考え付くようなすべてを、あの6人魔王の誰もが当然のように成し得る」
(嫌な奴だ……)
思わずうつむいて、歯を食いしばる。
誰もが知っているような事実を嬲るように教え込んでくる。
世界情勢は最悪だ。
今日か明日かには人の世が滅んでいたっておかしくはないのに、権力者たちは「今日まで生き残れていることこそ人類の正しさを証明している」と囃し立て狂喜する。
でも魔王の笑顔は語っている。
――――――『これまでの全ては遊びだ』と
だからこそ俺はコイツの要求の意味が分からない。 よりにもよってコイツは俺に対して最高に馬鹿げた提案をしてきた。
「さて少年、ちょっとこの世界救ってみないか?」
「最初に言った通り、遠路はるばる君がこの王都にやって来た君の目的が叶う最高の提案だ。」
「さあ勇者様、このか弱い三流魔王を助けてくれ給え」
この日、三流魔王と三下勇者の下剋上は始まった。